第7話「Eye of Evelyn」
モニターの青白い光りが、旧クラブホールのフロアを照らす。冷却ファンが回り、サーバーを守る冷気が足元に淀む。
外の喧騒から離れた地下。情報屋「鯨」の住処。端末のホログラムキーをタイプする音だけが、断続的に空気を揺らしていた。
音の出どころ、部屋の中央。精密機器のように動く赤い目と、白い指。無心にキーを叩くイブリンと、それをマグ片手に見守る鯨。淡々と組み上げられるプログラムの完成形を予測しながら、鯨はマグを傾けた。
数時間前。イブリンは早朝に目を覚ました。端末を開き時間を確認し、軽く寝息を立てるターコイズに視線を移す。ソファの下に落ちた毛布をかけ直し、未だゴミに塗れた部屋の床面積を広げにかかった。
ボトルを拾い上げながら、イブリンは鯨のサーバールームの冷気と、コーヒーの香りを思い出した。今日は、初のコーチングの日だったのだ。不安半分、期待半分で落ち着かず、早くに目が覚めた。気付けば早くもゴミ袋は膨らみ、イブリンは未だ慣れない手つきで口を縛った。部屋の隅に置き、机の上のゼリーパウチに手を伸ばす。
深く呼吸を繰り返し、意を決して一息に飲み下す。味蕾が拒絶する奇怪な味。例えるならば甘酸っぱい食器用洗剤のようなそれを、あと少しで飲み切れる、その時。気管に入ったゼリーに咳き込み、それを聞いてターコイズはグレネードランチャーを抜きつつ飛び起きた。
お互いに見開かれた赤と青の虹彩。イブリンはパウチ片手にホールドアップし、ターコイズは大仰な吐息とともに武器を下げた。
「……おはよ。ごめん」
「こちらこそごめんなさい。おはようございます……」
どことなく気まずそうに身支度を終え、ターコイズはイブリンに声を掛けた。
「今日はあんたを鯨んとこ送るついでに、車を修理に出しに行く。終わったらあたしが行くから、もし鯨の授業が先に終わっても外出るんじゃないよ」
先日の襲撃がイブリンの脳裏によぎる。いつぞやターコイズが言った、「自分の比じゃないくらいのアホ」の実例を知ったイブリンは、ターコイズの言葉に強く頷いた。
言葉少なに車を走らせ、それほど時間は掛からずに鯨の住まう廃クラブへ。
「そんじゃ、鯨によろしく」
その一言を残し、濡れ鼠の黒は南部の街の極彩色に溶けていった。野太いエンジンの音が消えるのを見届けて、イブリンはそっとドアを空けた。
地下へ向かう扉の前へ。ノイズが鳴り、スピーカーから鯨が話しかける。
「時間通り。入ってイブリンさん」
冷気が這い登る階段を降るイブリン。足音は一つ。鉄扉が開き、鯨がイブリンを出迎えた。緑の義眼がイブリンを、正確にはその服を捉えた。鯨がターコイズに託した、厚手の白いパーカー。
鯨は一瞬目を見開き固まった。その後、搾り出すように声を出した。
「良く、来たね。あー、その服、気に入ってくれたようで何よりだよ」
「いえ、お時間とってくれて、ありがとうございます」
どことなくぎこちない様子の鯨に、イブリンは何となくターコイズの不在に安堵した。
イブリンをソファに座らせ、鯨は机を挟んだ正面に陣取った。ファンが唸り、スクリーンがちらつく。どこか落ち着かない静寂を、鯨の声が破った。
「色々考えてみたんだけど」
膝の間で指を組み、忙しく動かす。以前も見せた鯨のクセ。指に落とされた視線がイブリンを向き、仄かに発光する。
「直結時の意識の制御、これは一旦置いておく」
「なんでですか?」
「僕にとってもこんなケースは未知だからだよ。コーチングってより、共同研究に近いと思う。手探りだから、完成までの道のりも不明瞭なんだ」
「それじゃあ、暫くはこのままお仕事するってことですか?」
焦りを滲ませるイブリンに、鯨は応じた。
「流石にそんなことはさせないよ。ターコイズもそこまで無茶じゃないし、させようものなら僕が止める」
安堵、そして困惑。
「気になってるのはこれから何をするか、でしょ。端末出して」
鯨はイブリンに促し、自身もまたポケットから端末を取り出した。いくつか操作をし、机の上に置く。そして画面を指で叩いた。
途端に端末からホログラムのキーと複数の画面が展開され、イブリンの前を覆い尽くした。タイプ用のキー、そして画面に映るノトリ各所のカメラ視点の映像。
中央の画面は断続的にカメラが切り替わり、その中心は一定の対象を追っていた。
「これって……!」
「そう、ターコイズの濡れ鼠」
鋭角の、黒い装甲車。ターコイズの愛車を中央の画面は常に映し、濡れ鼠はチンピラの喧嘩の横を素知らぬ顔で通り過ぎたところだった。
「まず最初に覚えてほしいのはこれ」
「ポートに頼らないカメラハックだよ」
画面を食い入るように眺めるイブリン。その口には、僅かに笑みが滲んでいた。
「まず最初に」
ホログラムを一度消し、鯨が人さし指を立てて話し始めた。
「ノトリのカメラはザルだ。設置する側も、軽く借りるくらいなら日常茶飯だからムキになって防衛もしてこない」
「データの収集先に攻撃しようとか思わない限りはね」
端末の録音機能とメモを並行して使いつつ、イブリンはじっと耳を傾けていた。
「だから事前にハック用のプログラム組んでおけば、ポートなんか使わなくてもカメラの目を借りられる。運び屋の隣に座るハッカーとしては、基礎中の基礎だよ」
「基礎中の基礎」。そのフレーズを赤い文字で打ち込みながら、イブリンは手を挙げた。
「質問かなイブリンさん」
「どういうふうに役に立てるんですか?」
「とにかく情報の収集だね。これに尽きる。どの道なら空いてて早く行けるか、逆に敵がどこで待ち伏せてるか、目視じゃ不足する人数、編成、武器の情報。基本オンラインに繋げない運び屋からしたら、生命線と言っても過言じゃない」
淡々と語る鯨の言葉を噛み締めながら、イブリンは端末を握る力を強くした。生命線。それになり得なければ、自分もターコイズも危険にさらされる。重い感覚を胃に抱えながらも、イブリンは静かに鯨へと再度視線を向けた。
「本来ならポート併用で隔壁とか車両制御弄ったりするのが理想だけど、これはまだ先でいい。ターコイズはカメラの情報があれば、並の依頼ならなんとかできる」
不甲斐無さ気に一瞬目線を落としたイブリンに、鯨は少しつけ足した。
「……大丈夫」
義眼を落ち着きなく動かしながら、冗談めかして続けた。
「ちゃんと教えるつもりだよ。もう、授業料は貰っちゃったからね」
一転、表情を引き締めて鯨は講義を再開した。
「ともかく、今すべきなのは2つ」
今度は2本指を立て、中指を折り曲げながら続けた。
「1つ、ハック用のプログラムの構築。まあ、教材として僕のを参考にしていい」
そして人さし指を折り曲げた。
「2つ、ナビの練習。どの範囲のカメラを借りて、どこに注目うして伝えるか。この感覚を叩き込む。こればっかりは慣れかもね」
イブリンがメモを打ち込み終えるのを見届けて、鯨はイブリンに尋ねた。
「ところで、プログラミングの知識は?」
イブリンは赤い瞳を彷徨わせ、慎重に、言葉を選ぶように口を開いた。
「えっと、どこかで教わった、みたいな記憶はありません。でも……」
一度そこで答えを区切り口籠る。数秒、ファンの唸りが沈黙を埋める。続きを待つ鯨に向けて、イブリンは言葉を継いだ。
「多分、分かります。こう、上手くは言えませんが、懐かしいというか、そんな感じです」
「……変、ですよね?」
義眼を光らせながら、鯨は口元を手で覆う。
「それが本当なら、確かに相当に「変」ではあるかな」
直後、鯨の眼光は弱まり、淡く紅潮しかけた頬からは血の気が引いた。
「ごめん、言葉選びが良くなかった。いい意味で特殊だ、って言いたかったんだ」
「いえ!気にしないでください、分かってたことなので。それに」
口を噤ませる鯨に、イブリンははにかむように笑った。
「変でも、役に立てるなら良いんです」
鯨は目元を押さえ、1つ深くため息をついた。
「そうだね。それは間違いなく役に立つよ」
そして端末を操作し、イブリンへ向けて滑らせた。カメラハック用プログラムのソースコードを表示させたそれを指さして、鯨は続けた。
「じゃあ、好きにやってみて。そのコードは好きに参考にしていいからさ」
イブリンは礼を言い、割れ物に触れるように鯨の端末を手に取った。
赤い虹彩に映る、白黒のコード群。途端にイブリンの表情は抜け落ち、瞳だけが右へ左へと忙しなく動き始めた。
対面に座る鯨の耳にすら聞き取れない呟きを幾度も発しながら、ゆっくりと白い手が動き、自身の端末とホログラム機能を展開した。
鯨の端末を机に置き直し、イブリンは両手を開いた。ホログラムのキーに指が触れ、ハイテンポの曲を奏でるように動き始めた。
投影された画面に文字列が、コードが生まれる。打ち損じなく、滞ることなく連なり始めるコード群。小刻みに動くイブリンの目と指。
対座に座る鯨は、鏡文字として透かし見えるコードと、その奥のイブリンを言葉なく見つめていた。打鍵音と、サーバーの排熱音が静かに共鳴し、鯨の脳を揺らした。
十数分後、鯨はイブリンの停止を予感した。タイプの速度は一定を保っていたが、透かし見えるコードから終わりが近いことを推測したのだった。
打鍵音は唐突に止んだ。最後のキーを叩いた手の形のまま数秒静止し、徐々に表情に血が通う。
画面を透かして鯨の顔を認め、緩慢な動きでイブリンはホログラムを閉じた。
大きく息を吐いて、肩を落とす。
「鯨さん」
困ったように笑いながら、イブリンは続けた。
「手が攣りそうです……」
「……お疲れ様。コーヒーでも淹れようか」
鯨はコーヒーを注いだマグを渡し、イブリンは震える手でそれを受け取った。イブリンがコーヒーを飲み終えるまでの間、鯨はイブリンが組んだプログラムの動作確認を始めた。
かつて自身の組んだコードの残り香のするそれは、独特なアレンジを加えられながらも十全に機能した。
「よくできてる……」
口をついて出た呟きに、イブリンは甘いコーヒーを飲み下して答えた。
「ありがとうございます!」
休憩を挟み、イブリンの握力が多少戻った頃。組んだプログラムで街中のカメラを操作し、情報収集の練習を始めた。
ホログラムの画面を過剰に出す、必要以上の情報を伝えようとするなどの悪癖を矯正されつつも学んでいた所、鯨からストップがかかった。
「イブリンさん。これ見て」
それは鯨のアジトの外カメラの映像。その中には、装甲板を新調した濡れ鼠が停まっていた。
「お迎えが来たみたいだよ。今日はここまで。初めてにしては上出来だよ」
「いえ、鯨さんのおかげです。またお願いしますね」
「うん。また今度」
軽く手を挙げ、鯨は上階へ向かうイブリンを見送った。
階段を登り扉を潜り、再度扉を開ける。雨がパラつき始めた路上で、濡れ鼠は黒く光っていた。
「お待たせしました」
助手席のドアを開け、イブリンは雨粒が入らないよう滑り込む。
「ん、お帰り。今日は何してたんだい」
「えっと、カメラハックの仕方と、それ用のプログラムを組んで……」
普段よりも口早に語り出すイブリンの頬の赤みを見て、ターコイズはブレーキを踏み、車を逆車線に転回した。
「ターコイズさん?」
「そういやタバコのストックが切れそうだった。買い出しに行くから付き合いな」
「構いませんが……」
ターコイズはポケットから端末を取り出し、手早く操作した。次の瞬間に震えるイブリンの端末。そこにはターコイズから送られてきた住所が表示されていた。
「案内頼むよ。いつもそこそこ混んでてダルいから、空いてる道でよろしく」
「はいっ!」
助手席で広がるホログラムと、その中央の笑顔を横目で見て、ターコイズは深くアクセルを踏んだ。




