第46話 うどんにテニスボールのトッピング
いつものように朝起きて、顔を洗って、髭を剃ると。日和さんに教えてもらった通り、コンシーラーとファンデーションを自分の顔に施してみた。いざ自分でやってみると、化粧の乗りが悪いというやつなのか、なんだか自然な仕上がりとは言えない出来になってしまった。最低限痣は隠せたため良しとするが、これは続けて慣れていく必要があるな。
今朝も昨日の朝と同じように、朝ご飯を二人で済ませてから家を出た。今朝の日和さんは少し眠たそうにしていて、朝食時の、口元を隠して大きなあくびをするしぐさがとても可愛らしく、動画に撮っておきたいと気持ちの悪いことを考えてしまった。
今日は梅雨らしく雨だ。朝から空は薄暗く、空気はジメッとしていた。気圧も低いのか、頭が少し痛く、気持ちもスッキリとはしない。
今日は二時限目からの講義で、昨日よりは遅めに家を出てバスに乗る。この時間のバスは朝の便より学生は少なめだが、それでも席に座れないほど学生が乗車しており、僕は普段通り立った状態で漫画アプリを読んでいた。
が、今日のバス内は雰囲気が少しおかしかった。いや、別に普段と何も変わらないのだけれど、妙にヒソヒソ話が多かった気がする。それも、女性たちの。何を話しているのか、なんて野暮に耳を傾けはしないが、女性のヒソヒソ話ほど怖いものはない。まあ、ぼくなんかが面識のない女子学生に噂話されるわけがないので、気にならないが。
バスから降りるとすぐに傘をさして、髪が濡れないように気を付ける。湿気が多いと髪のクルクルがひどくなる。だからこれ以上悪くしないためにも、一ミリも髪を濡らすことを許さない。
校舎玄関に入ると、人のいない方に向けて傘の雨粒をはらう。が……
ザバッ!!
「ひゃっ!?」
背後から突如、傘を開く音とともに、大量のしずくが降りかかった。
つ、冷たい……
誰かが、濡れた傘を僕に向けて開いたのだ。
振り返ると、傘を縛りながら中へ入っていく女性が近くにいたが。近くにいたからといってって、あの人を疑うのは安直だ。誰かが故意的に僕へ水をかけてきたとも限らないので、まあ僕に気づかずに誰かが雨粒をはらってしまったのだろうと納得して僕は玄関へ入っていく。
首筋に付着した雨粒が背筋を垂れてくる間隔は、気持ちが悪かった。
◇◇◇
午前の講義もなんだか変な感じがした。講義自体はいつも通りなのだが、なんというか、ずっと視線を感じた。まるで憎まれてるかのように、痛い目線だ。それも一つではない。自分の周りすべての方位から見られているような感覚だ。ただ、もちろん僕なんかが睨まれる理由なんてないので、これも気のせいなのだと自分に言い聞かせる。
そして迎えた昼休み。今日はいつも通り賢と人の多い食堂で過ごす。
いつものうどんをすすりながら、賢と適当な会話を交える。
今日はまだ猫俣さんにも鳩島先輩にも出会っていない。木原さんたちにも出くわしていないし、案外そこまで警戒しなくてもいいのかもしれない。
「でも、実際女の子に付きまとわれるなんて、まんざらでもないんだろ?」
「……まあ」
賢の邪な問いを肯定する。
「そりゃ、男としてモテるのはこの上なくうれしいよ」
「だよな? あの猫俣さんに言い寄られてるんだぜ? あの王子様にも告白されたんだろ? なんだよそれラブコメの主人公かよ」
うれしいにはうれしいのだけれど。
「迷惑はしてるよ」
日和さんと付き合っているって知ってるのに付きまとう猫俣さんもだが。
「あの王子様に告白されたから、取り巻きの人たちの怒りを買った、ねえ。なんて贅沢な悩みだこと」
「贅沢だあ?」
女性に囲まれてすごい殺意を向けられたんだぞ。そんな怖いものなんてない。
「モテモテでうらやましいよ。日和さんという彼女が居るのに、この学校では猫俣さんと、鳩島先輩と、鞠井先輩に想われて」
「なんで鞠井先輩が出てくるんだよ」
「一度エッチを誘われてんだぞ? もう好意寄せられてるようなもんだろ」
じゃあ鞠井先輩はたくさんの男に好意を寄せていることになる。気になった男に声をかけるのだと言っても、たくさんの男を誘っているのだから、そこに好意は存在していないのだろう。
賢はボクの状況をうらやましいと言ったが、しかしこいつはラバーズの件を知らない。その問題も抱えているから、言い寄られることに対して特に困っているのだ。
と、そんな感じでダラダラと話しながら、僕は少しずつうどんに手を付けていた。
が、その瞬間だった。
ボチャッ!!
うどんの汁が盛大に跳ね上がり、顔にしぶきが飛んできた。
「うわなんだ!?」
アツアツの汁が飛び散り、僕は驚いた拍子に席から転げ落ちた。顔に付着した汁がジンジンと熱く悶える。
いったい何が起こった?
「おい、これ」
すぐに立ち上がった僕に、賢が器の中を指さして見せる。
僕は器を覗くと、そこには黄色い、片手で握れるほどの大きさのボールが入っていた。
「これって……」
「テニスボールじゃないか?」
器の中でうどんに乗っかっていたのは、薄汚れたテニスボールだ。
「な、なんでテニスボールが?」
僕はハンカチで顔を拭きながら周りを見回す。
まさか、食堂内でテニスをしているやからはいないだろうな?
大学生だ、調子に乗ったやつは案外そういうことをやりかねない。だが見た限り、人の数は多いがテニスラケットを持っているやつはいなさそうだ。
「だれかが投げて遊んでたのか」
「だったらなんて迷惑な」
もうこれでは残りのうどんが食べられないじゃないか。
「もったいないけど、返却口にもってくしかないか」
お金がもったいない。
ただこのまま返却してもキッチンの人を困らせてしまうので、ボールだけ取り出した。このボールはテニスサークルの人に渡しておくか。
うどんが全然食べられず空腹を満たせなかったので、僕は売店で菓子パンを購入した。それを講義室で食べながら、賢と次の講義を待つことにしたのだった。




