嫉妬の悪霊
5月の寺での一件以来、俺と由紀の関係は奇妙な均衡を保っていた。
学園では相変わらず「陰キャ」と「高嶺の花」という距離感だが、その視線の裏には、互いにしか知らない「秘密の共有」という名の鎖が存在している。
だが、その均衡は、一人の少年の嫉妬によって脆くも崩れ去ることになる。
学園の屋上。
放課後の静寂の中、恒例になっていた寺の残りカスを吸い出す儀式が始まる。
「……はやくして」
俺はためらいなく彼女の顎を掴み、唇を重ねた。
除霊のための、事務的な接触だ。
その光景を、屋上への階段の踊り場から偶然工藤が見ていた。
工藤は学園の有力者であり、由紀に心酔する男だ。
彼の瞳に映ったのは、憧れのアイドルが、蔑んでいたはずの陰キャに身を委ね、あられもない姿で唇を奪われている衝撃的な光景だった。
工藤の顔から血の気が引く。怒り、困惑、そして理解不能な裏切りへの憤怒が、彼の理性を焼き尽くしていく。
「……なんで、あいつなんだよ」
掠れた呟きは、誰にも届くことはなかった。
ただ、彼の心の中で、黒い何かが急速に膨れ上がっていくのを、本人さえも気づいていなかった。
その夜から、工藤の精神は急激に摩耗していた。
授業中も、廊下ですれ違うときも、彼の脳裏から「あの光景」が離れない。
由紀の潤んだ瞳、その妄想が、彼の内側にある小さなプライドを粉々に砕いていく。
そんな彼の精神の亀裂に、影が入り込むのは容易だった。
古びた鏡に映る自分の顔が、まるで他人のように歪んで見える。
耳元で、誰かが甘く囁く声が聞こえる。
『あいつが奪ったんだ。お前の全てを。あいつさえいなければ、お前は彼女の隣に立てるのに』
工藤の視界が赤く染まる。
彼はその悪意を拒絶するどころか、すがるように受け入れてしまった。
嫉妬という名の猛毒が、彼の全身を黒く塗りつぶしていく。
翌日の昼休み。教室は騒然としていた。
工藤が、突然教室の扉を蹴り開けて入ってきたのだ。
その瞳は濁り、肌は異常なほど青白い。彼は由紀の席に歩み寄り、机を叩きつけた。
「……どうして、あんなクズと」
彼の手には、金属製の定規が握りしめられている。
由紀が恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。
その時、工藤の背後に立ち込める「瘴気」が俺の目に飛び込んできた。
ただの嫉妬ではない。憑依だ。
俺の吸い出した残滓よりも、はるかに濃密で、凶悪な悪霊が工藤を完全に支配している。
工藤の身体が、人間離れした速度で由紀へと飛びかかった。
「邪魔する奴は……全員、消してやる!」
教室中が悲鳴に包まれる。俺は机を蹴り飛ばし、由紀と工藤の間に割って入った。
工藤の攻撃を腕で防ぐ。
彼の骨ばった指が、俺の首筋に食い込む。
熱い、痛い、そして酷く臭い。
彼に憑いている悪霊は、工藤の憎悪を餌にして、今にも爆発しそうなほど肥大化していた。
「……随分と立派な業を溜め込んでくれたな、工藤」
俺は冷静に呟く。
工藤という「器」は、今や崩壊寸前だ。
このまま放置すれば、彼は人間としての形を失う。
俺は彼の首を掴み、無理やり引き剥がそうとするが、悪霊が工藤の体を使って凄まじい抵抗を見せる。
工藤の歪んだ顔が、俺の目の前に迫る。
「……お前さえ、お前さえいなければッ!!」
教室の空気が、張り詰めた糸のように千切れようとしていた。




