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第28話 犬の遠吠え②

 啖呵を切ると、戌子は四つ足で駆けだした。

 口を開いて、尖る犬歯をむき出しにし、真正面から飛びつく。 


「日和さん!!」


 噛みつかれる手前で、日和さんは剣でガードした。戌子は刃に嚙みついたが、両足で日和さんの胴体を蹴りつけた。


 日和さんは背後によろめいた。口から剣を離した戌子は、また噛みつこうと飛びかかるが。


「はあああああ!!」


 日和さんは即座に、剣に紫色の光を灯すと地面に突き刺した。

 すると轟音をトンネルに響かせながら、地面がまるで爆発したように瓦礫を吹き出し、土煙が風に流れてくる。


 視界が土煙に覆われ、爆音で耳がキーンとして、現状が分からなくなった。


 目元を覆いながら状況を確認する。


「日和さん、戌子!!」


 落ちていく煙のなかで、戌子は身体に細かい瓦礫を乗せながら、四つ足で佇んでいた。

 にらみ合うように、日和さんは煙の向こう側に立ち尽くしていたが。


「ひ、日和……さん……」


 左の腕鎧が割れて、そこから真っ赤な滝が流れていた。


 血の気が引いた。青ざめた。

 初めてはっきりと見た、大量の血。日和さんから流れ出る、地面にボトボト落ちるそれ。


 「け、怪我が……血が……」


 声が震える。血が苦手なんだ。

 切り傷から流れ出るような微量ではない、濃い液体。目に見える彼女の身体の危機に身が凍える。


「大丈夫、大したことないよ。君の身体中につけられた傷に比べたら」

「ざまあない……」


 戌子は小声でつぶやく。その口元からは噛みついて付着しただろう血潮が垂れていた


「な、なんでこんなことをするんだよ。お前、僕が嫌がることはしないって、言ったじゃないか」

「ごめんねお兄。あたし、あの女が許せないの」


 声には怒りが満ちていた。

 そして毛の生える手で口元をぬぐってから話す。


「あんた、高校生のころ、お兄を空き教室に呼び出しておいて、目の前で他の男とキスしてたんでしょ」

「お、お前、なんでそのこと知ってんだよ」


 僕は戌子にあのときの話をしていないはずだ。


「そ、それは……」

「最低だよ。最低で、穢れた女。もしかして、男だったら誰でもいいんじゃないの?」

「そんなことない……」


 日和さんの表情が曇る。

 男なら誰でもいい、なんて戌子の煽り。

 僕もその言葉に一瞬、不安になってしまった。

 でも――


「私は星也くんが好き、大好き」


 僕のために戦ってくれる彼女が、そんなわけがないことを知っている。


「まあ、そうだよね。ラバーズなんだもん、お兄のこと好きだよね。そして、お兄はあんたを好きになった。穢れたあんたを、お兄は好きになっちゃった。あたしはどっちも許せない。汚らわしいあんたも、あんたみたいなのを好きになるお兄も」


 戌子の犬歯が大きく伸びた。下へ、上へと四つの太く尖った牙が露見する。


「あたしは噛み砕きたい。この憎しみを、あたしの牙で噛み砕いてやりたい」

 

 毛を逆立てる。地面に伏せる四つ足が力んでいる。


 そして日和さんは……

 剣の先を向ける。


「ごめんなさい、星也くん。私は、戌子ちゃんを止めるために戦う」

「そ、そんな、僕は二人にこれ以上戦ってほしくない。戌子、もうよしてくれ!」


 なんて言ってもやめるはずがなく、唸る戌子は攻撃を続ける気だ。

 だから日和さんも、もう戦わずにはいられない。僕がここに来たとき、日和さんは戌子の攻撃に対して手加減をしていた。斬りかかろうとはしなかった。その結果、あの腕の怪我を負ってしまった。だからこれ以上怪我を負うわけにいかない。


 僕はどうしたらいい。どうすれば、この戦いが止まる。

 戌子は憎しみで燃えている。

 日和さんは、命がけで僕を守るために戦ってくれている。

 大切な二人が命を落とすかもしれない戦いをしている。二人が命を落とさないためにも、僕ができることは、戌子を止めることだろう。

 でもどうやって止める……


「ガルルルァァ!!」


 戌子は一直線に走り出した。


 日和さんは戌子の動きを見極め、手前まで近づいてきたところで、剣を突き刺す。それを戌子は壁に飛びつくように避け、そのまま壁を蹴って、噛みつこうと飛びかかる。だが日和さんは戌子の胸元をつかむと、背負い投げの要領で投げて避けた。


 戌子は着地してはすぐに猛攻を続ける。噛みつこうと突進し、防がれると、蹴りつけたり体当たりしたりする。

 日和さんはとにかく剣で防ぎ、鎧で防ぎ、隙を見て剣を突き刺そうとしている。


 日和さんは積極的に攻撃をしていない。受け身だ。戦うことにしても、僕が嫌がることを避けて、本気で戦えていない。

 なんなら突き刺す剣だって、胴体を狙っているようには見えない。腕や足と、外側に剣先は向いている。


「だから、力を抜くなよ!!」


 それに対し戌子は苛立っている。猛攻が勢いを増す。


 日和さんが押されていく。何とか攻撃を防ぐも、反撃ができていないほど、押される一方。


 このままだと日和さんが、僕のために負けてしまう。

 

 本気で止めなければいけない。でもその手段がない。


「やめてくれ戌子!」

 

 戌子に呼びかけても僕の言葉に聞く耳を持たない。攻撃の手を緩めない。


「いい加減にくたばれ!」


 距離を開き、日和さんと睨み合った状態をとる戌子は、口元を光らせていた。

 牙がブラウンに輝く。


 空気がピリピリとする。何かがあの牙に流れ込んでいくような感覚がある。


 あれは、日和さんの剣や、猫俣さんの爪、鬼頭さんの拳と同じ。

 強力な攻撃をする合図だ。


「あたしの牙で鎧ごと噛みちぎってやる……」

 

 日和さんも剣を紫に光らせる。光る剣は大きさを増していく。

 対抗してあの必殺技を使うつもりだ。しかしこんな狭いところでは、剣が阻まれて大きくなりきれていない。本気を出せない。


 これ以上は本当にいけない。日和さんが本気で危ない。なんとしても戌子を止めなくては。

 しがみついて止めるか。しかしラバーズの力には勝てない。振り払われて終わりだ。

 


 悩みながらも、しかし、僕は走り出した。


 日和さんは、僕を守るために、命を懸けて戦ってくれた。昨日も、その前も。

 僕だって、日和さんを守りたい。守ってもらってばかりじゃいられない。

 

 戌子には力が及ばない。呼びかけても聞いてくれない。それなら、絶対に戌子が止まってくれる方法をとる。

 それは、僕が命をかけること。

 日和さんを守るために、今度は僕も命をかける番だ。

 そして戌子にこれ以上をさせないためにも……

 


 日和さんが剣を構え、四つ足の戌子は頭を伏せる。 

 そして、戌子が走り出す直前に。


 僕は二人のにらみ合う目線の間に、なんとか入り込んだ。



「せ、星也くん!?」

「お兄!?」


 驚く二人。僕は戌子の方へ大きく両手を広げて構える。


 日和さんは、剣を振りおろす前になんとか制止したが。 



 まるでスポーツ選手の、ロケットスタートのように走り出してしまっていた戌子は、すぐには止まれなくて。



 超人的な勢いをつけた戌子は、一瞬のうちに僕に衝突してしてきた。



「うあ”あ”っ!!」


 体当たり。

 しかし、それはまるで車がぶつかって来たようなイメージ。重々しい突進が、僕の胴体と衝突する。

 血反吐を吐きそうな衝撃を腹部に感じた。

 

 僕の身体は、軽々と吹き飛んだ。

 

「星也くん!」


 けれど、吹き飛ばされてすぐ、日和さんの硬い鎧に受け止められた。


「なんてことを……」


 抱きしめながら覗き込む日和さんの不安な表情、震える声。


「お兄……」


 お腹の中にズキズキとした重々しい痛みを感じる。しかしここでうずくまっていられない。


 僕は日和さんから離れ、せき込みながら、壁に手をついて必死に一人で立つ。


「な、何してるの。お兄はただの人間なんだよ、死んじゃうかもしれなかったんだよ!」


「ゴホッ……大切な二人のどっちかが、目の前で死んじゃうよりはいい……」


 やっと戌子は止まってくれた。だから話がしたかった。戌子のもとへ近寄りたかった。


 しなし急に、視界が揺らぎだした。

 くらくらする。平衡感覚がつかめなくなる。背中側に重力が持っていかれる。


 あ、倒れる――


 と思った瞬間、背後から紫色の光の粒子が広がり、柔らかくて温かい身体が僕を支えてくれた。

 背中に二つの柔らかい感触を感じる。

 変身を解いた日和さんが、もう一度僕を抱きしめてくれたのだ。


 その感覚に落ち着くと、即座に意識が遠のいてしまった。

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