《第37話 冥王の晩餐》
右冴姫とシルトは知らなかったが、冥王が両手を広げた事で、館の外である異常事態が起きていた。
領主の館上空を中心に黒雲が瞬く間に広がっていきズューフェンの街全体を覆い尽くす。
雲の濃さはかなりのもので、太陽の光すら届かず、街全体が夜陰の帳に包み込まれた。
住人達は、何が起きたか分からず、空を見上げることしかできない。
人々の視線が暗く染まった空に注目している間、周りの影からヌルッという音と共に人影が出現していた。
それは辛うじて人の形をした魔物だ。身長は三メートルもあり、頭らしいものは見当たらない。
二本の足で立ち、肩から生えた枯れ枝のように細い二本の腕は地面につくほど長い。
頭らしいものはなく、胴体の胸のあたりには黄色い眼球が四つ輝いていた。
影から生まれた魔物、《影の魔物》は近くにいた派手な格好をしたエルフに目をつける。
魔物は音もなく走ると、その枯れ木のような腕を伸ばした。
エルフの女性が何かの気配を感じて首を動かすと、こちらに手を伸ばす影のような化け物と目があった。
「ひっ――」
悲鳴をあげる前に、身体を両腕で固定されてしまう。
目の前の化け物は、舐め回すように四つの目を忙しなく動かし、四つの目がピタリとエルフに視線を固定していた。
睨みつけられ恐怖で何も言えないエルフの目の前で、化け物の腹が横一文字に裂けていく。
中は赤くぬめっていて、奥には黒い穴が見えた。
「ま、まさか……」
大きく裂けたそれが口だと気づいた時にはエルフは自分の運命を悟った。
「やだやだ、やめて――」
影の魔物は目の前の獲物の懇願を無視して、腹に開いた大きな口に放り込み一瞬で呑み込む。
そしてすぐに隣で、自分の妻を食った化け物を見て目を丸くしているエルフの男性に襲い掛かった。
男性は妻と一緒に旅行でこの街を訪れ、真珠を土産に帰ろうと思っていたのに、何故突然現れた化け物に妻共々喰われなければならないんだ。と魔物の大きな口が迫る中そんなことを考えていた。
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影の魔物達は一体だけではない。数百もの数が一斉に現れ、近くにいた獲物を捕まえては、大きな口に放り込んでいく。
魔物達にとって獲物は動物も人間もエルフもドワーフも関係なく腹に収めていった。
港に近い大きな大衆酒場は朝も夜も関係なく一定の人数がいて賑わっていた。そこに《優雅に泳ぐ人魚号》の船長アムットは酒に酔っていた。
「はあ〜」
正確には酔ってはいない。彼女はドワーフ。人間が飲んだら一口でベロベロになってしまうような強い酒でも、アムットにすればちょっと刺激の強い炭酸水みたいでしかない。
ドワーフ達が住む国では、溶岩酒と呼ばれる酒がある。見た目は透明だが、一口飲むととても強い刺激と熱さが喉を流れる。
勿論それは度数が強すぎるためにドワーフ達や一部の物好きしか飲まないので、ここズューフェンには需要がないので置いてあるはずもなかった。
「んぐんぐっ。ぷぅはぁ〜〜」
アムットはこの店で一番強い酒を頼み、十本目の酒瓶を空にする。
「船長。もうその辺にしましょうぜ」
「そうですよ。そろそろ船を出航させないと……」
「分かってるわよ!」
アムットの周りでは船員達が何とか船長を動かそうとするが、腰から根が張ったかのように少しも動こうとしない。
「まだ時間はあるわよ。ちょっとお酒がないわ! お代わりちょうだい!」
アムットは少し顔を赤らめていたが、頭の中は冷静で仕事に差し支えがない時間を考えて飲んでいた。
「はあ〜」
アムットは酒を待つ間、ツマミが散乱したテーブルに突っ伏す。
(右冴姫どこにいるのよ!)
アムットの心の大部分を占めていたのは、船で自分を助けてくれた赤い髪の女エルフだった。
(私の、私のファーストキス奪っておいて姿消すなんて、許さない!)
無意識に自分の唇に触れる。そうすることで、右冴姫の唇の感触を思い出す。
(あんな男勝りなくせにすごい柔らかかったな……じゃなくて、私の初めて奪って何も言わずにいなくなるなんて。一体どこに行ったのよ!)
見つけて一言文句を言ってやろうと思い、街中を探したのだが、全く見つからず、気づけば滞在日程の最終日になっていた。
なので、ここでふてくされて朝まで飲んでいたのだ。
「新しい酒はまだなの? いつまで待たせるなよ!」
最初は大量に酒を飲んでくれるので、店にとっては潤いだったが、だんだんと大声で喋ったりと一人で騒ぎ立てるので、店にとってアムットは迷惑な客として認識されてしまった。
「船長。そろそろ……ん?」
新しい酒に口をつけるアムットを、見兼ねた船員の一人が声をかけようとしたその時、店の外で耳をつんざくような叫び声が聞こえてきた。
その叫びは中にいた全員にも聞こえたのだろう。皆手を止めて、閉じられた扉に不安げな視線を送る。
それはアムットも同じ気持ちだった。
「今の音何よ?」
船員達も同じ疑問を抱えているために何も答えられない。
そんな中、再び悲鳴が聞こえてきた。しかもさっきよりも大きく複数回に渡ってだ。
「何? 何が起きてるのよ?」
酒場は窓がないので外の状況が見えない。その為音だけでは一体何が起きているのか何もわからない。
それが中にある人々の恐怖と不安を増長していく。
一人の男性客が耐えられなくなったのか、周りの制止を振り切って扉を開けてしまった。
「ん、何だこいつ?」
扉を開けて目の前にいたのは、影のように真っ暗な化け物だった。
影の魔物は目の前で口を大きく開けた男を捕まえて一気に丸呑みにする。
人を食う化け物が現れたことで、完全に酒場はパニックに陥った。
椅子を蹴倒し、テーブルの上の酒をひっくり返して、化け物から距離を取ろうとするが、出入り口は一つしかない。
逃げる場所がなく皆一番遠いカウンター側にひとかたまりになる。
勿論アムット達もカウンター側に逃げ込んでいた。
影の魔物が音もなく店内に入ってくる。アムット達にとって悪夢は終わらない。
その後ろから何台もの化け物が入ってきたからだ。
一体なら何とか、誰かが犠牲になっている間に逃げれるだろうと思っていたが、その考えも一瞬にして絶望の穴に追い落とされてしまった。
「あ、あああ、ああああああ」
アムットの目の前で、酒場にいた客が次々と化け物に食われていき、共に仕事をしてきた船員も次々と捕まり化け物の口の中に消えていく。
そんな悪夢でも見ないような光景を、アムットは歯の根をカチカチと鳴らして震えながら、見ていることしかできなかった。
そんな彼女は一体の魔物と目があってしまう。
影の魔物は口からはみ出た足を飲み込んで近づいてきた。
(助けて助けて助けて……お願い助けて!)
ぎゅっと目を閉じて恐怖から目を逸らし、自分を以前助けてくれた右冴姫の姿を思い浮かべていた。
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アムットを含め多数の客で賑わっていた大衆酒場から、十体以上の影の魔物達が出てくる。次の獲物を求めて。
影の魔物達が去った酒場の中には誰の姿もない。あるのは散らばった酒やツマミ。そして船長の証であるキャプテンハットだけだった。




