83話 月盈即虧
白皙の空間に紛れるように光が反射する。実態のある光は宮殿を破壊し、標的を狙う。アグネスが祈ると、証拠魔法陣が浮かび上がり、目が眩むほど発光し、術式が回転する。魔法陣を媒介に奇跡の御業が実体化し、それは光へと姿を変え、猛烈な攻撃として全方位に飛散する。反射するほど輝きは増して、速度は亜光速に達し、視界情報が意味をなさない。亜光速の光は、閃光となりて、耽美な空間を跳弾し尽くす。閃光の猛烈な攻撃を前に、全身を竜の鱗で覆いつくし、獣の装甲で跳ね返す杠だが、鱗にも強度がある。堅牢な鎧でも質量攻撃を長いこと浴び続けていれば、古び、崩れる。だが、杠は防御に徹することしかできないのだ。原理のない解読・解析不明な技術で創造されたアグネスの領域では、如何なる能力の影響が無力化するのだ。
(竜名自体の行使は可能。だが、使った瞬間、無かったことにされる。ただし、身体能力が低下するわけではない。異能力に頼る人間が閉じ込められたならば、絶望したじゃろうが、相手が悪かったのう…)
杠は覚悟を決めた。防御の構えを解除し、一歩踏み出す。彼女の椎骨がぼぎぼぎっとあらぬ音を立て、次の瞬間には巨大な翼を出した。ひとたび仰ぐと、光の閃光は風に掻き消されて流星雨のような猛攻が途絶えた。奇跡以外無効化される空間で、杠の行動が影響を与えた。
「!」
予期しない支配領域での行動にアグネスが思わず祈りを止めた。
「妾の存在自体を奇跡の産物であると結論付けた貴様に、妾は相性が悪いじゃろうなあ。無論、妾が原始状態に近ければ…」
聖女に影が落ちる。鋼鉄の如く硬く、太陽のように輝き、死神の如く殺意だらけの、翼を羽ばたかせる。竜の鱗が針鼠のように剥き出しになり、地面に叩きつけられる。散乱する宮殿の大理石に突き刺さる鱗の断片。異なる瞳同士が合わさる。杠とアグネスが互いを凝視する。実体化した光を集め、盾を作り、受け止めた。奇跡の御業を鱗が反射する。
「対応したか」
「対、応なんて…していないわ。光を退け、たのは偶然。で、ででも、今のは意図した、から…」
「奇抜の一言に尽きる…貴様のように」
「よく動く口ね。その、老朽を取り繕う翼…毟って、二度と飛べなくしてあげる」
白皙の空間に気体となった光が蔓延る。連なる古代の言語が陣を作る。奇跡空間に付与された証拠魔法陣ではなく、アグネスがたった今完成させた魔法陣。そして、奇跡の御業。「鴇騙る霊異―理想郷、既に朽ちて。全宇宙の英知絶やさず、光は三分野を知る」
時計の針のように尖り、羽枝の装飾が施された棒状の光が天井を覆う。ぎらぎらと五月蠅く反射する光の量に圧倒される。アグネスの象徴的な真紅の瞳に、金色の魔術陣が描かれた。彼女が大きく目を見開き、その眼光を竜に向けた。直後、降る光。悪意を持った雨に打たれているように、杠の頭上を的にして、いや、そんなことは関係ない。ただ、目の前にいる邪魔な存在を黙認して、肉体の部位などお構いなしにくし刺しにしようとする光の雨。光は鋭く、翼で全身を防御する杠の鉄鋼を貫く。魔力と呼ぶのだろうか、アグネスの持つ仮想物質が極限まで圧縮された時針の光は雨を通り越し、流れ星のように降り注ぐ。人類や神々が天体が見せてくれる奇跡の自然の光景だと信じる流れ星の中を、竜は耐え凌ぎ、惑星の持つ偉大な星エネルギーを受け止め、跪くことを拒む。
バチバチ、ばきり、ばき…パチン、ぐざっ。
似通った音が鳴る。光が翼を貫通する音と、肉体を抉る鈍い音、鱗を反射する音。防御に徹するにしても、防壁の一部が毟られている。穴の開いた箇所から小さき光が降って、杠を痛めつける。それは一分、五分、十分と時間が進むにつれ、過激化する。竜を討伐するまで続く聖女の奇跡。
「許しを請えば…胸を一突き、するわ…」
手を合わせ、流れ星を仰ぐアグネスは一方的に話す。煮え切らない終わり方を嫌っているのか。煮え切らない終わり方は甚振って殺すやり方みたいだ。戦場では珍しくもない。人並外れた感覚を持つアグネスでも、偽善は持ち合わせているようだ。
「このままじゃ、四肢も残らない…はず」
容赦をかけているのに、アグネスは時針の光に熱を付与した。僅かでも光が触れた箇所から熱が内部に伝達され、骨が火傷する感傷が襲う。杠は眉一つ動かさないが、それは想像を絶する痛みだ。聖女からの警告だ。
「あの御方に子孫神を献上するため、今と同じように殺したかしらね…命乞いをするように、、、したの」
肉が焼ける音に近い戦闘音が響くが、食欲はそそらない。食えても、筋肉質で脂の落ちた肉は万人受けしない。
「苦しまず死なせてあげる、神の慈悲で献上した……あの御方は地上宇宙に、降臨なさる…竜を献上すれば」
アグネスは頬を赤らめ、ここにはいない神を羨望する。杠が黙っていることをいいことに、夢の世界に没頭する。逆転劇に期待もしない。一方的な嬲りで手も足も出ない竜に奇跡は起こらないと、歴戦の経験で味わった結末が不変であることを信じ、今もその結末に至ることを知っている。
「無駄に生きて、視野が狭まったようじゃ」
妄想に浸る聖女を現実に戻す竜の発言。アグネスは苛立つ。悪足掻きだと判断するも、この怒りを抑えきれないアグネスは光の硬度を引き上げた。確実に屠ってやるという意気込みが恐ろしい。
「光に紛れて聞こえておらぬようじゃ」
「なんのこと…?」
杠の言葉に、この状況を疑い始めた。確かに古来の竜を相手にしているというのに、ここまで一方的な状況に陥っているのはおかしい。仕組まれでもしない限りは、決してありえないことだ。
アグネスは耳を傾けた。耽美な空間、白皙を染める金色の光。鐘の音が鳴り響き、聴き続ければ精神を崩壊させる音。それだけだ。奇跡だけ。奇跡だけしかありえないと信じるアグネスには聞こえない。
「どちらが老耄したか貴様も理解できる」
竜の瞳孔が揺れる。戦慄するアグネスは耳を傾けつつも、目の前の逆賊の動向を見張る。手を合わせ続け、早く速く殺そうと祈りを強めた。流れ星はもう絵空事の奇跡とはかけ離れ、殺戮の道具と化すほどの猛攻で、光は降り注ぐ。響く音は次第に膨張し、声は掻き消される。今から起こる皆目見当もつかない竜の逆転劇を掻き消せるように、アグネスは祈り、仮想物質を放出した。目を逸らしても、耳を傾けなくても、竜の決意は変わらないと言うのに、聖女はまた現実から逃げた。だからだろう、光に紛れる喧騒を聴き逃したのは────破壊されたことのない耽美な空間をノックする外側の見えぬ敵の存在を可能性として認識しなかったのは。すべて、竜の底力で万事が動いている、その前兆を信じない。
(私の、領域…揺れてるの?)
足に伝わる振動が強くなっている。アグネスは驚いた。生きてきた中で本気を出しても、この耽美な領域空間が揺さぶられることはなかった。違いに触れて、やっと聖女は違いに向き合う。目の前にいる竜は穏やかに笑った。いつのまにか、振動は空間全体に及び、まるで大地震の渦中にいるような自然災害に晒される。アグネスは思わず祈りを止め、空間を仰いだ。流れ星の音が途絶え、振動に混じった外側からの喧騒が響く。雨粒が屋根に弾かれる雨音と同じ。日常生活の一端を、既視感を覚えた。
「一つ、貴様に教えてやろう」
「!」
光の雨に耐えきった杠は穴だらけの翼を酷使して、アグネスに接近した。判断も下せないまま、尖った爪を武器にして、嬲る。アグネスの片目が血に染まる。
「竜は降雨の象徴。空の隣人。ゆえに、天候は妾の土俵!」
流血を薄める水が天井から滴る。見上げると、領域がひび割れし、そこから水が落ちている。外側から侵入した自然を認識した瞬間、罅割れた先から見える豪雨が音を立てて、領域を崩した。白皙を見慣れ、光を浴びていたアグネスも杠も視界が不安定になった。それでも変わらず、雨音は落ち、体を打つ雫が現実を教える。
雲の後ろで燃え盛る苛烈な星光は夜空を彩る。暗闇に沈む閑静な城下町には、変わらず雨が降り続ける。
(奇跡が…)
上手く練れない。どれだけ信じても実現できない。阻まれている。
「関心持たずの雨は、時として強固な壁を壊し、時として侵食を強め、巌を動かす。流動を最も尊ぶ雨は、万事を促す。不変を可変に。妾にとっての龍輝の形は雨、貴様にとっての領域のように」
「…環境ごと…」
「勝機は遠回りしたほうが見つけやすい。若人は目の前のことばかりに気を取られる。環境を初期化すれば、できるであろう。貴様も同じように、あの領域に妾を引きずり込め。さすれば勝てるであろう―できるのであれば…の話じゃが」
奇跡の領域内で発動した龍輝の発動範囲を領域外に指定し、外側から降雨の質量攻撃で領域を破壊したのだ。領域内の苛烈な猛攻と騒音の影響で、降雨の喧騒が紛れたのだ。本気を出したアグネスも眼前の不適合者に気を取られ、反撃を予想していなかったのだ。つまりは、まんまと杠の術中に嵌ったということだ。
悔恨よりも苛立つアグネスは必死に奇跡の御業に縋る。だが、万物を強制的に変化させる龍輝が降り続ける限り、絶対の万物的事象に匹敵するアグネスの信奉は通用しない。経験で培った自信が仇となる。
「あなただって、もうっ…動けないようね!」
直立不動の杠に対し、アグネスは煽る。杠が限界であることを理解したアグネスは、この雨が降りやむまで苦渋に耐える気だ。それが唯一の活路。杠は物憂げに天を仰ぎ、顔から零れ落ちる雨の一滴一滴を感じた。
「妾も老体じゃからなぁ。一つの野心を持ち続けるのは体に悪い。このままでは老衰か。貴様は逃げるじゃろう。瑞鳳の目から逃げられんが」
視界の端でチラチラと蠢く黒点が地面に近づくにつれ、大きく映る。それは雨粒ではなく、麗しい髪の毛を持った少女だった。髪紐が雨粒を吸って、重く沈む。蘇る過去の闘争心は現代でも通用し、予想外の事態を引き起こし、万物を一転させる。きらめきとは即ち、希望。かつての新人類の底力で掴み取ったきらめきを、蝶が継承する。
(次から次へと…!)
無意味な祈りを続けるアグネスを的に、蝶は鉄扇を振り下ろす。垂直に刻まれる傷跡が視界を占領し、途端、アグネスは目の前が赤く燃え盛るように見え、発狂した。
「私は愛されてるの!! な、のにっ…なんで!? なんで…なんで、こんな…汚らわしい」
「喧しい!!」
蝶が怒号を浴びせる。憤慨するアグネスは一考に落ちつかず、こんな状況でも抽象的な祈りばかりをしている。不毛な戦いだ。蝶は、苛烈を極める戦況でも他者に縋り、自らで決心しないアグネスを哀れに思う反面、羨んだ。アグネスには、それだけ心酔できる存在がいるのだ。それは他者を嬲り殺すためだけに生み出された初代”鳳”の元祖には後から具わった感情だからだ。
(朕は歴代天皇を味わった。みな国家の安寧を願う一方で、個人的な関係は持たなかった。私利私欲な感情を軽視したわけではない。この身を差し出してまで没頭できる相手がおらんかっただけの話。じゃが、セアと出会ってから変わった。セアは原初神に尊敬の念を持っているだけで、格上の相手を打ち破り、命を戦具にしてまで戦い抜く執念を見せた。朕らは、その生き様に惚れ、結末を望んだ。あわよくば、セアの為に倨傲の救いの手を出すことも決心した。朕は身勝手な執着をしたい―傲慢に縋りたい―他者に全てを委ね、身も心も焦がす熱量が欲しい!)
蝶の体温が著しく上がった。体内の細菌を一瞬で焼き殺すほど実用的で、それと同時に神経を焼き殺す恐るべき自虐。体温の変化に伴って、熱が体外に放出され、鉄扇へと伝達される。白銀の刃は赤々と色を変え、そして高温に熱せられる。雨粒が触れる前に蒸発するほどの灼熱。
急激な進化を目の当たりにしたアグネスは憤怒に呼応するように、自らを守る防御陣を展開した。奇跡の御業だった。杠の気力が落ちたことで、龍輝の精度が低下した影響だろうが、アグネスはこれを神の御恵みだと解釈した。
「焼き切ってみせなさい…できるものなら!!」
聖女には不一致な暴言が飛び交う。白い怪物が、真紅の瞳を一頻りに輝かせて、格下を見下ろした。ヒトとはかけ離れた幽玄の美に触れている。だが、蝶は怪異的な魅惑に目もくれず、己が為すべき仕事を果たすため、神経を統一した。アグネスが奇跡の御業をこれ以上発動する前に、蝶は動き出す。
強い踏み込みの後に煙が舞い、姿をくらます。鉄扇を放り出し、神器布都御魂を手に取った。扇面が赤く色づいていく。一直線に走る蝶は赤い刀身の扇を嬲り下ろす。刀身は奇跡の御業を真っ向から焼き、魔法術式を破壊した。
「!!!」
付け焼刃に敗北した自身の誇るべき神からの恩恵を見て、アグネスは怒り、蝶の名を呼び、叫ぶ。だが、不快感を示すはずの癇癪の声さえも、心昂る蝶には聴こえない。
「百四代目は愛及屋烏を尊ぶ。
―穢れよりも熱く」
蝶は全てを焼き尽くす斬撃を直前で想像した。アグネスを葬り去るための斬撃ではない。遮蔽物を斬り進んで遥か彼方まで飛んでいくような絵空事の斬撃だ。一見すれば、死の間際の願望に過ぎない。だが、それは”鳳”の元祖であるからこそ、抱いていい願望である。
(神器布都御魂の能力は直前で想像した斬撃を実現させるもの。敵を倒したい願望が必要なんじゃない。掌を飛んでいく斬撃の行く末をイメージすること…)
雨が弱まる。味方を妨害しないように、蝶が雨粒に堕とされないように。
灰色の雲の隙間から、一筋の光芒が射す。黒曜石の瞳にそれは映り、遠く、天を飛び越えた彼方を見た。蝶の遥か遠くのイメージが膨れ上がって、斬撃は強大なものになる。イメージが確立した蝶は布都御魂を薙ぎ払った。直後に、風が吹いて、斬撃は遥か彼方の天空へと飛翔する。その筋道に鮮血が飛び散って、光芒に照らされた。
「あ゛、、、、がっ……」
乾いた悲鳴が響き、アグネスは大きく崩れ落ちた。首の血管を斬り、斬撃の余力で心臓に近い器官が破裂した。呼吸もまともにできないアグネスは必死に酸素を求め、過呼吸の症状に及んだ。雨に濡れた石畳の道は冷たく、体温を奪っていく。
(は、あぁ……神の御業が、慈悲が…応えてくれないっ)
神を見続けた真紅の瞳が色彩を失っていき、神への絶望を覚えた。アグネスはやり場のない無念を晴らすことも、助かる方法も分からず、最後の最後まで他者に決定を縋り、旧知を脱する方法を他者に依存した。
(神は…どうして、こうも…)
夜の海に蔓延していた奇跡の御業が消失し、廃れた古城は崩落した。長年蔓延った狂喜に終止符が打たれ、聖女は眠りにつく。
「唉」
杠は竜名を閉じ、放出した龍輝を体内へと戻す。幾星霜の本気に疲弊した。老いが目立つ。
(後に控える戦闘に備えなくては…)
疲弊はしたが、歩けないほどではない。少し眠れば回復する。
「母上」
暇を貰おうと蝶を呼ぶ。彼女は覚醒した一縷の望みを短時間で習得した反動で、全身が酷く痛むのか、荒い声を上げていた。杠は彼女の体を触り、簡易的に診察する。
(骨折はしておらんが、罅が入っておる。筋肉の収縮、体力も残っておらん。やはり、初代”鳳”の元祖に比べ、基礎的な身体能力は低い。これは少憩が必要じゃな)
杠は天を仰いで、豊穣の雨を齎す。雨粒が落ちた瓦礫は浮遊して、二人を取り囲む。雨風を凌ぎ、そして予期せぬ敵から隠してくれた。杠は龍輝を回復に使用し、外傷を治していく。
「この程度であれば許されるじゃろう」
杠は壁に寄り掛かった。窓に近い場所で、外を一望できるように、予期せぬ敵に対応できるように。懸命な判断を続ける竜をよそに、蝶は事切れたかのように深い眠りにつく。
変わらず、息はして、生存と勝利が即座に伝達される。
魔法の海────カストル星に建設された第二の魔塔。塔内の中層部の一室で、ギハラは快適に過ごしている。手に持っているのは歴代座天使級魔法使いの手記。内容は一般に公開されず、頓挫したものたちだ。研究失敗のレッテルが張られた手記は厖大な書類に埋め尽くされ、その過程もなかったことにされていた。
「お前は感情が欠如しているようだな」
「それは妖精王のこと?」
フォグブルーの腰まで伸びた髪がちらついている。ギハラの青く澄んだ瞳を覆い隠すような漆黒の目に迫力がある。気だるげな暴君の風格を纏う漢ウェルテクス・マゴ。
「君の任務は余の護衛。余を非難することじゃないだろ~~~?」
ソファで寝そべったまま、虚ろに見上げるギハラに眉をしかめた。
「焦っても仕方ないだろ? 妖精王の指揮を一任したのはセアだし、それを承諾したのは君たちだ。素直に従ってよ」
「…」
眼前で訴えるウェルテクスに対して、ギハラは敢えて目を逸らさなかった。
「なに? 知りたいことでもあるの?」
「この世に死の溜まり場など存在しない。それはとある場所の比喩であり、人類と神とでは所在の異なる比喩だ」
ギハラは大きく目を見開いた。驚嘆の生理現象に確信を持って、ウェルテクスは淡々と事実を列挙する。
「死の溜まり場に隠れた宇宙の存在を、神は疎み、嫡流は守ろうとしている。本来あるべき姿に戻し、更に統治を進めるため、この混沌と化した大戦で徒党を組んだ。違うか?」
「拷問得意そうだね」
突発的な返答で話題を逸らされたと思ったが、ギハラは思いのほか、ウェルテクスの尋問に答える。体を起こし、本を取り出す。それは過去の傑物が残し、今でも多くの人類がその説を信じる輪廻転生論が執筆されたものだ。
「余は君が三傑の中で一番厄介だと思ってる。もしかすると、嫡流のやり方に異議を唱え、妨害行為もするんじゃないのかなって」
「監視のつもりか。でなければ、わざわざ余が護衛に指定されるわけがない」
「こっちにも事情があるんだ。暇つぶしついでに不遜な君に教えてあげる。神々の過ちの歴史と、死者の概念について」
アグネス・カタリナの秘話
誕生日4月2日 誕生星はゼータ・アンドロメダェで《神秘的なロマンティズム》を意味します。
この日はアグネスにとって誕生日であり、この日を迎えられたことを信者が喜び、同教会では宴が開かれます。そして、この日はアザトース神が祝いの言葉を伝えます。年に一度のご褒美です。アグネスは祝辞を聞くためだけにアザトース神からの勅命を遂行し、従順な駒になり下がっています。
アグネスは喜んでいますが、アザトース神からしてみれば、たった一言の偽りを吐けば、従ってくれる便利な人間です。神は、アグネスの顔も声も名前も覚えていません。見ているのは戦績だけ。アザトース神には八名の嫡流がいますが、(フォーセリアを除く)人間の嫡流については使い捨て同然であるため、アグネスと同様の認識です。
もしかすれば、アグネスは神の思惑と無関心さを知っていたのかもしれませんが、神に縋る生き方が一番性に合っていたのだと思います。だからこそ、騙されたまま人生を送っていたのかもしれません。彼女の語る原初神への思いは嘘ではありません。彼女は嘘をつけないのです。




