第39話 図書室の卑屈な先輩
僕は図書室に逃げ込んだ。途中であの人たちの追いかけてくる足音は聞こえなくなったから、諦めてくれたと思うけれど、しばらくは鉢合わせないようにここに潜んでいよう。
「ハァ……ハァ……」
上がる息を、膝に手をついて整えていた。
「き、木野くん?」
そんな僕の様子を、入り口近くの本棚から本を取り出していた暗い印象の女性。目立たない印象の服装に、丸井い縁の眼鏡の奥からジトッとした目でこちらを見つめる、大井先輩に見られてしまった。
「き、木野くん、どうしました?」
先輩はこわばった表情で話しかける。
「いや、ちょっと追われてまして」
「追われて? だ、大丈夫なんですか?」
「だ、大丈夫です。ここまでは追ってこないと思いますから」
「そ、そうですか?」
と、心配そうに近づいてくる。
「と、とりあえずいつもの席で落ち着きましょう?」
と、大井先輩は図書室の隅の方を指差した。
日和さんとの約束もあるし、女性と二人きりになるのは避けたかったけれど。ここで大井先輩の誘いを断ってしまうのも失礼だと思うし、先輩の性格的に悲しむだろうし。まあ図書室はほかにも利用者や司書さんもいるから、大丈夫か。
そんなわけで僕らはいつもの席まで移動する。
まだ息が整わなく、大きく空気を吸う。すると本の匂いが鼻から大量に入ってきて、それが僕の気持ちを少し落ち着かせた。
図書室の端までくると、先輩は壁を向いてくっついた横に長いテーブルの、一番奥に座る。大井先輩の定位置だ。
僕は普段、その隣の椅子に腰を下ろすが。
今日は隣ではなく、一つ席を空けて座った。距離を開いて座っても、先輩のしっとりとしたウッディな匂いは漂ってくる。
今日は天気のいいためかまあまあ明るく、少し開いた窓から入り込む風が心地よい。
「な、なんで木野くんは追いかけられてたんですか?」
うつむきながら、不思議そうな顔をして聞いてくる。
「なんか、怒りを買っちゃいまして」
「ええ? き、木野くんは人の怒りを買うような人には見えませんけれど。な、なにをしたんですか?」
「まあ、ちょっと、ね」
学園の王子様に告白されたから、それを妬んだ女性たちに責められていた。なんて、なんか話しづらい。
「そ、そうですよね。ごめんなさいわたし、ズカズカと……」
「いえ、大丈夫ですよそんな気にしなくても」
ここでチャイムが鳴った。二限目の授業の講義が終わったのだ。
これからはお昼休みの時間だ。お昼は賢と一緒に済ませる約束だったが、断りの連絡を入れておく。今食堂へ向かったら、木原さんたちにまた絡まれる心配がある。
「そ、そういえば、この間の、その……ご、合コンはどうでしたか?」
「あー、えっと、合コン自体は失敗でしたね……」
「そ、そうなんですね。じゃあ、変なことも、その、なかったですよね。よかった」
と、大井先輩は安心したようにはにかんだ表情を見せた。やはり、合コンの被害者として僕のことを案じてくれていたのだろう。
「でみも変なことっていうか……」
「え?」
合コンの後に、なんだかすごい戦いが起こってしまったけれど。それについては話せないとして。
「彼女は、できましたよ」
「な、なんですってーー!?」
大井先輩は普段の控えめな印象からは想像できないほど、椅子から立ち上がっては口を大きく開いて、図書室に轟く大声で驚愕した。
「せ、先輩?」
「彼女できたの!? え、合コンの相手と!?」
「い、いったん落ち着いてください」
「ま、まさか籠絡された? 無理やりエッチなことをされて既成事実でも作られた?」
「落ち着いてくださいって!」
僕は先輩を揺さぶって暴走を止めた。
先輩はハッと回っていた目を戻し、図書室にいたほかの人たちの視線におびえるようにして椅子に座りなおす。
「す、すいません。わたしったら、びっくりしちゃって」
びっくりしたのはこっちだ。
「えっと、彼女は合コンの相手ではないです。途中トイレに抜けたときに、たまたま高校時代に、その、恥ずかしながら片思いをしていた人に出会ったんですよ。それで、いい感じになって」
「へ、へ、へえー……」
気の抜けたように、机にぐてっと伏してしてしまった。
そしてなんだか、聞えない声でぶつぶつ言っている。
「ど、どうしました?」
「な、何でもないです。ほんと、おめでとうございます」
と、そっぽを向きながら祝ってくれた。
「ちょ、調子でもすぐれないですか?」
「……ち、違います。わたしより先に恋人ができたことが悔しいんです。そういうことにしておいてください」
そういえば、以前にお互い恋人ができないなんて話したことがあったが、僕の方が先に恋人ができてしまったことにうらやみ、ダメージを受けているのだろう。
「とりあえず、いつもみたいにアニメの話でもしますか?」
「……わたしなんかと二人きりになっていたら、彼女さんに悪くないですか?」
それはジメッとした、卑屈モードの大井先輩だ。
「ま、まあ別にいつも通りお話をするくらいなら……」
「というか、たまたま好きな人と出くわして、つき合ったなんて、もうそれ運命の人じゃないですか。うらやましいです……」
そういえば大井先輩は恋愛作品が好きで、運命的な恋愛にあこがれていたんだった。
「せ、先輩にもいつか素敵な恋愛が訪れますって」
「わ、わたしみたいにデブでコミュ障の陰キャを好きになる人なんていないですよ」
と、タコのように口をすぼめて自己否定をする。
「それに、顔も良くないですし……」
「そ、そんなに自分を悪く言わないでくださいよ」
と、仕方がないので僕は先輩をなだめる。
「先輩は素敵ですよ。容姿だって変だとは思わないです」
「そ、そういう慰めはやめてください」
「本気で言ってますよ。先輩は普通に美人です」
体系についても、少しだけムチッとしているかもしれないが、そんなに太い印象はないし、何も問題はない、
「それに容姿は置いておいても、先輩の好きなものの話をしてるときに見せる、楽しそうな姿も素敵ですから。もっと、自分に自信を持ってください」
「……そういうところだよ」
せっかく褒めたというのに、先輩は鬱々しく声を漏らした。
と同時に、グ~と地響きに似た音が聞こえる。
「……わ、わたし、お昼食べてきますね」
ああ、先輩のお腹の虫が鳴いたのか。
若干恥ずかしそうにして先輩は席を立つ。
「木野くんも、い、一緒に来ますか?」
「僕はもう少しここにいます」
「そ、そっか、じゃあね」




