第11話「The First Step」
雨降る夜のノトリを、雨雲と同じ視点で見下ろすと、摩天楼の灯りとは別に、流れる光粒の網が見える。それは建造物を縫うように作られた高架道路と、それに連なる主要道路を走る車両のヘッドライトの集合体である。光の網は循環し、収束し、拡散し、絶えず動き、しかし概ね同じ模様を維持し続ける。
ノトリ西端付近、「網」の一部から二筋離れた暗い道。青と橙赤がちらちらと光っていた。蒼光放つ改造車と、赤熱する刃の攻防に、ノトリの誰も、碌に関心を寄せてはいなかった。
水溜りを濡れ鼠の後輪が踏み抜いた。跳ね上がった水滴を傾けた笠で弾き、ローニンは顔を上げた。普段表情豊かなディスプレイは黒くのっぺりと沈黙し、ただ濡れ鼠のテールランプだけが反射していた。
右手に持ったブレードを逆手に持ち換える。すると、羽織のような幅広の袖の奥からマニピュレータが現れ、ブレードの保持を担った。そのまま空いた右手で腰に収めた銃を引き抜くと、濡れ鼠へ向けて発砲した。
片手撃ちの得物とは思えぬ、重く響く銃声。生身の腕では耐えかねる反動も、ローニンの鋼製の腕は容易く受け止める。風雨を裂いた大口径弾は、濡れ鼠の装甲板を凹ませた。
「った!やっぱ良い弾使ってやがんな……」
車体からのフィードバックを受け、ターコイズは運転席で毒づいた。車両との直結中、装甲板などへのダメージは痛みに似た感覚でターコイズへ伝達される。ローニンが用いる高価な武装は、ターコイズ本体に幻肢痛にも似た感覚を与えていた。
「あー、大丈夫だって。結局痛いだけ、体のどこも怪我しちゃいないよ」
心配げに口を開きかけたイブリンに、ターコイズは先手を打って端的に説明した。断続的な着弾音と、それに合わせて顔を歪めるターコイズ。舌打ちを1つ。各所の装甲板を駆動し、背面の装甲を厚くした。
寄り集まる装甲板。それを確認したローニンは、ポートに接続したモジュールを起動した。一気に加速するローニンのバイク。ディスプレイに雨粒が打ちつける。銃を納め再び帯刀。赤い残光が夜を裂く。
「急速接近!」
「分かってる!」
背面に寄せた装甲板が一斉に展開。加速と迎撃を兼ねたスラスターの噴射の、その直前。バイクのシートを蹴り、ローニンが跳躍した。
「クソッ、釣られた!」
吐き捨てた後悔、スラスターの点火。時既に遅く、濡れ鼠は加速した。刺客を、その天井に乗せたまま。
銃撃で背面に装甲を寄せさせ、薄くなった天井部の守り。ローニンはブレードを逆手に構え、運転席の上部へ目がけ駆け出した。
待ったをかけるブレーキ音。掬われる足元と身を揺さぶる遠心力。
ローニンの足元で濡れ鼠は身を捩るようにドリフトを開始。バランスを崩したローニンのブレードは、濡れ鼠の後部座の上に顔を出した。
濡れ鼠の上部で突っ伏し、頭を上げたローニン。その眼前、否、周囲ではすでに、スラスターが発射口を開けていた。
スラスターが火を吹くその刹那、ブレードを引き抜きながらローニンは背から路面に身を投げた。接続したモジュールを介し、遠隔で制御したバイクがローニンを受け止める。
水滴の浮くディスプレイを左手で拭い、合成音声は独りごちた。
「仕切り直しだ」
「ったく危ないだろうが……!」
俄に顔を青くしたターコイズが、安堵の溜息とともに吐き捨てた。天井に穿たれた穴からは水滴が落ち、シートに小さな水溜りを作りつつあった。
水溜りの、さらに後方。バックミラーに映るローニンは、バイクをモジュール制御で固定したまま半ば座席で立ち上がった。マニピュレーターにブレードを、空いた両手で銃を。不安定な体勢ながらも銃口をまっすぐに構え、濡れ鼠へ向けて発砲を開始した。
人機一体とでも言うべきその様相を、イブリンはカメラ越しに捉えていた。
「ターコイズさん!」
「何!?」
忙しくハンドルを手繰るターコイズに、イブリンは顔を向けた。僅かな街灯と、ディスプレイの光だけの薄闇の中、紅い瞳が静かに光った。
「提案があります」
2丁の銃を継続的に撃ちながら、ローニンは濡れ鼠を観察していた。付かず、離れず。一定の速度と、一定の距離。このまま行けば、合流地点で待っているであろう相手方の手勢に囲まれかねない。そう判断したローニンが加速の信号を送ろうとしたその瞬間、後頭部を殴りつけられたような衝撃と、脳がざらつく様な感覚に体勢を崩した。
銃を握ったままの手を、反射的に後頭部へ。衝撃の中心点であったポート周辺に破損は無く、痛みもただの錯覚だったのか立ち消えた。しかしざらつく違和感に、ローニンは覚えがあった。
「まさか、いやあり得ない」
しかしその疑念を、新たな違和感が正解だと告げた。バイクからポートを介して伝わっていた感覚が途絶。ディスプレイには見知らぬアイコンとの接続表示。
ローニンが銃を捨てハンドルに手を伸ばしたその瞬間、バイクは急反転、遠心力がローニンを襲った。ハンドルを掴み制御を取り戻そうとするも時既に遅く、今夜走ってきた道を辿り返す。
振り向けば、見る間に遠ざかる濡れ鼠のバックライト。数秒と経たずに、雨の中へ消える。
マニピュレーターに握らせていたブレードを背の鞘に仕舞い、ローニンは曇天を仰いで脱力し、バイクが走るに任せた。
「成る程」
依頼人への報告、顔も知らぬハッカー、そして放ってしまった銃。脳裏に様々な事が浮かぶ中、ローニンは力なく呟いた。
「有線接続にするべきだったか(;´∀`)」
バックミラーの中で遠ざかるローニンを見届け、ターコイズは助手席へ視線を移した。脱力し、眠るように目を閉じたイブリンの手元には、ポートから伸びるケーブルと接続された端末があった。
イブリンの提案は単純明快。ローニンとバイクの間の無線接続の間に割り込み、バイクの制御を乗っ取ること。運び屋がスタンドアロンになり、ハッカーを助手席に乗せることで克服した脆弱性を突くことである。とは言え、そう単純な話でもないことをターコイズは理解していた。
イブリンからの提案を、ターコイズは当初渋面で断ろうとしていた。
「馬鹿言え!ああいうネットワークは大抵セキュリティが……」
そこまで口に出して、ターコイズは思い出した。助手席に座る、初仕事に緊張し、ナビゲートに手間取っていたこの少女と、初めて出会った夜の事を。
「許可をお願いします」
底光りする紅い目が、静かにターコイズを捉える。
「やれんだろうね?」
「私なら」
騒音の中、くっきりと耳に届いたその声に、ターコイズは静かに笑った。その一言で、十分であった。
そして現在。助手席には眠るイブリンと、その膝の上のケース。最早追いすがる影もなく、聞こえるのは濡れ鼠が立てる機械音と雨音だけ。
肺に深く煙を吸い、ゆっくりとターコイズは吐き出した。
「よくやったイブリン」
そう呟くと、濡れ鼠は主要道路への合流を始め、すぐに光の川の中に紛れていった。
小雨降る昼下がり。薄雲の向こうから陽光が滲む。ノトリの南部の一角、無法者の溜まり場TIARAのカウンター席では、若い女が2人、並んで各々料理を待っていた。他愛なく言葉を交わすその背後に、影が1つ近づきつつあった。
ハッキングの代償の眠りから目覚めたイブリンが最初に見たものは、見慣れつつある物品に塗れた部屋と、ソファに腰掛け船を漕ぐターコイズの姿であった。
時計を見れば4時前後。夜明けが近く、外の闇も薄青く成りつつある時間帯であった。
ターコイズの頭が一際大きく下がり、辛うじて残っていたであろう意識が姿勢を持ち直す。正面を向いた半開きの青い目が、ベッドの上に腰掛けたイブリンを捉えた。
「ああ、おはよ。仕事は終わったよ」
普段より幾分気の抜けた口調で言うと、ターコイズは難儀そうにソファから立ち上がり、ベッドへ向けて歩いた。
「荷物は無事、あれ以降の襲撃も無し。報酬も満額入った」
「よかった……」
安堵し息を吐いたイブリンの左側にターコイズは腰掛けた。そして徐に右手でイブリンの頭を掴み、白い髪をくしゃくしゃにした。
「百点だよ。初めてにしちゃ上出来さ」
気怠げな、しかし笑みを含み質量をも伴った確かな称賛。それにイブリンが応えようとしたその時、不意にそれらは止んだ。
ターコイズは崩れるように倒れ込み、脇腹をイブリンの腿の上預けたまま寝息を立て始めた。限界を超えた眠気に屈服した運び屋は、少々奇特な姿勢ながらも穏やかな寝顔を見せた。
想定外の事態に、イブリンは少しの間固まっていた。しかし思い直し、先ほどまで自分にかけられていた毛布をターコイズに掛け直した。
「ここで良ければ、ゆっくり休んでください。本当にありがとうございました」
漏れ出た言葉。部屋の静寂に飲まれる。穏やかな時間と、膝の上に感じる温度の中で、イブリンもいつしか眠っていた。
昼を少し過ぎたくらいの時刻、イブリンは再び目を覚ました。先に起き、ベランダでタバコを燻らせていたターコイズはそれに気づくと火を消して部屋に戻った。挨拶もそこそこに、ターコイズはソファに掛けていたジャケットを羽織った。
「よし、支度しな。TIARAで祝勝会だ」
TIARAへ向かう道すがら、イブリンはターコイズに促されて互助会のサイトにアクセスした。自身のアカウントの通知欄に何かしらの表示。タップして内容を確認した。
「……入金履歴?」
「あったりまえだろ?あんた仕事したんだから」
「でも私ターコイズさんに借金というか……」
「それの状況込みだから確認しなって」
言われるがまま、通知に届いていた明細を上から目を通す。元来分前として受け取るはずだった金額が、様々な用途で引かれていく。目減りしていく金額に、手元に残るものは無いと判断して負債の残高に目を移す。
最初の数字は9なものの、着実に数字は小さくなっていた。画面に映る無機質な数字ではあるが、イブリンにとってはそれ以上の情報が込められたものであった。達成感の中で、イブリンはもう1つの数字を見つけ、眉を顰めた。
「ターコイズさん」
「ん?」
「預金が増えてます」
「当たり前だろ」
「だって負債が……」
「あんなぁ」
呆れたように天井を仰ぎ、ターコイズは続けた。
「あたしはそこまで銭ゲバじゃない」
TIARAの地下駐車場に濡れ鼠を停め、2人は店内へ続く階段を登った。扉を開け、店内へ。初めての時と比べ、ターコイズの後に続くイブリンの足取りは心なし強くなっていた。
ホールを歩くステップの挨拶に応え、2人は以前座ったカウンター席の近くへ。揃って座ると、各々メニュー表を見ながら吟味を始めた。
ナナフシに注文を済ませ、待ち時間。ターコイズは少し様子を伺ってイブリンに話しかけた。
「前のポテト頼んでたけど、気に入ったのかい」
「そう、ですね。なんていうか、思い入れ、じゃないですけど……」
2人が他愛のない話で時間をつぶしていたその時、来客用の出入り口が開き、新しく客が入店した。ターコイズとイブリンは気に留めなかったが、その客は黒いジャケットと青いインナーカラーの後ろ姿を認めると真っすぐに歩を進めた。
「奇遇だなターコイズ(^O^)/」
チープな合成音声に、2人は即座に振り向いた。
「おうローニン。もういいのかい」
「おかげさまで、な(^_^)v」
そしてターコイズの隣に座る、硬い表情をしたイブリンに顔を向け、首を傾げた。
「ターコイズ、昨日の相方はまさか……(・・?」
「そのまさかさ、大したもんだろ」
「驚いたな( ゜д゜ )」
不意に1歩近づいたローニンに、イブリンは反射的に身構えた。
「あー、怖がらないでくれお嬢さん(´・ω・`)」
警戒心をあらわにするイブリンに、ローニンは肩をすくめた。
「もう仕事は終わったんだ、俺が君を襲う道理も恨む道理も無い(^_^)」
そしてイブリンから1席分距離を空け、ローニンもカウンター席に腰を据えた。ナナフシと幾つか言葉を交わした後、ローニンはイブリンへ向き直った。
「改めて自己紹介をさせてくれ。俺はローニン、傭兵だ。一応ターコイズとは知り合いのつもりではあるんだが……(゜_゜)」
「変人だけどアブナイ奴じゃないから安心しな」
ターコイズはイブリンの背を叩き、挨拶を促した。イブリンは未だ体を硬くしつつも、ローニンに頭を下げた。
「イブリンと言います。ターコイズさんのところで、ハッカーの仕事を始めたばっかりです」
「そうか、ターコイズの助手席は大変だろう(^_^;)」
「オイ」
不服気なターコイズの声を無視し、ローニンは続ける。
「次は同じ雇い主の下で仕事できるよう願っておくよ、イブリン(^_-)」
ナナフシのマニピュレーターが、ローニンに向けて皿を差し出す。皿の上に載せられたパウチと、物理メモリ。メモリの外殻と皿が擦れ、硬質な音を立てた。
「流動食と味覚メモリだ。……ごゆっくり」
ローニンはディスプレイに笑顔を浮かべ、メモリをポートに、パウチを喉の摂食口に接続した。
「あんた、やっぱりそれ家でいいだろ」
「いいだろ、俺も偶には外食したい(゜д゜)ウマー」
時を同じくして雨の中、ビニール傘がTIARAの前で立ち止まる。
「ダイナーか。宿から近えし、ここでいいか」
傘の下、傷面の男が呟いて、TIARAのドアを引く。
「あ?」
「「「あ」」」




