第103話 後輩♂の想い
家に帰る頃にはなんとか身体は動かせるくらいまで回復していた。百地には、日和さんを以前にも使ってもらっていた母親のベッドへ寝かせてもらった。
「百地は、お茶でも飲んでいくか」
百地は変身を解いて、くたびれたようにリビングのソファに腰を下ろす。
「いいっすよ、夜も遅いのですぐに帰ります」
「お前ってどうやって家まで帰るんだ? まあまあ遠いだろ?」
この時間だとバスは出ていないし、タクシーもお金がかかる。親でも呼ぶのだろうか。
「忍に変身すれば、その脚力と体力のおかげで、三〇分くらい走るだけで家に帰れるっすから」
「三十分は結構あるだろ。無茶しないでくれよ」
「まあ、実は親に電話してるっす。今先輩の家に遊びに来ていることにしているので、お迎えよろしくって」
僕は冷蔵庫からエナジードリンクを取り出して渡した。
百地はしおらしい態度で受け取る。
「先輩は、良かったんすか?」
「何が?」
「ぼくが、家のなかに入っちゃっても」
「前にも来たことあるだろ」
「そうじゃなくて」
「はいはい、わかってるよ」
そう、百地は僕にストーカーじみた行為をしていた。夜中にベランダへやってきたり、僕に痴漢をしてきたり。それは、とても気にしないとは言えない行為だったが。
「助けてもらったのに、拒絶するわけないだろ」
「……ぼく、先輩のことが好きなんすよ。キモくないんすか?」
不安そうな様子を見せる。
「それは……驚いたよ」
よく遊んでいた同性の友達が、実は僕のことが好きだったのだ。驚きはするし、心の整理をする余裕だってほしい。
「けれど、キモいだなんて思わない。おかしいことじゃないし」
「……本当に?」
上目遣いで、心配そうに聞いてくる。その際、着ているTシャツの首元が垂れて、百地の胸元が見えてしまった。
「気持ちには応えられないけれど、軽蔑はしない。恋愛に性別なんて関係ないから」
恋愛、をしていたわけではないが、あの王子様も女の人と寝ていたのだし、同性間の色恋や性的な関係は、変だとは思わないし、今更なところもある。
「ありがとうございます……そう言ってもらえて少し楽になりました」
百地は安心したようにほころび、エナジードリンクの缶を両手でぎゅっと握った。
「さっきもちょっと言いましたけど、ぼく、別に先輩とは恋愛関係にはなれなくても良いんです。先輩がぼくに振り向いてもらえないことは分かってるっすから。でも、傲慢ながら二つ、望みはあるっす」
「望み?」
百地はソファから立ち上がると、玄関の方へ向かって歩き出す。
「ぼくの先輩への望み、それはですね……」
僕はその後ろをついていくと、百地は玄関の前で一度立ち止まり、振り返ってから言った。
「栗村さんじゃなくてもいい。相手がだれであっても、先輩には幸せになってほしいんです。それがぼくの第一の望み」
百地は玄関のドアノブをひねりながら続けた。
「それから、たまにはぼくとも……寝てほしいっす。女の子とは味わえない内側からの快楽を、味合わせてあげますから」
そして、またひどいセクハラのような文言を口にして、百地はサッと出て行ってしまった。
あいつのそういう発言、今までは冗談として流してきたけれど。そのどれもが本心だったのかと思うと、気まずくなってしまう。
ところで、日和さんは大丈夫だろうか。
僕は母親の部屋へ足を運ぶ。
ベッドの上で日和さんは、眠り姫のようにすやすやと眠り続けていた。
象でも一瞬で眠りにつくような薬を盛られたと言うのに、日和さんは気合で起きて、僕のもとへ駆けつけてくれた。その気合にはラバーズの特性があるのかもしれないが、しかし日和さんの想いの強さを再認識した。
「ありがとう、日和さん。ゆっくり休んでね」
僕は寝室から出ていくと、シャワーを浴びて一日の汗を流した。
髪もしっかりと乾かして、リビングに戻ると。
「あれ?」
リビングの明かりが消えてしまっていた。お風呂に入る前には灯っていたはずだが。
「日和さん?」
日和さんが起きて消したのか?
カーテンは閉まっていて、部屋の中は真っ暗だ。
しかし、普段と部屋の暗闇が違って感じる。部屋の隅の方の影が、やけに濃く見えた。黒いインクで塗ったように、真っ暗。いや、よく覗くと、何かが闇の中で動いているように見える。
目の錯覚か?
まあ、子供のころ、暗い部屋に行くときによく感じたような、そういう気のせいだろう。
しかし暗いと落ち着かないので、部屋の明かりを灯そうと電灯のリモコンを探す。
「どこだ……」
手探りでテーブルの上を探す。普段はテーブル上にリモコンが置いてあるはずだが。
まじでどこだ?
ティッシュの箱やテレビのリモコンなら手に当たるのだが、あの小さい電灯のリモコンは見つからない。
僕はソファも手探りで探してみる。
そのとき。
プニッと、何か柔らかいものが足に触れた。
「ひっ!?」
その感触が気持ち悪くて、声が漏れる。
何というか、こんにゃくの感触に似ていた。
そんなもの、床に置いてあったか?
「……木野くん」
「っ!!」
戦慄する。
日和さんではない声が、暗闇の中から僕を呼んだのだ。
「だ、誰?」
「ふふっ……」
不敵な笑い声。
誰かが、この部屋にいる。
どこかで嗅いだことのある、しっとりとした植物のような匂いがする。
部屋の隅の暗闇が、なんだか広がっている気がした。
怖い。
「ごめんね……」
と謝る割にはうれしそうな声。とともに、濃い闇が目の前を覆った。
「うわあああ!!」
訳も分からずに、闇に驚いたその瞬間。
僕の意識は遠のいた――




