騒然と庇護欲
夏休みが終わった。
二学期の始業を告げるチャイムが鳴り響く。
廊下を埋め尽くす生徒たちの喧騒の中、その光景はあまりに異様だった。
桜木由紀は、カーストナンバー1としての華やかな面影を完全に消し去っていた。
かつて誰もが憧れた輝きはどこへやら、彼女は蓮の影に貼り付くようにして歩いている。
蓮の制服の袖口を、まるで飼い主に捨てられることを恐れる捨て犬のように、指先で小さく掴んで。
「……蓮くん、今日は、放課後どうする?」
由紀の声は、クラスの生徒たちに聞こえることも厭わないほど甘く、無防備だ。
蓮が立ち止まれば彼女も止まり、蓮が動けば彼女も動く。
蓮が椅子に座れば、彼女はその隣で、教科書を見ることもなく、ただひたすらに彼の横顔を潤んだ瞳で見つめ続ける。
周囲の反応は冷ややかを通り越して、ドン引きという他なかった。
「あれ、桜木だろ?」
「何やってんの……気味が悪い」
「蓮ってあいつ、何か弱みでも握ってるのか?」
そんな囁きが教室に充満する。由紀に対する崇拝は、既に嫌悪と好奇の目に取って代わられていた。
だが、由紀は周囲の蔑視など、空気の揺らぎほどにも感じていないようだった。
彼女の世界には、蓮以外の人間など存在しないのだから。
その空気感に我慢ならなくなったのは、かつて由紀を「高嶺の花」として崇めていた女子グループだった。
彼女たちにとって、由紀が蓮のような陰気な男に執着し、あまつさえ「犬」のように成り下がった姿は、許しがたい裏切りだったのだ。
放課後の屋上近くの廊下。
由紀が一人で蓮を待っていた隙を突き、グループの中心だった女生徒が彼女を取り囲んだ。
「桜木さん、いい加減にしたら? その男のどこがいいのよ。あんた、自分が何やってるか分かってる?」
女生徒は、蔑むような目で由紀を見下ろす。
彼女の心底には、自分たちが憧れた完璧な桜木由紀を壊し、蓮という男に独占されていることへの激しい嫉妬が渦巻いていた。
「あいつ、ただの不気味な寺の小僧よ。あんたを洗脳してるんでしょ。目を覚ましなよ」
女生徒が強引に由紀の腕を掴み、引き剥がそうとする。
その瞬間、由紀の瞳から光が消えた。
嫉妬に狂った彼女たちの言葉ではなく、蓮を侮辱されたことへの、鋭い獣のような敵意が剥き出しになる。
「……蓮くんのこと、汚い口で言わないでよ」
由紀は掴まれた腕を振り払い、女生徒を睨みつける。
その殺気立った表情に、女生徒たちはたじろいだ。
しかし、嫉妬は暴力的な衝動へと変わる。
女生徒の一人が、由紀の胸ぐらを掴み、激しく壁に押し付けた。
「あんたこそ、何様のつもり!? アイドルぶって、結局男に媚びて! 惨めなのはどっちよ!」
ドサリ、と鈍い音がして由紀が床に崩れ落ちる。
制服が乱れ、彼女の肩が激しく上下する。
その時、角を曲がってきた蓮の姿が廊下に現れた。
騒ぎを察して歩みを止める。
床に座り込み、無様に制服を汚した由紀と、興奮した面持ちで彼女を見下ろす生徒たち。
生徒たちは、蓮の冷徹な視線を感じて凍りついた。
だが、由紀は違った。
彼女は埃にまみれ、髪を乱しながら、すがりつくようにして蓮を見上げたのだ。
「……蓮くん……っ、この人たちが、あんたのこと……っ」
それは、自分のことなどどうでもいいと言わんばかりの、あまりに痛々しく、同時にあまりに歪んだ純粋な愛の形だった。
蓮は無言で歩み寄る。
生徒たちが身構える中、彼は由紀の前でしゃがみこむと、彼女の乱れた髪を無造作に指で梳いた。
「……邪魔だ」
彼は由紀の顔を汚していた埃を拭い取ると、立ち上がり、生徒たちの方を一瞥した。
彼の瞳には、怒りも感情もない。
ただ、視界に入った「邪魔なゴミ」を認識しただけの冷徹さ。
それだけで、生徒たちは理由のわからない恐怖に駆られ、一人、また一人と廊下の端へと後退していった。
蓮は、生徒たちを追い払うこともしない。
ただ、震える由紀の手を取り、引き上げる。
彼女は彼の手に触れた瞬間、先ほどまでの恐怖が嘘のように消え去り、安堵に満ちた表情を浮かべた。
「……ごめんね、蓮くん。私、また迷惑かけちゃった」
由紀は彼のシャツを掴み、彼の中に沈み込もうとする。
周囲の視線など、もう何も見えていない。
この騒動によって、彼女の中で蓮への執着はより強固になり、蓮もまた、彼女という「所有物」に対する庇護欲のようなものを、無意識のうちに突きつけられていた。
二人の間には、他者が踏み込めない、ドロリとした濃密な結界が再び張り巡らされていた。




