怪獣『出目金』と遭遇すること2
大体十二階ぐらいだろうか。白いマンションの出入り口はオートロックとなっているため、そのマンションの鍵を持っている住人以外はそうそう入れないようになっている。一階部分は人の背の倍ぐらいある鉄柵で囲まれており、少なくとも物理的にほいほい侵入するのは難しいだろう。ロックされているガラス張りのドアの左上に目を向ければ、まるで睨むように監視カメラが設置されている。何となくその視線から逃れるようにソソソと下がって、自分達を警護している大人のところまで戻ってしまった。
穂花の家はマンションの一室であり、マンション前で待っていて欲しいと言われた美穂は、すぐ傍で一緒になって立っている黒ずくめの女性に話しかける。
「ねぇ、お姉さん。なんか暇だから話しません?」
「えっ、私ですか」
急だったからか、女性は少しだけ戸惑った様子を見せたものの、すぐに姿勢を直して「いえ」と首を横に振る。
「これでも仕事中ですので」
「息抜き息抜きっすよー、堅苦しいのはナシで」
「……仕事中です」
「あ、最近出たマクドの新作バーガー、三種類ぐらいあったっすよね。どれ好き?」
「海鮮プリプリエビバーガーね、断然!」
「お、いいチョイスじゃないっすかー」
「……じゃなくて! 仕事中だから! 遊びはダメなの!」
「しゃべくるぐらい良くないっすか? ずっと気を張り詰めてたら大変でしょ? お姉さんケーサツの人でしょ、ケーサツっていつもそんなに固いんですか?」
「ん~……! や、これでも意味があって集中してるんだから、ちょっとは集中させて。食べ物の話とか弱いのよ、私……あ、ヤバい、頭の中がバーガーでいっぱいになってきちゃうじゃない……! お腹減るぅ!」
「……何やってんだ、お前は」
もう一人の黒ずくめの男性が、呆れたような声を出してくる。
「おにーさんも! バッガ行こ!」
「いや、西城さんが戻ってきたら即座に帰宅ですよ」
正論とばかりに言ってのける男性に、美穂は「ぶー」とわざとらしく抗議する。とはいえ美穂も状況を理解していないわけではないので、強引に寄り道しようだなんて全く思っていなかった。
二人の大人もその辺は理解しているのか、注意はしてくるものの口調はあくまでも柔らかい。
それを理解した美穂は、心の中でほっと一息吐いてから――二人の間、その後ろ、何もない通りの中心に突如としてぽとんと落ちた球が見えてしまった。
美穂は思わず固まってしまう。
覚えのある玉だ。どこかピンポンのような球でありながら、虹色で、綺麗で、地面に転がるとそのまま真っ直ぐ自分に向かってくる球だ。
美穂が固まったのは、その覚えのある球に恐怖を覚えたという当たり前の感情のみならず、彼女の深い部分に刻まれてしまった業が働いたからに他ならない。
美穂の能のリソースは、その球について考えてしまっていた。
――理解しなさい。
――目の前の現象を、起こりうる可能性を、未知なる生命体を、余すこと亡く理解しなさい。
(理解……)
理解し、解明をしなさい。
そうするように、君の魂は刻まれているのだから。
(『それ』を理解する――)
急に黙り込んだ美穂の異変に、護衛の二人は即座に気付いた。また男の方は振り返ってから小さな球が転がっているのに気付いたものの、それが何かまではさすがに分からない。女のほうは『何かが起きている』ということだけを察して即座に美穂に駆け寄り、彼女の腕を掴んで引き寄せようとする。
しかし、その虹色の球は真っ直ぐに歩く程度の速度で進んでいるだけとはいえ――二人の護衛が何か対策を打つよりも早く、美穂の足へと触れようとして。
「オラァ!」
カァン、という小気味の良い音がする。
つま先で球を蹴り上げたのは、デニム生地のパンツルックにゆったり目のシャツというコーデの穂花だった。そこではっと我に返った美穂は蹴り飛ばされた球を目で追い掛けていることにも気付いたが、その穂花よりも蹴り飛ばされた球がどうなるかのほうに注意が向いてしまう。
球は綺麗な放物線を描いて道路の対面側まですっ飛んでいったものの、地面を跳ねてガードレールにぶつかるや否や急速に三倍以上膨れ上がったかと思えば、風船の破裂よろしく爆発する。軽い煙を周囲に振りまきながら、爆発の中心にあった小さな黒い点が形を変えて大きくなり、やがて見覚えのある生物のような姿と色となっていく。
赤い背びれに巨大な目玉、水中を漂っていなければならないその生命体を一言で表すならば。
「……デメキン?」
まごうことなき出目金である。巨大なヒレをゆらゆらと空中に浮かばせて、それらが数にして二十を超えているだろうか。
――いや、と美穂は心の中で否定する。砕かれた小さな黒い点があ次々と形を変えて出目金へと変化していく。出目金自体を嫌いと思ったことがなかったとしても、最早悪夢のような光景だった。
二人の大人が即座に構えて何かを叫んでいる。
(え、なにあれ――魔術?)
ふと浮かんだ言葉が、美穂の脳内に刻まれた記憶を揺さぶる。
「えっ!」
小此木美穂は解析をしてしまった。
だからこそ彼女は今まで観たことも感じたこともないはずの現象を目の当たりにする。
「火炎は手の中にあり! その熱は対象を悉く焼く! 燃えろ!」
「それは一筋の雷! ただその者を刺し貫き命を奪う! 雷撃!」
「うそっ!」
穂花が思わず声を上げていた。
男性の手からは火炎放射器を思わせる炎が出目金を、そして女性の目の前からは文字通り光の速さで走る電撃が貫いていたのだ。灼ける匂いとまさしく雷を思わせる轟音に二人は悲鳴を上げる。
――間違いなく対象を殺す為に組まれた魔術だ。美穂はそう理解する。彼女の中で一度走り始めた【解読】はもう止まらない。二人は魔術師であり、警察の人間でも、ましてや政府の人間ですらない。では何者か。情報が足りない。だが躊躇いなく魔術を発動し対象を殺害したところから実力者か、あるいは戦闘に特化した魔術師であるのだろう。――そもそも魔術師とは何か。魔術師の情報を解析。記憶に残る魔術師とは何か。それは一人の女性。一人の大人。一人の――
(お姉さん……?)
ある人物の姿が浮かぶ。長い髪に、常にだらけた笑みを浮かべていた年上の女性。隣の家に住んでいたからか、小さい頃はよく話をしていた人だ。よく遊んでもらって、よく不思議なマジックを見せてもらった。彼女はこれを魔術と呼び、魔法ではないよ、と優しく微笑んでくれていた。血こそ繋がっていなかったが、姉と慕うには十分過ぎるほど交流を持っていた。
――今思い返せば、彼女が見せていた数々の奇跡は魔術師の使う魔術と同じではないか?
(待って、なんで今それを思い出してるの?)
今、彼女を思い出すことと二人の魔術師とこの出目金が関係しているとでも?
(んなわけないでしょ!)
「美穂! ぼーっとしない!」
腕を引っ張られた美穂は、はっとして現実を思い出すように別の処を見ていた視界が戻ってくる感覚を覚えた。
「うおぉ! デメキン!」
数多のデメキンの内、一匹が美穂の脇を掠めていく。
そのままマンションの自動ドアにぶつかるかと思いきや、するりと壁と天井を抜けて空へと舞い上がっていった。
「幽霊か何かなん!」
「なんか今までと比べて段違いでヤバそうじゃん!」
「怪獣の次は昼間から出てくるデメキンの幽霊! 何ソレ現実か!」
「夢ならうれしーんだけど! だってあの人ら、手からなんか炎とか電とか出してるしィ! 特撮かっつーの!」
「あれ魔術だよ魔術! そういう技術!」
今度は三匹程度のデメキンが襲いかかってくる。マンションの中に逃げるか二人して一瞬迷うが、そもそも壁を抜けてくる相手に行動範囲を限定され、さらにはマンションの住民に被害が出るような行動を取ることはできなかった。
美穂と穂花は同時に通りを駆け出していく。




