怪獣『ホムンクルス』と遭遇すること3
屋敷の周辺は壁に囲われているが、その出入り口となる扉は開きっぱなしになっていた。庭の草木も生え放題で、長年手入れが入っていないことを教えてくれている。自然があるべき姿に戻そうと屋敷をじわりと浸食していくようで、一種の自然の脅威というのはこういうものかと頭の中で呟いていた。
二人の魔術師――片方は魔術師かどうかも怪しいが――に連れられるように、その屋敷の中へと入る。屋敷の扉をみそぎが右手で軽く押すと、重く軋んだ音を立てて扉がゆっくりと、まるで勝手に開いていった。
屋敷の中へと踏み込むと、やはり人一人分すら支える役目すら全うできなくなったのかとと勘違いしそうになる軋む床と、そして外からの灯り以外に一切の高原がない、まさしく無人らしい無人の屋敷をゆっくりと進んでいく。穂花は使われていない屋敷だからこそどこが破損しているか分からないためゆっくりと進んでいると思っていたが、しばらくしてから違うことに気付く。正体不明の運転手はさておき、少なくともみそぎの注意は足下のみならず周囲全体に及んでいるようだ。
「団三郎、本当にここなんですね?」
「わたしらのコミュニケーション力は太古より大したモンですよ。北の地で子狸がくしゃみをすれば、明日には南のばあさん狸の耳にも入るってもんです」
「それが本当かどうかは知りませんけど、あなたたちの情報力を疑っているわけではないんです。ただあまりにも――」
「――あまりにも何もない、ですな?」
「はい、その通りです。入る直前で魔術を唱えて検知してみたのですが、何も捉えられませんでした。生き物一匹の感知すらできませんでした。『生き物』を、ですよ。……そんなこと、あります?」
「生き物を虫一匹まで含めるとするなら、あり得ないですなぁ」
「現在、この屋敷にいる生命体は私達だけです」
「……? どゆこと?」
みそぎが魔術という謎の力を使うことまでは何とか飲み込んだが、それで何ができるのか、どこまでできるのかまで把握できない穂花は、ただただ質問をするしかない。何か異様な事が起こっているのだ、というのは雰囲気で察したが、生き物がどうとか、一体何の話をしているのか。
「鍵すら掛かってない無人の屋敷なんて動物全般にとって良い物件です。雨風が凌げて隠れられるんです。虫だって侵入します。けど、それっぽい臭いはしません」
「に、臭い? 臭いって、何ソレ……獣臭ってやつ?」
「つまりこの屋敷は庭で生え放題の植物と私達以外の生命反応がありません。あるいは――」
「待ってくだされお二方。ちょっとわしの妖術使ってもいいですかな?」
そっと、団三郎と呼ばれた運転手が手で二人の会話を遮ってくる。みそぎは一つ頷き、了承した。
「感謝。それでは皆様ご拝聴。わしらはわしらの生がある。なれば汝ら命あり。命があれば力あり。力があれば流れあり。流れがあればぁ~」
ずるり、とその運転手のスーツがずれ落ちる。いや、ずれ落ちるというのは正しい表現ではないと穂花はすぐに察した。ふっと、頭のある部分が消えて、さらに胴体も消え、支えを無くした服は重力のままに下へと落ちただけに過ぎない。
だが完全に服が落ちきることはなく、小学生中年ぐらいの背丈で止まる。つまり、そこに何かがいる。
(あの背の高い運転手が、変わっ……た?)
ただ者ではないとほぼ確信していたが、もしかしたら――
(人間ですら……ない……? え、マジ? 嘘でしょ……?)
もぞもぞと服の中から出てきたのは見事な毛玉の――仁王立ちした大きめの狸だった。
「たぬー!」
「騒がないでくださいよ」
「いやだってたぬき! SNSで一日一回は動画が流れてくるアレっしょ!」
「……私のアカウントでは二十回は流れてきますよ」
「マジでか。アカ教えて……! そんでたぬき動画送って。一日五回、いや、十回は欲しいんだけど」
「嫌ですよお断りです。アカウント教えるのが無理」
「ま、よく考えればウチもお断りだし」
「漫才か何かですかな? それにしてもこの化ケ狸の姿を見ても驚いたのもほんの僅か。思ったよりも冷静で驚かし甲斐も無いというものですぞ」
「……や、だって化けカメレオンとか化け鳩とか化け出目金とかさんざ見てきたし。今更じゃん?」
「……うーん! これが現代っ子というものですな!」
ショックなどドコ吹く風かとからから笑いながら、その化け狸はすっと手――というか前脚を屋敷の奥に向ける。
「何かはいますな。ただそれが恐ろしいことに、世界中のあらゆる魑魅魍魎を知り尽くしたと自負している儂ですら把握していない『何か』ですがな」
「――日本三大化け狸が把握していないなんて、日本の怪異ではないということですか」
「いいや」
化け狸の佐渡団三郎狸はあっさりと否定する。
「そもそも生き物の定義からして何かが違うモノですぞ。凡そ真っ当なモノではないですなぁ」
「……」
みそぎは口を閉じて、僅かに腰を落とした。
「そうですぞ、その通りです。今我々は人間でも魔術師でも、ましてや妖怪でも魔物でもない、全くの未知なる存在を前にしているのですぞ」
ギィ、と静かな音がする。
屋敷のエントランスから二階へと続く階段がある。木造の階段、そこを登って左手に続く廊下は手前に壁も無くここから丸見えだ。みそぎは一言も発することこそないものの、団三郎と目配せをして穂花を守るように前へと進む。
「……逃げないわけ?」
「私達はここへ山塚透の痕跡を探しに来たんですよ。逃げて何も掴めなかったらまるで意味はありません」
「誰そいつ……や、でもヤバそーだし……?」
「そう何度も経験したくないのですが、私にとってはよくあることです。ま、死ぬ前には逃げますよ。団三郎、罠の様子は?」
「ありませんな。とはいえ妖術でなければ何をしているかはとんと分かりませぬ。なので魔力の流れを感じ取ってはいるのですが……まぁ妙ですなぁ」
「妙?」
「ええ、ここを突き止めた『仲間』の報告通りではあるんですがな、罠を仕掛けているような魔力の流れではなく、周囲全体に散っているはずの魔力が、ゆっくり、ゆっくりとあそこへ集まっているような気配がありますなぁ」
――佐渡団三郎狸とは、日本三大狸のヒトツである。
現在の日本は佐渡団三郎狸を長に据えることで団結している。実力的に選ばれたのではなく、その気性と思慮深さ、どの妖怪や人間であろうと自分のテーブルに着かせる交渉能力によって選出された妖怪であるが、実際の実力もまた折り紙付きであり、もしここでアルファベット持ちの実力者である宗近みそぎが彼に害を為そうとしてもあっさりと反撃の目に遭うだろう。妖怪というのはその存在だけで人間の魔術師を凌駕しうる魔力量を体内に保持し、そして行動全てが魔術――彼らの言い方に寄れば妖術へと繋がっている。魔術師が魔術を技術として認識しているのとは違い、彼らは手足を動かすのと同じように妖術を扱い、意識せずとも自ずと妖術が解放されている。つまり一日中魔力を垂れ流していても問題無い程に魔力を持つ、ということである。
また身体の半分が魔力によって構成されているとされる妖怪達は大気や大地を流れる魔力にも敏感であり、彼が前脚で指しているそこに屋敷中の、あるいは屋敷の外をも含めた魔力がゆっくりと集中しているといっているのもそういった妖怪ならではの感覚によるものだ。
「みそぎ様、この狸めが調べたところ、存在するのは間違いなく生きている何か。だが、我ら妖怪や人間の魔術師達が定義する人間や妖怪、魔物の定義には当て嵌まらない異なる生命体ですぞ。なのでまずはわしが奥へ進みましょう。『人間』では少々厄介やもしれませぬが、まぁわしならどうとでもなります故に」
「団三郎、ダメです。私も備えながら一緒に」
「それこそダメですぞ。いいからいいから、ここは任せてくださいな」
団三郎にそこまで言われると、彼より戦闘能力の劣るみそぎとしてはそれ以上言うべき言葉が無い。止められない。
(……え、私場違いじゃね?)
いつの間にか完全に置いてきぼりを喰らっている穂花は軽い疎外感を覚えつつも、かといって今の二人に声を掛けるほどの度胸もなく、ただ呆然と成り行きを見守るしかなかった。
(つーか、ホントになんでウチまで巻き込んで……)
「下がってください」
みそぎが右手を向けて、指示を出してくる。
「え、なに? 下がれって」
「邪魔です」
「……ッ! そりゃそーでしょ……!」
そんなことは最初から分かっている。魔術師やら妖怪やら、今までそんな存在知らなかったただの高校生が役に立つ筈も無い。当たり前の事実を相手から言われる理不尽さに苛立ちを覚えながら、穂花はゆっくりと後ろへ下がっていく。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
団三郎が睨む先の暗闇から、ぬっ――と白い手が洗われる。相手がこちらを向いているのなら、それは右手だろうか。余りにも白い、というよりも青白い。まるで生気は感じられず、一度も光を浴びたことのない皮膚かもしれないと穂花は勘違いしそうになった。
そう、勘違いなのだ。
それらはそう作られた存在であり、人間の形をしながら『人間』ではないのだから。
それの手が伸び、手首から腕が露わになり、そして肩から徐々に顔の輪郭が闇の中から生まれてくるように、穂花はその姿を見て息を止めてしまう。
「――……み、ほっ……?」
違う、とすかさず否定した。
(違う、美穂じゃない、美穂の筈が無い! 美穂はここにいない! あんな光の無い目をしていない! アレは何! なんで美穂と同じ顔をしているの!)
服は着ていない美穂と同じ顔をした、光を全て吸い込んだかのようないやに黒い長髪の人間らしきモノが、ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ歩いてくる。
服は着ていない美穂と同じ顔をした、光を全て吸い込んだかのようないやに黒い長髪の人間らしきモノが、ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ歩いてくる。
「反応していますね。何に反応していると思います?」
「そりゃぁ決まっているでしょう。少なくとも我々ではないでしょうなぁ」
「ですね。アナタを連れてきて正解だったみたいです」
「は?」
みそぎは穂花の二の腕を掴んで強引に引っ張って出入り口へと走り出していく。いきなりのことで転げそうになりながらも奇跡的なバランス感覚で耐えながら穂花は掴まれて痛む腕をそのままに一緒になって走って行く。すぐに理解したからだ――『ここにいては何かがまずい』ということに。
具体的に何がどうまずくて危険なのかは分からないが、美穂と同じ顔の何かが自分に向かって歩んでくる、という状況だけでその場にいていい事態ではない。
「なんなのアレ! なんで美穂の顔してんのよ!」
「断言はできません。だけどアナタに反応しているのが分かっただけでも収穫です。今はこれ以上踏み込むのは危険だと判断しますから、喋らずキリキリ走ってください。舌噛みますよ!」
「あんただってベラベラ喋ってんでびょっ!」
「ほら噛んだ」
「……ッ!」
苛つきは到底収まらないが仕方無く黙って走ることにした。
「ひょっ、間近で観た甲斐がありますな! 大凡のカタチが分かりましたぞ!」
「なんですか?」
いつの間にか隣を走っている団三郎に、みそぎが訊ねる。
「アレは魔力による生命体で間違いありますまい。しかし我ら妖怪は当然、恐らく人間どころかこの世界における全ての生命体とは根源を異なるモノでありましょう」
「……は?」
みそぎが間抜けな声を上げたものの、すかさず会話は止まってしまった。開いたままにしておいた扉が急速に閉まったのだ。
「魔術ッ?」
「には見えませんでしたな!」
急ブレーキで止まり、みそぎがすかさす魔術を唱えて光の入らなくなった屋敷の中に光を灯す。丸い光源が頭の少し上に浮いて部屋の中を照らし、そしてそこに目を向けた穂花が絶句する。
「――なに、よっ……これ……」
「さすがにこれは想定外です……」
美穂の顔をした全裸の少女が、猫背で長い髪を床に引き摺らせながら、ゆらゆらと揺れながら歩いてくる。それだけならば驚きこそすれば今更ではあった。
問題は、その謎の少女の数が一人や二人ではなく、部屋の中、廊下の先、閉めてある扉を開くこともなく抜けてきて、屋敷の中のありとあらゆるところから現れてきている。




