第110話 ゴスロリのスカートから触手が伸びる
闇の穴。そう表現するといいだろうか。
「待ちなさい!」
穴の先で日和さんが叫ぶも、すぐに閉ざされてしまう。僕らは闇のなかに包まれてしまった。
「な、なんなんだここは!?」
「ダークゾーン。わたしが作り出した、亜空間です」
あ、亜空間?
大井さん以外、何も見えない暗闇。若干、深緑のモヤがかかって見えて、そして大井さんの植物を連想するような匂いが充満している。この匂いを嗅ぐと、まるで灰の中まで闇が侵食しているように感じる。
とにかく怖い。上も下もわからない、方向感覚もなくなる空間。身体は飛んでいるような、落ちているような、フワフワした感覚だ。
僕は必死に大井さんにしがみついた。まだ動かしづらい身体で抱きついた。離してしまったら、闇の底へ落ちてしまいそうで。そんな情けない僕を、大井さんは幸福そうに見つめていた。僕に抱きしめられて、うれしそうにしていた。
ここで、昨晩のことを思い出す。お風呂から上がると、リビングの灯りが消えていた。僕は灯りを灯そうと暗い中リモコンを探していたが、そこで何かに襲われた記憶がある。
それは、この亜空間、大井さんの放った闇だったのだろう。
「そろそろ出ます」
「え?」
いきなり、闇の先に光が現れると、僕らの身体はそこへ向かっていく。そして光の中に入ると、暗闇から飛び出した。
飛び出た先は暗闇と対比して眩しい、ということもなく、若干の明るさを伴った、暗い場所だった。
僕らは宙に開いたダークゾーンの出口から、飛びだすように出てきた。
「わっっ!」
僕は大井さんから手を離し、両手足をついて着地した。大井さんは慣れた様子でダークゾーンからふわっと着地する。
「こ、ここは?」
見た限り、ここは工場のようだ。横に並んだ窓から差し込んだ月明かりで、この場所を確認する。
まあまあ広く天井も高いが、しかし、機械が一つも置かれておらず、埃っぽい匂いがする。町工場の跡、といった感じである。
「知り合いが所有してる工場跡です」
大井さんは僕にズンズンと近寄ってきた。
大井さんもラバーズだ。それはとっくに気がついていたが、助けてくれる人のいない、こんな場所で二人きりになっては危険だ。
僕はとっさに逃げ出すが。
「に、逃げないで……」
大井さんが、悲しそうな、かすんだ声で僕を呼び止めた。
思わず、僕も足を止めてしまう。
「大井さん……ごめんなさい」
「な、なんで君が謝るの」
大井さんもその場で立ち止まる。その表情は涙ぐんでいて、罪悪感を覚える。
「大井さんの気持ちには応えられないですし、僕は今、あなたが怖いんです。それが、申し訳なくて」
「な、何を言ってるんですか。悪いのは全部わたしですよ! 彼女さんがいる君を、誘拐して、催眠をかけて、無理やりわたしのものにしようとした。既成事実だって作ろうとしてる。悪いのは、わたしなんです、だから謝らないで……」
大井さんは涙を流しながら、その場にしゃがみ込んでしまった。
「お、大井さん……」
「君は、本当に優しいですよね。君のことが好きな人たちは、みんな君の優しさに惚れたのかな。私もそのうちの一人なのだけれど……」
放っておけない。僕は大井さんの心の弱さを知っているつもりだ。けれど、それでも僕は、最愛の人に心配をかけられない。大井さんもラバーズだからこそ、ここにはいられない。
「……ごめんなさい」
僕には謝ることしかてまきない。謝らないでと言われても、大井さんの肩をさすってことを慰めることもできないから、謝るしかない。
僕は負い目を感じつつ、日和さんを探すため、この場から離れようとした。
だが——
「逃げないでって、言いましたよね」
大井さんが、スマホからストラップになった宝石を引きちぎる。その宝石はまた闇色に輝いていて、事の危険性を認知する。
や、やばい!
僕は大井さんを確認しながら走り出す。
「わたしは闇……大いなる邪神——」
再びダークゾーンが現れると、それは大井さんをつつみ込んだ。禍々しい闇は、尋常ではない、これまでのラバーズとは違う危険な香りがした。
僕はとにかく逃げた。この工場から逃げて、早く日和さんのところへ駆けつけようとした。
そして、出入り口だろう鉄扉まで、もう少しのところで。
何かが足に絡みつき、止められてしまう。
「な、なんだこれ!?」
ダークゾーンから、テカテカと黒光りし、ヌメッとする、ロープ状のなにかが伸びて、僕の片足に巻きついていたのだ。
僕はそれを掴んで引き離そうとするも、さらに数本、ダークゾーンからそれが飛び出てきて、僕の両手に絡みつく。
き、気持ち悪い……
ネチネチと水っぽい音を立てながら、こんにゃくのような感触のそれは腕の方まで伸びてきた。
引き離そうと暴れるも、しっかりと結ばれびくともしない。
「これは……触手?」
「そう……邪神の触手です」
ダークゾーンが消えると、その中から姿を変えた大井さんが現れる。
その姿は、ダークな雰囲気の洋装。しかし洋装にしてはダークでミステリアスな雰囲気である。あれは、ゴシック・アンド・ロリータだ。
深緑と黒を基調としたシックな色合いのロリータで、フリルやリボンが使われていない、退廃的で美しいデザインである。
大きく膨らんだスカートの下から、黒光りした数本の触手が伸びていた。それが、僕の身体にしっかりと巻きついている。
まるで彼女の感情そのもののような、僕を逃がしたくないという意志があるように、触手はしっかりと絡みついている。




