罠
(戦力が増えるのは、怖い。
だが――増え方が“正しい”のは、もっと怖い)
その日、王宮の廊下はやけに慌ただしかった。
「レイア隊より、第三のアーティファクト到着!」
「ゼンニーン商会より、新規交易路の報告書だ!」
紙と木箱と、金の匂い。
兵の靴音と、武器の擦れる音。
弱小だったはずの第八王女陣営が、目に見えて“太って”いく。
(やめてくれ。太るな。太るほど、俺が逃げられなくなる)
俺が胃を押さえていると、執務室の隅でエイテ様が涼しい顔で言った。
「コーメイ。おぬし、顔色が死んでおるぞ」
「元からです」
「元からか。なら問題ないの」
問題しかない。
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同じ頃。
金獅子ナルキスは、王都の裏路地を歩いていた。
表の顔は、セブ殿下の寵愛を受ける冒険者。
裏の顔は、第八の軍師に接触した男。
――二重スパイ。
「めんどくさい仕事だな」
口ではそう言いながら、ナルキスは笑っていた。
こういう綱渡りは、嫌いじゃない。
(第八は弱い? 違う。弱かったのに、伸びてる)
(ダンジョンと交易。どっちも“現場”が動いてる。
あの軍師は、机上の策で終わらせない)
(勝つ側に賭ける? 違う)
(“負けても死なない側”に賭けるんだ)
セブが勝てるなら、それが一番いい。
だがセブは短気だ。
政治も戦も、負けは許されないと思っている。
――なら。
負けても終わらない形を、用意してやる。
セブには内緒で。
ナルキスはこう見えて好意には冷たいが、義理には篤い変な矜持を持っているのだった。
ナルキスはそのまま、王宮の敢えて目立つ通路へと足を向けるのだった。
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「……いたぞ」
ハンゾーの声が低く響く。
中庭。
巡回の兵。
そして、柱の影から現れた金髪の男。
「ナルキス」
俺が名前を呼ぶ。
ナルキスは一瞬だけ、俺の目を見た。
――目が合った。
(合図、了解)
そう言ってる気がした。
「おや。随分と物々しい歓迎だね」
ナルキスは肩をすくめた。
余裕。
いつもの顔。
――だが。
その余裕が、ほんの一拍、遅れて“作り物”になる。
周りに兵。
通路の先に、荷運びの下働き。
衆目がある。
だからこそ。
こいつは、ここで俺たちの腕を測る。
「王女に取り入る席は用意してくれるんだろ?」
(くっそ顔整っているなこいつ。腹立ってきた)
俺が口を開くより早く、レイアが前に出た。
「ナルキス。動くな」
「怖いな。斬るの?」
「斬らない。ここは王宮だ。血は流させない」
レイアは剣に手をかけるが、抜かない。
ハンゾーも同じだ。
――抜かない代わりに、間合いだけは殺す。
ナルキスは、にやりと笑った。
「なるほど。ちゃんと“見られてる場所”でやるんだ」
次の瞬間。
ナルキスの足が、滑るように前へ出た。
速い。
剣じゃない。
掌底。
狙いはレイアの喉――いや、寸で止まる。
「っ……!」
レイアが首を引く。
代わりに、肩で受けた。
布がはためき、鎧が鳴る。
痛いはずなのに、レイアは顔色ひとつ変えない。
「死なない程度、か」
ナルキスが楽しそうに呟く。
(こいつ……殺す気はない。でも、倒す気はある)
ハンゾーが低く動いた。
床を蹴る音すら薄い。
次の瞬間、ナルキスの足首に縄が絡む。
いつの間に。
「……罠か」
ナルキスが笑う。
笑いながら、縄を踏みつけ、引きちぎる。
力が、化け物。
そのまま、柱を蹴って跳んだ。
空中で体を捻り、レイアの背後へ――。
「そこまでだ!」
俺が叫ぶ。
同時に、レイアが一歩だけ前へ踏み込む。
剣は抜かない。
だが、鞘で。
鞘の先がナルキスの鳩尾に突き刺さる。
呼吸が、詰まる。
「……っ、はは」
笑いが漏れる。
――止まった。
止めた。
殺さずに。
ハンゾーが背後から、今度は関節を狙って絡め取る。
手首。
肘。
肩。
一つずつ、逃げ道を消していく。
「君たち、僕を捕まえてどうする?」
ナルキスは息を整えながら言った。
まだ余裕。
だが、瞳だけは真剣に俺たちを測っている。
「餌にする」
俺が言う。
ナルキスの口角が、ほんの少し上がった。
「なるほど。僕は餌か」
その返事が、あまりにも軽い。
(……合格、って顔だな。くそったれ)
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その夜。
私の隠れ家に、報せが飛び込んだ。
『ナルキス様、第八に捕縛』
『王宮内で捕り物があったそうです。目撃が多い』
『第八は情報を封じていますが――ナルキス様は戦って、捕まったと』
「は?」
顔から血の気が引く。
次の瞬間、怒りが燃え上がった。
「なによそれ! 誰がやったの! エイテ!? コーメイ!?」
机を叩く。
声が震える。
「ナルキスは……私の……」
そこまで言って、唇を噛んだ。
恋は弱点だ。王女だろうと。
その弱点を、ナルキスは教えてくれていた。
でも私は弱点を克服できていない。
だからこそ。
――捕まった。
私を引っ張り出すために。
私は立ち上がった。
「行くわ。今すぐよ」
家臣が止める。
だが止まらない。
「姉さまのために……母さまのために……私は、負けられないの!」
その言葉は強い。
――でも。
胸の奥に、小さな棘みたいな違和感が残った。
ナルキスが、あんなふうに捕まる?
あの人が?
……考えるな。
今は、取り返す。それだけ。
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時は少し前。
王宮の外れ、誰も使わない物置の陰で。
ナルキスは、俺にだけ届くような声で言った。
「軍師。提案がある」
「……何だよ」
「僕を捕まえろ」
一瞬、頭が真っ白になった。
「は?」
「捕まったという“形”が必要だ。殿下――セブは、僕が絡むと必ず出てくる」
ナルキスは、軽い口調で続ける。
だが目だけは、笑っていなかった。
「殿下は第八を舐めている。だからこそ、餌に食いつく。君はそれを待てばいい」
「……お前、命が惜しくないのか」
「惜しいよ」
ナルキスは肩をすくめた。
「だから“殺さないで捕まえる”んだろ? 君のところの騎士なら出来る」
(こいつ、俺の胃を抉るのが上手い)
「捕まった後は?」
「僕は大人しくしてる。君は“餌にする”と言えばいい。殿下は怒る。怒った殿下は――出てくる」
「……分かった。お前、案外泥臭いこともやるんだな。見直した。」
「僕に惚れたかい?悪い気はしないが、僕は女の子ほうが好きでね」
「うるさいぞ。手が滑って殺すかもしれん」
「ははは、ちょっとした冗談だよ。僕は君にベットするんだ。うまくやってくれよ軍師様」
ナルキスは、ほんの少しだけ口角を上げた。




