第104話 陰キャな彼女と同棲
「うんっ……」
重たい瞼を頑張って開く。
頭が痛い。特に側頭部が痛い。こめかみの辺りがジンジンする。いや、徐々に前頭部にも痛みを感じてきた。
喉も痛いし、とても気分が悪い。
目覚めの悪い朝だ。
視線の先には見知らぬ白い天井かある。……いや、僕は寝ぼけている。別に見知った寝室の天井ではないか。
部屋を見回すと、壁際には大きな本棚が立っていて、漫画にライトノベル、そして古いタイトルの小説まで、さまざまな物語が並んでいた。
部屋の外からトン……トン……とゆっくりとしたリズムの、包丁の音が聞こえる。みそ汁のいい匂いが漂ってきた。
ああ、彼女が朝ごはんを作ってくれているのだ。
僕は瞼をこすり、気だるい身体をベッドから叩き起こすと、部屋を出ていく。
「おはよー」
「あ、お、おはよー」
その人は、少し狭いキッチンで調理をしていた。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね。今、ごはんを作ってますから」
慣れない手つきでまな板のネギを切り、沸騰していたみそ汁の火を急いで止める。
テーブルの上にはスクランブルエッグと焼いたウインナーが用意されている。彼女は健康的な料理を用意してくれているのだ。
「ありがとう、大井さん。僕も手伝うよ」
「い、いいですよ。もう少しだから、顔洗ったり歯を磨いたりして待っててください。と、と言うか、わたしのこと、その……」
急に、大井さんはモジモジしだした。
「ど、どうしたの?」
「いや、名前で呼ばないのかなって……」
そうだ、僕は愛する彼女のことを名字で呼んでしまっていた。
「ああ、ごめんなさい。成美さん」
「え、えへへっ」
成美さんは嬉しそうにはにかんだ。その表情のまま鍋の方へ近づくと、その湯気で丸渕の眼鏡を曇らせながら、刻んだねぎをみそ汁へ投入した。
ああ、僕は幸せ者だ。愛する彼女、大井成美さんに、ご飯を作ってもらえるのだから。
成美さんと初めて出会ったのは、大学の図書室だ。
僕が初めて図書室を利用しようとした際、借り方が分からなくて困っていたところを彼女は助けてくれた。
それをきっかけに僕らは先輩と後輩の垣根を越えて仲を深めていき、いつの間にか恋人にまで発展したのである。
同棲を始めたきっかけは、今年、僕の両親が出張へ行くことになり、家で一人になってしまったから。
別に僕は成人男性なのだから、普通に一人で過ごしていけるのだが。成美さんにその話をしたとき、わたしも一人暮らしだから、一緒に住まないかと提案された。
僕は同棲という甘い誘惑がいいなと思い、その提案に乗ったのである。
歯を磨き終え、髭も剃り、顔も洗う。そして髪もセット……しようと思ったが、ヘアアイロンが見当たらない。
最後に使ってから、どこにヘアアイロンをしまっただろうか……いや、ヘアアイロンどころか、化粧水も見あたらない。普段は洗面所に置いていた気がするが。
「成美さーん、僕のヘアアイロンってどこにあるっけ?」
僕は脱衣場から成美さんへ声をかけた。
「あーっと……壊しちゃって今はないんじゃなかったかな」
「え、そうだっけ? じゃあ、化粧品はどこにあるかな」
「け、化粧品も、使い切っちゃってもうないはずですよ」
そうだったかな? いや、言われてみればそうだったような気もする。
しかし、髪をセットできないとなると、とてもとても落ち着かない。くせ毛がコンプレックスなのだ、髪のうねりが気になって仕方がない。とりあえずドライヤーとクシで軽く整えてみるが。
「き、気になるなー」
しかし強固な髪の癖はなかなか真っ直ぐに伸ばすことができず、諦めるように僕はキッチンの方へと戻ると。
「そ、そんなに髪、気にならないですよ。べ、別に毛の流れ方も自然です。わ、わたしだって、髪型は無造作ですから……自然な髪型が、一番いいですよ」
そうやって、成美さんは僕の髪型を肯定してくれた。
「そ、それに、今日はおうちデートをする日ですから、髪型も服も、何も気にしなくて良いんですよ。自分の素を、さらけ出しましょう」
なんて、成美さんはいきなり、なんだかカクカクしたような仕草で、僕の首に両腕を回し、恥ずかしそうに顔を近づけてきた。
可愛らしい表情だ。
彼女の自然を彷彿とされるような、ウッディで清々しい、落ち着く匂いがする。
これは、キスをしたいのだろうな。
僕もそれに応えようと、唇をそっと寄せたが……
グ〜……
「あっ」
僕のお腹に住んでいる虫が、空気を読めずに鳴きやがった。
「……ふふっ、早くご飯をいただきましょうか」
成美さんは朗らかに笑って、僕から腕を離した。
「そうしましょう……」
なんだか恥ずかしい。
それから、テーブルに向かい合わせで座り、合掌を済ませてか成美さんお手製の朝ごはんをいただく。
今日のメニューは、白米、みそ汁、ウインナー、そしてスクランブルエッグ。先ほどにも確認はしたが、やはり理想的なモーニングである。
「卵……本当はだし巻き卵にしようと思っていましたけど……このザマです。まだ修行が足りないです……」
「それでも、美味しければ十分だよ。作ってくれるだけで嬉しいのだし」
僕はスクランブルエッグをお米と一緒に口に運んだ。
「うん、美味しいです!」
「よ、良かったです、へへっ」
ふわふわな卵の食感。しかし、たまに舌の上でジャリジャリしたものを感じる。
卵の殻が混ざってしまっているかもしれない。だがまあカルシウムだ、別に問題はない。




