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第1話「Hello,Smokey World」前編

 夜闇を濃く溶かし込んだような水面が揺れる。湿り気を帯びた潮風が、コンテナを山積みにした貨物船の、赤錆の浮いた船体を撫でた。

 船の進行方向には、毒々しいネオンに彩られた要塞のような島が、黒い海面の上に異物のようにそびえていた。遠い昔、国家というものがまともに機能していた頃。「沖ノ鳥島」と呼ばれていたこの島、通称ノトリは、海底の埋蔵資源へのアクセスに目をつけた企業たちにより開発、拡張が進み、鉄とコンクリートで製造された癌細胞のように、今だに拡張が進められていた。


 不服そうに軋みながら、船は目指す。退廃的なテクノロジーに彩られた、企業と犯罪者たちがひしめく不夜城の蠱毒へと。

 貨物船から降ろされた各種物資は、港で稼働する自律重機たちに仕分け、管理、格納され、時期が来れば輸送車に移されて付近のインターチェンジからハイウェイに乗り、ノトリの各所へと運ばれる。隅々に張り巡らされた高架道路は、いわばノトリの生命機能を維持する血管のようであり、概ね自動操縦で運行する車体の群れは、血液そのものであった。


 この夜、ノトリのハイウェイは退屈そのものであった。ネオンと広告に彩られた地区も、廃ビルの並ぶ暗い地区も、建造物の間を貫くハイウェイの上のヘッドライトは等間隔に並び、一つの意思のもとで動く群体のように、整然と動く光の河が流れていた。しかし、日付が代わり光の数も減り始めた頃。光粒の隙間を、黒い鋭角の影が駆け抜けた。影が残したエンジンの残響を追うように、別の何かの群れがハイウェイを駆けた。


 鋭角のシルエットをもった四輪の黒い獣は排気の雄叫びとともに、無機質なドローン群と幾台かのバイクを引き連れて、秩序だったハイウェイに混沌をもたらした。

 黒い鋭角の車体の表面を、大小複数の装甲板で覆った改造車が、自動操縦の車列を縫うように追い越し、赤いテールランプの軌跡を描いた。右へ左へ車体を振りながらも、アクセルを緩めずに疾走する車の運転席に座るのは、黒いショートボブに青いインナーカラーが特徴的な、紙巻きタバコを咥えた若い女であった。


 女は前方の車列を見据え、ルートを組み立てながらハンドルを手繰る。他の車両が立てる警告音を、違法にチューンしたエンジンの音で掻き消しながら、女の車は光の河を降った。バックミラーの中からこちらへ銃口を向けるドローンを一瞥し、冷や汗を拭う。湿った衝突音が鳴った。恨めしげに助手席に目をやると、そこにはサングラスの下と鼻から血を垂れ流した中年の男が、力なくダッシュボードに突っ伏していた。

(死んじまったか)


 男は、この女を補佐するために雇われたハッカーであった。しかし、他の車の運転システムに干渉すべく脳とネットワークを接続した際、ドローンが用意したダミーアカウントを踏み、カウンターハックで呆気なく脳を焼かれて死んだ。中堅ハッカー「穴熊」の最期は、顔の粘膜から焦げ臭い匂いを出しながら痙攣して息絶えるという、なんともつまらなく、ありふれたものだった。

(ああ、クソッ。油断してた……!)

 不服げに白い煙を吐き出したこの女は、「ターコイズ」と名乗る運び屋であった。彼女らのような無法者向けのサイトから依頼を受注し、貨物や人物を送り届ける。それを生業として生きてきた。


 今日の朝もいつものように適当な依頼を受け、フリーだった穴熊に声を掛けて前金を折半し、夜のノトリへ繰り出した。

 指定されたポイントには、キャスター付きのコンテナを引きずった痩せた白衣の男が、神経質そうに辺りを見渡していた。運び屋は依頼人の詮索はしない。最低限の確認を済ませ、コンテナを後部座席に積み込んだ。何か言いたげに口を開いた男を無視し、ターコイズは愛車に乗り込んだ。そしてバックミラーに映る男の姿が幾分小さくなった頃、胸から赤い血を吹き出させ、男はアスファルトの上に倒れ込んだ。


 その後方から迫るドローン群とバイクを認めるが早いか、ターコイズは自身のうなじのポートから伸びるケーブルを車と直結、同期を開始した。この瞬間、ケーブルを介しターコイズと車は文字通り一体となる。タイヤは足。思考制御の装甲板は皮膚。エンジンは心臓。計器の伝える数値を脳に流し込まれながら、黒鉄の怪物と同化したある種の万能感とアドレナリンが神経を励起させる。

 薄青くギラつく目を前に向け、堪えきれず頬を歪めながら、ターコイズは穴熊に声をかけた。

「シートベルト締めな。これからが本番だよ」

 装甲板が展開され、スラスターの噴射口が顔を出す。轟音を上げたエンジンとスラスターの青い炎が、始業の合図を告げた。


 そして、今に至る。


 焦げた肉と、血と、タバコの匂いが車内に籠る。窓を開けて換気したいところであるが、そんなことをすれば頭蓋の風通しも良くされる。額ににじむ汗を拭いながらバックミラーを覗けば、機銃の射程圏内ににじり寄ったドローンの銃口がターコイズを見返していた。顔を顰めながらハンドルを回す。それと同時に、車体を覆う装甲板の一部が音を立てて立ち上がった。それらは擦れ、軋みながら車体後部に寄り集まり一つの盾を形成、機銃から吐き出された弾丸を受け甲高い音と火花を立てた。

(暫くは保つ……けど……!)

 ケーブルを介し脳波によって操作した装甲板。それらが大口径の弾丸の嵐を受け着実に削られていくのを、チリチリと後頭部を焼くノイズという形でターコイズは実感していた。


 穴熊の死体に一瞥してから、深く息を吸う。食いしばった歯の隙間から煙を吐くと、ターコイズは右手でハンドルを握りながら、左手を穴熊に向けて伸ばした。

 ターコイズのような運び屋の車は、運転手以外の何とも接続しない。ほぼ完全なスタンドアロン。有害なウイルスや悪意あるコードの標的とならないが、自身からどこかに繋がることもできない。さながら堅固な鎧にして、棺桶。これを補い、電子的な目となり耳となり矛となり盾となるのが、助手席に座すハッカーの仕事であった。

 周辺の車を介しこの区間の車両制御システムにアクセス、乗っ取って道を開けさせ、その後さらにドローンを巻き込んだ衝突を連鎖的に引き起こし逃げおおせる、これが当初の計画であった。しかし穴熊の死によりそれは水泡に帰した。エンジン音に紛れ死神の足音が迫る今、ターコイズには打開のための一手が必要だった。


 未だ体温が残る穴熊の死体を探り、コートの内側から目当てのガジェットを探り当てた。スマホカバーの上半分を切り飛ばしたような形のそれをドリンクホルダーに差し込んで固定、さらにそこに懐から取り出した通信端末を叩き込む。穴熊が残した簡易的な回線保護装置の予備。ジャミングを食らっても数十秒は保つ。


 ターコイズは揺れる座席に毒づきながら、汗に湿る指で端末を起動しネットに繋ぐ。祈るような気分で画面をスクロール。目当ての傭兵の名前を……発見。その横には緑のアイコン。

「よしっ!」

 これは待機中、依頼交渉受付中のサイン。迷うことなくタップ。騒がしい運転席で、縋るようにコール音を聞く。コール音が止まり、ノイズ混じりの声が聞こえた。

「こんばんはターコイズ。お取り込み中のようですが、何か御用で?」

「手短に言うよラビットフット!ASAPで仕事を頼みたい!」

 大きくなり始めた弾丸の騒音に負けないようにターコイズは声を張った。

「報酬は?」

「後払い!言い値で良いから頼む!」

「場所は?」

「ハイウェイ外縁5番区画!一番やかましい場所!」

「承知しました。受けましょう」

 電話の向こうの声、「ラビットフット」は落ち着き払って、しかしどこか面白がるように言った。

「どれくらいで着く!?」

「そうですねぇ、5〜10分といったところでしょうか」

「アタシがミンチになる前に頼むよ!」


 それと同時にガジェットがアラームを鳴らし、通信を切った。何らかの形で保護が食い破られる直前に、強制的にオフラインに戻したのだ。

 気付けば使用量の多いインターを過ぎ、車両は少なく、道は広くなり始めた。じりじりと距離を詰めていたドローンはターコイズの周囲を包囲し、改めて機銃を構え始めた。


 その瞬間タイヤは路面との摩擦で煙を吐き、脳と直結された車体は意図を汲んでスラスターを唸らせた。車体は青い残光を引いて回転、硬く周囲を囲うドローンを弾き飛ばす。スラスターで微調整、制動。再度点火して失った速度を取り戻しアクセルを踏む。しかしターコイズが覗き込んだバックミラーには、ふらつきながらも復帰するドローン群が映り込んでいた。 ターコイズは思わず舌打ちを鳴らす。軽量化を重視し、EMPをオミットしたことを今更に後悔した。迫る無機質なドローンの目。その後ろに控えるバイク数台。苛立ちまぎれに短くなったタバコを灰皿に吐き出し、タイヤ痕を刻んでカーブを曲がった。遠心力が車体を揺らしたその時、後部座席で物音がした。コンテナの硬い金属音、圧搾空気の漏れる音。そして何かが落ちる音。反射的に振り向いて、再度、ターコイズは目を丸くした。

(おいおい勘弁してくれ!)


 そこには口の空いたコンテナと、白いローブを纏った、色白の若い女が意識無く倒れていた。簡素だが清潔なローブと、飾り気はないが整った女の容姿は、スラム育ちのターコイズにとってはどこか馴染みなく、不気味なものに感じられた。コンテナから漏れた殺菌された空気の匂いにターコイズは思わず顔を顰める。

 有り余る騒音を振りまきながら高速で走る車の中、その女だけが、ただ静かにそこにあった。


後編に続く

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