8 閑話休題:癒しの往復ビンタ
カトリーナの目の前で、レオンが腹を押さえて膝をついた。
しかし、それもつかの間だ。
すぐに体勢を立て直すと、自分の背中を確認する。
「さすがカトリーナだな。切り傷がもう治ってるぜ」
「あんな致命傷みたいな傷は、『切り傷』なんて言い方しないの」
レオンの背中には、文字通り傷ひとつ残っていない。
だが、足元の血痕は、その存在を否定させてくれない。
「カトリーナが治してくれるから、助かってるよ。まぁ、治療のために殴られなきゃいけないのはキツいけどな」
「嘘つきなさいよ。あたしのパンチなんて蚊に刺されたくらいにしか思ってないくせに」
「さすがに、もうちょっと痛い」
礼を言われるのが恥ずかしくて、いつもの憎まれ口で返すと、レオンは気にした様子もなくおどけてみせた。
――王都の目抜き通りから一本入った静謐な貴族街の入り口にあるアンティークショップ『星屑の天球儀』。
上級貴族の娯楽のための店だ。
しかし、その実態はヴァランシエール侯爵家のエレオノーラが、妹リリアーヌを守るため、私財を投じて設立した非公式精鋭組織――『天球の灯』の拠点である。
その、地下の一室で治療を終えたレオンは、真新しいシャツに腕を通しながらカトリーナに話しかける。
「そういや、路地裏のガキどもを二人、拾ったんだよ」
野良犬を拾ったような言い方だった。
「ギルドに入れたの?」
「エレオノーラ嬢ちゃんのお眼鏡にかなったからな」
設立者のエレオノーラの定めたギルドの加入条件は「実力」と「顔の良さ」である。
「へぇ。じゃあ、かわいい顔をしてるんだろうね?」
「どうだろうな。一昨日ボコボコにしたから、まだ腫れてるんじゃねぇか?」
「何してんのよ」
カトリーナは半目でレオンを睨み付けた。
「まだ、鍛えてぇんだよ。悪いが、そいつらの治療も頼むな」
「いいけど、向こうがどう思うかまでは保証しないからね」
カトリーナは肩をすくめて、レオンが二人を放り込んだという医務室へ向かう。
そして、部屋に入った瞬間、あまりの光景に声を押さえることができなかった。
「わぁーお。ボコボコ過ぎて、可愛いかどうか分かんないわ!」
ベッドにいた二人組の少年が、カトリーナに胡乱な目を向ける。
リンとガイだ。
「うるせぇのが来たな。…あんた、だれ?」
カトリーナがリンの剥き出しの敵意に動じることなど勿論ない。
軽く受け流し、ずかずかとリンの目の前に立った。
そして、ひょいとその鼻をつまむ。
「年上を『あんた』って言わないの」
ぐっ…と、こもった息がリンの口から漏れた。
怪我に響いたのか、そのままベッドに踞る。
「じゃあ、なんていうのさ。『年増のお姉さん』とか?」
すぐさま、生意気な口を聞いてきたのはガイだ。
リンから意識を逸らそうとしている。
カトリーナは二人の暗黙の連携に感心しながら、流れるようにガイの鼻も、ぐっとつまんだ。
「なんで『年増』をつけて良いと思った?」
結果、リンと同じようにガイもベッドに突っ伏す。
「レオンにやられたにしては、まぁ、良い方ね。医師は何だって?」
腕を組み二人を見下ろすと、反抗的な目と沈黙が返された。
「ふぅん?…まぁ、いいわ。一週間、安静ってところでしょ」
適当にあたりをつけ、リンの上半身を起こす。そして…
――ばっちん!!
…乾いた音が部屋に響いた。
「…は?」
思わずリンが右手で頬を押さえる。触れた先が熱を持っているようだった。
呆然とする二人をよそに、カトリーナはそのまま軽快にパンパンとリンの頬を打つ。
「…えええ!?なんで往復ビンタ!?」
ガイの悲鳴が上がった。
その声にリンが我に返る。
「痛ってぇな、てめぇ!何すんだ!!」
胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄ると、カトリーナは目を瞬いた。
「あれ、まだ痛む?」
「…へ? あれ、身体が痛く…ねぇ?」
「…リン、顔の腫れもひいてる」
ガイが目を丸くした。
レオンのせいでちょっと残念な顔になっていたリンの顔が、元通りの綺麗な顔に戻っている。
「治ったんなら良かったわ。さて、次はあんたね」
「お、俺は安静で、いい…かも?」
リンの様子を確認したカトリーナが、にんまりとする。
リンを横目に、ガイは引きつった顔で笑い返す。
ビンタはごめん被りたい。
「遠慮しなくていいわよ?」
しかし良い笑顔で却下され、再び乾いた音が響き渡った。
ひとしきり、打ち据えたあと――
「…なんだ、やっぱりかわいい顔してたんじゃない」
「何なんだよ!この暴力系ヒーラーは!!」
「…ひどい。怪我は治るのに、心が抉られる」
満足そうに目を細めるカトリーナに、リンとガイが口を尖らせる。
「治してもらったんだから、『ありがとう』でしょ?」
「頼んでねぇ」
どうあっても礼など言わなそうな二人に、カトリーナは肩をすくめた。
「まぁ、あんた達みたいなのには、あたしくらい雑なヒーラーの方が気楽でしょうよ?」
「俺らみたいなって、どんなだよ」
「神殿が嫌いそうな子よ」
苦虫を噛み潰したようなリンの顔が、図星だと告げている。
ガイがあからさまに顔をしかめた。
「だって、あそこ気持ち悪いんだもん」
ぶすくれた顔に、年相応の幼さが現れる。
「気持ち悪いって、どこがよ?」
「どいつもこいつも、善人面してて胡散臭せぇ」
あまりの評価に、カトリーナは目を丸くした。
そして、耐えきれずに吹き出す。
「あははは!あそこの治療士は聖女って呼ばれるほどの清らかなお嬢さん達よ?」
「知らねぇよ。他人に無償で施しっていう発想が、もう気持ち悪ぃ」
心底理解できないと、真面目ぶった顔をするのがますます面白い。
笑いの止まらないカトリーナが、目元の涙を指先で拭う。
「これまでの苦労が忍ばれる感想ね」
「泣くほど笑いながら言われても、ムカつくだけだよ」
すっかり不貞腐れたガイが、カトリーナを半目で睨む。
「憐れまれたいの?」
そんなこと、されたくないくせに?
試すようなカトリーナの目が、はっきりとそう言っている。
黙り込む二人の顔を、カトリーナは覗きこんだ。
「どんな連中にも救いの手を!っていうのが今のうちの司教のやり方なのよ。…バカみたいなやり方だとは思うけどね?」
ほんの一瞬、目を伏せる。
「……でも、ああいうのは嫌いじゃないの」
「なんだ、それ。…キモい」
「適材適所!あんた達みたいな好意の受けとり拒否っていう人間には、偽善を押し売りできる治療士がちょうど良いってことよ」
さばさばと言い切るカトリーナには迷いがない。
「全然、意味が分からねぇよ」
「えぇー。善意の押し売りって逆に迷惑だと思うけど」
「細かいこと気にしないの。面倒くさいわね」
全く警戒心を解かないリンとガイなどお構いなしに、カトリーナは適当な椅子に腰を下ろして足を組んだ。
「あたし、そこそこ腕いいのよ?タダで使えるんだから、ありがたく思いなさい」
細められた目が二人をとらえる。
「そうそう。怪我の程度によって、殴る力が変わるから、覚えておきなさい」
リンとガイの顔が、揃ってひきつった。
「こいつ、まさかこれからも来るつもりなのか?」
「うへぇ。怪我を治すのにビンタされるなんて、嫌すぎる」
うんざりする二人にカトリーナは教えてやった。
「骨折くらいまでならビンタで済むけど、ひどい怪我なら腹を抉るパンチだから覚悟しておきなさい」
「なんだ、そりゃ!」
「治したいの?治したくないの!?」
このおかしな治療士の暴力的な手当てが日常になるなんて思いもせずに、リンとガイの悲鳴のような声がギルドに響き渡った。




