第五王女はキャラコンプしたい
第五王女フィフィ殿下から、非公式会談の申し入れがあった。
名目は、王都の混乱を避けるための意見交換。
内容は、第八王女陣営と第五王女陣営の今後について。
場所は、王宮内にある第五王女殿下の私室。
……私室?
「いや、私室?」
俺は思わず声に出していた。
目の前で、使者の持ってきた書状を確認していたハンゾーさんが、静かに頷く。
「そのように記されています」
「普通、会談って応接室とか、謁見用の部屋とか、そういう場所でやるものでは?」
「普通であれば」
「普通じゃないってことですね」
「はい」
やめてほしい。
そんな簡潔に肯定しないでほしい。
俺は深く息を吐いた。
第五王女フィフィ。
第一王女ファスティナ殿下を処刑したと発表し、第二王女セカリナ殿下、第三王女サーシャ殿下と共に新体制を宣言した人物。
そして俺の目から見ると、明らかにマホロバの別ルートをなぞっている可能性が高い人物。
つまり、ほぼ間違いなく同類。
現代日本からの転生者。
もしくは、それに準ずる何か。
正直、会いたくない。
会ったら絶対に面倒なことになる。
しかし、拒否するわけにもいかなかった。
非公式とはいえ、第五王女側から第八王女陣営に投げられた交渉の場だ。
ここで拒否すれば、第八陣営は王都の混乱を望んでいる、と宣伝されかねない。
「私も同行いたします」
レイアが当然のように言った。
だが、ハンゾーさんが首を横に振る。
「招かれているのは、コーメイ様お一人です」
「危険です」
「危険でしょう」
「では」
「だからこそ、こちらも人を潜ませます」
ハンゾーさんは、表情ひとつ変えずに言った。
この人が言うと、本当にもう潜んでいそうで怖い。
壁とか天井とか、俺の影とかに。
「コーメイ殿」
エイテ殿下が俺を見上げた。
小さな体で、椅子にちょこんと座っている。
しかし、その目は真剣そのものだった。
「危うい会談であることは分かっておる。じゃが、第五王女が何を考えておるのか、知る機会でもある」
「ですよね……」
「無理はするでない。命が最優先じゃ」
「そこは全力で守ります」
俺は即答した。
命。
最優先。
この世界に来てから俺が唯一、継続して大事にしている方針である。
しかし、エイテ殿下は小さく笑った。
「それと、怒りに呑まれるでないぞ」
「怒り?」
「コーメイ殿は、自分のことではあまり怒らぬ。じゃが、他人のこととなると妙に頑固になる」
「そんなことあります?」
「あるのじゃ」
エイテ殿下は断言した。
レイアも頷いた。
フォス殿下まで、紅茶を傾けながら微笑んでいる。
やめてほしい。
俺を俺より理解しているみたいな顔をしないでほしい。
俺はただの小心者である。
怒るより逃げたいタイプである。
そのはずである。
◇
第五王女フィフィ殿下の私室は、甘い香の匂いがした。
香木か、花か。
よく分からない。
ただ、少し濃すぎる。
廊下を歩いていた時点で、すでに鼻の奥にまとわりつくような匂いだった。
案内役の侍女が扉を開ける。
「第五王女殿下。コーメイ様をお連れしました」
「通して」
中から、楽しそうな声が返ってきた。
侍女が一礼して下がる。
俺は一歩、部屋の中へ入った。
そして、すぐに後悔した。
部屋は広い。
調度品は豪奢で、壁には精緻な織物が掛けられている。
窓辺には色とりどりの花。
床には柔らかそうな絨毯。
王女の私室という言葉にふさわしい、贅を尽くした空間だった。
だが、問題はそこではない。
部屋の奥に、天蓋付きの大きな寝台があった。
その上に、二人の女性が横たわっている。
一人は、淡い金髪を乱し、薄い寝衣を肩から落としかけたまま、ぼんやりと天蓋を見上げていた。
もう一人は、長い黒髪を汗ばんだ頬に貼りつかせ、シーツに半ば埋もれるようにして目を閉じている。
第二王女セカリナ殿下。
第三王女サーシャ殿下。
そのはずだ。
絵姿で見たことがある。
だが、今の二人は、王女というより、飾られた人形のようだった。
俺は反射的に視線を逸らした。
「やだ。見てもいいのに」
部屋の中央、低い椅子に腰掛けていた少女が笑った。
第五王女フィフィ殿下。
小柄で、可愛らしい顔立ち。
ふわりとした髪。
大きな瞳。
表情だけなら、無邪気な妹姫といった雰囲気だ。
だが、その声には、妙な湿度があった。
「減るものじゃないでしょ?」
「……会談と聞いて来たのですが」
「うん。会談だよ?」
フィフィ殿下は、悪びれもせずに首を傾げた。
「だから、私の部屋に呼んだの。人払いもしやすいし、邪魔が入らないし。ほら、セカリナお姉様も、サーシャお姉様も静かでしょ?」
そう言って、寝台の方を見る。
第二王女セカリナ殿下は、フィフィ殿下の声にだけ反応するように、ゆっくりと瞬きをした。
第三王女サーシャ殿下は、目を閉じたまま動かない。
生きてはいる。
呼吸もしている。
だが、まともに会話できる状態には見えない。
俺の背筋に、嫌な汗が浮かんだ。
「……お二人は、体調が優れないのですか」
「ううん。元気だよ。ちょっと疲れてるだけ」
「疲れている?」
「頑張ってくれたから」
フィフィ殿下は笑った。
その笑顔が、ひどく薄っぺらい。
「二人とも、今は私の大事な子たちなの」
子たち。
その言い方に、俺は言葉を失った。
姉ではない。
同盟相手でもない。
王位継承を共にする同志でもない。
子たち。
所有物を愛でるような声だった。
「座りなよ、コーメイ」
フィフィ殿下は、向かいの椅子を指した。
殿下も様もない。
いきなり呼び捨て。
俺は一瞬迷ったが、座った。
逃げるにはまだ早い。
情報が要る。
この会談で、何かを掴まなければならない。
「まずは、こちらの要件を伺っても?」
「あは。固いねえ」
フィフィ殿下は笑う。
「もっと気楽でいいよ。同じプレイヤー同士なんだから」
心臓が、一拍遅れた。
同じ。
プレイヤー。
こいつ。
今、確かに言った。
「……どういう意味ですか?」
俺は、できるだけ表情を動かさずに返した。
フィフィ殿下は、楽しそうに目を細める。
「とぼけるんだ?」
「何の話か分かりません」
「うわ、慎重。まあ、そうだよね。私も最初は言わなかったし」
フィフィ殿下は足を組み替えた。
その仕草だけ見れば、ただの可愛らしい王女だ。
だが、口から出る言葉は違った。
「でもさ、第八王女が生きてる時点で、もう正規ルートじゃないじゃん」
確定。
俺は内心で呟いた。
こいつは、マホロバを知っている。
しかも、エイテ殿下が本来死ぬことも知っている。
「レイアが第八に残ってる。フォスお姉様までそっちに行ってる。ゼンニーン商会も、双子も。さすがに偶然は無理でしょ」
「……」
「軍師ルート? それとも、縛りプレイ?」
フィフィ殿下は、子どもが秘密を見つけたように笑った。
口の中が乾く。
同じゲームを知っている相手。
同じ攻略情報を持っている相手。
しかも、倫理観がだいぶ壊れている相手。
最悪だ。
対人戦なんて聞いていない。
俺はソロで攻略したい派なのだ。
「話を戻しましょう」
俺は言った。
「第五王女殿下が、私をここに呼んだ理由は?」
「取引」
「取引?」
「うん。そっち、結構いいキャラ集めてるでしょ?」
キャラ。
その言葉に、俺は眉をひそめる。
フィフィ殿下は、そんな俺の反応など気にしない。
「フォスお姉様とレイアをちょうだい」
「……はい?」
思わず間抜けな声が出た。
ちょうだい?
今、何を?
「だから、フォスお姉様とレイア」
フィフィ殿下は、指を二本立てた。
「その二人、私のお気に入りだったの。特にフォスお姉様は絶対欲しかった。頭いいし、美人だし、刺さる人にはめちゃくちゃ刺さるでしょ。レイアもいいよね。忠義の女騎士。性能も高いし、見た目も王道」
性能。
見た目。
お気に入り。
言葉のひとつひとつが、気持ち悪いほど軽い。
「二人は物ではありません」
「分かってるよ。人でしょ? だからいいんじゃない」
フィフィ殿下は、きょとんとした顔で言った。
本当に分かっていない。
いや、違う。
分かった上で、そう扱っている。
「私、好きなキャラは手元に置きたいの。見ていたいし、触りたいし、私のために笑ってほしいし、私以外を見ないでほしい」
「……それを、取引だと?」
「うん」
フィフィ殿下は頷いた。
「代わりに、そっちの第八王女はしばらく見逃してあげる」
「エイテ殿下を?」
「うん。あの子は別にいいや。私のリストにいなかったし」
その瞬間、俺の中で何かが冷えた。
エイテ殿下は、フィフィにとってはリスト外。
本来、オープニング前に死ぬはずだったキャラ。
攻略対象でも、主要戦力でも、推しでもない。
だから興味が薄い。
逆に、フォス殿下やレイアには執着する。
この女は、人を見ていない。
キャラを見ている。
「第八は、あなたが勝手に拾ったイベント外キャラでしょ? それは好きにしていいよ」
「イベント外……」
「あ、怒った?」
フィフィ殿下は嬉しそうだった。
こちらの感情の揺れを楽しんでいる。
「でも変じゃない? あなたもそうやって取ったんでしょ。フォスお姉様もレイアも」
「取ったわけではありません」
「じゃあ、落とした?」
「そういう話でもない」
「うわ、めんどくさ」
フィフィ殿下は椅子の背にもたれた。
そして、ひどく自然な調子で言った。
「ねえ、あんた童貞?」
「……は?」
あまりにも唐突すぎて、反応が遅れた。
フィフィ殿下は、にやにやと笑っている。
「だって、変なところで真面目なんだもん。そういう反応、童貞っぽいなって」
「会談中にする話ではないと思いますが」
「別にいいじゃん。人払いしてるし」
「よくありません」
「じゃあ、こうしよ」
フィフィ殿下は、俺を指差した。
「先に手をつけてもいいよ」
何を言っているのか、一瞬分からなかった。
「フォスお姉様とレイア。あなたが先に抱きたいなら、それでもいい。私、そういうの気にしないから」
喉の奥が、熱くなった。
怒りだと、少し遅れて気づいた。
「終わったらちょうだい。私、キャラコンプしたいのよね」
「……ふざけるな」
声が低くなった。
自分でも驚くほど低かった。
フィフィ殿下は、笑顔のまま目を瞬かせる。
「何?」
「フォス殿下も、レイアも、あなたのものではない」
「あなたのものでもないでしょ?」
「そうだ」
俺は立ち上がった。
膝が少し震えていた。
怖いからではない。
いや、怖くもある。
この女は危険だ。
王女で、権力を持っていて、ゲーム知識も持っていて、倫理観が壊れている。
怖くないわけがない。
だが、それ以上に腹が立っていた。
「あの人たちは、俺のものじゃない。だから、あなたに渡すとか渡さないとか、そういう話じゃない」
「へえ」
「本人たちの意思を無視して、くれだの、終わったらちょうだいだの、そんな言い方をするな」
部屋が静かになった。
寝台の上の第二王女が、かすかにこちらを見た気がした。
第三王女は動かない。
フィフィ殿下だけが、楽しそうに笑っている。
「あは」
小さく。
そして、次の瞬間には声を上げて笑った。
「あははははっ。何それ。ほんとに童貞じゃん」
「……」
「正義感? 仲間意識? それとも、キャラに感情移入しちゃった?」
フィフィ殿下は立ち上がった。
小柄な体。
可愛らしい顔。
けれど、目だけが底なしに濁っている。
「でもさ、コーメイ。ここ、ゲームの世界だよ?」
俺は答えなかった。
答えてはいけない。
認めてはいけない。
「好きなキャラを集めて、好きなルートを見て、好きなエンディングを取る。そういう場所でしょ?」
違う。
そう言いたかった。
ここはゲームじゃない。
そう言えれば、どれほど楽か。
だが、俺だって最初は同じだった。
ゼンニーン商会を、ゲームで伸びる商会として見た。
レイアを、強キャラとして見た。
フォス殿下を、攻略上重要な王女として見た。
エイテ殿下でさえ、最初は死亡フラグを持つ第八王女だった。
俺にフィフィを責める資格があるのか。
一瞬、そんな考えがよぎる。
だが。
違う。
俺は少なくとも、彼女たちを譲渡可能なキャラだとは思っていない。
俺のものだとも思っていない。
思いたくない。
「会談は終わりです」
俺は言った。
「第八王女陣営は、フォス殿下もレイアも引き渡しません。もちろん、エイテ殿下をあなたの救済ごっこの駒にするつもりもない」
「ごっこ?」
フィフィ殿下の笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
「救済ごっこって言った?」
「言いました」
言ってしまった。
やばい。
でも、もう遅い。
フィフィ殿下は、ゆっくりと笑みを深くした。
「ふうん」
その声から、甘さが消えた。
「じゃあ、いいや。交渉決裂ね」
「はい」
「でも覚えておいて。私は諦めないよ」
フィフィ殿下は、寝台の方へ視線を向けた。
「欲しいものは、ちゃんと集めるタイプだから」
その言葉を背に、俺は部屋を出た。
扉が閉まる直前、フィフィ殿下の声が聞こえた。
「またね、コーメイ。次はもう少し、遊べる話をしようね」




