009
「当分の外出および剣の訓練を禁止いたします」
母からの冷徹な命が下されたのは午前のこと。正午を回る頃にもなると、自室で意気消沈していたはずのレオナルドはため息とともに、庭にいた。
手持ち無沙汰になれていない右手がうずく。ああ、剣が握りたい。
(けれど母様に逆らうほど命知らずじゃない)
すとん、と柔らかい芝に腰を下ろす。母はアリエルとアルテミシアをつれて娘の見合いのためのドレスの新調に、父は数少ない友人宅へ、アリシアは昨日持ち帰った絹糸にたいそう喜び、それに見合った布を購入するため母一行とは別に町へ出かけた。
つまり、今館にいるヴァザールはレオナルドだけだというわけなのだが。
(絶対侍女に監視命令を下しているもの)
朝からひっきりなしに感じる視線に、ウンザリする。目の前で愛らしく花びらを広げる美しい花が憎らしい。
「何か楽しいことはないかしら・・・」
ポツリ、と漏れた独白は自然と憂いを帯びていた。
「・・・はぁ?」
「わかってくれ、レオン」
眉尻をつり上げる少年を前に、ランスロットは疲れ果てていた。昨晩のエドワードの訪問は、浅い眠りさえ良しとしなかった。
「何に問題がある?あの女を騎士団に入れろ」
髪も短くしてやったんだ丁度いいだろう。
言外に付け足されたそれに、更に強い疲労がランスロットを襲う。極力、この状態でこの少年の向き合いたくはなかったのだが、致し方ない。
「・・・彼女は、侯爵家の娘だ」
「バカいってんじゃねえランス。あの女のどこが貴族だ?」
ハン、と嘲りを含んだそれ。しかし、今のランスロットに自分でさえ信じがたかった真実を、更に我と思い込みの強い少年伝える気力は皆無に等しい。
そんなランスロットの様子に、漸く勘づいたらしい少年は目つきを変えた。
「・・・理由はよくわからねぇが、あの女を必ず入れろ」
おれがめっためたのぎったぎたにのしてやる。
(・・・好戦的過ぎて困るな)
しかしけっして嫌いではないその瞳に宿る闘志に、ランスロットはようやっと口角をあげて見せた。
「だから寝ろ、ランス」
机越しにたたかれた肩に、不意に眠気が瞼を襲う。そしてレオンの次の言葉がランスロットの耳に届く前に、彼は突っ伏せ安らかな寝息を立てていた。
「・・・あのプライドを全て打ち砕いてやる」
絶対的強者に力無く屈し、靴を嘗め泥水を啜る無様な弱者のように―――・・・
くつり。残虐的かつ彼にとっての快楽的な思考に口元を一瞬歪め、レオンは執務室を後にしたのだった。
レオナルドは森を歩いていた。
森と言っても、ヴァザール家がもつ敷地内のものであるため、「外出」にはならない。あの後暫く考えた末、本邸と庭以外の敷地をあまり知らないことに気付いたのだ。
「森といっても結構広いのね・・・」
腐っても忘れられても侯爵家。それなりの土地を持っているには持っている。何も知らない農民が無断で開拓することもしばしばあるけれど。
ふいと視線をあげれば、柔らかな木漏れ日。瞼を閉じて耳を澄ませれば、小鳥たちの可愛い鳴き声。すうっと大きく息を吸い込めば、肺に満ちる清々しい空気。
(今度から森にも足を運ぼう)
初めて訪れた森の美しさに心打たれながら運ぶ足取りは軽く、小一時間ほど歩き続けても、何の疲れも感じぬほどだった。むしろ、その歩みを小一時間ほどで止めてしまった存在。
それは、目の前に広がった大きな湖だった。
「・・・これも、家の敷地?」
この国には貴族同士の領地の境界に関するトラブルを防ぐため、持ち主が垣根か塀を設けなければならないという法がある。つまり、二つの家が同じ境界にそれを築くため、二重の垣根や塀がそこに設けられる。
しかし、あたりを見渡してみてもそこに境界線らしきものは見当たらず。
「・・・あれ?」
その上、もう一つ素晴らしいものを見つけた。
(湖の上に家がある!)
そよ風に少し波打つ水面が映す白い壁。それはおそらく、軟らかな木材で出来ているのだろう。開けた緑に、透き通った湖と麗しき白。アリエル姉様のお話から抜け出してきたのではないだろうかと思うほど、調和的な美しさをもつそれに見入っていた私は。
「・・・だれ?」
後ろからかけられた、その幼さが残る声に現実に引き戻された。そしてほぼ反射的に振り向いた先の声の主に、また声を奪われたのだった。
「・・・っ」
その白銀の髪はさらさらとそよ風になびき、丸く柔らかな灰を宿すその瞳を縁取る白銀の睫毛。白磁の肌に相反する、漆黒の衣。
「・・・おねえさん、だれ?」
その麗しき白銀の眉が怪訝そうに歪んだのをきっかけに、私の思考は漸く正常に働き始めた。「美しいこども」、それが始めの、彼への見解。
「レオナルド、ヴァザール、です」
絶世の美姫を前に心を奪われた騎士さながら、私は美しいこどもの前へと歩み寄った。
「ヴァザール・・・!?アルフレッド侯爵の、令嬢さま・・・っ」
すると絶世の美姫は何故か心奪われた騎士の前に跪いた。(・・・私の思考はまだ正常には働いていないらしい。あまりにアリエル姉様の童話チックな表現だ。)
「僕はシシです。アルフレッド侯爵にはいつもお世話になっています」
「・・・。」
傅いた彼を前に小休止。ようやっと頭が覚めきる。
「・・・えっえっ?」
「僕ったら令嬢さまになんてご失礼を・・・本当にごめんなさい!」
正しくは、その小休止の間にもみるみる溜まっていった大きな瞳から今にも溢れんばかりの涙に頭が覚めざるを得なかったのだが。
「し、シシ君、うわ、え、えーと!」
(・・・あ!)
何か彼の涙を受け取れるものは、と記憶を巡らせていると、腰のリボンに添えておいたアリシア姉様特製の真っ白なレースのハンカチの存在を思い出した。以前刃傷の止血に使った際大いに怒られたので、それ以来使用は控えていたのだが、この真珠のような涙をぬぐうにはうってつけの存在だろう。
「はい、泣かないの」
地に膝をつき、シシ君に目線を合わせる。先程までの完璧さすら漂う美しさはどこえやら。ぐすりぐすり鼻を鳴らす彼の頬を伝う涙をぬぐう。
「・・・れおなるど、さま。ありがとうございます」
「そんな堅苦しく呼ばないで、シシ君。レオナでいいから」
にかり、と笑ってみせると、彼は漸く泣き止んで、可愛らしく微笑んだ。
「レオナ、さん」
(きゅん)
「うわっわ、レオナさん!」
そのあまりの愛らしさに堪えきれず、彼の体を抱きしめる。赤面しながらあたふたするその仕草も、全てが可愛らしい。
「シシ君、お友達になろう、ねっ!」
「おと、もだち?」
すると、腕の中で暴れずともせわしなく手足をばたつかせていたシシ君が大人しくなる。
「・・・?シシくーん」
呼びかけても反応がない。少々抱きしめすぎたかと心配になり、顔を覗くと。
「・・・本当に、僕のおともだちになってくれるんです・・・か・・・?」
「うん。むしろ、なって欲しいな」
(・・・あ)
「よろしく、お願い、しまっ・・・す!」
半年以上使われていなかったレースの美しいハンカチは、本日可愛い私のお友達の涙を二度もぬぐったのだった。




