第2話「Hello,Smokey World」後編
黒く武骨な改造車がハイウェイを駆ける。猛然と唸るエンジンは大気を揺らし、その残響を追うようにドローンとバイクの群れが車列を追い越して行った。
逃げる車の運転席に座す運び屋、ターコイズは、今しがた判明した荷物の中身に意識の数割かを奪われていた。すなわち、白いローブを着た、謎の女に。
貨物輸送と偽っての人物輸送は契約違反。基本的には届けたうえでの違約金の請求が基本である。この死地を抜けたらの話であるが。
床に倒れ込む女のうなじに目が留まり、横路にそれかけていた思考が戻る。鈍い銀に光る、見たことのない形の接続ポート。
細いうめき声が聞こえる。まだどこかあどけなさの残る、若い女の声。長い、プラチナブロンドの髪が揺れ頭が持ち上がる。白い瞼の裏から、赤い虹彩が覗いた。
当時のことを、ターコイズは後にこう振り返った。
「あん時はまともじゃなかったと言うかなんて言うか……そうだね、らしくない物言いになるけど」
「運命だって思ったのさ」
「起きろ!お嬢さん!」
焦点の定まらない赤色に、ターコイズは衝動のままに声を上げた。
視線を前方に戻し、ハンドルを手繰りながら呼びかける。
「死にたくなかったら手ぇ貸しな!」
ミラーの中。色素の薄い髪の奥。赤い虹彩が、そのさらに奥に宿る意識が、焦点を結ぶ。
「ここは……?」
困惑し震えた、掠れた細い声。エンジンの唸りをすり抜けて、ターコイズの耳に届く。
「ここはあたしの車ん中!今あんたはクソッタレどもに追われてて、ドローンがこの車を狙ってる!」
車に追いついたドローンが再び機銃を撃ち始める。女は反射的に身をかがめた後、見開かれた目で運転席のシートを見上げた。
「その首のポート!素人のあたしでも分かる!特注品だろ!?」
「見ての通りあたしは運転で手一杯だ!後少し凌げればいいんだ、見ず知らずのあたしと心中したくなきゃそのポート使って手伝いな!」
「な、何をすれば。それに何も持ってないんです」
「何だっていい!あのドローンどもを妨害してくれ!端末はこれ使いな!」
ターコイズは自身の通信端末をガジェットから引き抜いたのち後部座席に放り、女は両手でそれを抱きとめるように受け取った。そして両手でつつみ込んだ端末をしばらく眺め、目を閉じて深く息を吸った。意を決したように息を吐き、後部座席に座り直す。髪の中に紛れたポートからケーブルを伸ばし、震える手で端末に接続した。
「その意気だ!さあ、何するつもりか教え……は!?」
引き攣れた笑みを浮かべながらターコイズが振り向いた瞬間、女は目を閉じ、後部座席に倒れ込んだ。
(倒れた……?カウンターハック?にしては寝てるみたいだ。ネットワーク適性皆無?にしても倒れるか?端末の残留ウイルス?いや、でも)
(これはなんだ?)
しばしの困惑、逡巡。そして決断。ターコイズは盛大に舌打ちした後、前を向きハンドルを握り直した。
もとより振って湧いたようなもの。得体のしれないガキを当てにするなんてどうかしていた。そう思い直したのだ。後悔に気を取られている余裕は無かった。
スラスターの残量を確認。その時に感じた、違和感。ターコイズの耳が、異変を訴えていた。
さっきまで聞こえていたはずの機関銃の着弾音、装甲から伝わるノイズ、体幹を揺らす弾丸の衝撃。それらの一切が、すっかり消えていた。
バックミラーを覗く。鏡面の上では、武装を格納したドローンが一箇所を目指して集まり、衝突しあって互いを破壊していた。スクラップとなりゆく歪な球体はあっという間に小さくなり、後に控えていたバイクの集団が速度を上げ大きくなっていった。
(こいつは、何者なんだ?)
後部座席に倒れる女に再度目を向ける。身じろぎもせず横たわる女の胸元では、ターコイズが投げ渡した端末が、知らない生き物の心臓の脈拍のように明滅していた。
困惑も束の間、衝撃が車体を揺らした。屋根に着地した何かは這い進むように動き、運転席のほうへ進んだ。強化ガラスを叩く音が響く。そちらに視線を向ければ、特徴的な2本のアンテナを備えた、ウサギのようなシルエットの黒いフルフェイスアーマーが、上下逆さに運転席を覗いていた。
「ラビットフット現着しました」
ノイズ混じりの拡張された声が、ガラスを超えて届く。
「早かったじゃないか!」
窓を少し開けて答えるターコイズにラビットフットは気安く応える。
「道が空いてましたので。それに、私と貴女の付き合いじゃないですか、急ぎもしますよ」
ラビットフットは上下逆さのまま振り向き、バイクを視界に入れたまま声をかける。
「目標は後方のバイク群、で良いですね?……思っていたより小規模ですね」
「事情があんのさ」
「まあ構いません。では」
ターコイズに向き直り、アーマー越しでもわかるような「笑顔」を浮かべた。
「全部、壊していいですね」
「ああ、そのためにあんたを呼んだ」
その声を聞くが早いか、ラビットフットは車の屋根に立ち直った。バイクは5台。車列を縫いながら、概ね鏃のような陣形で進んでいた。
黒い圧着式ボディアーマーに身を包んだシルエットが、車の上で屈み込む。その大腿部に凶暴な力が張り詰める。バイクの上の襲撃者が銃を抜いた瞬間、車上から黒い砲弾が打ち出された。
衝撃音を響かせ、踏み込みで装甲板をへこませる。その強烈な蹴りの反作用を乗せた黒い質量は、鏃の先端を担っていた人間の上半身を粉砕した。血塗れのバイクはしばらく下半身を乗せて走り、バランスを崩して転倒した。
呆気に取られる僚機。その後方。火花交じりの規則的な硬い足音。右足の先を赤く染めた人影が、バイクを追って疾走していた。
陣形右後方の襲撃者が悲鳴を上げて発砲した。流線型の散弾銃の弾丸は空を切り、ラビットフットは跳躍し上空に逃れていた。4つの銃口が向く。引き金が引かれる刹那、ラビットフットは急降下した。左腕部に仕込まれたワイヤーアンカーを射出しバイクに咬ませ、巻き取ることで難を逃れたのだ。着地と共に走行を再開、そのまま片腕でバイクを持ち上げ運転手を振り落とす。手近な1人をバイクで殴り飛ばし、流れのままバイクを投擲しもう1人を肉塊に変えた。
恐慌状態の残りの一人に低姿勢で接近。伸び上がるように首を掴み上げ、バイク以上の速度で走り座席から運転手を引き抜いた。速度を乗せて投擲、運転手はハイウェイの壁の向こう側に消えた。
「他愛ない……」
ラビットフットはそう呟き、ターコイズの車のもとへ駆け出した。
ミラーに映る走る人影を見て、ターコイズはアクセルを緩め、ため息をついた。
ラビットフットを回収し、ハイウェイを降りた。そのまま指定された「荷物」の回収ポイントに向かったが、引き取りに来る人影は現れなかった。
予定時間を1時間超過し、契約に従いターコイズはその場を後にした。ターコイズはラビットフットへの振り込みを済ませ(良くも悪くも「適正価格」で)、サービスだと穴熊の死体を担いで建物を伝い、街へ消えていく背中を見送った。
それらが全て終わってもなお、後部座席の女は目を覚まさなかった。
ターコイズはスラムの廃ビルを改装したアジト戻り、簡易修復ドックに車を入れた。外から見ると思っていたより装甲板の損耗が激しく、ドックの診断次第では本格的な修理を視野に入れるべきだった。
診断を待つ間、ぼんやりとタバコに火をつけ、ゆるゆると蒸した。黎明の青みを帯び始めた薄闇に広がる煙を眺めていた時、ドアの開閉音が耳に届いた。
「起きたのかい」
ターコイズが振り返った先には、「荷物」として運んでいた女がふらふらと歩いていた。
「はい……あの」
「ちょっと待った」
何かを言いかけた女を制し、ターコイズは大股に詰め寄った。
「聞きたいことはあるだろうけどね、まずはこっちからだよ」
怯えた小動物のような目で見返す赤い虹彩をしかりと捉え、言葉を継いだ。
「あんたは何者で、何が目的で、何でこんなことしでかしたんだい」
女は視線を泳がせ、唇を湿して恐る恐る言った。
「何も、覚えていないんです」
「はあ!?」
「信じがたいとは思ってます!でも...気がついたらあなたの車の中で、何も分からないまま追われてて、ハッキングして...」
奥歯を噛み締め、赤色が滲む。嗚咽交じりの声を絞り出すように女は続けた。
「何も覚えてなくて、でも、知ってることは、いくつかあって、でも、どこで、知ったのかすら、覚えて、なくて」
袖に顔を埋め、くぐもった声がか細く空気を揺らす。
「私だって知りたいですよ...」
弱々しく体を震わせる女の肩に、ターコイズはぎこちなく手を置いた。
「わかった、この際その辺はどうでもいい。ただね」
涙に濡れた顔がターコイズを向く。
「この件に巻き込まれてあたしは大損こいた。報酬はラビットフットの依頼料でトントンどころかマイナス、修理費燃料代込みじゃ目も当てらんない。加えて、あたしの場合人と貨物じゃ扱いが違う。依頼主は殺されちまったし、違約金はあんたに払ってもらうしかない」
「お金なんて...」
「そう、そこさ。別にあんたをその辺のショップに売っちまう手も無かないけど、あたしはそこまでクズでもバカでもない」
女の目が困惑に揺れる。
「取引さ、お嬢さん。損失分補填するまであたしの下でハッカーとして働きな。逃げられちゃ困るから生活もあたしの監視下。いやなら悪いがショップに連れてく。さ、今決めな」
女は洟を啜り裾で涙を拭った。目は腫れていたが、ターコイズを見る視線は真っ直ぐだった。
「分かりました。働きます、あなたと」
「決まりだ」
タバコを踏みつけ、ニヤリと笑って右手を出す。
「ややっこしい話は後。……そういや名前を聞いてなかったね、覚えてるかい?」
女は右手を差し出し、ターコイズのざらついた手を握る。
「イブリン。イブリンと呼んでください」
「いい名前だ」
「ああ、それと!」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとうございました」
ターコイズは目を丸くし、深く下げられたイブリンの頭を、乱雑に撫でた。
ノトリの夜が明け、新しい1日が始まろうとしていた。




