調虎離山の計
(捕まった。
金獅子ナルキスが。
第八に。
王宮で――戦って。
そんな話が、まだ耳の奥で燃えている)
セブは馬車の窓から、郊外の闇を睨んだ。
街灯の届かない道は、闇が濃い。
濃いくせに、噂だけはよく届く。
「着く。……いい? 生け捕りよ。殺すな」
家臣たちが短く頷く。
血を望んでいる。
でも、血で勝っても意味がない。
姉さまのために。
母さまのために。
そして――私のために。
ここで汚れたら、たぶん、もう戻れない。
屋敷は、思ったより“普通”だった。
手入れされた庭。
消えかけの灯。
人気のない門。
――普通すぎて、嫌だった。
普通の顔をして、罠を張る。
第八はそういうことをやる。
「突入!」
セブが合図を出す。
扉が破られ、兵がなだれ込む。
……静か。
いや、静かすぎる。
次の瞬間。
床が鳴った。
「っ!?」
足元から、細いワイヤーが跳ね上がる。
膝。
足首。
手首。
絡みつく。
「罠だ!」
誰かが叫ぶ。
もう遅い。
天井の梁から落ちてきたのは、縄網。
重い。
逃げ道を塞ぐ。
――それでも。
こちらも、最初から罠は覚悟していた。
「引くな! 前へ!」
セブが叫ぶ。
だが。
「動くな」
冷たい声。
廊下の奥、影から出てきたのはレイアだった。
剣は抜かない。
だが、鞘を持っている。
その周りに、エイテ軍の兵。
数が違う。
配置が違う。
最初から、ここに“置かれていた”。
――罠の上に、罠。
セブは歯を噛んだ。
「レイア……! 第八の犬め!」
「犬で結構」
レイアは淡々と告げる。
「姫様の命で、お前たちを捕縛する。怪我はさせない。抵抗するなら――眠らせる」
眠らせる。
つまり。
殺さない。
……それが、逆に腹立たしい。
余裕の証拠だから。
家臣が斬りかかろうとした。
レイアの鞘が一閃。
肩口を打たれ、家臣が崩れる。
血は出ない。
でも動けない。
「っ……!」
セブの怒りが、喉までせり上がる。
「ナルキスはどこ!?」
セブが叫ぶ。
答えはない。
ただ、兵たちが無言で包囲を狭める。
一人ずつ。
手首に縄。
膝の裏に棍。
急所を外した打撃。
――死傷者なし。
――でも。
完敗。
「……くそ」
セブは拳を握り潰す。
怒りで熱いのに、背中だけが冷たい。
---
奥の部屋。
扉を開けた瞬間、セブは言葉を失った。
茶の匂い。
湯気。
笑い声。
……笑い声?
テーブルにはカップが並び。
焼き菓子まである。
その向こうに、ナルキスがいた。
手錠もない。
傷もない。
むしろ。
「――甘い。これは甘すぎる」
ナルキスが真顔で言っていた。
その隣に、コーメイ。
さらに、エイテとハンゾー。
そして。
盤上には、駒。
「……ボードゲーム?」
セブの声が、間抜けに聞こえた。
コーメイが淡々と答える。
「はい。待ち時間って、暇じゃないですか」
「待ち時間!?」
セブのこめかみがぴくぴくした。
「私たちが罠にかかって捕まってる間が、待ち時間!?」
エイテがカップを傾けた。
「そう騒ぐな。茶でも飲め。毒は入っておらぬ」
「信用できるわけ……!」
ハンゾーが無言で、焼き菓子を一枚、皿に乗せて差し出す。
その動きが丁寧すぎて、逆に腹が立つ。
ナルキスが手をひらひら振る。
「やあセブ殿下。元気? あ、こっちは大丈夫。見ての通り」
「見ての通りじゃない!」
セブは一歩踏み出しかけ――兵に止められる。
止められた腕が、情けない。
セブは歯を剥いた。
「ナルキス! 本当に捕まってたの!? 報告が飛び交って、王宮で捕り物があったって……!」
「捕まったよ」
ナルキスはさらりと言う。
「ちゃんと戦って、ちゃんと負けた。……負けるって、案外、気持ちいいね」
「気持ちよくない!」
コーメイが盤面を指でとん、と叩く。
「殿下、ここ。あなたの駒、進めます」
「やらないわよ!?」
「では、見学でもどうぞ」
コーメイは平然としている。
平然としすぎて、毒気が抜ける。
違う。
抜かれる。
セブは、怒りの行き場を失いかけた。
ここにあるのは、捕虜と勝者の空気じゃない。
……茶会だ。
エイテが、盤の上の駒をひょい、と動かした。
「ふむ。ここに置くと、そなたの補給線が切れる」
ナルキスがうなった。
「……エイテ様、性格悪くない? いや、褒め言葉だけど」
「褒め言葉として受け取っておく」
ハンゾーは無言。
ただ、盤面の端に小さな駒を置いて、コーメイの駒だけを露骨に守っている。
「……ハンゾー、あんたコーメイ贔屓すぎない!?」
セブが思わず突っ込むと、ハンゾーは一度だけ頷いた。
頷くな。
---
セブは、椅子を乱暴に引いて座った。
座らされた、が正しい。
「……で」
セブはカップに手を伸ばさないまま言った。
「何が目的。私を笑いものにして終わり?」
コーメイが溜息をつく。
「笑いものにするなら、もっとちゃんと準備します」
「準備!?」
「本題に入ります」
コーメイは、急に声の温度を落とした。
盤面の駒はそのまま。
だが、空気だけが変わる。
「第六王女と第八王女の会談が必要です。あなたが動かないと、実現しません」
セブは目を細めた。
「……どうして私」
「第六――シークは、あなたの言葉なら届きやすい」
「馬鹿にしてる?」
「してません。事実です」
コーメイは即答した。
「あなたたちの陣営の要はシーク様の判断力”だ。ですが彼女は内向きで、引きこもりがちだ。
会談の場に引きずり出すのは、理屈だけじゃ無理です」
「……」
「あなたは活発で、衝動的で、言葉が先に出る」
セブの眉が吊り上がる。
「でも、そのぶん――シークを尊重してる。守ろうとする。守られてるとも思ってる」
コーメイが淡々と続ける。
「その“互いの呼吸”を知ってるのが、あなたです」
「手紙一枚で世界を揺らせる、と言ったのはそこ。シークを動かせるのは、あなたの言葉だけだ」
「……っ」
怒鳴り返す言葉が、出ない。
当たっているから。
セブは唇を噛んだ。
「母さまの病を盾にする気?」
コーメイが首を振る。
「盾じゃない。……原因です」
空気が、さらに冷える。
セブの胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
「治療法」
セブが言う。
声が、さっきより少しだけ低い。
「エイテが持ってるって、噂は……」
「噂じゃない可能性がある」
コーメイは言った。
「だから会談が要る。シークを引っ張り出す。そのためにあなたが要る」
セブは、目を逸らした。
「会う理由がないって言うとおもう」
「なら、理由を作る」
コーメイは言った。
「あなたが、“第八が持つ可能性”を渡す」
「私が言っても……」
ナルキスが、ふっと笑った。
「セブ。シーク様は、あなたが思うより、あなたのことを見てるよ」
「……見てない」
「見てる。見てるからこそ、あなたの言葉なら届く」
ナルキスはさらりと言った。
その言葉が、針みたいに刺さる。
セブは拳を握った。
「……私が手紙を書いたら、ナルキスはどうなるの」
コーメイが答える。
「まあ、もっといじめてもいいんですが、この会談の目的はあなたたちを仲間にすることです」
「仲間?」
「そう。そのいずれ仲間になるチームの最大戦力を削ることはしません」
コーメイは淡々と言う。
「あなたたちの目的は母君のご病気を治すことだ。女王になることじゃない。
だったら、交渉の余地はあるんじゃないですか?」
セブの喉が鳴った。
(なんでこんなにもこちらの内情を知っているの、戦う前から負けていた?)
「……私は」
セブは言いかけて、言葉を噛んだ。
(負けられない)
(姉さまのために)
(母さまのために)
でも。
セブは、息を吸った。
「分かった。手紙を書く」
コーメイが小さく頷いた。
「助かります」
「ただし」
セブは睨む。
「私の言葉で書く。あなたの台本じゃない」
「もちろん」
エイテが満足そうに頷いた。
「よい。では茶を飲め。今度こそ毒は入っておらぬ」
「今度こそって何よ!」
ハンゾーが無言で、インクと紙を机に置いた。
いつ準備した。
ナルキスが、盤上の駒をつまんで言った。
「じゃ、手紙書いてる間にさ。続きやろう。……セブ殿下も参加する?」
「するわけないでしょ!」
――言いながら。
セブの視線は、盤の上の駒を一瞬だけ追ってしまった。
悔しい。
そしてそれが、少しだけ、救いだった。




