怪獣『ホムンクルス』と遭遇すること5
「逃げるって言ってるんですよ!」
みそぎが自身の体内魔力を操作して肉体を強化する。穂花を抱え上げ、まるでバイクで走るかのようにかっ飛ばして走り、出口へと向かう。
「団三郎!」
「ほい!」
団三郎が先行し、閉まりきった扉に向かって掌底を撃つ。開くというよりも巨大な鉄球でもぶち当てられたかのようにバラバラに砕け散っていく中を、みそぎ達が駆け抜けていった。
さらに止めてある車を抜けて森の中を駆けていく。
車に乗った方が、とはちらっと思ったが、悠長に乗っている時間すら惜しいのだろう。
みそぎの判断は実に正しかった。森の中を入った瞬間、屋敷の屋根が全て吹き飛び、そこからぬるりと美穂の顔が現れる。先ほどまでは屋敷に収まっている程度の大きさが、今は優にその高さを超えている。
「くそっ、偽物のくせに成長はえー……!」
「いや成長ではないでしょ。……成長、いや、成長と言えるんでしょうか?」
「いやいやどっちでもいいと思いますぞ! 全力で離れますぞ! あんな騒ぎになった以上、周囲に隠れていた妖怪達もとっくに逃げているでしょうからわしも遠慮せずに済みますぞ!」
といいつつも、その言葉に別の意味を乗せて妖術を発動するという実に器用なことをやってのけ、巨大な人型となった怪物の手を吹き飛ばそうと森を切り裂く程の真空の刃を放つ。
だが、その攻撃が届く前にあっさりと消失する。
「消えた……?」
攻撃を防いだのならまだ分かる。それに何かしら防いだのなら相応の衝撃があっても良い。この日本三大化け狸と称される大妖怪が放った攻撃だ。決して生半可な威力ではないはずなのに防がれた様子もなく消失したという事実に、みそぎは妙に引っ掛かるものを覚える。
「……逃げるのはナシです。私なりに解析しないと、ヤバいかもしれません」
「ほっ」
団三郎が足を止める。
「何をすればよいですかのぅ」
「足止めを」
「ほっほ、できたら万歳三唱お願いしますぞ!」
できなければ困る、とみそぎは頭の中だけで呟いた。この大妖怪が足止めすら出来ないのなら、もはや魔術師としてのみそぎに打つ手は無いということになる。それこそこの団三郎と魔術協会において兵器とすら称される最強のA級である浪木夜夢を引き連れてコンビを組ませなければならないが、そもそもあの夜夢は人間の魔術師と組ませるだけでも性格に難があるのに、ましてや妖怪ともなればどれだけ困難なことか。
「集まれ寄れや我が手の内に――なに!」
「……? どうしました?」
「まずいですぞ。これはまずい。集めた妖力が瞬く間に喰われてしまう。やはり足を止めずに離れるんですぞ! 体内魔力まで喰われてしまえば人間は当然、我ら妖怪すらも意味を消失しますぞ!」
「!」
みそぎは間髪入れずに向きを変えて走り出す。団三郎がそう断言するのなら、それは疑う余地もなく事実なのだ。そこに、なぜ、どうして、の介入する余地は一切ない。だからみそぎは穂花を抱えながらとにかく走る。あの怪物の内部を解析しなければ『この後に取り返しの付かないことになる』という予感めいたものを感じていたが、しかしまずは自分達の命が最優先だ。
身体能力を引き上げたみそぎに抱えられた穂花の視界は、まるで全力疾走のバイクに乗って森の中を駆け抜ける恐怖に襲われているようなものだ。凄まじい勢いで目の前に迫る木々が横に逸れていくという体験を繰り返していたせいか、もはや半分気絶している。
「暢気なものですね!」
そんな穂花に一瞥をくれることもなく、吐く様にそう呟きながら、出来ることなら木々の合間を抜けていくよりも枝を蹴って空を跳んでいったほうがいいだろうかと束の間逡巡するも、すぐに地面へ足をつけて走って行くことを決める。空を跳んで一直線に逃げたほうが早いかもしれないが、実際に『飛んでいる』わけではないため、空の間に何かしらの攻撃を受けたらひとたまりもない。両手を使えるならまた違うのかもしれないが、今は少なくとも『荷物』を抱えている状態だ。
(……この西城穂花をここに置いていったら囮にできるのでは?)
とも思ったが、実際にそれをやろうとは思わなかった。そこまで人の心を棄てた覚えもないし、恐らく今現在から今後も起こるであろうこの怪物達の正体を追うには穂花という少女が鍵になる可能性があるからだ。
(つまり絶対に失ってはならないお荷物を抱えてこの森っつーか山を駆け降りて化け物を引き離し、魔術協会に連絡を取って応援を呼んで――無理ゲーなんですが!)
そもそも魔術協会の魔術師を呼んでどうにかなるのだろうか。
「少しだけ情報共有をお願いします!」
魔力も体力も豊富にあるわけではないが、それでも情報は武器だ。できるときに得ておく必要のある情報を団三郎に訊く。
「具体的に何をされましたか!」
「端的に言いますぞ! 奴の餌は妖力――魔力! 性格に言えば魔力が持つ情報! 生物、非生物問わず物体が有す魔力の情報を食うことで対象の意味を消失させる厄介な能力ですぞ!」
「ありがとうございます! 大体わかりました! つまり化け物ですね!」
「仰るとおりですなぁ!」
正直に言えば、完全にみそぎの誤算だった。
ここの情報を得たのは団三郎を筆頭とした妖怪によるネットワークのおかげだが、まさか団三郎をして逃げの一手しか打てないというのは創造の埒外である。それだけこの佐渡団三郎狸の力は別格なのだが、そもそも彼らの妖術そのものが餌となるのなら全く以て話は別だ。
「拙いですぞ! 時速六十キロ以上出ている筈ですが、どんどん追い着かれておりますぞ!」
「冗談でしょ……!」
森の中、不規則に並ぶ木々を避けながら時速六十キロという速度を維持しつつ走るというのは非常に困難であり、直線速度ならまだしも常に左右に跳びながらこの速度で追い着ける生物はまずいないだろう。体力もそうだが、特に不規則の木々を先まで見通した上で左右のどちらかに避けなければならず、迂闊に間違えた直後、目の前に別の木が立ち塞がって真正面から衝突する可能性もあるのだ。しかも今は意識が飛びかけている穂花を抱えている。ただ追い掛けてきているモノは既に十メートルを超える巨体となり、それより背の低い木々を押し倒しながら直線で追ってくる。
(それだけじゃない!)
団三郎の言うことが本当ならば、木々の魔力すら吸い取り、その存在情報を自身のエネルギー源としているかもしれないのだ。こちらは走れば走るだけ魔力と体力を消費していくが、相手は進めば進むほど体力を補充してくる。
「団三郎! 落とし穴を!」
「ほいさ!」
みそぎには無理だが、団三郎ならまだ魔力に余力があるだろう。今のうちに少しでも足止めすべく、団三郎は後方の地面に妖術を解き放ち、その土を大きく盛り上げて怪物の前へ壁として立ち塞がせるように組み上げる。十メートルは優に超える壁だろう。怪物の前方を完全に塞いだ瞬間、怪物はあっさりと右手でその壁を貫通し、そして砕きながら進んでくるが。
「よっしゃ!」
その壁を作った時に発生した穴の中へ怪物が転がっていく。
「やはり知能が低いですね!」
(――低いというか、何かを考えるように作られていない? 学ぶように作られていない? ホムンクルスだから? 違う! 今はそこを考える場合じゃない!)
確かに解析せねばと一度は考えたが、今のみそぎにその余裕は無い。出来た隙間時間を使って可能な限り離れることに力を使うべきだ。
(けどすぐに追い掛けてくる! もう一度落とし穴を? いや、それではいつか追い着かれる! どうする、どうする、どうする……!)
考えても良い手が浮かばない。木々を瞬時に加工して串刺しにするか、いやしかしそもそも存在の意味消失が本当なら刺してもダメージにはならず、むしろエネルギーに変えてしまう可能性がある。落とし穴は僅かな時間稼ぎにしかならない。巨大な土塊を固まりにして落としたところでやはり魔力を吸収して『土塊』の意味すら無くしてしまうかもしれない。とにかく厄介な能力だ。魔術師であるみそぎにはもはや一つも打つ手が無い。
「降ろしなよ、私を!」
「……! あなた……!」
いつの間にか意識を取り戻していた穂花が、唇を震わせながら言う。
「私を追ってきてんでしょ、アレ。なら私を降ろして逃げなよ」
「……あのですね、確かに私は合理性を求めることがその本質です。魔術師ですからね。けど別にそれは人の心をなくしてるというわけでは――」
「そんなこと言ってる場合じゃないって! 私でもわかんだよッ!」
「……! それでも放っておけるわけが!」
「だったら最初からこんなトコ連れてくんじゃねー!」
穂花の叫びに、みそぎが表情を崩す。
「わ……かっています! 全部私の責任です。だからそんなこと……!」
「もういいっつってんの。アンタらの世話にはなんねーし。あいつ、ウチに危害与えンかどうかは別っしょ」
全く以て確証の無い言葉に、みそぎが同意するわけにはいかなかった。確かに彼女をここに連れてきたのは自分であるのなら、そもそもの責任は自分にある。彼女を切り捨てていけるほどみそぎは冷静に割り切れず、説得材料を探すより穂花を犠牲に出来ず状況を打破する方法を頭の中で必死に探す。
(……無い、あるはず、無いはずが無い! そうやっていつでも私は乗り越えてきたのだから……!)
――こんなところで足止めを食う程度なら、そもそも宗近みそぎの目標には絶対に届かない。
「そういう時は大人を頼れって、教わらなかった?」
ひゅん、という耳鳴りと共に誰かが脇を駆け抜けていく。みそぎを超える速度で走るその人物は一気にホムンクルスへと近づき、その目の前で何かを投げて顔に直撃させる。
すると大量の煙が発生し、怪物の周囲は一気に視界が悪くなる。
「今のうちだ!」
「あなたは……!」
「しがない魔術師ですよ、俺ぁ! 空月ちゃん、ボブ、よろしくね!」
「了解!」
みそぎの腰に手が回ったと思ったら、そのまま担がれてしまう。女性だ。自分より年上で大人の女性だが、まあだ若いと言って差し支えない。一方で穂花はガチムチの色黒男に担がれ、森を全力疾走で運ばれている。穂花の顔色が一気に悪くなっているということは相当揺れているのだろう。自分も同じように脇に抱えられているのだが、少なくとも穂花の方で無く助かったと安堵してしまった。
「あなたたちはアマテラスの人間ですか?」
「そうよ、空月っていうの。あなたはD級魔術師の宗近みそぎさんね。どうしてここにいるのか今は訊かないわ」
「ということは、あそこの男が事件担当の――」
「そう、河合よ。アマテラス所属の警察であり魔術協会の探偵役」
「……ごっちゃですね」
「ごっちゃよ。それよりもうほとんど魔力が残ってないのだから、回復に努めて欲しいのだけど」
その通りだ。後で色々と問い詰められるだろうが、問い詰めたいこともある。その時に出し抜かれない程度には体力回復をしておいて、頭が回るようにしなければならない。
みそぎはこの空月という魔術師について詳しくはないが、自分と違い戦闘に特化したタイプのようだ。ならば体術や長時間の行動にも心得があるだろう。――向こうの穂花を担いで走っているのは見ただけでこの場にいる誰よりも体力自慢の男だろうと予想がつくから、まぁあまり深く考えないことにする。
(それにしても魔力の減り方が尋常じゃない……)
確かに体力も魔力も同時に消費したが、何も残りの魔力を計算していなかったわけではないのだ。だがみそぎの予想を遙かに超える消耗量によって追い込まれたのも事実である。
(『あいつ』は直接触れないと魔力を吸い取れない気がしたけれど、他にも何か絡繰りがある? とにもかくにもあの河合って男に頑張ってもらうしかないけど……)
事件担当の河合はアルファベット級ではなかったはずだが、一目で相手の動きと届く範囲を見抜き、一瞬で魔力吸収による意味消失をされにくい煙幕をあちこちに巻くことで攪乱し、徐々に距離を取っていく。いくら怪物といえど目眩ましが効くのなら実に有効な手段だあろう。
「まるで忍者ですね」
「実際そうらしいわよ」
「え? 忍者? なんで忍者?」
「そもそも彼は普段からアルファベット級魔術師や大妖怪相手に捜査をするベテランだもの。こういう状況においては何よりも頼りになるわ」
「……忍者って居たんですね……」
「気持ちはひっじょーによく分かるわ」
木々の倒れる――いや、朽ちる音がする。腐っているわけではなく、根元が砂に変わっている。あのホムンクルスのつま先が木の根元に触れたことによって魔力による存在の情報を吸い上げられてしまったのだろう。
(どこからでも吸えるってこと? ならなぜ足下は砂になってない? 選んでいる? とりあえず――)
抱えられているのだからやることがないみそぎは、ポケットからすかさずスマートフォンを取り出す。
「よし、電波入ってます!」
「なら!」
「魔術協会に電話を!」
「アマテラスに電話を!」
「……」
一瞬、沈黙が生まれる。
「どっちでも良くないです?」
「分かったわよ! どっちでもいいから電話して!」
みそぎはどうしようかと僅かに迷った結果、連絡先を決めたのだった。




