第35話 待ち伏せのギャル
アラームをセットした時間よりも、少し早めに目覚めてしまった。
時刻は六時十分くらい。彼女がこの家にいることを考えると、潜在的に緊張を感じてしまい、それで早起きしてしまったのかもしれない。
だが今日の目覚めはかなり良く、瞼も重たくないし、気持ちもすっきりしている。
カーテンを開くと、まばらに雲があるが空は青く、今日は天気がいい。
部屋を出ていくと、脱衣所から日和さんが出てきた。
「おはよー」
「おはよう。早いね日和さん」
「女の子は朝の準備が多いからね」
すでに顔を洗った後のようで、この後は母の部屋にあるドレッサーで化粧を済ませるだろう。
しかしまだ身なりを整えたわけではないのに、寝ぐせはなくて、黒色の長い髪はサラサラ。寝起きでも彼女はあまりに綺麗なので、朝から元気が出る。
僕も脱衣所の洗面台で身なりを整える。顔を洗い、歯を磨いて、剃刀で髭を剃り、髪形をセットした。
自室で着替え終えると、キッチンにて朝ご飯の準備をする。といっても昨晩の残り物や阿奈さんにいただいた作り置きの煮物を温めるだけで、楽なものだが。
ピーと洗濯機が洗濯終了したことを知らせる音が聞こえたため、脱衣所へ戻る。数日分の衣服をかごに詰めていると。
「私も手伝うわ」
と自身の身なりを整えた日和さんがやってきた。
「いや、自分のものしかないから気にしなくて大丈夫だよ」
「いいの私にも手伝わせて。でもその前に、ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょう?」
日和さんは鏡の前で手招きし、僕は隣に並ぶ。
鏡を見るたびに気になる自分の顔の痣。薄くはなっているものの、人に見せるにはまだ抵抗がある。
「完全には消せないかもしれないけれどさ、メイクで痣を隠せないかと思って」
「メイクで?」
日和さんは新品のコンシーラーとファンデーションを取り出した。
「君の肌に合う色、買っておいたんだ。やってみない?」
「初めてのメイク……お願いします」
そうして僕は、日和さんに痣を隠してもらった。
メイク、というほどのことをしたわけではないが、肌がすごくきれいに見える。若干、痣の濃い部分は気になるが、おまけで青髭や毛穴が目立たなくなって、結構満足している。
このコンシーラーたちは僕にくれるそうなので、今日帰ってから日和さんにメイクの方法を教えてもらう予定だ。
二人で洗濯物をサッと干し、温めたご飯をいただく。
テーブルの向かいに座る、紫のワンピース姿に、首から紫の宝石のペンダントを垂らした日和さん。清楚で綺麗な彼女が、僕の家のリビングでご飯を食べていることが、未だに夢ではないかと思う。
付き合ってほんの数日で、この夫婦感。なんというか、このまま本当に結婚するのではないかと悦に浸る。雑談をしながら食を進めていてもなんだか自然で、本当に夫婦になっているのではないかと勘違いしそうになる。無理に相手を意識しないようなこの感じが心地よい。
それでも、彼女の仕草にはいちいちドキドキさせられる。スープを飲むときに髪をかき上げる仕草、咀嚼するときに手で口元を隠すしぐさ。どれも麗しくて、眼福だ。
「あ、もう行かなくちゃ」
そのうちに日和さんは家を出る時間になってしまった。すこしのんびりとしすぎていたため、日和さんはあわただしく、荷物を持ってくる。
「星也くん、女の人には気を付けてね。なるべく人がたくさんいるところにいるように、ね」
「わかってるよ。猫俣さんにも十分注意する」
「正直、すごく心配だけれど。でも、学校に行かないわけにはいかないからね」
そう残すと、日和さんは玄関の戸を開けて。
「それじゃ、行ってきます」
と、投げキッスをして出て行った。
◇◇◇
近くのバス停から決まった路線バスに乗る。学生の姿が多く座れる席はないので、吊革にぶら下がっての通学だ。
スマホをちゃんとマナーモードに切り替え、漫画アプリを眺めながらバスに揺さぶられていると。
『先輩お久しぶりです! 新しいゲーム買ったので今度家で遊びましょう!』
高校の後輩からメッセージが届いた。
百地波人。僕の二つ年下で現在は高校三年生。部活動の後輩で、僕によくなついてくれている。百地とは趣味が合い、部活中も好きなものの話をよくしたし、お互いの家に赴いて遊ぶこともある。
先輩と後輩という関係性ではあるが、僕からすると彼は良き友人のように思っている。最近は遊んでいなかったしいいだろう。男のこいつならラバーズの心配もいらないだろうし。
『いいけど、ゲームって何?』
『内緒です!』
レアなゲームでも買ったのだろうか。あいつはデジタルでもアナログでも、なかなか変わったゲームを買うから楽しみだ。
二十分ほど揺さぶられて大学へ到着したら、ほかの学生の集団に紛れるように校門をくぐり、そのまま校舎へ流れていく。すると……
「おーい、星也!」
「え、賢?」
玄関に入ってすぐのところに賢が待ち構えていた。
「何してんの?」
「お前を待っていたが」
「なんで?」
「いや、ジュースを買うついでに出迎えようかと」
賢に連れられ、自販機の方へ向かう。
「昨日は学校に来なかったじゃないか。さぼりか?」
「ただの風邪だよ。で、わざわざ僕を待っていたってことは、何か用があるんだろ?」
まさか本当に気まぐれで出迎えに来るようなやつではない。
「まあ、この間の合コンの件について、早く謝りたくてな」
「ああ、そういえばお前猫俣さんに頼まれて、僕を合コンに出席させたんだよな」
「聞いたのか。いや、本当すまんかったな」
「いや、いいよ。そのおかげで、いい出会いがあたし」
「そうなのか? まさか猫俣さんと付き合ったのか?」
「いや、猫俣さんじゃなくて、栗村日和さんと付き合った」
「はあ?」
なに言ってんのお前、と言いたそうな顔をする。
「合コンで行った居酒屋でさ、日和さんにばったり出会って。それで、いい感じになったんだよ」
「いや、信じらないのだけれど」
「でも本当なんだ」
と言っても「えー」なんて疑う。
そりゃそうだ。ずっと好きだった人とたまたま出会ったかと思ったら、彼女も僕のことが好きで。だから、一瞬で付き合った。
都合が良すぎる、痛い妄想のような現実である。これで今家に泊まっているなんて言ったら、もっと疑われるだろうな。
「本当なら、証拠見せろよ」
「証拠?」
証拠と言っても、見せられるものがない。
「日和さんの写真は?」
「撮ってない」
「メッセージのやり取りは?」
「そんなの見せられるわけないだろ」
とても信じてもらえなさそうだが、まあ仕方がない。そのうちわかってもらえるだろう。
「……もしお前が本当に日和さんと付き合っているのだとしたら、先に謝る。ごめん」
校舎の外に設置された自販機の前までやってくると。賢はジュースを買うでもなく、いきなり謝罪してきて戸惑う。
「な、なんで?」
「それはな……」
と、言いづらそうにしているところに。
「木野くん!!」
背後から聞き覚えのある声。と共に、背中へぶつかってくるように飛びつかれた。
「うおっ!?」
細くてスベスベな腕が胴体を強くホールドする。背中に大きく柔らかいものがぐっと押し付けられた。
綿あめのような甘い匂いが漂う。温かさがあって、色っぽさも感じる匂いだ。
「ね、猫俣さん……なんで」
「佐藤くんにお願いしたの。木野くんを連れてきてほしいって」
賢は両手を合わせてごめんのポーズをとっていた。
お前、完全に猫俣さんの手先だな。
「あーしから話しかけようとしたら、君は逃げちゃうでしょ?」
「それは、そうだけれど……」
しっかりと抱きつかれてしまい、なかなかほどくことができない。
「佐藤くんごめんなさい。二人きりで話がしたいから」
「はい。えっと、じゃあ後でな……」
「ちょっと待て、助けてくれ!」
と僕は助けを懇願するも、賢は小走りで去ってしまった。
登校して早々、懸念していた猫俣さんと二人きりの状態になってしまった。
ど、どうしよう……




