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第4話 帳簿の魔女の裁定



「金庫棚の下から、見たことない帳簿がもう一冊出てきました!」


ハンスの叫びは、よく通った。


通りすぎて、街角まで届いた気がする。


私は荷車の横で止まった。


セレナも止まる。


白狼の爪の正面扉が、ばたんと開く。


ギルド長ボルドが、ものすごい勢いで飛び出してきた。


「待てええええ!」


やはり来た。


しかも速い。


思ったより足が速い。


その腹でよく走れるなと、少しだけ感心した。


「リゼ!」


「はい」


「戻れ!」


「嫌です」


「その帳簿の件でだ!」


「私、まだ何もしていませんが」


「だからだ!」


言ってから、ボルドははっとした顔をした。


周囲の冒険者たちが、じわっとこちらへ寄ってくる。


こういう時だけ集まりがいい。


「何もしてないのに戻れって、どういう意味だ?」


ガザムが言った。


「お前、あの受付いないと本当に何も回らねえのかよ」


「うるさい!」


「いや、うるさくはないだろ」


ドグラスまで腕を組んで出てきていた。


「今のはだいぶ面白かったぞ」


笑うな。


でも、私もちょっと面白い。


ボルドは青くなったり赤くなったり忙しい。


「と、とにかく内部のことだ! よそ者は口を出すな!」


その一言で、セレナが一歩前に出た。


静かな一歩だった。


なのに、妙に圧がある。


「よそ者ではありません」


「は?」


「私は、これからこの人の雇用側です」


周囲がどよめいた。


そうだよね。


言われると重いよね。


私も今ちょっと実感した。


新しい職場って、こういう時に頼もしい。


ボルドが言葉に詰まる。


「こ、雇用側だと?」


「はい」


セレナは平然としていた。


「そしてあなたは、追放した人材が何を管理していたのか、今さら理解して困っている最中です」


「ぐっ」


「観察する限り、かなり困っています」


「ぐぐっ」


ルノが後ろでうつむいていた。


笑っている。


肩が揺れている。


あとで怒られるぞ。


「帳簿を確認します」


セレナが続ける。


「そのために、関係者をここへ」


「断る!」


「では、このまま街路で話しましょう」


「困る!」


「どちらがですか」


ボルドは完全に詰まった。


そこへ、二階からハンスがまた叫ぶ。


「ギルド長! これ、表紙に赤線が入ってます!」


私は思わず振り向いた。


赤線。


それは私の印だ。


危険。


要照合。


放置厳禁。


そういう時にだけ使う。


ガザムがぽかんとした顔で聞く。


「赤線って、あれか。俺の損耗申請にもついてたやつ」


「はい」


「なんで帳簿にまでつくんだ」


「危ないからです」


「帳簿も危なくなるのか」


「なります」


「へえ……」


なぜそこで少し感心した顔をするのか。


でも、いい。


そういう理解は大事だ。


ボルドがわめく。


「ハンス! 勝手に触るな!」


「もう遅いと思います」


私は言った。


「見たことない帳簿が金庫棚の下から出た時点で」


周囲が、うんうん頷いた。


今日はみんな素直だ。


混乱すると人は案外まっすぐになる。


「公開で確認します」


私ははっきり言った。


「今、この場で」


「何でだ!」


「隠すからです」


即答した。


ボルドがよろめく。


「隠してない!」


「では見せましょう」


「見せる必要はない!」


「では隠しています」


「違う!」


「では見せましょう」


「お前会話が!」


「噛み合っています」


ドグラスがとうとう吹き出した。


「ははっ」


珍しい。


この人が声を出して笑うのは初めて見た。


「いいじゃねえか、見せろよ」


「ドグラス様まで!」


「俺は朝から赤線だの前金だので散々待たされてんだ」


ドグラスが斧の柄を肩に乗せる。


「せめて面白いもん見せろ」


その理屈はどうかと思う。


けれど、今は追い風だ。


白狼の爪の正面前に、簡易の長机が出された。


出したのはルノたちだ。


早い。


こういう時だけ仕事が速い。


緊張で手が震えているが、動いてはいる。


それで十分だ。


ハンスが問題の帳簿を抱えて降りてくる。


茶色い革表紙。


端が擦り切れている。


見覚えがあった。


いや、ある。


ありすぎる。


私は思わず眉を寄せた。


「それ」


「知ってるのか」


ドグラスが聞く。


「はい」


私は頷いた。


「旧式の照合帳です」


周囲が静まる。


知らない言葉だからだろう。


いい。


知らないなら説明できる。


「提出用の帳簿は、見せるための帳簿です」


私は帳簿を指した。


「業務用は、回すための帳簿です」


次に、受付の中を指す。


「照合帳は、嘘を見つけるための帳簿です」


数人が、ぞくっとした顔をした。


ガザムが素直に言う。


「うわ、怖え」


「だから帳簿の魔女って呼ばれるんですよ」


ルノがぼそっと言った。


聞こえている。


あとで覚えておいてほしい。


私は机につき、帳簿を開いた。


埃が少し舞う。


中の文字は、ほとんど私の筆跡だった。


でも途中から、別の字が混じっている。


そこを見るだけで、胃が少し重くなる。


「何が書いてある」


ボルドが訊く。


「自分で知らないんですか」


「うるさい!」


「では読みます」


私は最初の頁をめくった。


「前払金照合」


次。


「危険度再判定と支払保留理由」


次。


「依頼主苦情と未処理案件」


そして、問題の頁。


赤線が引かれていた。


私は指先でそこを押さえる。


「ここからです」


ボルドが目をそらした。


その時点で、だいたい終わっている。


「先月二十六日。南門倉庫行き荷運び依頼」


私は読む。


「受注印あり。支払済印なし。依頼主完了確認あり」


依頼主の年配の男が手を挙げた。


「それ、うちだ」


「はい」


「終わってんのに支払がないって、どういうことだ」


「帳簿上では、途中で止まっています」


「止めるなよ!」


「私もそう思います」


その次。


「北草原討伐。危険度再判定済み。赤線あり。前払保留」


ドグラスが鼻を鳴らす。


「それ俺のだな」


「はい」


「だから赤線だったのか」


「だから赤線でした」


「言われると納得するのが腹立つ」


「すみません」


全然すみませんと思っていない声音だった。


でも本当だ。


次の頁を開く。


そこに、はっきりと別の字が出てきた。


乱暴で、大きくて、雑な字。


私は見せるように帳面を持ち上げた。


「追記があります」


ボルドがぎくりとする。


「何のだ」


「ギルド長指示」


周囲がどっとざわついた。


ああ。


言ってしまった。


でも、ここで必要なのはこれだ。


「前払優先」


私は読む。


「規則後回し」


さらに次。


「赤線案件、一時無視」


もっと次。


「苦情票は見えないところへ」


ついに、周囲から笑いが漏れた。


いや、笑うところではない。


でも、少しわかる。


あまりにも雑すぎる。


ルノが思わず言う。


「見えないところへって、書くんだ……」


「書いてありますね」


「書くと見えるのに……」


「見えますね」


ドグラスが肩を震わせている。


ガザムは腹を抱え始めた。


「ぎゃはは! 苦情票は見えないところへって何だそれ!」


「静かにしてください」


私は言う。


「まだ続きがあります」


「まだあんのかよ!」


「あります」


私はさらに一頁めくった。


そして、そこで止まった。


あった。


決定打だ。


「受領印未了でも、ギルド長承認で可」


その一文の下に。


雑な印が押されている。


ボルドの印だ。


周囲が、一瞬で静まった。


今度は笑いではない。


理解した静けさだ。


「おい」


ドグラスの声が低くなる。


「それ、どういう意味だ」


「そのままです」


私は答える。


「本来、前払金は本人の受領印が必要です」


「俺は押してねえぞ」


「ええ」


「なのに出したのか」


「ギルド長印で通した」


ボルドが慌てて手を振る。


「ち、違う! それはただの仮処理で!」


「仮処理なら仮処理印を使います」


私は即答した。


「これは承認印です」


「うっ」


「しかも三回」


ドグラスの目がすっと細くなる。


あ、これはまずい顔だ。


私はすかさず次へ進めた。


火に油を注ぐ前に、火元を見せる。


「ガザムさん」


「お、おう」


「あなたの損耗申請が何度も未処理だった理由も書いてあります」


「何でだ」


「面倒だから後回し」


ガザムが固まった。


周囲がまた笑う。


ひどい。


ひどいけど、書いてあるのだから仕方ない。


「お前、面倒だからで止めてたのかよ!」


「いや、違う、それは言葉の綾で!」


「帳簿の中に綾はいりません」


私が言うと、ルノがぶんぶん頷いた。


サラまで頷いている。


いい傾向だ。


職員が帳簿の味方をし始めた。


これは強い。


依頼主の男が机を叩く。


「うちの荷運びも、止めたのはそっちの都合か!」


「ち、違う!」


「苦情票を見えないところへって自分で書いてるだろうが!」


「それはっ」


「どこが違うんだ!」


いっせいに声が飛ぶ。


前払金。


未処理票。


苦情票。


危険度の赤線。


全部が一本につながった。


しかもつながり方が、ものすごく情けない。


不正は不正でも、悪辣というより雑だ。


雑だから余計に腹が立つ。


私はそこで帳簿を閉じた。


ばん、と音が鳴る。


全員がこちらを見る。


「確認は以上です」


「以上か?」


ドグラスが言う。


「まだ殴ってないぞ」


「殴らないでください」


「気持ちはかなりある」


「わかります」


「わかるのかよ」


「帳簿を汚される気持ちは」


「そこかよ」


そこでまた笑いが起きた。


だめだ。


今日は本当に空気がおかしい。


でも、悪くない。


ボルドだけが悪い顔をしていた。


悪いというか、追い詰められた顔だ。


「り、リゼ」


急に声色が変わる。


嫌な予感しかしない。


「その……誤解だ」


「はい」


「ちょっとした手違いだ」


「はい」


「お前が戻ってくれれば、全部丸く収まる」


「嫌です」


即答した。


ボルドは本当に信じられないものを見る顔をした。


いや、そこまで驚くところではない。


朝追放して昼に泣きついてきた人間に、夕方戻る人はそんなにいない。


「ど、どうしてだ!?」


「どうしても何も」


私は机の帳簿を軽く撫でた。


「私は、必要ないと言われたので」


ボルドが詰まる。


周囲も、しんとした。


今度の静けさは少し違う。


笑いではなく、たぶん納得だ。


私は続ける。


「笑って判子を押していればいいとも言われました」


ルノがうわあ、という顔をした。


サラもしている。


ドグラスが露骨に目をそらした。


あなたもいたからね、その会議。


「なので、もう戻りません」


風が吹いた。


机の端の保留札が、一枚だけかさりと鳴る。


ちょうどいい間だった。


私はセレナのほうを見る。


「行きましょう」


「はい」


セレナが静かに頷く。


その顔には、変な慰めも、過剰な同情もなかった。


それがありがたい。


私は白狼の爪を振り返る。


ごちゃごちゃした机。


混ざった札。


青い顔の職員たち。


怒っている冒険者たち。


でも、もう知らない。


いや、少しは気になる。


気になるけれど、それは未練ではなく職業病だ。


「ルノ」


「は、はい!」


「黒印と青印、もう逆に押さないでください」


「はい!」


「サラさん。達成報告と支払を混ぜないで」


「はい!」


「ハンスさん。帳簿は見つけたらまず棚番を書いて」


「は、はい!」


「マーナさん」


「は、はい……」


「泣く前に数えてください」


「数をですか」


「現金をです」


マーナは半泣きのまま頷いた。


それでいい。


たぶん、少しは回る。


少しだけは。


私は最後にドグラスを見る。


「赤線案件は、明日まで保留です」


「まだ消えねえのか」


「消えません」


「ちっ」


でも、怒ってはいない顔だった。


少しだけ口元が緩んでいる。


この人もこの人で、今日一日で学んだのかもしれない。


前払金より先に見るべきものがある、とか。


いや、そこまではないか。


荷車のほうへ歩き出す。


夕方の光が差して、木箱の角が光っていた。


新設ギルドの受付備品一式。


一窓口分しかない、頼りない未来。


でも、だからいい。


最初から作れる。


私の好きな順番で。


私の嫌いな雑さを減らして。


セレナが隣に並ぶ。


「終わりましたか」


「はい」


「気は済みましたか」


「少しだけ」


「少しだけですか」


「帳簿はきれいに閉じたいので」


セレナが、ほんの少しだけ笑った。


上手な笑い方だった。


あまり音がしない。


仕事のできる人の笑い方だ。


荷車の前で、彼女が立ち止まる。


「正式に歓迎します」


「ありがとうございます」


「明日から忙しいですよ」


「知っています」


「かなりです」


「知っています」


「窓口担当はあなた一人です」


「それはさっき聞きました」


「しかも仮登録希望者が、ついさっきので増えました」


私は嫌な予感を覚えた。


「何人ですか」


セレナは視線だけで、荷車の向こうを示した。


振り向く。


そこには、人がいた。


たくさんいた。


さっきより増えていた。


荷車の後ろに、いつの間にか列ができている。


しかも妙に整っている。


白狼の爪の前より整っている。


なぜだ。


先頭にいた若い採取師の少女が、おそるおそる手を挙げた。


見覚えがあった。


朝、白狼の爪で初回登録をしていた子だ。


「あの」


「はい」


「こっちの新しいギルド、受付がちゃんとしてるって聞いて……」


私は空を見た。


今日二度目だ。


青さは少し薄れて、夕方の色になっていた。


逃げられない色だな、と思った。


列の後ろでは、ガザムまで腕を組んで立っている。


「おい」


「はい」


「損耗申請、こっちでもいるのか」


「いります」


「だよな」


なぜ納得した顔をする。


さらにその後ろ。


ドグラスまでいた。


「え」


「見学だ」


「そうですか」


「赤線の基準を聞きに来た」


「今ですか」


「今だ」


私は荷車の上の、たった一枚しかない受付窓口用の札を見た。


次に、列を見た。


そして、セレナを見た。


「確認です」


「はい」


「これ、今日からですか」


セレナは静かに頷いた。


「はい」


私はため息をついた。


長く、深く。


でも少しだけ、笑っていたと思う。


「では」


私は荷車の箱を開ける。


中から木札を取り出す。


受付窓口用。


たった一枚。


それをひっくり返して、裏に書いた。


仮登録受付。


「並んでください」


その一言で、列がぴんと伸びた。


やっぱり。


泣く前の地獄のほうが、ずっと扱いやすい。

すご腕の事務キャラを思い付いた瞬間に、これは書きたいとなって、そのまま4話まで走りました。


荒くれ戦闘職にもSランク冒険者にも一歩も引きません。

派手な戦闘ではなく、受付、帳簿、窓口対応、ギルド運営みたいな仕事の強さで魅せる主人公です。

こういうタイプのキャラが好きなので、とても楽しく書けました。


こういうすご腕さんは、ひどい状況であればあるほど、輝く気がします。


ここで終わらせるのはもったいないなと思っているので、できたらこの先も続きを書きたいです。

応援していただけると、とても励みになります。


よろしくお願いします。

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