第12話 妹のような幼馴染
暑い。シャツの中に汗ばむ感覚がある。
片腕の感覚がない。絶対にしびれている。
ミルクっぽい和らかな匂いがする。
あいつ、また来ているな。
重たい瞼をゆっくりと開いた。
カーテンの隙間から日差しが入りこんでいる。朝、ではなさそうな明るさがカーテン越しにでもわかる。
で、しびれる腕の方をみると、スピーと寝息を立てながら、片腕を枕にして惰眠をむさぼる見慣れた女の子の姿があった。
「おい起きろ戌子、腕が死んじまったよ」
無理やり腕を引っ張ると「うわっ」と戌子はベッドから落下した。
「いててて……」
しびれる腕をそっとして動くようになるのを待つ。
「痛いのはこっちじゃ!」
勢いよく戌子は立ち上がり、僕のしびれる腕を指で突きさしてきた。
「や、やめろー!」
「えいえい!」
覆いかぶさる勢いで続けて指をさしてくるものだから、僕は必死ににもう片手で戌子を押える。
「お前、また勝手に部屋に入って来やがって。不法侵入だぞ!」
茶髪のボブヘアに、黒いシャツとブラウンのスウェットパンツ。見慣れた戌子の格好。片腕にはこの間からつけ始めた鮮やかな茶色の石が付いたブレスレットを通している。
「だから、あたしはおばさんから許可もらってんの。合鍵だってあるし」
そういえば、母さんから合鍵を渡されているんだっけか。なんて勝手なことを。
「いや、成人した男の部屋に勝手に入ってくるなっての」
「いいじゃん今更。そんなことより、もうお昼だよ」
戌子は指をさすのをやめて、ベッドに腰を掛けた。
僕は充電コードからスマホを引き抜き、時間を確認する。
時刻は十一時三十分。
結構寝てしまったな。
「てか、なんでまたお前ここで寝てんだ?」
「いや、お兄を起こしに来たら、気持ちよさそうに寝てるのを見て。あたしも最近は寝不足だったから、つられちゃってさ」
「いや、お前今までに何度もここで寝てんじゃないか。そんなに僕と寝たいのか」
「は? 変態!」
と、また僕の腕を指でさす。
「残念、もうしびれてないよ~」
僕は起き上がると、タンスから着替えを用意して、シャワーを浴びに行く。
汗を流さないといけない。
「お兄、今日も昼ごはん用意してるから食べに来てちょ~」
「はいよー」
瀬根戌子は隣に住む、幼馴染というやつだ。お隣同士昔からよく遊んだ仲で、僕より三つ年下、一七歳としっかり女子高生なのだが、距離感はずっと変わらず、こうして遊びに来ることがある。
そういえば昨日、栗村さんに帰る間際に、「身近な女性にも気を付けてね」、なんて忠告された。
身近な女性が僕のことを好きな可能性があるかもしれない、か。
戌子が僕のことを好きなわけ……ないよな。
僕は戌子のことを妹のように思っており、向こうも僕を兄のように慕ってくれている。異性として意識していないからこそ、こうして気軽にやってくるのだろう。
正直、僕のことを好きな人が何人もいるなんて言われたところで、実感がないし、それを意識して過ごすのも、なんだか天狗になったようで気持ちが悪い。
もちろん気にしなければいけないことなのだけれど、生まれてこの方モテたためしはないし。なんて言ってもつい昨日、栗村さんと両思いだったことが判明したし、ギャルの猫俣さんにも想いを告げられたし。それがあるから、もうモテないとは言えないのかもしれないけれど。
軽くシャワーを済ませて部屋に戻ると、戌子はまたベッドに横たわっていた。
「まだいたのか」
「うん~」
まるで自分のベッドのようにくつろいでスマホをかまっている。
「そういえば、なんかムシムシするなと思ったら、窓閉めてたのか」
僕は窓を全開にした。
「昨晩、また窓開けて寝たでしょ」
「少しだけ開けたけれど」
「だから、窓閉めて寝てって、言ってるでしょ」
「大丈夫だって言ってるじゃん。ここはマンションでも四階なんだし、泥棒なんてそう簡単には入ってこないよ」
「だから、そういう意味じゃなくて……」
と、僕の枕に顔を突っ込み、何やらもごもごとしゃべっている。ボブヘアーが崩れてしまっている。
「おいおい、髪型乱れるし、僕の臭いが染みつくぞ」
「いいもーん」
スンスンと枕の匂いを嗅いでいる。
「やめんか恥ずかしい。そんなの嗅いでも臭いだけだろ」
「あー臭い臭い。お兄の汗と皮脂の匂いがプンプンする」
とか言いつつ枕を嗅ぎ続ける。
仕方がないと放っておき、僕はしっかりと髪を乾かし、ヘアアイロンで癖を伸ばした。
朝の身支度を終えると、「もういいよ」と戌子に声をかけて、僕はお隣の瀬根宅へお邪魔する。
「おはよー、星也くん」
リビングに入ると、阿奈さんが迎え入れてくれる。
「ありがとうございます、今日もごちそうになっちゃって」
「いいのいいの。麗亜さんにもよろしくされてるし、何より星也くんはもう家族みたいなものだし」
なんて言いながら阿奈さんはお勝手をしている。
「もー何言ってるのお母さん」
阿奈さんは戌子のお母さんだ。僕の母である木野嶺亜よりも十個近く歳若く、まだギリ三十代らしい。でもすごく若く見えて、とても戌子という娘がいるような年齢には見えない。
エプロンを取った時に強調される、胸元が開いたグレーの開襟シャツの姿。娘よりも長めのボブと、優しい笑顔に際立つ艶ぼくろは、なんだか大人の色気を感じてしまう。
瀬根家は母子家庭だ。旦那さんは若くして亡くなってしまったそうで、阿奈さんは手に塩をかけて娘を育てている。元気ながらもかしましい娘にすごく苦労しているだろうが、けれど親子ともに仲が良くて見ていて微笑ましい。
「ねえー、人参食べれないって!」
「知らない、食べなさい!」
と、人参サラダに対して言い合いが起こる。
「いい加減人参くらい食べられるようになれよ」
リビングのテーブルに三人腰を下ろす。正面には阿奈さんが、隣には戌子が座る。
「それじゃあ、いただきます!」
手を合わせて箸を手に取ると、僕は豪華な料理に手を付ける。
休みの日はよく、こうやってご飯をごちそうになっている。それも毎週のようにいただいており、申し訳ないと思いつつも、向こうはむしろウェルカムといった感じで迎え入れてくれるものだから、僕もそれに甘えている。
「このミートボール美味しいです」
「そう? 一から愛情込めて作ったのよ。そう言ってもらえてよかった」
今日の献立はオムライス、ミートボール、人参とレタスのサラダだ。お昼ごはんにしては少し豪華に思うし、どれも美味しい。暖かくて、優しい味。阿奈さんの愛情を感じる。
「そういえばお兄さ、昨日の夜どこ行ってたの?」
「ん、なんで?」
「だって、洗濯機の服が泥で汚れてたから」
「なんで洗濯機の中身を知ってるんだよ」
そういえば洗濯機を回していなかったな。
「そんなのはいいから」
「いや、ちょっと転んで」
とても、昨日の出来事を人には言えない。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、もう一つ」
「うん?」
「栗村って誰?」
「え?
な、なぜその名前を知っているんだ?
「いや、スマホのロック画面に連絡の通知が来てたから」
ああ、そう言えばメッセージを確認してなかった。食事中にスマホをかまうのも行儀が悪いし阿奈さんにも失礼なので後から返信しよう。
「女?」
「うん。てか、彼女」
「は?」
横からカランカランと箸を落とす音。
「ん?」
隣を見ると手を空にし、口を開けてアワアワとしている戌子の姿。
正面の阿奈さんは「あら……」と口をおさえて驚いた顔をしている。
「ど、どうしました?」
きょろきょろとしていると、戌子は「な、何でもない……」と低い声を漏らした。阿奈さんも苦笑いをしながら食事の手を進める。
なんか、地雷を踏んでしまったようだ。
もしかして、僕に彼女ができて、お兄がとられちゃって、さみしくなっちゃった、とか?
楽観的にそう思ったのだが、それからの戌子は話しかけても無言になってしまい、なんだか気まずいお昼になってしまった。




