《第38話 闇の魔力》
ズューフェン全体で惨劇が起きていることなど露知らず、右冴姫とシルトは冥王と相見える。
二人が戦闘態勢を整える前に冥王の身体が何かに押し上げられるように浮かび上がった。
「空を飛ぶ魔法? こんな狭いところで何の意味があるんじゃ。いや魔法ではないのか」
シルトの目には冥王の両足首に何かが絡み付いているのがかろうじて見て取れた。
「奴の足首に何かが絡み付いておる。それが身体を持ち上げているようじゃな」
「何が絡み付いているんだよ?」
「分からん。細くてとても見辛い。まるで髪の毛のように細い何かが何重にも巻かれておる」
「チッ。これだから年寄りってやつはよ。老眼ジジイはそこで見てやがれ」
「おいっ!」
シルトが止まる間も無く、右冴姫は下駄の一本歯を勢いよく鳴らしながら冥王との距離を詰める。
冥王の影から何かが蠢き、近づこうとする右冴姫に向かって伸びてきた。
「がっ――」
左側から見えない何かに思いっきり殴られ、真っ直ぐ走っていた右冴姫の身体が突然横に吹き飛ぶ。
「右冴姫!」
大穴が開くほどの勢いで右冴姫は壁と激突。破片と共にその場に崩れ落ちる。
「くそっ……何だ、今のは」
顔を上げて見ても、何に攻撃されたのか分からない。そんな困惑を読み取ったのか、冥王がこっちを見て薄く笑う。
「気味悪い笑い方したんじゃねえ」
何とか立ち上がろうとするが、左手が言うことを聞かず、さっきから激痛でこちらの行動を阻害する。
その所為で中々動くことができない。
自分の言うことを聞かない身体と悪戦苦闘していると、頭の近くで何かの気配を感じた。
そちらに目をやっても何も見えない。ただ微かに音が聞こえる。
まるで力を一点に集中させるために拳を握り締めるような音だった。
「ちっ」
風が唸る。右冴姫は避けきれないと思いながら、見えない何かを鋭く睨む。
それが到達する直前、目の前に突然複数の竜巻が巻き起こった。
「右冴姫! さっさと立たんか!」
竜巻を起こした張本人であるシルトが右冴姫を叱咤する。
「分かってるよ!」
右冴姫は右手一本で起き上がると、傍に落ちていた飽喰児鬼を拾ってその場から離れる。その直後、盾となっていた竜巻もその姿を消した。
「助かったぜジジイ」
テーブルの上に飛び上がり、何とか冥王から距離を取ることに成功した。
「また来るぞ! 風の精霊ウェネモスよ。風を巻き上げ壁を築け」
シルトが左手を真っ直ぐ伸ばすと、掌から緑の皮膚を持つウェネモスが現れ「ふ〜」と息を吐いた。
すると二人の前に先程と同じ竜巻が現れて冥王の攻撃を防ぐ。
「右冴姫よ。あれは触手じゃ!」
「触手?」
「うむ。恐らくじゃが不可視の魔法が掛けられたそれが、冥王の影から無数に溢れ出しておるようじゃ」
最初よく見えなかったが、やっとシルトの目にも冥王の触手が見えるようになっていた。
「全く魔法ってやつは卑怯な技ばっかりだ。援護頼むぜジジイ!」
右冴姫は右手一本で飽喰児鬼を構えると、間合いの外で浮かぶこちらを見下ろす冥王を指す。
「なっお前はバカか! 片腕で何ができる」
シルトに言われて見ると、左腕はだらりと垂れ下がり、着物の袖には血がべっとりと付着している。
どうやら折れた骨が外側に飛び出しているようだ。
「腕一本ありゃ何とかならぁ。それでも駄目なら口を使えばいい」
右冴姫は何処からかキセルを取り出し、口に加えると、自分の壁となっている竜巻の脇をすり抜けて走る。
目指すは触手のイバラに守られた冥王。
「全く馬鹿な奴じゃ。氷の精霊グラキエスよ。我が命に従え」
風の精霊で自分を守りながら、シルトは新たに氷の精霊に命令を下す。
「グラキエス。あの触手を一つ残らず凍りつかせろ!」
右手を伸ばすと、そこから現れたグラキエスは頭上に無数の氷の塊を浮かび上がらせると、右冴姫に殺到する触手に狙いをつけて放った。
「ありがてえ!」
右冴姫の目の前で、氷と接触した触手達は一瞬にして凍りつく。
そのせいか部屋の温度も一気に下がり、右冴姫とシルトは白い息を吐いていた。
「右冴姫。お膳立てはしといてやる。ちゃんとトドメを刺すのじゃ」
シルトは冥王との距離を詰める右冴姫の背中に声をかける。
自分の両手を見ると、二つの精霊を同時に使役した代償だろう。光の輪郭を残して消滅しようとしていた。
右冴姫が冥王に近づけば近づくほど、加速度的に触手の量が増えていく。
最初は二、三本だったそれが、五本、八本、十本と増殖していた。
今はシルトの援護で次々と凍結していくが、そろそろそれも限界を迎えようとしている。
氷の塊が足りず、触手の一本が右冴姫に迫ってきた。
「不味い!」
シルトが警告を発しようとしたが、どう見ても触手の到達の方が早い。
当たると思ったその触手の一撃を右冴姫は顔をひねるだけで回避する。そればかりではなく、見えないはずの触手を、持っている刀でぶん殴った。
「あいつ……見えておるのか?」
シルトにも実態は見えていない。
触手が纏う魔力を見ることで何とか知覚しているのだ。
しかし右冴姫にはそんな目は持っていないはずなのに……。
「おら。ノロイノロイ!」
右冴姫は目に見えないはずの触手の攻撃を避ける為の手段を見つけていた。
自分の金色の目にはシルトが懸念した通り依然として何も見えない。
それなのに触手の攻撃を次々と避け続ける。その方法は文字通り人間離れした方法だ。
右冴姫の目にはどうやっても捉えられない。だから肌と耳で相手の位置を捉えている。
肌で、動くことで発生する微かな空気の動きを、耳で、触手が蠢く音を聞き分けていたのだ。
慣れないうちは避け損ね、何箇所か皮膚が裂けたが、今は余裕を持って避けていく。
正面から来た触手を顔をひねって避け、右から来たのを状態を晒して、左側から来た触手は飽喰児鬼で打ち払う。
右冴姫の両足を狙って二本の触手がテーブルを舐めるように迫って来たので跳躍して避けた。
「そろそろ避け続けるのは飽きて来たぜ!」
ジャンプした右冴姫の視界を埋め尽くすほどの触手が一斉に迫る。
もちろん自分に迫る脅威は見えていない。しかし目の前で多数の蠢く音が聞こえれば、嫌でも何かいるのが伝わって来た。
恐怖は感じていない。彼女にはあるアイデアが頭の中を占める。
「いいこと思いついた。 今そっちにいくからな冥王!」
右冴姫はニヤリと悪魔のような笑みを浮かべると、迫る触手の一本に右足を掛けた。
そのまま止まることなく次の触手に左足、今度は右足と、触手を踏み台にして空中移動していく。
「捉えた!」
冥王を守る為に、二本の触手が槍の穂先のように鋭く迫る。
右冴姫はそれを回避という行動を捨てて攻撃することを選んだ。
「ぐうっ!」
二本の触手の鋭い尖端が右冴姫の柔らかい腹を深く抉り貫く。
深手を負っても右冴姫の勢いは止まらない。
右手に持つ飽喰児鬼を横薙ぎに振るう。
鞘は狙い通りに冥王の首に直撃。
冥王は首がくの字に折れ曲がったまま、右冴姫の左手側に吹き飛び、激しく壁に激突した。
主が力尽きた事で触手達も活動を停止し、腹部を貫いていた触手も萎びたように力を失う。
テーブルに着地してから、右冴姫は自分の腹を貫く触手を引き抜く。
大量の出血で気を失いそうになったが、それ以上に気持ち悪いものが体内にある事が耐えられなかったのだ。
「おい無事……ではなさそうじゃな」
「ああ。まだ生きてるぜ――ゴボッゴボッ!」
一口喋るたびに右冴姫は大量の血を吐き、その血溜まりに愛用のキセルが落ちて赤く染まる。
「喋るな。後は儂に任せてお前は休んでおれ――むっ?」
「どうしたジジイ」
シルトが何も言わないので、痛みに耐えて顔を上げる。
「まだ終わりじゃないみてえだな」
右冴姫は飽喰児鬼を杖代わりにして立ち上がる。
二人の視界には首が曲がったまま立ち上がる冥王の姿が映っていた。




