怪獣『ホムンクルス』と遭遇すること6
時は少しだけ遡り、白一面の殺風景な部屋に一輪といわんがばかりの隅に貼り付けられた監視カメラ、そしてパイプ椅子の背もたれを前に組んだ腕を乗せてこちらをニヤニヤと睨めるように見てくる少女。ベッドの上から動かず寝転がったままだが、そんな状態で大人しく寝ていろというのは土台無理な話であって、美穂は気まずさから目を逸らすように少女とは反対方向の壁へ向いている。
監視されている、というのには気付いていたが、かといってここから逃げ出したところで状況が改善されるとは思えない。自分のわがままだけでどうにかなるのならそうするが、ここの建物に入っているアマテラスという組織は自分から何か情報を得ようと考えていて、しかし基本的人権がどうのとか組織的に人に危害を加えられないために打つ手なしというのは何となく耳には入ってきていた。
だからといってアマテラスとは関係の無い魔術師の少女と二人きりにすることはないではないか――
そもそもこの何となく蛇を思わせる同い年であろう少女の第一印象はかなり粗暴なものだった。こんな長い時間ずっと黙ったままじっとこちらを見ているようなタイプからかけ離れた印象だった。だからこそかなり不気味な時間でもある。一体何を考えているのか。
「……」
見たくないのに気になってしまう。関わってはいけないと理解しているのに、このどうしようもない気まずさに耐えきれない。美穂の心はそこまで強靱にできているわけでもないのだ。
「……ああもう!」
身体を起こす。
「お、やぁっと起きた~」
「寝てないって知ってたでしょーが!」
「あったり前じゃん。ずっと全方向から視てたし」
「……!」
ぞわりとする。
美穂は今まで気付いていなかったが、この少女――浪木夜夢は既に魔術を発動しており、あらゆる角度に目の代わりとなる魔力によるレンズを造り、そこを通った光の情報を受け取っていたのだ。アルファベット持ちの魔術師であったとして、短時間ならまだしも長時間魔術を発動し続けながら複数の情報を処理するなんてすぐに脳がパンクしてしまうだろう。
「な、なんなの、あんた……?」
「ん~? えーきゅー魔術師どぇっすぅ~」
「うわ、腹立つなー。なんかそれ腹立つなー」
「ま、起きたならちょうどいいかぁ。ずっと視てたけどさ~、やっぱり分かんないんだよね。アンタがただの人間じゃない妙なモンまでは見抜けたけどさ、他の関わってそうな人間関係ってやつ? それ教えてくんないかなぁ~?」
「人間関係……? 穂花のこと? 穂花はあげないんですけど! 私の友達だもん!」
「いやいらんし。アレはただの人間っしょ。みそぎは何かあると睨んでるみたいだけどね~。アタシはさぁ、アンタに興味があるんだよねぇ~?」
「……か、身体が目当ての変態、とか?」
「ある意味せーかーい!」
夜夢は満面の笑みを浮かべてから、美穂の右手首を掴んでくる。
「ひっ……!」
「アンタさ、何者? あ、自分でも分かんないんだっけ。じゃあハッキリ言うけどさ、どんだけ身体弄られるか教えてちょーだいっとぉ~」
「えっ、やっ……!」
右手首が嫌な熱を持つ。悪意の塊というべきか、とにかく右手が熱く爛れそうで、しかしそうはならず身体の中に入れたくない何かが流れてきた。
「あぐっ、おっ、えっ……!」
「構造は人間とほぼ一緒かー。つまんねぇの」
しゅるん、と何かが身体の芯から抜けていく。
「『魔力の味』も大したことないかなぁ~」
ぺろりと右手の人差し指と中指を舐めてから、夜夢は嘆息した。
「やっぱアタシ同伴でさぁ、コイツ連れていったほうがいーんじゃなーい? ん? おお、あは、今頃連中気付いてやんの~。これだから階級の低い魔術師連中は使えねーじゃん。あは!」
「え、なに?」
美穂も建物全体が俄に騒ぎ出したことに気付く。人が起こしているものに違いないが、まるで建物全体を覆う何かが揺らめいたようだ。
「ん~、なーにか入ってきたみたいじゃーん。ん、なんだコレ、アンタの同類? ちょっと違……や、同類だ。少なくとも中身は一緒じゃん」
「同類?」
「そ、怪物と一緒」
「……え?」
「魔術師に弄られた肉体なんて、もう人間じゃないよねぇ。構成組織は同じでもさぁ、体内魔力に干渉されて中身に魔術が刻まれてンの。人間の身体のナカってさぁ~、ずっと魔力が生まれるから、維持さえできれば半永久的に効果があるんだよねぇ」
「……? 魔術? 私の中に……? ちょ、何それ! 何言ってんの! ねぇ!」
「あー、はいはい、静かにしてな~。ほら、そこに――」
夜夢が美穂の後ろを指差す。
「来たみたいだからさぁ」
「……え?」
ゆっくりと振り返る。
振り返らなければ良かったと、この時ほど後悔したことなど生涯に置いて一度もないだろう。
だって部屋の片隅に――陰を落としながら――自分と同じ顔をした、一糸纏わぬ、だけれども人間の肌とは到底思えぬ透き通るような色を塗った皮膚の何かが自分を見つめてきているのだから。
「なに……あれ……?」
「そっくりさんじゃん? で、何用ですか~? って、ん?」
夜夢は急に音を奏でるスマートフォンをポケットから出す。その画面を一瞥した後、ケラケラと嗤い出した。美穂が僅かに覗き見た画面には何か文字が表示されていたが、一瞬のことだったため何が書かれているか読めず、夜夢は無造作にポッケの中にスマートフォンをしまった。
「って、怪物だよね。なるほど、結界の魔力を取り込んでるっとぉ。あー、魔力だったら何でも喰っちゃうってワケ? 悪食過ぎじゃん。結界そのものが餌なんじゃ意味ないよねー。バケモノさん?」
「……」
夜夢の挑発に似た発言に一切意も介さず、その怪物が一歩、また一歩と美穂に近付いてくる。
「ひっ……!」
小さな悲鳴が漏れる。
何もないところから顕れたのに、まるで水に濡れたようにぬめりのある髪の毛、色の無い瞳、半開きの口、だらんと下がった両腕、どれもこれも生気があるとは言い難い虚無に似た生物だというのに、その足だけが動いている。
美穂は既に『理解』はしていた。
アレは先刻の出目金と同じ類の怪物だ。恐らく全く同じ手段で消すことが出来る。アレを理解して、分解すればいい。それだけだ。
(理解……や、それは……無理……!)
自分と同じ顔をしたまるで違う生物を理解する。
そんなことをしてしまえば、そんなことが許されるのならば、恐らくその瞬間、自分は――
ベッドから降りて壁に背中を付ける。可能ならその扉から逃げてしまいたいが、あの出目金の事例を考えるなら奴らは人工物の壁が障害にならない。建物の中を走るにしても階段を駆け下りるにしても、どうやってもあの人型の怪物のほうが有利だろう。
「魔力食いの人型ねぇ。ホムンクルス……とはちょっと違うみたいだけどさ、分身を作る化け物の相手はショッチューしてんだよねぇ」
「え、他にも大量にいるの……?」
「あー、いるいる。分かるでしょ? アイツは根っこの部分で遠くの本体と繋がってるってさ~。怪物具合としては『たいしたことない』けどさぁ、アンタの繋がってる先に……アタシの相方、いるんじゃね?」
足下が冷える。
バリ、と火花が散る音と共に、夜夢の周囲に小さな雷が走る。
「――アタシのみそぎに何してんだ?」
ジュッ、と音がしたと思えば、その人型の怪物の顔が吹き飛んでいた。
「え、えええええ!」
「魔力が全然散ってないし。どんだけ蓄えてんだ、コイツ」
「いや普通焼くかぁ! だって私と同じ顔してるんだぞ! 焼くか普通! 跡形もないんですけどー!」
「え、別に同じ顔してよーが別人なら焼くでしょ?」
「焼かないでしょ! やべぇキラーマシンかあんた!」
「違うんなら問題無いっしょぉ。てか別にアンタでもみそぎに何かしたら頭吹っ飛ばすけどサ♪」
「こっわ! 滅茶苦茶こっわ! 何この人!」
「るっさいなぁ。まずアンタから黙らせたほうがいーいぃ?」
「ごめんなさい静かにしましゅ」
口に両手を当てて黙るポーズを取る美穂。
そちらには一瞥もくれることなく、夜夢は人型の怪物へ無造作に近寄っていって、挨拶とばかりに回し蹴りを放つ。身体を回転させての蹴りなど隙だらけこの上ないのだが、しかし膨大な魔力による身体強化を行っている彼女の速度は常人の視界が捉えられるような速度に留まらず、実際美穂の目では何が起こったのか全く見えなかった。
気付けば頭を失ったままの怪物が壁際に吹っ飛んでいた。
「あは♪ 頭がなけりゃーこんなもんか~。喰うより速くぶっ飛ばせば何もできないってことね」
「いや、死んでるっしょ!」
「黙ってろってゆったでしょ~?」
「……」
またも両手で口を塞ぐ美穂だった。
「そもそもこいつらにカタチなんて無いんだよ」
「……?」
「ウチらと同じ生き物じゃなさそうだからさぁ、なんていったっけ? 遺伝子? そういうのはあんまり関係なさそっつぅかぁ……完全な魔力生命体……ってんでもないし、素材は同じだけど建築が違う? みたいな? とにかくさー、生き物なら頭を潰せば殺せるってんじゃないみたいじゃん? そこら辺、アンタのほうが詳しいんじゃない?」
「う、うーん、言われてみると確かにそんな感じかもしれない……いやいやいや、そこまで分からんし!」
「理解したんでしょ?」
「……!」
「じゃーぁ、こいつにも触れて理解したらさ、何かわかんじゃね?」
「そ、それができればやってるからな!」
「できるじゃん、今。つかコイツから近寄ってきてくれてんだから、簡単しょ?」
ゆらりと揺れながら、その人型の怪物が立ち上がる。
散った頭の欠片が勝手に動きその身体を這って、また頭部に集まり形を作る。自分と同じ顔。生き写しというか、まるで鏡を前にしているような気持ち悪さがある。
「……こ、こんなのに触れたら……!」
「触れてみなきゃわかんないっしょ? ま、その結果ぁ、アンタが壊れてもどうでもいいし?」
「いやいやいやいや無責任過ぎる!」
「んじゃ、理解する前にウチが完全にぶっ殺すけど、それでいい?」
「それでいいです!」
「……ふぅん、自分のコト、知りたくないんだぁ」
「……?」
夜夢は美穂から視線を逸らし、怪物の頭を無造作に殴りつける。
「殴っても殴っても復活するんだ。じゃ、後は一気に破壊するしかないよねぇ? ちょっと建物ごと吹っ飛んじゃうけど、まぁいっか♪」
「うえええええええ!」
「だってこいつぶっ殺していいっていったじゃーん?」
夜夢の周辺が『荒れ狂う』!
部屋の中で彼女の放つ膨大な魔力に乱されるように竜巻にも似た暴風が起こり、美穂はたまらずその場にしゃがみ込んだ。
建物全体が揺れているような感覚は、決して錯覚からのものではない。実際に浪木夜夢という少女が起こしている現象だ。彼女は自身の魔力だけでこのビル一棟を揺らし、されどそれはあくまで攻撃の余韻に過ぎず、魔術が『見える』ようになった美穂には全く『理解の及ばない』難解な魔術構成を幾つも空中に展開させる。あの空月やボブの魔術は一目で解析できた美穂の特殊能力ですら夜夢の足下にも及ばないということの証明だ。実際、彼女が手加減して放ったであろうこれまでの魔術もいつ放ったのか気付きもしなかったぐらいだ。
もはや存在そのものが違う。宗近みそぎに感じた異質なものとは本当に比較にすらならない。彼女みたいな存在がこの世界に存在していいのか。あっていいのか。これだけの大規模魔術を行使しようとしながら、それでもまだ夜夢の顔には余裕がある。
――A級魔術師だと、誰かが言っていた気がする。
魔術師の最高峰たる称号を持つ少女。世界でも僅かな魔術師しか到達できない高み。魔術協会の切り札どころか、破壊兵器とすら呼ばれることもある。魔術構成から発する余波が壁に無数の罅を入れ、建物の床ですら今すぐ抜けて落ちそうだ。部屋の蛍光灯が破裂し、そこから火花が散った。夜夢の笑みは益々強くなり、今まで何が起ころうと美穂にだけ向かって進もうとしていた怪物が、初めて浪木夜夢へと身体を向ける。
つまり怪物が危険を覚えたということになる。生命の危機に対する本能か、あるいは別の感情か。表情こそ一切変わらなかったが、夜夢の中に何かを感じ取ったのかもしれない。
「じゃ、死ね」
彼女の指先に魔力が収縮していく。




