第6回 危険案件の山
「ここか! 白狼の爪で止められた案件を聞く受付ってのは!」
朝の列は、随分進んだが、まだ成長していた。
仮登録の列。
少し育った列。
そこへ、横から荷車二台分の怒りが突っ込んできた。
私は空を見た。
青い。
とても青い。
なぜ空だけはこんなに他人事なのだろう。
「もっと増えましたね」
「増えました」
セレナが答える。
「かなりです」
「かなりですね」
先頭の商人風の男は、荷車の前で肩で息をしていた。
後ろには樽。
木箱。
縄。
紙束。
さらにその後ろに、腕を組んだ女と、荷受け倉庫らしい男。
そして、なぜか橋板を抱えた老人までいた。
嫌な予感が群れで来た。
明らかに仮登録ではない。
これは依頼の持ち込みだ。しかも緊急。
「仮登録の方は、列を維持してください」
私は振り向かずに言った。
ロッドがすぐ反応する。
「維持って何だよ」
「崩れないでくださいという意味です」
「何か増えたぞ!」
「見ればわかります」
「受付、そこ今言う!?」
「今だからです」
ガザムが腕を組んだまま、うなずく。
「死にそうな案件が先だな」
「お前、何でそんな受付に理解あるんだよ」
「損耗申請を三回書いた」
「嫌な学習だな!」
それは本当にそうだ。
だが助かる。
かなり助かる。
私は木札をひっくり返した。
仮登録受付。
その裏に、墨で新しく書き足す。
危険案件受付。
「雑ですね」
セレナが言う。
「今は勝てばいいので」
「好きです、その理屈」
「最近よく言われます」
あまり広まってほしくないが、便利なので否定しづらい。
先頭の商人が、どんと紙束を机に置いた。
「ケベル商会だ!」
「はい」
「はい、じゃない! 薬草樽が止まってる! 護衛は減る! 荷受けは文句を言う! 白狼の爪は保留だだで動かん!」
「多いですね」
「多いんだよ!」
その後ろの倉庫男が口を挟む。
「しかも荷札が途中で合わない」
「合わない」
「九樽のはずが、うちに届いたのは六樽だ」
私は顔を上げた。
「九」
「六」
「はい」
「三樽足りませんね」
商人が頭を抱えた。
「だから言ってるだろうが!」
その横の女が腕を組んだまま言う。
「言ってるだけじゃ間に合わないから、ここに来たんだろ」
良いことを言う人だ。
私はそちらを見る。
「お名前は?」
「エナ。南湿地の採取師代表」
「はい」
「白狼の爪で危険度再判定が入って、そこで止まった」
「妥当ですね」
「妥当だけど、止めたまま説明がない」
「それはだめですね」
「だから来た」
私はうなずいた。
正しい流れだ。
正しいが、量がすごい。
嫌になるレベル。
「では整理します」
紙を引く。
見出しを書く。
薬草樽案件。
その下に線。
案件名。
依頼主。
発生地点。
止まった理由。
不足数。
私はこういう時、少しだけ元気になる。
あまり健全ではない。
だが、窓口職には必要な性質でもある。
「受付」
セレナが静かに言う。
「はい」
「列が二つに割れています」
見る。
本当だ。
仮登録列。
危険案件列。
しかも後ろで、橋板を抱えた老人がじりじり前へ来ている。
だめだ。
三つ目が生えかけている。
列は雑草か。
「紙、足りますか」
「足りません」
「ですよね」
「ですよね、ではありません」
私は板机の横の箱を見た。
ひっくり返す。
即席第二机の完成である。
ひどい。
でも、平らなら何とかなる。
この世の多くは、だいたいそうだ。
「雑ですね」
セレナがまた言う。
「今は勝てばいいので」
「やっぱり好きです」
「ありがとうございます」
荷車係の青年が箱を押さえてくれた。
優しい。
かなり優しい。
「ケベルさん」
「おう!」
「あなたはこの机で」
「危険案件だな!」
「はい」
「よし!」
なぜ嬉しそうなんだ。
危険案件だぞ。
だが、依頼主としては“見てもらえる”だけでだいぶ違うのだろう。
それはわかる。
かなりわかる。
「仮登録は続けます」
私は元の机を指した。
「ミナさん、ダンさん、ロッドさん」
三人が同時に顔を上げる。
「はい」
「何だ」
「おう」
「そこで返事が揃うと少し怖いです」
列の後ろで笑いが起きる。
いい。
笑う列は少し待てる。
「仮登録は止めません。ただし、危険案件を優先します」
「待たされるのか」
ロッドが言う。
「待たされます」
「正直だな!」
「今隠しても、あとで怒るので」
「それはそうだな……」
彼は案外、納得が早い。
肩以外は優秀だ。
「薬草樽案件」
私は読み上げる。
「九樽のうち六樽しか確認できない」
「そうだ!」
「危険度再判定済み」
「そうだ!」
「護衛再編の記録なし」
「それもだ!」
「荷受け側は一樽の臭いが怪しい」
倉庫男がすぐ手を挙げた。
「バルトだ」
「はい」
「湿地の匂いじゃない。少し腐りかけてる」
「確認したのは何樽ですか」
「六樽全部」
「つまり六のうち一」
「そうだ」
「三樽はまだ不明」
「そうなる」
私は紙に書く。
確認済六。
不明三。
腐敗疑い一。
横でセレナが小さく言う。
「嫌な数字ですね」
「かなり」
「白狼の爪では?」
「たぶん、ここまで書いていません」
「でしょうね」
その時だった。
橋板の老人がついに我慢できなくなったらしい。
「うちも緊急だ!」
来た。
やはり来た。
「橋板修繕ですか、通行の問題ですか、未払いですか」
私は聞いた。
老人は一瞬止まった。
「……全部だ」
「多いですね」
「多いんだよ!」
本日二人目だ。
今日の街は“多いんだよ”でできているのかもしれない。
「お名前は?」
「ヘイム」
「立場」
「東の木橋の管理だ」
はい、嫌だ。緊急だ。
木橋はまずい。
止まると全部が止まるからだ。
「通行止めですか」
「完全じゃない」
「一番嫌なやつですね」
「その通りだ」
セレナが、はい、とだけ言った。
分かっている顔だ。
怖い。
だが助かる。
「では、東の木橋案件」
私は新しい紙を引きたかった。
引きたかったが、紙が薄い。
嫌な現実だ。
「受付」
ダンが言う。
「紙、もう半分だぞ」
「知っています」
「今から増えるんだろ」
「ええ」
「死ぬなよ」
「窓口は紙から死ぬので」
「また物騒なこと言ってる」
事実だ。
事実はたいてい物騒だ。
私は白紙をまた折った。
半分。
さらに半分。
即席案件票の完成である。
もうだいぶ慣れてきた。
慣れたくはない。
だが背に腹は代えられない。
「ヘイムさん」
「何だ」
「東の木橋、今どの荷が止まっていますか」
「木材」
「修繕用ですね」
「それだけじゃない」
「はい」
「乾物荷も、布も、荷車がびびって渡らん」
「でしょうね」
「通行止めの札も片方だけだ」
「でしょうね」
「何でわかる」
「嫌な橋の顔をしてるので」
ヘイムが少しだけ目を細めた。
「変な受付だな」
「よく言われます」
「でも間違ってはいない」
それは少しうれしい。
嫌な橋の顔、という表現も嫌いではない。
「では、東の木橋案件は二番目に見ます」
「二番目!?」
ヘイムが眉を上げる。
「薬草樽が日没案件なので」
「うっ」
「落ちそうなら先にします」
「落ちはしない」
「では二番目です」
「そういうところ、腹立つな」
「順番なので」
「そうかよ……」
そこへ、荷受け倉庫のバルトが低く言った。
「薬草樽のほう、北門坂だけじゃないかもしれねえ」
私は顔を上げる。
「どういう意味ですか」
「坂で止まったなら、半分だけ仮置き場へ回したやつがいるかもしれねえ」
ケベルが固まる。
エナも顔をしかめる。
「ありえる」
「誰が?」
「知らない!」
「知らない人が多いですね」
「知らねえから困ってるんだよ!」
その通りだ。
私は追記する。
仮置き場確認。
分割搬送の可能性。
護衛再編不明。
嫌な単語が増える。
だが、嫌な単語ほど書かないとあとで腐る。
「受付」
今度はロッドだ。
「はい」
「危険案件って、全部こんな感じなのか」
「だいたい、もっと静かに死んでいます」
列が少し静かになった。
言い方が悪かったかもしれない。
いや、かなり悪い。
でも嘘ではない。
「怖えよ」
「受付なので」
「もうそれ便利すぎるだろ」
かなり便利だ。
「薬草樽案件を先に整理します」
私は第二机を叩いた。
「まず人を振ります。荷運び経験者の方は?」
ダンが手を挙げる。
「ある」
「採取路の現地がわかる人は?」
エナが手を挙げる。
「わかるよ」
「荷受け確認は?」
バルトがうなずく。
「やる」
「護衛補助は?」
ロッドが胸を張る。
「できる」
「怪我、肩が少しだけですね」
「今それ言う!?」
「大事なので」
ガザムが不満そうに言う。
「俺は?」
「あなたは損耗申請経験者です」
「役に立たねえ!」
「いいえ。護衛補助へ」
「そこまで一旦下げるなよ!」
「事実の確認です」
後ろで笑いが起きる。
いい。
かなりいい。
人は役割が決まると少し落ち着く。
そういう生き物だ。
たぶん。
その時だった。
遠くから少年の声が飛んだ。
早い。
高い。
嫌な高さだ。
振り向くと、泥だらけの少年が通りを全力で走ってくる。
またか。
今日は本当に、走る日だ。
「受付さん!」
「はい」
「薬草樽!」
「はい」
「北門坂で一樽崩れた!」
ケベルが頭を抱える。
「だから言っただろ!」
「言われました」
「落ち着いてる場合か!」
「数を確認します」
「数!?」
「今、一番大事です」
少年が肩で息をしながら言う。
「一樽! 崩れて、半分流れた!」
「他は」
「二樽、仮置き場に回したって!」
エナが息を呑む。
バルトが低くうなった。
私は紙に線を引く。
不明三が、崩落一、仮置き二に変わった。
数字が動く。
よかった。
いや、よくはない。
でも最悪ではない。
かなり最悪寄りではあるが。
「では薬草樽案件、最優先で動きます」
私は言った。
「ダンさん、エナさん、北門坂へ」
「おう」
「わかった」
「バルトさん、荷受け待機」
「了解」
「ロッドさん、伝令」
「また走るのか!」
「肩が少しだけなので」
「その使い方やめろよ!」
「便利なので」
そこでまた笑いが起きた。
いい。
かなり張り詰めていた空気が少しだけ動いた。
だが、まだ終わらない。
第二机の前に、今度は別の紙束が置かれたからだ。
ノアだ。
採取師組合の臨時まとめ役。
顔が怒っている。
かなり。
「受付、こっちも見ろ」
「何ですか」
「白狼の爪で握り潰された苦情票だ」
木箱がどんと置かれる。
重い。
嫌な重さだ。
かなり嫌な重さだ。
私はしばらくそれを見た。
「……箱ですか」
「箱だよ」
「票の数は?」
「知らん!」
「では数えてください」
「今!?」
「分類に必要なので」
ノアが言葉を失った。
セレナが横で静かに言う。
「三つ目の列が生えましたね」
「ええ」
「嫌ですね」
「かなり」
私は空を見た。
青い。
本当に青い。
空だけは今日も何も知らない顔をしていた。
そして通りの向こうでは、さらにもう一台、別の荷車がこっちへ向かってきていた。




