第36話 王子様系女子に頭を下げられる
近くには人通りがあるし、人目があればさすがに変なことはしてこないだろうと願う。
「ねえ、木野くん」
猫俣さんの声はしんみりとしていた。
「な、なんでしょうか」
「その、ごめんなさい」
いきなりの謝罪から、僕に抱き着く腕は離れ、背中の柔らかな感触もなくなる。
振り返るとそこにいる、まぶしいギャルの姿。ブロンドのヘアーをなびかせ、右耳の黄色い宝石のピアスは輝いていた。短いデニムに黒のシャツをタックインしていて、スベスベの腕や足が露出している。
猫俣さんの表情は曇っていった。そりゃあ、あんなことがあった後だ。悔しさ、悲しさもあるかもしれない。
「その、君は今は、あの人と付き合ってるんだよね」
「そうだけれど……」
目線はこちらを向かない。
「……あーし、君のことが好き」
その気持ちはうれしい。だが、その好意には警戒する。不意打ちで、日和さんを変身した状態で殴るような躊躇のなさと、そして日和さんと殺し合いをした現実に、僕の体はすくむ。
「でも、もうこの前みたいな手段はとらない。だってあーしは君に助けられたから」
「た、助けたって?」
「その、栗村? ていう女が、あーしを剣で突き刺そうとしたとき、君は止めてくれたよね」
たしかに、僕は日和さんの剣を止めた。
「あのとき、あーしにも君の声は聞こえた。栗村さんに対して、それ以上をしたら嫌いになるって」
言った。もしそれ以上、猫俣さんを突き刺すようなことをしたら、殺してしまったら、僕は日和さんのことが嫌いになってしまうと言った。
「あーしは君に救われた。そして、君がそういう手段を望まないこともわかった。だから、あーしはもう、無理やり君をものにしようとはしない。でも……」
ぐっと、一気に僕の懐に入ってきた。
「あーしは君をあきらめたわけじゃないよ。だって……」
そして耳もとでささやくように言う。
「栗村さんは、この学校の人間じゃないもんね」
僕は即座に離れるが、猫俣さんは余裕そうな表情で続ける。
「栗村さんには助けてもらえない。つまり君は、あーしの手中にあるってこと。と言っても、さっきも言ったように、あーしは無理やりの手段はとらないよ。でも……」
「な、なにを……」
強めに腕を引っ張られてしまい、胸を押し付けるように抱き着かれてしまった。
「アプローチはしまくるよ。だって邪魔をしてくる女はいないから、誘惑し放題だもんね」
さっきまでと比べ表情は明るくなり、可愛らしく誘惑するようにすり寄られてしまう。
「ぼ、僕は日和さんのことが大好きだから、無駄だよ」
「そうなの? でもさ……」
顔を近づけられ、その赤い唇が目に入り、僕は顔を反らした。
「あの合コンのとき、君って結構あーしにときめいてたよね。それに、そうやって目を反らすのも、あーしとのチューが脳裏に焼き付いているからじゃない?」
その通りだ。あの時の合コンでは猫俣さんのことが気になっていた。そして猫俣さんに奪われた初めてのキス。その後の日和さんによる官能的なべろちゅーで薄れるが、しかしあの柔らかな感触と、甘い匂いと、視界を覆いつくした猫俣さんの艶やかな表情。初めての唇を奪われたという事実は海馬にしっかり刻まれ、忘れることはない。
「あ、あのときはそれどころじゃなかったから、覚えてない」
なんて嘘をつくが。
「えー、じゃあ、今から思い出させてあげようか?」
と、ぷっくりした唇が近づけられる。
釣り目がしっかりと開き、その瞳は僕を愛おしそうに見つめる。
「だ、駄目!」
と拒んだそのとき、予鈴の音楽が流れた。
「あー、行かなくちゃいけないね、残念」
猫俣さんは僕から離れてくれた。よかった、助かった……
なんて安堵したのもつかの間。
「スキあり!」
「んえ!?」
チュッと、頬に唇がくっついた。
「なな!?」
「ふふ、時間はいっぱいあるから。何としても君を振り向かせる。栗村さんより夢中にさせる。だから、覚悟してね」
と、したたかな表情を浮かべ、猫俣さんは手を振って行ってしまった。
頬に残る柔らかい感覚に、思わず呆けてしまうが。
近くを通りかかった見知った顔、秋田と丸山がこちらをにらんでいることに気がついた。
「あ……」
気まずい。今の様子を見られていただろうか。
僕は話しかけようと動くも、二人は嫌な顔をして無視するように行ってしまった。嫌われてしまっただろうか。
◇◇◇
一時限目の授業が終わり、二時限目の時間に差し掛かる。僕はこの時間の授業は入っていなかったが、賢はとっていたため一緒にいることはできない。
そんなわけで僕は人が集うラウンジにて、辞典並みに分厚いライトノベルを読んでいた。読書をするにはザワザワとしていてうるさく集中ができないが、しかしこれは日和さんとの約束なので仕方がない。
なるべく人の多いところにいるように。人気のないところにいると、悪い女の人に襲われてしまうかもしれないから。
心配しすぎな気もするが、しかし仮に一人きりのときにラバーズに襲われてしまったら、僕はどうすることもできない。
流石に、鬼頭さんの件もあったから、僕も慎重になっている。
と、人目の多いところにいれば、とりあえずは変なことをされることはないだろうと油断していた。
だが、しかし……
「やあ、木野くん。元気かい?」
と、格好つけたような口調であいさつをするその人は、テーブルの向かいに腰を下ろした。
「は、はい。元気ですよ、鳩島先輩」
「そうかい、それは何よりだ」
と、いつも通りの薄っぺらい挨拶を交わす。
鳩島詩恵瑠先輩。僕が苦手としている、この学校の王子様。スタイリッシュな装いに、キリっとした顔つき。香ってくるハーブのような匂いが心地よい。
男性アイドルにも負けないイケメンな容姿の彼女が正面で缶コーヒーをたしなんでいる姿は、絵が強すぎて直視しづらい。
「君は今日もかっこいいね」
なんて、相変わらず歯の浮くようなことを呟く。
しかし、なぜこのテーブルに座ったのだ。おかげで周りからの視線を感じる。学校の王子様が、僕みたいな男といるのだから。
「今日は、皆さんは一緒じゃないんですか?」
普段だったら鳩島先輩には取り巻きの女の人たちがいるが。
「ああ、今日は君と二人で話がしたかったからね」
「そ、そうなんですか。なにか御用が?」
この人はよく僕に話かけてくるが、しかし毎回挨拶と内容のない世間話をちらっとする程度で、なぜわざわざ話しかけてくるのかわからない。
「君に、伝えたいことがあってね」
「そうなんですか」
「本当は昨日伝えたかったのだけれど、君が見つからなくてね」
「昨日は休んでいましたから」
「そんなわけで、どこか二人きりになれるところへ行かないかい?」
「ふ、二人きりですか?」
嫌な予感がする。
もしや、告白されてしまうのではないか。
いや、鳩島詩恵瑠という人間は、女の人と寝まくるような人だ。まさか、そんな人が僕という男を好きになるわけがあるだろうか。ルックスだって別に女性っぽくはないし。それは、さすがに自意識過剰ではないだろうか。
「えー、でも先輩と二人きりになったら、何されるかわからないですから」
なんて、やんわりと断る。
まさか、そんなわけがない。そう思い込み、しかし僕は鬼頭さんや戌子に想いを告げられた。だから警戒しなくてはいけない。鬼頭さんのときの二の舞にならないように、日和さんの彼氏としていられるように。
「そんなこと言わないで。ここは大学だ。学校では、公序良俗に反するようなことは絶対しないよ」
学校では、ね……
「お願いだよ。ボクは君に、どうしても伝えなくてはいけないことがあるんだ」
「えっと、でも……」
「このとおりだ」
なんて、頭を下げてきた。
「ちょ、やめてくださいよ先輩」
本当にやめてほしい。だって、鳩島先輩がそんなことをしてしまったら。
「あの王子様が頭を下げてる」
「なに、あの人……」
と、周りがこちらを余計に注目してしまう。
ただ注目されたくないわけではない。僕が懸念するのは、この状態が鳩島先輩のことが好きな女の人たちにも見られること。
僕は彼女たちに妬まれているし、バッグにゴミがよく入っているように陰から嫌がらせを受けている。だから、できれば彼女たちにこの状況を見られたくはない。見られていたら、何をされるかわからない。
「わ、わかりましたから、頭を上げてください」
「ありがとう、そう言ってもらえてよかった」
僕が折れると、鳩島先輩は清々しい笑顔をこちらに向けた。




