怪獣『巨大鳩』と遭遇すること5
またも病院まで両親が来て一緒に帰ろうとした時、美穂が見たのは誰もやってこない穂花の姿だった。病院のロータリーで思わず穂花の手を掴み、美穂は軽く引っ張る。
「今日はうちん家泊まろう!」
突然のことで驚いた美穂の両親だったが、すぐさま同意してくれて、穂花に家へ来るように促す。穂花は躊躇ったものの、さらに美穂が引っ張ってくるのに気づき、頬を僅かに染めて「……お邪魔します」とだけ告げる。
だから美穂の家族はきちんと彼女を迎え入れた。
そうしてタクシーで家まで戻り、美穂の部屋に入った穂花は思わず部屋の中を見回していた。
「美穂の部屋……」
「あはは、別に初めてじゃないっしょー」
「うん、ま、そーだけどさ。久し振りだし」
「そーだっけ。そーだった」
「そうだよ。つか、あの頃とあんま変わんねーわ」
「そりゃそうだよ。ぶっちゃけ放課後はいつも穂花とダベってるしさ、家に帰ったらガッコの宿題とかなんとかさー。大変じゃん、女子高生って」
「あー、まーね。家にいてもやることないわ」
「でしょ? 今日なんか色々あったしさ、穂花と居たいなって思ったんだよね」
「……ん、そか」
穂花が押し入れを開けて、中から二着のジャージを出してくる。
「私のサイズになるけど、ジャージなら入るでしょ。服も汚れたしさ、着替えちゃお」
「ん~。胸大丈夫か~?」
「ジャージだから大丈夫じゃないかなぁ!」
ばふっ、と顔に当たる柔らかい布。穂花はそれを右手で持って、それからもう一度美穂へと目を向ける。美穂は学生服の上着を脱いでシャツをめくり上げた時だった。
彼女の巻いた包帯が目に入る。
「……ッ!」
途端、穂花に襲いかかってきたのは恐ろしいまでの後悔と恐怖だった。
その怪我をした理由は――誰に言われずとも穂花自身がよく理解している。彼女を守ろうとして、結果守られたからだ。そして怪我の強弱はさておき、『包帯を巻く』という目に見える形で傷を負ってしまったこと。
「穂花? どしたん?」
「……」
呼吸が浅くなる。じわりと、背中に汗が流れる。
寒くないというのに震えてくる。
床があるのに浮遊感を覚える。
現実が、現実に思えなくなる。
――頭が回らない。
――思考が加速する。
アレを作ったのは誰だ。傷を作ったのは誰だ。彼女に庇われたのだ誰だ。彼女を傷つけたのは何だ。
(……あ、たし、は……)
リップを塗っていたはずの唇が乾く。乾いて乾いて、そこから砂になっていきそうだ。呼吸が上手くできない。肺が酸素を求めて藻掻いている。これはなんだ。この気持ちはなんだ。言語化ができない。何もできない。何の力もない。
「――穂花!」
身体を揺さぶられて、やっと彼女は自分が呼ばれていることに気付いた。
「大丈夫? 疲れてる? いやめっちゃ疲れてるけどさ、お風呂さっさと入って寝ようぜ!」
「……や、だいじょーぶだし」
「大丈夫って顔色じゃないじゃん」
「そえは、まぁ、そういう顔色だから」
「そんな顔色の人がそこらにほいほいいてたまるか! 本当に大丈夫なの、ねぇ?」
「つか、あんたこそ風呂入れないっしょ。その怪我じゃ――」
瞬間、喉の奥からこみ上げてくる何かがあった。それを強引に飲み込む。
(……ッ)
ゆっくりと息を吸い込んで、頭の中に冷たい空気を流し込むようにして心を落ち着かせる。
「……医者から入るなって言われてるっしょ?」
「でも走ったから気持ち悪いしさぁ……」
「……じゃあ、身体拭いてあげる。お風呂場でもそれならいーっしょ」
「マジ? 助かるー!」
まるで言い逃れのように提案したのは穂花だったが、すぐさま後悔することになる。
――一緒に風呂に入れば、その背中が目に入るからだ。一度取った包帯はまた使うことはできず、かといって美穂一人で巻けるものではない。家族の手を借りてあと一晩は巻いておくように言われているが、穂花は包帯を巻くつもりでその包帯を解き、傷を目の当たりにしては気絶しそうになり、彼女の柔らかな肌に触れてぞくりとし、そしてお湯で絞ったタオルで身体を拭き、また頭を向けさせて傷のほうにシャワーのお湯が流れていかないように気を付けながら頭を洗い、もっと頭を下げさせて、頭をまるで自分の太ももに埋めてしまっているような感覚を覚えつつ、ゆっくりとシャンプーを広げて、彼女の髪の毛を梳くように指を通して、シャワーで流して、リンスで整えて、そして――
(……はぁっ……)
喉の奥から熱い息が零れ落ちる。
心を落ち着かせてから、穂花は何でもないといった風に終わったことを告げる。
「ありがと、穂花」
「……んっ」
濡れた髪から背中に水が落ちないよう、タオルでその頭を包む。
「うわ、過保護過ぎじゃない?」
「そんぐらいがちょうどいいの」
「……そう?」
「そう。確信した」
「確信しちゃったかー」
そっかー、そうだし、となんとなく数回繰り返してから、身体を洗い終わった二人は風呂を出て、穂花がしっかりと新しいガーゼと包帯を巻き、それから二人とも楽なジャージに着替える。
「ごはんよー」
そんな声が聞こえてきて、美穂はそれに応えたのだった。
まずは秋葉原で適当な中古のノートパソコンを購入し、新品のSSDを買い、家に帰ってからオフラインでも認証が行えるOSをUSBメモリーからインストールする。とにかく各部ドライバが動いて見ている間だけバッテリー動作をすればいい。
河合は部屋のカーテンを閉めて、部屋の灯りを点け、スーツの内側にある久良から預かったUSBメモリーを取り出した。OSインストールに使っていたメモリーを引き抜き、デスクトップ画面が現れバッテリーが充電されていることも確認してからそのUSBメモリーを差す。
フォルダが開き、中身が表示された。
メモ帳一つだけしか入っていなかったが、数十キロバイトもあるところが引っ掛かる。これが全てテキストデータだというのならそこそこの情報量があるということだろう。とりあえず標準でインストールされているテキストエディタで開くと、文字化けしたテキストだった。
(やっぱ拡張子が違うのか?)
そう思いながらも、念のため別のテキストエディタで開いてみると今度はきちんとした日本語で表記されていた。どうやら文字エンコード由来による文字化けだったらしい。
(っかー、めんどくさい)
頭の中だけで愚痴を言いながら、実際は無言でテキストの内容に目を通していく。
(――なんだ、これ)
正直、内容についてすぐに理解することはできなかった。
ただそこには河合をして興味深いことが記載してあり、もしこんなことが現実に起こるのならば――
(待て待て待て。いや、マジか)
――内容は、いわば生物実験の事である。
人工的に『魔物』を生成する過程を箇条書きしてあるメモ帳だ。実験内容の詳細こそ記載されていなかったが、非人道的な実験が行われただろうことは想像に容易い。
そもそも魔物とは何か。
(魔物……まぁ、妖怪の一種と言われてるよな。ただ魔のモノと妖怪は成り立ちが違う。魔術に置いて魔はそれだけで強い意味を持つ。妖怪やモンスターは魔物と同じ半魔力生命体と呼べる存在だが、妖怪が元々ただの動物や植物由来の生き物なら、魔物はまさに魔力由来の生き物だ。そもそも魔術の世界において『魔力のみで生き物が生まれるのか』というのは現在に置いても議論の余地があるとされてるが、有力な説は何かしら魔術師や魔術を使う何かの意思が魔力に宿り、その魔力が生物を『喰らった』という現象が起きたのではないかとされている。だから世界中でも魔物というのはごく僅かしかいないはずだが――)
かつて魔術を学んでいた時の記憶を引っ張り出して、頭の中で整理する。そもそも魔力由来とされる魔物というのはどれもこれも人間の魔術師を超える力を持つ化け物ではあるが、余りにも数が少ないため歴史上でもさほど脅威とはならなかった。また魔物というのは意思があるのかどうかすら判明していない。攻撃行動を取るということはあるが、向こうから積極的に人間を襲いに来るということはなかった。
これは魔物が動物と同じく他の生き物を捕食するという行為を行わないためだろうと言われている。ただ生存本能があるため、自身に危険が迫ったときに攻撃行動を取るのだろうと。本能的に行動を起こすだけで、恐らくそこに知性は無い。見た目が哺乳類やは虫類の形をしていようが、自身の意思と智惠で動く妖怪と全く違う点がここだ。
(それを『産み出す』ってのはどういうことだ? 仕組みが解析できたってことかぁ?)
さらに読み続ける。
魔物の製造方法についての記載はないが、基本的には動物実験だ。魔術師による魔力の操作で動物を『捕食』するような行為を取る。あるいは魔術で魔力と動物の肉体を滲ませるように同化させる。神経全てを魔力回路へと作り替えてみるなど。――当然その悉くが失敗し、動物は死滅している。
だが、一つだけ成功例があった。
(あるのかよ! 成功例! うっそだろ!)
もしそんなことができるのならば魔術世界の常識がひっくり返るかもしれない。魔術師が魔術師を超える生命体を産み出すなんてことが出来るのなら、当然それを利用したあらゆる火種が生まれることも意味する。
河合にとっても嫌な想像だが、魔術を使える生命体が魔術師の意思一つで動かせるのならば、それはもう一種の兵器とも呼べるだろう。
(そうか、だから土御門家は俺にだけ見せたのか。いやいやなんで俺なんだよ。事件の担当だからか? ……つまりこれがあの巨大不明生物と関係している?)
成功方法は、生物を魔力の海に落とすこと。
あまりにも膨大な魔力に全身が包まれ身体中のありとあらゆるところから染み込んでいった時、体内の組織は全て魔力によって『書き換え』が行われる。――という理屈らしい。その魔力も魔術によって意味を付与されたものである。
そもそも魔力は世界中のどこにでもある、現在の科学では検出不可能なエネルギーだ。生物にも魔力が巡っており、魔術師は体内の魔力を活用して魔術を発動させることができる。身体が魔力を保有する量は人によって差があり、それによって同じ魔術であろうと出力に差が現れたりする。
つまり魔力とは意思も意味も持たないエネルギーであると、どこかの魔術師が語っていたことがある。意味を持たせるのが魔術師だ。
(なら、本来人間の身体や地球上をぐるぐる巡っている魔力を一カ所に溜めたのも魔術だな。どういう魔術かさっぱりわからんけど)
そもそも魔力の流れは魔術師特有の目で見えるが、魔力が『溜まる』といった現象など見たことがない。そんなことができるのならば、また溜まった魔力を魔術師が使えるのならば、それもまた世界にとって非常に大きな意味を持つ。故に半信半疑であると、河合は今のところそう結論を出した。
(――そこで魔力が染み込んだ動物はどうなったかは分からないが……『意味を持つ魔力』が全身に染みたってなると、それはもう別の生物になる。まぁそれが元々の実験目標なんだが、それを魔物と称していいのか、だなぁ)
ここまで踏み込んだ実験をしているのなら、あの巨大な生物を産み出す所に繋がるのかもしれない。
さらに読み進めていく。いくつかの生物――哺乳類で成功したとき、ただの箇条書きだった文章が急に変化を見せた。
『私はこれよりさらに踏み込んだ実験をすることになる』
(なんだ? 私? これは……)
『だが、これは禁じられた実験だ。如何なる倫理、道徳であろうと決して私が許されることはない。この世界にはもはや存在しない神ですら私を殺すほどに怒り狂うだろう。もう一度ここに記す。私は今より決して手を出してはいけない実験を行う。二度とこんなことが起きないように、ここに記す』
(……散々人道から外れたような実験しておきながら、今更何を書いてんのやら)
『この実験は一つの意味を私に齎した。生物の意味を改変する。生物を作り替える。つまり新しい生命体への可能性を示している。それは地球上にいる生物ならば全てに適用され、決して逃れることはできない。そういう法則を見つけたのだ』
(……法則?)
魔術師にとって『法則』は軽々しく言うべき言葉ではない。
『私は今から私の妻を魔力槽に浸けることとする』
「……ッ!」
こいつは何をしようとしているのだ、と叫びそうになった。
哺乳類を実験台に使うなら、やがて人間そのものにも手を出すことは明らかだったが、しかし自分の妻をそうするというのはさすがに常軌を逸している。
『これが成功することを、祈る』
「……誰にだ、馬鹿野郎」
そこで報告は終わり、最後にサインが記されていた。日本語で。
つまりこの実験は日本のどこかで行われていた可能性が高いということになる。
(トオル・ヤマヅカか。この人物を洗えってことだろうな、これは。手がかりが全く無いところから具体的な人物名が出てきたのは嬉しいが、せめて漢字で書いて欲しかったなぁ。あと手書きなら筆跡も――)
「おっと、贅沢は敵だよっと」
対象が日本人であり魔術師であり、また結構な実験をも行える立場の人間となれば自然と絞られていく。恐らく該当の人物を見つけるまでにさほど時間を掛ける必要は無いだろう。
「あーぁ、明日から忙しくなりそうだな」
スマートフォンの画面をつけると、すでに時間は夜の十一時を回っていた。今から各所へ連絡したところですぐに動ける訳でもないだろう。それに恐らく土御門家としては秘密裏に動いて欲しいという狙いがあるはずだ。
(魔術協会としても人体実験をするような魔術師は御法度だよな。アマテラス側からしても危険人物だろうしなぁ。……あ、そっか)
そこで土御門家の真意を掴む。
(これ、せっかく裏で繋がりかけている人間と魔術師、そして妖怪との縁を絶ちきってしまう可能性があるからか)
メモ帳の最後の最後、その行に記された一文。
それはもしや、そのヤマヅカという男が真に望んでいたことか。
あるいは『人類に対する宣戦布告』だろうか。
――人類が善性であることを望む、と。




