第32話 彼女の手作り料理
「もしもし」
「はいもしもし、どうしたの?」
夜になってから、僕は母さんに電話をかけた。
「いや実はお願いがあるんだけど。友達をしばらく家に泊めるから、母さんのベッド、というか部屋を貸してあげたくて。いいかな」
「んん? 私のベッドを? なんで?」
「いや、寝るところが必要だし」
「お父さんのベッドじゃだめなの?」
「うん、まあ」
「……まさか女の子?」
「……うん、まあ」
「あら? あらあらあらあら?」
口ぶりがうざいくらいにすごく嬉しそうになる。
「しばらく泊まるってことは、お隣の戌子ちゃんじゃないってことだよね。あんたにしては意外ね」
「あーもううるさい。それで、貸してもいいの?」
「別にいいよ。というか、別にそんなのいちいち言わなくても勝手に貸してあげたらいいのに」
「いや、勝手に部屋を貸すのもよくないかと思って」
「ほんと真面目ね。ま、汚さなければいいよ。ベッドが汚れるようなことをするなら、自分のベッドでしなさいね」
「しないって!」
なんて下世話も混ざりつつ部屋を使わせる了承も得て。少し最近の話もしてから通話を切った。
母さんは今まで、商店街の婦人服のお店で仕事をしていた。とても出張をするようなお仕事ではなかったが、しかしその婦人服屋の店長の知り合いが経営する、アパレルショップが遠方にあり。そこが人手不足になってしまったため、しばらく助っ人をすることになって、今年の四月からお手伝いに行っているのだ。
ちなみに父さんはエンジニアをしているが、こちらも人手不足で大変になってしまった企業へと出張している。
そんなわけで両親が二人ともいなくなり、一人でマンション暮らしを続けていたのだ。
「ご飯できたよ!」
その軽快な呼びかける声に、心が弾んだ。
エプロン姿の日和さんがキッチンに立っている。
ああ、可愛い。新妻みたいだ。初々しくて、ドキドキする。
その姿を見ているとだらしなく口角が上がってしまう。
「は、はーい」
いけない、見とれてしまった。
僕は小走りでキッチンまで皿を取りに向かった。
「なに、デレデレしてキモいよ」
のんきに、私服に着替えてソファでくつろぐ戌子が小バカにしてくる。
「うるさい、お前も食器運べ」
というか、なんでお前もいるんだよ。
せっかく、日和さんとの夫婦ごっこを楽しめると思ったのに。
まあいいさ、日和さんは五日ほど泊まっていく予定なのだから。
「ブリの照り焼だ、めっちゃいい匂いがする!」
ソースで輝くブリが美しい。今日はお昼を食べていなかったためか、今すぐ欲しいとお腹がうめき声をあげる。
サラダには、細かくしたササミが入ってるようだ。
「ああー、ポテトスープの優しい匂いが染みるー」
と、料理に期待しながら僕らはテーブルに料理を運んだ。
彼女の手料理。なんて甘美な響きなのだろう。
匂いを嗅ぐたびに、気分が安らぎ、空腹が増していく。
「別に、大した料理じゃないよ。全部簡単に作れるし」
「とは言うけれど、ブリの照り焼きなんて僕には作れないから」
料理を簡単と言えるくらいに慣れている、それだけ彼女の料理は洗練されているということではないか。
卓上に料理が並べられた。両親が出張してから、初めて手作りの料理が我が家のリビングに並んだ。
テーブルを囲うように僕らは腰を下ろして。みんなで手を合わせると、「いただきます」と声を合わせた。
颯爽と食事に手を付ける。
最初にいただいたのは、ブリの照り焼き。濃いめの味付けがしっかりと身に染みこんでいて、白米が自然と進む。
ササミのサラダは水菜を中心に使われていて、和風のドレッシングがよく合う。
ポテトのスープは豆乳が用いられていて、とってもまろやかだ。
「美味しい、美味しすぎる!」
「うん……認めるのが悔しいけれど、美味しい」
「よかったー」
僕らの感想を聞いて、日和さんは満足そうにニコニコした。
「日和さん、料理得意なんだね」
「得意ってほどじゃないよ。よくお母さんのお手伝いをしてるくらいで」
なんて謙遜するけれど、味付けも絶妙だし、切った食材の大きさのバランスも良い。料理が上手な証拠で、とっても素敵だ。
「でもちょっと味が濃いかも」
なんて戌子は難癖をつけるけれど、しかしバクバクとご飯にがっついている。可愛いやつだな。
「これから、日和さんと一緒に夜ご飯を食べられるなんて、幸せだな。しばらく一人のご飯が続いてたし」
週に一度ほど、戌子と阿奈さんとご飯を一緒していたけれど、それでも食事は基本一人だった。
「知ってる? 食事はね、ただ栄養をとるためのものでも、お腹を満たすためのものでもないの。誰かと食べるから、美味しさを共有できる。気持ちが共有できる、そんな行為なんだよ」
家族で暮らしていた家を一人で使っていると、なんだか広すぎるように感じて、そして家の中に音がなくて、寂しさがあったが。
けれどこう、みんなでいると心が温かかった。
◇◇◇
洗い物は僕がやると言ったが、日和さんは手伝うと言って聞かなくて。そのため二人で洗い物をすることになった。
だが、二人で食器の洗い物をしていると、それはなんだか夫婦の共同作業の様で。当たり前のように、真横からフローラルな優しい香りが漂う。僕の洗った食器を彼女に渡す度、手や肩が触れ合う。それがなんとも至福で、心が躍って仕方がない。
洗い物を済ませるとお茶を用意して、三人リビングにくつろぎ。
「お兄、明日からの話をしよう」
と、さっきまでソファに寝ころびながらスマホをかまっていた戌子は、座りなおして話を切り出した。
「学校、行くんだよね、お兄」
「まあ、そりゃあ行かないと」
今日休んでしまった分の埋め合わせもしないといけない。
「でも大学は危なくないの?」
「……星也くんの学校には、あの子がいるわね」
「あの子?」
「うん、猫俣さんだね」
猫俣かりん。僕を酔わせて、持ち帰ろうとしたギャル。日和さんに逆上して襲いかかった、猫の姿へ変身するラバーズ。
「そ、そんな危ない人がいるの?」
「でも、対処法というか、いろいと対策は日和さんと話し合ったんだ」
この間カフェで話しあった際に、学校での過ごし方も決めておいたのだ。
猫俣さんに何かされないように、なるべく一人にならない。大勢のいるところにいるようにする。まるで不審者を避けるような立ち回りだが、しかし猫俣さんと二人きりにはならないためには徹底する必要がある。さすがに、人がいるところで変身はしない、と考えている。
それから、何かあれば日和さんに連絡を入れるようにも決めている。
「いや、日和さんに連絡を入れたところで、日和さんは都会の学校に通ってるんでしょ。すぐ助けに来れないじゃん。だったらまだあたしの方がお兄の大学に近いし、あたしにも連絡して」
と戌子は買って出るが、しかし同じ市内に学校があるというだけで、戌子の高校から僕の大学までも普通に距離がある。だから何にせよ、大学では助けを呼ぶような事態にはならないように注意していきたい。
「……そうね。どうしても私が向こうの学校にいたら駆けつけられないのよね」
もちろん、日和さんだって学校を休むわけにはいかない。
「まだ高校生の戌子ちゃんに任せるしかないのよね」
「ちょっとどういう意味? 高校生でもお兄を悩殺できるくらいには大人ですけれど!」
と、戌子がかみついていくが。
「なんか、二人とも仲よくなったんだね」
「ん、どうしたのいきなり」
「いや、失礼ながら僕的には、二人がここまで打ち解けてるのが不思議で」
日和さんと戌子は、普通に会話している。今まで日和さんはほかのラバーズに対して敵意むき出しだったし、戌子だって日和さんに対して敵意を持っていた。もちろん、さっきの話し合いである程度お互いの立場を認めたのはわかるけれど。
昼間には殺し合いをしたのに、夜には一緒にご飯を食べていたのだ。それがなんだか不思議だった。
「打ち解けてるっていうか、なし崩し的にかな。恋敵ではあるけれど、日和さんといがみ合ってても、お兄だって悲しいでしょ」
「でも、私は戌子ちゃんと仲良くなりたいと思ってるわ」
「それは、あたしと仲が悪いとお兄が悲しむから?」
なんて、ズバッと戌子は聞いてしまうが。
「それもあるわ」
日和さんも正直に答える。
「でもね、これから一緒に守っていくのでしょ。だったら、私たちも協力できるように、信頼しあっていくべきだと思って」
「信頼しあうなら、わざわざ泊まりに来る必要はなかったんじゃないの?」
そう、日和さんがここに泊まった理由。それは忍者の件が心配だから、ということもあるが。
戌子の行動にも注意しているのだろう。だって、昼間あれだけ目の前でいちゃつかれたし、ベッドにもぐりこんでいることや、頬を舐めていることも合わせると、安心できるわけがない。
「私は、ただ忍者に警戒しているだけです」
日和さんは誤魔化すが、戌子は訝しむ表情を見せる。
「に、忍者と言えば、どんな容姿で、どんな声質だったんだ? 今後警戒する上で聞いておきたい」
僕は話題をそらした。
「うーん。忍者特有のマスクで口元が隠れていたし、頭巾も被っていたから、顔はよく分からなかった。でも、身長はあたしとあまり変わらないと思う」
さすが忍者、顔が割れないようにしっかりと対策をしているのか。
「あと、胸は全然なかった。貧乳も貧乳、Aカップ」
む、胸が小さくて、戌子と同じくらいの身長の女性か。知り合いにはいないな。
「さらしでつぶしている可能性だってあるわ」
冷静に日和さんは考察する。
正体をばらさないためにも、そんなところまで徹底しているかもしれないのか。
「声はね、女の子って感じの声。ちょっと高めで可愛かったよ」




