光背編 84話前編 タレスの痛み
人類の領域地上宇宙は十個の超銀河団で構成され、そして、神々の居住区天界宇宙も十個の超銀河団で構成され、二つの宇宙は並列し、一部分が融合している。そして、もう一つの宇宙が存在する。一つの超銀河団で構成され、死者の、取り分け怨念が集まって形成された死者の宇宙が、二つの宇宙の上に位置し、絶妙な空間経路で繋がっている。紅魔族・明帝族・紅帝族の人類と原初神・子孫神、死者が共存する三宇宙が成り立っている。普通の生活を送っていれば、各宇宙で生物同士が深く関わることはない。
人や生物は死して魂だけになって、輪廻の輪に乗って転生する。でも、この世に未練が残った魂は輪廻の輪を脱して、【ゼノバース】に辿り着く。【ゼノバース】では仮の肉体を手に入れ、生前の記憶を残したまま、武の研鑽や学の共有ができる。輪廻の輪に乗り切れなかった古代の英雄らは【ゼノバース】で生き続けるが、次第に彼らは壊れていった。精神に異常をきたした【ゼノバース】の住民は輪廻の輪を破壊し、あろうことか天界宇宙に侵略した。原初神の迅速な対応でこの件が明るみになることはなかった。原初神は【ゼノバース】を封鎖し、かの宇宙の権限を制限した。
人類歴二万年、神聖時代終焉の頃、天界宇宙で勃発した子孫神とアザトース神の大戦が終わった。二万年に及ぶ大戦はアザトース神の勝利に終わり、交渉を行った。子孫神は残っておらず、原初神の一柱盤古が主導となり、交渉は始まった。
『カオスと【ゼノバース】の権限を解除しろ』
神の所望はそれだけだった。今後百年は人類に干渉しないと提示した神の思惑を測れなかったが、既に権能の多くを奪われていた原初神は、神の所望を受け入れた。即座に、【ゼノバース】の封鎖は解除された。アザトース神は創造の権能を行使して、【ゼノバース】を支配下に組み入れた。かの宇宙の資源と、そこに住まう魂を手に入れた。そして、輪廻の輪を都合のいいように創りなおした。死者の魂に干渉して、使い物になりそうな魂を強制的に【ゼノバース】に堕とし、戦力にした。死後も研鑽に励むための場所―人類にとっての幸福の場は、創造の狂暴の手に堕ちたことで地獄と化した。
「大戦を終えた七洋は地上宇宙に降りて、【ゼノバース】の存在を人類に普及させた。生き方に苦しんだり、煩悩に喘ぐ人類に囁き、自殺を誘導し、肉体から離れた魂を宇宙に堕とした。堕ちた時点で、その魂はかの神の所有物になり、痛みを感じない兵器として活用された。
ただ、七洋は人類に【ゼノバース】を魅力的な場所だと印象付けるために、比喩を使った。花の哲学者が愛したポピーの花を借りて、”デスポピー”と呼んだ。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど、”デスポピー”は死後の宇宙を象徴する言葉に生まれ変わった。君も知っている通り、当時は元祖大戦の渦中、クヴァレ帝国が陥落する少し前の激動の時代だった。戦禍に苦しむ人類に死後で楽しく生きようって言葉は魅惑的だった」
「…だが、現代に普及しているデスポピーの比喩は不撓不屈の大英雄が訪れた困難に満ちる試練の道を意味する」
「で、さらには七洋の権能を封印した地を示すようになってる。結論から述べさせてもらうと、情報操作したんだ」
情報統制に秀でた一族は原初一族しか思いつかない。
「伝承を野放しにしておけば、きっと人類は【ゼノバース】を第二の人生の地だと考えたままだった。七洋と神の策に嵌り、人類は自らが滅びの道を歩むことになっただろう。だから、余とエドガー、セアは人類の記憶から【ゼノバース】の存在を消し、比喩された”デスポピー”の所在を上書きする必要があった。幸いにもセアが不撓不屈の英雄だと崇められ、人類にとっての死の溜まり場への認識を改竄することはできた。認識の誤解で、【ゼノバース】に堕ちる人類は格段に減った」
「貴様と”記憶”が結託しているのであれば、死後の概念を抹消すればよかったことだ」
「それができれば苦労しないよ。人類が哲学で生き様を繁栄させた時点で無理なことだ。哲学は宇宙と世界・人生と存在に至る根本的な問いと概念を理性的に、本質を追求し、さらに探求する。人類は古来から生と死を隣り合わせにして、二つの概念を探求してきた。生きるとは何か、生きて何を残すか、生きる意義とは。死とは何か、死後の世界の存在、死後の宇宙の為に。これまで多くの死について、知識は開拓され、死後をよりよくするために善行を積む人間も多くいた。生死を扱う宗教も発足した。死と密接な関係にあるからこそ、死後は手放せず、もし、死後の概念を奪ってしまえば、人類や原初神にさえ影響を及ぼしてしまう。だから、強硬手段は除外した」
ギハラから怒りが伝わってくる。私怨が混じっているように、まるで当事者であったように。
「この大戦で余らは、【ゼノバース】をアザトースの支配から解放しなきゃならない。人類を殺すのは人類であり、古代の英雄は人類を守らない守護者みたいなもんだからね」
「…」
「懇切丁寧に教えてやったのに、不服そうだね。まだなにか?」
「なぜ、セアだけを…」
「扱き使うかって? 記憶はアザトースに歴史を奪われ、余は天使に追われている。動けるのはセアしかいないし、それに英雄を討つのは同じ英雄だ。魔法使いには魔法使いのやり方が、王には王の目指す野望があるように────英雄には英雄だけが解る暗黙の儀礼がある。だから、英雄の地獄は英雄の居場所。余が邪魔をするわけないじゃん」
暴君の機嫌はよろしくない。一歩間違えば、虐殺してしまいそうだ。人間の負の感情に慣れているギハラは受け流そうと思ったが、暴君の脳内に一瞬妨害の策が出現したことを感知し、笑顔が消えた。
「たかが千年の駄龍が……身の程を弁えろ」
「…」
野心に満ちた禍々しい眼光は未知を食らいつくす。飄飄と楽観的な思考のギハラからは想像もつかない殺戮欲が滾っている。かつて見た戦闘を生きがいにしていた元祖と対峙しているようだ。幻想で止まるウェルテクスではないが、ギハラの警告を無視する道理にはならない。
「余は面白半分で物事を決めてるわけじゃない。意味なくして人を束ねることはできない。利害を尊重する」
「…貴様らの掲げる利害が人類に悪を齎す可能性に満ちている」
「心配すんな。君の提唱する可能性は既に空論だ。牢獄で過ごした時間で片が付いた。若造が口出ししたところで変わらない。嫡流が行うべきことは決まっている。言い訳をするんなら、余は隠したかったわけじゃない。ただ未練を抱え、ようやく辿り着いたそこは天国ではなかったことを知って、絶望することを防ぎたかった。絶望した英傑たちは来世を期待せず、立ち止まり、そして神の兵士になる。同じ人類を虐殺するためだけに」
神妙な面持ちの彼の瞳が薄らと光る。
「貴様は知恵遅れではなかったのだな」
「だったら君たちに元祖の情報提供なんてしてないよ。余は期待してるんだ。こんな形になってしまったけれど、後にも先にも歴代最強の人類と神々が共闘できる未来を迎えられる。巻き込んだ自覚はあるけど、余は君たちではない最強らでも、この盤面を迎えるために導いていたさ」
「それはセアが生誕しておらずともか?」
「お、……おぉぉ~~~」
水を差したような話題の転換だったが、思わぬ角度からの攻撃にギハラは驚嘆した。
(本題はそっちかぁ)
半ば真面目に話を聞いてくれなかったことにギハラは失念したが、浮上した題名のない話題を完結させないことには報酬を払ったとは言い難かった。腕組みをして依然見下ろすウェルテクスの機嫌は悪くなる一方だ。
「その質問はノーだね。カオスはどんな環境や精神状態でも子供を産んでいた。どんな未来でも、確実に子を産み落とすことは事実だ。これは他の原初神が介入したとしても、多次元宇宙で異変が起ころうとも変わらない。断言できる。そして、カオスは子に愛憎を向けることも変わらない事実だ。そして、その感情で子が酷く心に傷を負うことも」
「原初神を尊んでいたというのに?」
「そうやって解釈しろって教え込んだ。親であることを誇るよりも、仕事として接する方が楽になる時がある。セアも例に漏れず。それでも子供は純粋だからね。安心できないと強さにぶれが生じる。師匠としての成すべき事は弟子を安定させることだ。クリスが支えてくれたのは嬉しかったよ。おかげで、あの子を最強に育てられた。教育方針もうまく当てはまったみたいだしね」
「…」
「教えないよ」
「それだけか?」
「ん、そぉだよ~~。余は神と人類どっちともの幸せを願ってるだけ~~」
掴みどころのない笑みを再び貼り付ける。だが、ウェルテクスは感情の変化には敏感だった。些細な歪み、本人も意図しない反応も感知できる。だから、ギハラが隠し事をしていることはお見通しだった。
「余には、お前が私怨を果たすために…この大戦を起こしたと解釈している。稀有な可能性だが」
「私怨〜? そんなのないって。あったとして曝け出すのは余が最も愛する人だけだ」
ギハラは立ち上がって、乱れた服装を整える。書物を元の場所へと返却し、まるで旅たちかのような振る舞いを見せた。訪れたとは想像もつかせない元通りの一室。一切の乱れがない。第二の魔塔が聳え立つ上空で異質な気配を感知したウェルテクスが殺伐とした殺気を放つと、彼の肩をギハラが叩く。
「お客様だよ~~。人類の叡智でお迎えしよっ?」
催促するギハラを殴りたい気持ちを抑え、ウェルテクスは空間技術を展開した。閉鎖的な没頭空間を脱して、海の上へと移動した。二人が移動したことを視認した六つの気配も、二人を追って海の上へと飛行する。
第一の魔塔は魔法の海最大規模を誇るヴェスタ帝国に所在する。冒険者の拠点やあらゆる知識の巣窟、民間人の依頼を請け負っている。一般教養を学ぶ魔法学校も魔塔主の名のもとに運営されている。だが、第二の魔塔は魔法の海を歪んだ軌道で公転し、宇宙間を移動するカストル星に所在し、また詳細は雲隠れしている。座天使級魔法使いの大規模魔法実験やそれに連なる魔法使いの極秘の情報を保管している。歴代の座天使級魔法使いの研究結果も記録されている。民間人に影響がでないよう、または情報漏洩や破壊を防ぐ最新鋭の防衛魔術を施しており、魔術規定を破った魔法使いや冒険者を収容する地下監獄も備わっている。その秘匿性の高さからウェルテクスも愛用する研究機関である。
第二の魔塔から大きく移動するとカストル星には目を疑うような大海原があり、不思議なことに海上を歩くことができる。大海原は開発した魔法の規模を測る実験場となっている。だからこそ、ウェルテクスは大海原に飛んだ。
「わぁ~~!! 綺麗な海原!!」
天使の羽が落ちてくる。二人は目線を向けることなく、臨戦態勢に入った。
「だめだよ」
海原を褒め称えた天使が豹変し、掌を海原に向けた。海は天使に応え、鎖のように連なって、二人の足を拘束した。そして、神経に介入して、彼らの戦闘意欲を吸い続ける。敢えて会話ができるように意識だけを残すあたり、純朴な気遣いを感じる。はたまた悪意だろうか。
六つの気配の正体を視認する。
フェイスベールの如き白布は天使の顔、特に目を隠している。切れ目から黄金の瞳は除く。白布を金の帯で留め、羽根の装飾を施す。白銀の髪を靡かせる。象徴的な翼を羽搏かせる六翼の天使ら。
「駄目よ、手荒なことしては」
容貌が同じ上に、声帯も同じ。見ただけでは違いが分からない天使らに、気だるげにウェルテクスは目を逸らした。隣にいるギハラの足を踏み、威嚇した。
「痛いってば。もぉ~~。しょーがないな。えっと……腕を上げたね、アルマロス」
ギハラも面倒くさいと言わんばかりの社交辞令で挨拶する。その態度を隠しもしない罪人に天使が苛立つ。
「謀反を企てておいて、明け透けな隠れ家だね」
「謀反? なにそれ? これは原初神のためを思っての決断だよ?」
「貴殿が結成した同盟は存在意義が壊滅的だ。殊更、忠誠心が皆無の嫡流を選抜している件も含め、話がしたいだけだ」
「肩の力抜けって、メタトロン。余はのらりくらり過ごしてるんだから、気楽にやらなきゃへばるよ。シンプルに行こっ?」
「…それでは簡潔に……貴様を連行する―大人しく従え」
「や」
まるで幼い子供がごねるように悪質で、まるで赤子が泣きじゃくるように自然の摂理で、ギハラは天使の命令を拒絶した。そうであることが普通であるかのように天使は既に実力行使に乗り出していた。事の顛末が見えているというよりは、何度も同じことを繰り返した経験談から成る本能で天使も応対していた。
「物騒だ〜な。ちゃぁんと話聞いてよ」
ギハラは前触れもなく、足の拘束をぶち壊した。
「余が弁解や正論を言おうが、君たち天使の本能が神の悪意に沿って判断されるのであれば、それは無意味だ。だってのに、わざわざ話に花を咲かせてるのが弁論だと思ってる? それなら、極点の翼の悪意を体現した君たちの頭はよっぽど綺麗なお花畑なんだろうね」
敢えて煽る。魂胆は見えない。確実に、天使の反感は買っている。サンダルフォンが警告を鳴らす。
「あなたでなければ、私は真っ先に殺してやるところよ」
フェイスベールから覗く黄金の瞳を際立たせる黒の結膜。負けじと、ギハラも見上げる。
「六天使でなければ、余も動いただろうね。顔見知りだから動けない。でも…」
ギハラは腕を伸ばしたまま、振り払う。その腕は隣で沈黙を貫き、限りなく存在感を消していたウェルテクスにぶつかる寸前だった。だが、その腕は彼に当たることなく、すり抜けた。腕が通ったウェルテクスの箇所は霧散した。彼の体はきり雲のように消え、霧と化した。それらが海面近くに落ちると太陽光を反射させた。
「魔塔主が動かない保証にはならないよ」
幻想的で目を奪われるが、天使にとって、それは死活問題だ。話に気を取られるあまり、標的を見失ったとなれば天使の本能を汚す。
(雲の幻覚!? いつ魔法を使った!?)
「アルマロス」
「…はぁい」
アルマロスが権能か御業かを発動した時点で、魔法使いを止めることはできない。
「────ネペレ」
声は一つであるのに、全方位から木魂する魔塔主らしき暴君の命令が全身に走る。雲が突如として太陽を覆い隠し、大海原に影を作る。影に取り込まれた瞬間、思考力が低下し、飛び続けることもままならなかった。落下しそうになるアルマロスを雲隠れしていたウェルテクスが担ぎ、即座に退避する。シェムハザが手を伸ばすが、あと一歩のところで雲を掴めなかった。雲のように空に溶け込んだウェルテクスの捜索に身を乗り出したかったが、海面に佇む大罪人を放置するわけにもいかない。六天使の司令塔たるタブリスが指示を出す。
「魔塔主を天使に対する侮辱罪で捕縛する。シェムハザ、アザゼル…往け!」
「君たちの相手は余でしょ?」
天使の判断に異を唱えるギハラが天使の飛行を未知の能力で阻害した。
「相手が魔法使いだからって調子に乗りすぎだよ。彼はただの魔法使いじゃない。人類史に刻まれた大魔法使いらの終極を飾る最強さ。君たちと言えど簡単に攻略できないよ。そして、余も攻略させない」
挑発とは違う本気の言葉に、天使は構っている暇はないが、受け流すこともできない。雲が風に靡いて、太陽が姿を見せた。大海原に反射する空には雲の断片が変わらず流れている。サンダルフォンがロザリオを握りしめ、歌を紡ぐと、大海原の海水が鎖のように変形し、ギハラに襲い掛かる。メタトロンに後輪が差すと、かの天使は空を覆う膨大な火を出現させ、上空から火の雨を降らす。超常現象を前にギハラはまたも未知の能力で回避する。水面を走ったり、また天使と同様に飛んだりと多彩な動きを見せる。シェムハザは双剣を、アザゼルは杖を持ち、逃げ惑うギハラを追いながら、接近戦を持ちかける。海の鎖と火の雨の猛攻を交わし続けながら、二翼の剣戟も素手で捌くギハラからは焦りが見られない。楽しんでいるようにすら見受けられる。
「だから、お前の相手は嫌いなのよ」
双剣で鋭角な軌道を描いて追撃するシェムハザが、直接手を伸ばす。悪意を孕み伸ばされた手をギハラは優しく握った。まるで紳士のような振る舞いだ。彼の言動からして相応しくない。
「そうやって罵倒してくれる方が可愛げあるよ。君たちと久々に遊べて楽しいんだけど、邪魔が入る。タブリス、上」
「!?」
頭上から降り注ぐ大気圧が、タブリスの動きを封じた。天空の妨害行為を受け、タブリスは翼から羽根を抜き取り、それを媒介にして杖を出現させる。空を突いて大気圧を押し返した。大気圧を操る手段は天使は過去の大戦で経験していた。忌まわしくも、数多くの天使を屠った恐るべき実力を秘める七洋。言うなれば、因果で結ばれた関係。
「…来たね、時間ぴったりだ」
ぼそりと呟いたギハラの言葉が、シェムハザには聞こえていた。彼の物言いは全て予想済みであることや、手配したと暴露しているようだ。シェムハザが追及する前に、ギハラは手を離し、タブリスの隣を陣取る。天使の肩を叩き、耳元で囁いた。
「君たちでも、七洋は苦戦するんじゃない? そ・れ・に・今から交戦する神は特に厄介だから困っちゃうよね~~~」
「知っているのなら小賢しい態度を取れ」
「それが望み? 六天使のつんけんな態度も好きなんだけど…危ない時はどうすればいいか、イルさんに教わってるはずじゃない?」
主人の名を出され、タブリスは睨んだ。だが、主人の教育を疑われるような感情を持たれてしまったことは己の失態であり、忠誠心が足りないことを自覚してしまう。
「あなたの相手も、魔塔主の原罪を定めるのも後回し。猶予が欲しいのなら、協力なさい」
「あはっ! 六天使の誘いは不器用で可愛いね!」
顔見知り程度の関係であるのに、ギハラの態度に影響されてしまう。ペースを崩され、輪を乱し、調子を狂わせる恐ろしき人間。
(対神戦力と捉えれば、これ以上の安定要素はない。多くの守護者を選別し、人類の潜在能力を根幹から理解するこの男なら…)
「素直に従わないことは知っているが、交戦中に乗じて逃亡を謀っているわけではないか?」
「交戦中は逃げないよ。少なくとも弟子が戦った相手から逃げるなんて、師匠の風上にも置けないだろ?」
「お前の弟子もろくでもないが…」
「そういう指導だ~よ!」
声のトーンが跳ね上がる。六天使は歩み寄ってくる巨大な気配に目を向けた。
万眼の王―七洋イーヴィル。
魔力に栄える海に介入した新たな敵対戦力が神であることに驚かない。
「弟子からよぉく聞いてますよ〜。お噂はかねがね! 余自ら御相手することになるとは思ってませんでしたけど~~~」
神専用に取り繕う活発な態度で接待するギハラだが、その目は笑っていない。
『お前如きが相手になるとでも?』
「あっはっは! 神は人間よりも冗談が面白いですねぇ」
神の嘲笑を一頻り笑い、跳ねのけたギハラは口元を覆った。彼のサファイアの澄んだ瞳が闇夜に紛れる蝶のようにすっと淀み、その凍る眼差しで神を射抜く。隠された口から、出所の分からぬ悪辣さが告げられる。
「無敗を失った神が余の相手になるとでも?」
────────化けた。
活発、調子者、無骨者、不遜、無礼者、楽観主義者。客観的に見たギハラの性格とその影響が一変し、印象が豹変する。雪崩のように猛々しい変化の曲線。彼は続けざまに話す。
「貴殿の強さと実績は凄まじく、強者でいることは変わらなかった。けれど、貴殿の強さを打ち破る神がいることも変わらない事実。貴殿には不可能が欠けていた。勝てぬ相手だと認識されても、曖昧な基準に合った。ただ、やっぱり弟子が勝ってくれたおかげで、余の本領を露呈できる」
ポケットから耳飾りを取り出す。シャランと奏でる蒼玉の音色と真珠の意匠。盤上の踊り子のような華美な風貌。ギハラは手を擦り合わせ、未知の領域を開放する。
「始めましょうか────余の演目を」




