拒絶の閃光
夏休み終盤の重苦しい湿気の中、由紀の自室には冷房の音だけが響いていた。
ベッドに横たわり、由紀はシーツを指先で強く握りしめる。
あの日、蓮に自分を「掃除」されてから、彼女の身体は彼という存在なしでは満足できない仕組みに変えられてしまった。
かつてのドロドロとした黒い執着は削ぎ落とされた。今はただ、鏡のように澄み切った、研ぎ澄まされた彼への恋慕だけが残っている。
それは、混じりっけのない純粋な渇望であるがゆえに、以前よりもタチが悪く、より深い悦びを求めていた。
由紀は、薄く開いた唇から漏れる吐息を、自分で掌で塞いだ。
蓮の冷たい指先が鎖骨をなぞった感覚。
あの無機質な手つきで、自分を空っぽにし、そして新しい感情を詰め込まれた瞬間の震え。
彼女は自分の指を、蓮の白い指に見立てて、肌の上を這わせる。
「……っは、ぁ……。蓮くん……」
指先が秘部に触れるたび、そこから溢れ出る蜜は、彼への献身の証のように熱い。
彼は今、何をしているのだろう。
寺の掃除をしているのだろうか。それとも、誰かの「穢れ」をまた払っているのだろうか。
自分で自分を弄りながら、由紀は彼に精神を調律されているような感覚に陥る。
もっと触れてほしい。
もっと深く、彼という毒で自分を満たしてほしい。
彼女の身体は、彼に「浄化」されたことで、彼以外のいかなる刺激も受け付けない、純粋な器として完成されていた。
高まりきった絶頂の果て、由紀は天井を見上げ、名前を呼ぶことも忘れて、ただ彼の面影をその眼に焼き付けた。
終わった後の静寂の中で、彼女は静かに心に誓う。
彼が世界から隔絶されてしまうなら、自分もまた世界から隔絶され、彼だけの場所へ堕ちていこうと。
同じ頃、蓮は境内でただ一人、箒を手にしていた。
そこへ、再び『凪』のスカウトマンが現れた。
前回のような礼節を装った探りではなく、組織の総力を背負った、切迫した勧誘の意思がその瞳に宿っている。
「貴方の力……放置すればいつか災害になります。我々の組織に来れば、貴方は力を制御し、正当な報酬を得て生きられる。相応しい『舞台』を用意します。」
男の言葉は説得力に満ちていた。
現代社会において、彼の霊能力を合法的に行使できる組織など、他にはない。
しかし、蓮は箒を止めることすらせず、淡々と砂利を掃き続ける。
その背中は、男の差し出した未来に対して、あまりにも無防備で、かつ拒絶的だった。
蓮は箒を壁に立てかけると、ゆっくりと振り返った。
その瞳を覗き込んだ瞬間、男は言葉を失った。
そこには怒りも、誇りも、世俗的な欲望もない。
ただ、「自分以外の世界など、砂の一粒ほどの価値もない」と言わんばかりの、完全な真空が広がっていた。
「……興味がない」
その言葉は、男の用意したどんな論理的帰結よりも重く、彼を突き放した。
勧誘でも交渉でもない。それは、蓮という存在そのものが、社会という枠組みから決定的に欠落しているという宣言だった。
男は背筋が凍るような戦慄を覚えた。
彼を勧誘することは、重力に逆らって空を飛ぼうとするような、概念的な無理がある。
この男を支配することも、導くことも不可能だ。
男は悟った。
この男にとって、組織も、未解決事件の解決も、彼自身が関心を持つ「掃除」の範疇にない限り、塵ほどの意味も持たないのだと。
「……そうですか。失礼しました」
男は深々と頭を下げると、二度と彼を振り返ることなく、山門を去った。
その足取りはどこか逃げるように速かった。
蓮は、男が去った後の静寂を背に、再び麦茶を手に取る。
凪との関係は、ここで途絶えた。
彼はこの古刹の「平穏」という名の箱庭で、これからも静かに呼吸を続ける。
それが、彼にとって唯一の真実だった。
夏が落ちそうな、そんな日だった。




