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第10話「Ridiculous passenger seat」

 夜の港に雨が降る。黒々と濡れたアスファルトを叩く雨音を割いて、エンジンの音が駆け抜けた。黒い装甲板に覆われたそれは飛沫を上げ、スラスターの青い残光を残して走り去る。高精度の義眼を持つものであれば、その車体がバック走で駆け抜けていたことを理解できたであろう。


 丁字路を前にして、濡れ鼠(ウェットラット)は装甲板を組み替えた。スラスターを停止させ、デフォルトの形へ。そして濡れた路面をしっかりと捉えながら背面のままドリフト。水溜りを蹴散らしながら90度旋回。スラスターの再点火。自身の前後を思い出した濡れ鼠は、意気揚々と前方へ駆け出した。


 スラスターを切り通常走行に移った車内に、高笑いが響く。そしてその助手席。イブリンは絶えず自身を弄んだ慣性、遠心力といった力に晒され、半ば虚脱状態にあった。


 数日前にターコイズが「喜びな、初仕事だ」と依頼を受け、数時間前イブリンは震える顎を噛み締め助手席に乗った。数分前の周辺警戒中、カメラに映る依頼人と思しき人影を見つけ、イブリンはターコイズに報告した。


 そこからは早かった。待機していた濡れ鼠のエンジンを吹かし、ターコイズは依頼人がいる倉庫の元へ。慣性にシートに背が押し付けられたのもつかの間、フロントに装甲板が集まり始めたことにイブリンは違和感を覚えた。

「ターコイズさん……ターコイズさん!?」

「舌噛むよ黙ってな!」


 イブリンの静止の声を置き去りに、濡れ鼠は装甲と勢いに任せて倉庫の壁と、ついでに傭兵を轢き飛ばした。

 荷物を受け取り即座に背面走行。イブリンは前に横に、物理的にも精神的にも揺らされて、今に至る。


 放心気味のイブリンの横の運転席。笑いを収め、タバコに火をつけたターコイズは、視線を横に移しイブリンに声をかけた。

「ほら気ぃ抜くんじゃないよ。まだあたしらの仕事は始まったばっかさ」


 ターコイズの声を受け、イブリンは両手で頬を軽く叩いた。目標地点は南部の一角。現在地の北部の港からはまだ遠い。

「すみません、少しその、衝撃的で。ルートは西回りで大丈夫ですか?」

「うん。基本は打ち合わせ通りにやる。取り敢えずは警戒だけ頼むよ」


 イブリンは短く頷き、端末のカメラハックツールを再起動した。

 最短距離の中央部を避け、ノトリの西海岸沿を回るルート。中央部の商業エリアは人と企業オフィスが集中し、無茶な運転をすれば余計なトラブルを招きかねない。配達期限がカツカツな依頼でもないため、事前の打ち合わせで2人は西回りのルートを選択していた。


 イブリンの膝の上に置かれたケースのさらに上。イブリンの端末がホログラムの画面を展開、マップとハックしたカメラの映像が投影される。あらかじめ決めていたルート上のカメラを借りるイブリンの手際は、徐々に淀み焦りが見え始めた。


 鯨との教練で予想していたよりも車の巡航速度が速く、映像を確認する間もなく濡れ鼠は画角外へ走り去る。次々と画面を出しては目を泳がせるイブリンを見かねて、ターコイズは声をかけた。

「イブリン、一旦余計なのは引っこめな、邪魔。そうだね、倉庫地帯の出入り口辺りを確認しな。待ち伏せがあったら道変えるから」

「はいっ」


 積み重なった画面を纏めて破棄し、イブリンは短く息を吐いた。マップを拡張しタップ。このペースで進めば数分もかからずに着く。イブリン額に汗を滲ませながらも、手早くカメラを確認していった。

「クリア……です。少なくとも周囲のカメラに映る範囲に、不審な対象は居ません」

「了解。もし居ても、そんだけちゃんと隠れてんなら、出てくる間にぶっちぎれるね」


 タバコを咥えた口が吊り上がる。煙とともに、短い笑いを吐き出す。妖しくギラつく青い目を、イブリンは助手席から眺め、慌てて手元の画面に意識を戻した。


 最寄りの出口の監視を継続する傍ら、複数ある他の出口のカメラを確保。追跡者が倉庫地帯に潜んでいるのであれば、ほぼ確実にどれかに映る。

 その傍らで、濡れ鼠は難なく出口を駆け抜け、北部の一般道へ合流を果たした。


 絢爛な中央部や混沌とした南部と比べれば、北部の沿岸は工場や倉庫が目立ち、道も広く実務的になる。幅広の道で頻繁に車線を変えながら走る濡れ鼠の車内で、イブリンが声を上げた。

「来ました!バイクが2台、さっき通ったところからです!」

「そりゃいるか、追跡役。寧ろあんだけバカ騒ぎしてたのに遅いくらいだね」


 不安げにバイクの映る画面を見るイブリンの傍ら、ターコイズは落ち着き払った様子でハンドルを手繰り、疎らな車列をすり抜けていった。

「武装は分かるかい?」

「えっと、多分、銃は持ってそう、です。二人とも。ごめんなさい、どんな種類のものかまでは……」

「まあ十分。追々教えるよ」


 フロントガラスを叩く雨粒が大きくなり、ターコイズはワイパーを駆動させた。規則的な機械音が、雨音の中に加わる。バックミラーで後方を警戒しながら、ターコイズはイブリンに話し始めた。


「師匠の受け売りだけどね、基本的にノトリの追いかけっこに撒くってのは存在しないんだ」

 濡れ鼠は太い道を逸れ、車の少ない側道へ移る。予定していたルートでは、このままハイウェイへ向かう手筈であった。不意のルート変更と講釈に困惑するイブリンに、ターコイズは構わず語り続けた。

「追いかける側もカメラ使ってくるからね。よっぽど上手くクラッキングして、ツールぶっ壊さない限り見失うってことはない」


  周囲のヘッドライトは疎らになり、あたりを照らすのは街灯と濡れ鼠のライト。そしてバックミラーに映り始めた2つの光点。


「じゃあどうするか。勝利条件はざっくり3つ。1つ、ぶっちぎって逃げおおせる。とっとと届けちまえばもうこっちの責任じゃない」

「ターコイズさん!」

 背後からバイクのエンジン音が迫り、ミラーに映る光点が大きくなる。


「2つ、諦めさせる。交渉とかもここかな。ただ、基本的に皆意地汚いからあんまり有効じゃない」

 車間が詰まる。イブリンのモニターを介するよりも、肉眼で確認したほうがより良く情報が拾えるまでに。濡れ鼠を後ろから挟むように位置どったバイクの運転者は銃を取り出し、濡れ鼠を狙い構えた。


「ほんで3つ目」

 ターコイズは吸い殻を灰皿へ押し付け、新しいタバコに火をつける。

「ブチのめす」

 雨の中、銃口から弾丸が吐き出されるのと、ターコイズがアクセルを踏み抜いたのは、ほぼ同時の出来事であった。


 慣性にイブリンの上体が揺れる。2つの銃口から引かれた火線は雨を裂き、交差して夜闇に消えた。急加速した濡れ鼠に向け、バイク上の傭兵たちは照準を補正。片腕でトルクを上げつつ引き金を引く。


 右後方からのサブマシンガン、左後方からのショットガン。濡れ鼠のタイヤを狙った銃弾の軌跡は、覆うように形を変えた装甲板に弾かれた。

 車体と直結したケーブルからタイヤの無事を感じながら、ターコイズはハンドルを回す。計画であればとうに乗っていたはずのハイウェイの下を潜り、濡れ鼠はノトリの外縁へ向かう。追跡者を引き連れた2人は、今や海沿いの埋め立て地と市街地の境界の道を走っていた。


 散発的な着弾音に肩を強張らせるイブリン。その横でターコイズは新しいタバコに火をつけながら喋り始めた。

「基本的にバイクは小回り利くから、引き離すのが難しい。周りの車が多いハイウェイなら尚更。あんたがカタギの車両制御乗っ取って渋滞でも作れるようになりゃ話は別だけどね」


 そこで一度言葉を切り、イブリンを見て片眉を上げた。

「だからこうやって誘い込むのさ。余計なものが少ない、こういう道に」

 右手側に暗い海を望む、平坦な直進道路。周囲に他の車両の姿は無く、濡れ鼠が遠慮なく暴れるに足る広さがあった。

 ターコイズはバックミラーで追跡者の位置を確認。そして一言。

「揺れるよ」


 濡れ鼠は唐突に道の右端ギリギリに車体を寄せると、タイヤから摩擦熱による水蒸気を上げながら急減速した。

 前方から迫る装甲板を避けるべく、サブマシンガンの追跡者はハンドルを切り、濡れ鼠の左側へ。ターコイズはアクセルに切り替え並走。躊躇わずハンドルを左へ。


 体当たりを警戒した追跡者達は速度を落とし、再度後方へ位置取りを狙う。

「……ここ!」

 濡れ鼠がバイクを完全に抜かすその直前、後輪を守っていた装甲板が変形。外側を向き、短く青い火を噴いた。


 元来加速用のスラスター。しかし推力を生むためのエネルギーを持つそれは、ヤワなバイクの車体を壊すのには十分すぎる威力を持っていた。

 より濡れ鼠に近かったサブマシンガンの追跡者のバイクはスラスターの噴射を受け損壊。勢いのまま放り出された乗り手は濡れたアスファルトと衝突した姿を最後に、サイドミラーの奥へ消えた。


 しかし僚機の残骸を紙一重で回避した残りの1台は、今も尚濡れ鼠の後で追跡を続けていた。

 一定の間隔を保ちながら、2台は雨の中を走る。先行する濡れ鼠の加速や減速、蛇行やコーナリングに合わせ、追跡者は慎重にバイクを操作する。付かず離れずの距離で、互いに牽制し合い、機を伺い合っていた。


 追跡者は一度バイクを自律操縦に切り替え、両手を空けた。ショットガンからマガジンを抜き、別のマガジンを装填。拡散せず、重い一撃を入れるためのスラッグ弾。多少の装甲であれば破壊を狙える。

 手袋の上から濡れたグリップを握り直し、スロットルを捻って加速。濡れ鼠のテールランプを目指し、バイクは唸りを上げた。


 耳元を雨混じりの風が打つ。スラッグ弾を込めた銃口は前方を向き、破壊の時を静かに待つ。有効射程が近づき、追跡者が口角をつり上げたその瞬間、濡れ鼠の装甲板が変形し、蒼く光った。


 旋回。発射音。一瞬だけ目が合った青いニヤけ面。そして、爆音。


 爆発を背に、ターコイズは窓から外に乗り出させていた上半身を車内に戻した。濡れた頭を雑に振るって水滴を払うと、愛用のグレネードランチャーを専用のホルダーに戻した。


「ほらボンヤリしない、ちゃんと当たってたか確認しな」

「えっ、あ、はい。バイクも壊れて……動いてない、です」

「よしオッケ」

「いや、無茶ですよあんなの!なんで態々銃の前に出てっちゃうんですか!」

「大丈夫だって、向こうもこんな手取るなんて普通読まないから。開発者の師匠だってそこそこ歳食ってベッドの上で死んだんだ」


 イブリンの監視により行動の変化を確認し、ここいらで勝負をつけるべしと判断したターコイズ。スラスターで車体を1回転させ、その間にタイミングよく迎撃するという曲芸じみた手段を選択していた。

 釈然としない表情のままモニターに視線を戻したイブリンを、ターコイズは心底楽しそうな目で見ていた。


 沿岸の道から近くのインターを目指しルートを選択。濡れ鼠は徐々に内陸へ向け移動を始めた。

「後は届けて終いかな…」

「……!ターコイズさん!」

「痛った!!」

 2名を退け、どこか弛緩した車内の空気を、2人の声が切り裂いた。


 反射的にアクセルを踏まれた濡れ鼠に、脱落した装甲板が1枚、置き去りにされた。

 濡れ鼠に刻まれた、熱を宿した切創。後方に位置づけられた、新手のバイクと、その乗り手が握る赤熱ブレード。 


「やれやれ、結局俺一人か(-_-;)」

 カメラハックを活かした進路の先読みと、カスタムしたバイクによるブレードの収納。手慣れたハッカーであればともかく、初仕事で疲弊気味のイブリンの目はローニンにあっけなく掻い潜られた。


「すみません!気づけませんでした!」

「未熟を承知で連れてきたのはあたしだよ。それに正直あたしも油断してた」

 バックミラーに映る橙赤の光を睨み、ターコイズは眉にしわを寄せた。

「ったく、修理入れたばっかだってのに」


 ローニンは右の義手に力を込め直し、先のラムアタックによる損傷の程度を再確認した。軽微とは言えないが、十分動く。撤退しようものならローニンの傭兵としての矜持が泣く。


 ターコイズとローニンはお互い意図せずミラー越しに視線を交わし、観念したように呟いた。

「「もう一仕事と行こうか」(`・ω・´)ゞ」

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