9 二人の化け物
月のない静かな夜だった。
何もかもを覆い隠す闇が神殿の輪郭すら曖昧にしている。
「…あんたが外に出たくねぇ理由は分かった」
リンが用意した馬車に司教を案内する。
「分かったという割に、外に連れ出すのかね?」
司教は面白そうに口元を歪ませた。
聖職者としての完璧な仮面は、昼専用のようだ。
「さっさと終わらせてぇ」
「俺たちの休みは今日だけだからね」
私用を明日まで持ち越そうものなら、ここぞとばかりに給料を根こそぎカットされるに決まっている。
心底つまらなそうにリンが鼻を鳴らした。
「つまり、あんたを狙っている刺客を始末できれば、『お出かけ』は問題ないってことだろ?」
「それが可能ならば…、な。」
「あ、見えてきたよ。あれに乗ってもらうね」
神殿の裏門に横付けされたのは、何の変哲もない灰色の箱馬車だった。
ガイが手を貸し、司教を馬車の中へ押し込む。
「君たちは、何から何まで乱暴だな」
丁寧な扱いに慣れている司教ヴァレリウスは乗り心地の悪さに眉を寄せた。
高位貴族を雑に扱うことに慣れているリンとガイが、遠慮することなく鼻で笑う。
「ハゲのエスコートは初めてなもんでな?」
「え、素敵なエスコートがご希望なの?キモイよ?」
「…治安の悪いところにも随分訪れたが、君たちはそれと比べても段違いの逞しさだな」
憎まれ口と可愛げのなさには定評のあるリンとガイは、大げさに驚いた真似をして馬車の扉を閉める。
「そりゃ、あんたが行った『治安の悪いところ』が『お上品なところ』だったんだろうよ」
「俺たち、まあまあ、お行儀いいからね?」
打てば響くような減らず口に司教も思わず苦笑する。
さて、そのまま御者の席にでも乗り込むのかと思われた二人だが、どうやら違うらしい。
リンが上着のポケットから、「光の魔道ペン」を取り出すのが見えた。
「…子ども用の落書きペン?そんなもので何を――」
ヴァレリウスが不思議そうに眺める。
いくら悪ガキに見えても、まさか馬車に落書きするわけでもあるまい。
「やりかねない…」という疑問が一瞬頭をよぎったが、さらりとリンが滑らせた光の軌道を目にして、思わず食い入るように見入る。
「魔道数式か…?それもかなり複雑だ」
司教という立場上、学問には通じていると自負している。
その自分の知識をもってしても、理解が追いつかないほどのスピードで書き上げられていく魔方陣は何を意味しているのか。
「粘着……?」
二重丸で囲まれた魔方陣が構成する魔法を部分的に辛うじて読み取ったが、ペンで書かれただけの魔方陣はそれこそ落書きと大差はない。
「…ガイ、いけるか?」
「オッケー、大丈夫」
魔方陣は、書かれたそばから消えていく。
だが、ガイは迷いなく手をかざした。
「馬鹿な…。あの複雑な図案を記憶して複写したのか?」
魔法の発動条件は単純だと、彼は知っている。
魔力で描いた魔方陣に、発動用の魔力を込めるだけだ。
ただし「魔方陣」は魔導士の中に存在するものであって、意図的に構築するものではない。
これは、明らかに『常識』の外にあるものだ。
「…設計だけで数週間はかかるはずだ。他人の描いた魔方陣の発動など儀式級の代物だぞ」
規格外の出来事に、ヴァレリウスは言葉を失った。
「……カトリーナは、いないのか」
馬車の手配のため「琥珀の雫亭」に向かったカトリーナはこの場にいない。
その事実に、初めて心細さを覚えた。




