第14回 選ばれる窓口
第9回
選ばれる窓口
「ギルド長じゃありません!」
使いの男は、広場の入口でそう叫んだ。
息が切れている。
でも、前の使いよりは顔色がましだ。
白狼の爪にしては珍しい。
あちらは最近、だいたい青い。
「誰ですか」
私が聞くと、男は肩で息をしながら答えた。
「事務補佐のレムさんです!」
ああ。
少しだけ納得した。
ボルドではない。
それは大きい。
かなり大きい。
「泣きつき方を変えてきましたね」
セレナが静かに言う。
「ええ」
「嫌ですね」
「かなり」
ロッドが首をかしげる。
「誰だそのレムって」
「前に帳票を運んでいた人です」
「地味だな」
「そういう人の方が厄介です」
「何でだよ」
「状況が見えているので」
「うわ」
だろうと思った。
勢いだけで来る相手より、事務の現場が見えている人間の方が話は通る。
通るぶん、中身が重い。
かなり重い。
広場の端から、男が近づいてきた。
白狼の爪の職員服。
だが、服の乱れ方が違う。
怒鳴って走ってきた人間のそれではない。
机にかじりついて、最後に観念して出てきた人間の乱れ方だ。
私はそういう乱れをよく知っている。
「……リゼさん」
「はい」
「白狼の爪、事務補佐のレムです」
声が低い。
落ち着いている。
そして、その落ち着きの底に疲れが見える。
かなり。
「ご用件は」
私は聞いた。
「今ここで長い話なら嫌です」
「正直ですね」
「窓口なので」
「便利な言葉ですね」
「かなり」
少しだけ、レムの口元がゆるんだ。
笑ったというほどではない。
でも、少しだけ人の顔に戻った。
「お願いがあります」
「嫌です」
「まだ言ってません!」
後ろで笑いが起きた。
よくない。
でも、広場の空気はだいぶこちらだ。
それは認める。
かなり認める。
「では言ってください」
「ありがとうございます……」
レムは一度だけ、広場を見回した。
中央机。
第二机。
第三机。
札。
一覧。
相談票。
進行札。
箱。
その全部を見てから、少しだけ苦い顔になる。
「……白狼の爪、今、窓口がかなり厳しいです」
「でしょうね」
「その“でしょうね”が一番きついです」
「確認なので」
「確認が鋭い……」
レムは小さく息を吐いた。
逃げない。
そこは偉い。
かなり偉い。
「戻ってきてほしいとは言いません」
広場が少しだけ静まる。
私も、少しだけ顔を上げた。
それは予想と少し違った。
「言いませんか」
「言えません」
レムははっきり言った。
「今さら戻っても、たぶんもう無理です」
「そうですね」
「やっぱり即答なんですね」
「確認です」
「確認が痛いなあ……」
わかる。
でも、そこは事実だ。
戻る気はない。
それは最初から変わっていない。
「では何ですか」
私は聞く。
「窓口の順番を、教えてもらえませんか」
広場の空気が、少しだけ変わった。
笑いではない。
驚きとも少し違う。
ちゃんと困って、ちゃんと見えている人間の頼み方だと、みんな理解したのだろう。
ノアも黙る。
ダンも黙る。
ロッドですら黙った。
それはかなり珍しい。
「順番」
私は繰り返した。
「はい」
レムがうなずく。
「戻らなくていい」
「人も貸さなくていい」
「でも、窓口の流し方だけでもないと、白狼の爪の中でまた全部が一つに積まれる」
「前金も、苦情も、納品も、薬品も、全部」
そこまで言って、少しだけ目を伏せた。
「俺たち、ずっとそこが分かってなかった」
私は何も言わなかった。
言わなくても、広場の空気が少しだけ重くなったからだ。
白狼の爪を嫌っている人間だって、全員が全員、壊れてほしいと思っているわけではない。
窓口が死ねば、困るのは街の側でもある。
そこが厄介だ。
そして、本当の窓口の嫌さでもある。
「受付」
ダンが低く言う。
「はい」
「そこは、だな」
「はい」
「街のためにはいるな」
「そうですね」
私は答えた。
正直、少しだけ悔しい。
もっと気持ちよく、ざまぁのまま切りたくないわけではない。
かなり切りたい。
でも、窓口が本当に死ぬと困る。
それも事実だ。
そこが面倒だ。
本当に。
「レムさん」
私は言った。
「白狼の爪に戻ることはありません」
「はい」
「人も貸しません」
「はい」
「でも」
一拍置く。
「順番だけは紙で渡せます」
レムが顔を上げた。
「あ」
「口で渡すと散るので」
「そこなんですね……」
「かなりそこです」
レムは少しだけ笑った。
疲れている。
胃も痛そうだ。
でも、たぶん今、少しだけ助かった顔をしている。
そういう顔は見ればわかる。
窓口なので。
私は広場の中央机に新しい紙を引いた。
大きく書く。
窓口一次仕分け。
その下に線を引く。
達成報告。
前金。
苦情。
依頼主相談。
危険度保留。
薬品補充。
その横に、さらに矢印を書く。
受けるだけ。
今日返さない。
保留札をつける。
箱に入れる。
一覧に出す。
「……うわあ」
ルノが後ろで小さく言った。
「はい」
私は頷く。
「うわあ、ですね」
「これ、最初から分けるんですか」
「はい」
「全部一つの机じゃなくて」
「はい」
「うわあ……」
良い“うわあ”だった。
気づいた人の“うわあ”だ。
かなり良い。
私は続ける。
「前金と完了報酬は混ぜないでください」
マーナがびくっとする。
「はい……」
「薬品棚は、首から札を下げるのはやめてください」
ルノが首の札を押さえた。
「だ、だめですか」
「最終手段です」
「そうですよね……」
「箱が足りないなら、箱を増やすより分類を増やしてください」
レムが真剣な顔で聞いていた。
「分類」
「はい」
「苦情の中でも、今日見るものと、明日でも死なないものを分ける」
「死ぬ」
「比喩です」
「でもわかります」
レムは紙をじっと見ていた。
その目線が良い。
逃げていない。
ちゃんと読んでいる。
やはり、この人は話が通る。
通る相手ほど、こちらも手を抜きたくなくなる。
それは良いことでもあり、悪いことでもある。
たぶん。
「受付」
ノアが腕を組んで言う。
「優しいね」
「そうですか」
「嫌いな相手だろうに」
「嫌いです」
「言うねえ」
「かなり」
広場で少し笑いが起きた。
レムも、苦笑いをした。
「否定しないんですね」
「確認です」
「便利だなあ、本当に……」
便利だ。
だが、今のは本当に嫌いではある。
ただ、それと窓口は別だ。
そこを混ぜると、今度は私の机が死ぬ。
それも嫌だ。
かなり。
「リゼ」
アーヴィンが低く言う。
「はい」
「そこまでだ」
私は頷いた。
そうだ。
順番だけ。
線は引く。
ここを越えると、新設ギルドが旧ギルドの尻拭いに戻る。
それはだめだ。
絶対にだめだ。
「レムさん」
私は紙を差し出した。
「これを持ち帰ってください」
「はい」
「ただし」
「はい」
「次に来るなら、人ではなく規約を持ってきてください」
レムが目を瞬く。
「規約」
「窓口の並べ方です」
「前金をどこで切るか」
「苦情をどこまで今日見るか」
「保留札を誰がつけるか」
「そういうのがないと、また全部一つになります」
レムはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりうなずく。
「……やっぱり、そこなんですね」
「そこです」
「順番がないから死ぬ」
「はい」
「順番が見えたら、少しは生きる」
「かなり」
「……うわあ」
ルノの“うわあ”がうつったらしい。
少し面白かった。
少しだけ。
レムは深く頭を下げた。
きれいな礼だった。
ボルドの礼ではない。
ちゃんと現場の人間の礼だ。
「ありがとうございます」
「いえ」
「戻らないのに」
「戻りません」
「人も貸さないのに」
「貸しません」
「でも順番は渡す」
「窓口が全部死ぬのは困るので」
レムは小さく笑った。
疲れているのに、その笑いはさっきよりだいぶ軽かった。
「リゼさんらしいですね」
「そうですか」
「はい」
その言い方は、少しだけ悪くなかった。
レムが去ったあと、広場に少しだけ静けさが戻った。
ノアが箱を叩く。
「で」
「はい」
「こっちはまだ苦情があるんだけど」
「知っています」
「今のは優しい顔だったね」
「気のせいです」
「いや、少しだけだった」
「少しだけなら許容範囲です」
ノアが笑う。
ダンも笑う。
ロッドまで、何だよそれ、と笑った。
よかった。
広場が硬くなりすぎると、人は散る。
今はまだ、散ってほしくない。
かなり。
「リゼ」
アーヴィンが言う。
「はい」
「話がある」
来た。
やはり来た。
今の流れなら、そうだろうと思っていた。
かなり。
でも、やはり少しだけ嫌だ。
机の上の紙とは違う重さがあるからだ。
「今ですか」
「今だ」
「嫌ですね」
「逃げるか」
「逃げません」
「そうか」
セレナが横で静かに言う。
「顔が二つあります」
「どういう意味ですか」
「嫌そうな顔と、やる気の顔です」
ダンがうなずく。
「わかる」
ロッドまで言う。
「今それだ」
三対一はずるい。
かなりずるい。
私は深く息を吸った。
机の上を見る。
契約紙。
相談経由一覧。
停止案件一覧。
窓口一次仕分け。
全部、今日ここで積み上がった紙だ。
重い。
でも、嫌いではない。
むしろ、かなり好きな重さだ。
たぶん、そこがもう答えなのだろう。
アーヴィンとセレナが、広場の少し奥へ移動する。
みんな、なんとなく空気を読んで半歩引いた。
こういう時だけ本当に察しがいい。
不思議だ。
「リゼ」
アーヴィンが言う。
「はい」
「新設ギルドは、もう一窓口の話ではない」
「そうですね」
「契約が来た」
「はい」
「組合が動いた」
「はい」
「待機所も動いた」
「はい」
「だから、受付を回す人間では足りない」
私は黙っていた。
言葉にすると、少しだけ怖いからだ。
でも、黙っていても、セレナは逃がしてくれなかった。
一枚の木札を差し出す。
新しい。
まだ墨もきれいだ。
そこに書かれている文字を見て、私は少しだけ目を見開いた。
窓口統括。
「……統括」
「はい」
セレナが頷く。
「仮ではありますが」
「窓口設計」
「規約整理」
「帳票管理」
「進行優先の決定」
「今のあなたが全部やっています」
アーヴィンが低く続ける。
「だから、席を作る」
「窓口統括として」
広場の音が少し遠くなった気がした。
変だなと思う。
苦情票の箱を見た時より。
薬草樽の荷札が重複していた時より。
東の木橋の沈みを見た時より。
今が一番、胸の奥がざわつく。
たぶん、責任に名前がついたからだ。
「……いいんですか」
私は聞いた。
「私で」
アーヴィンは迷わなかった。
「お前以外では遅い」
セレナも言う。
「少なくとも、今はいません」
ずるい言い方だ。
とてもずるい。
でも、正しい人の正しいずるさだ。
そこが一番効く。
私は木札を受け取った。
少しだけ重い。
でも、嫌な重さではない。
机の上に積んできた紙の重さに、少し似ていた。
「受けます」
口に出すと、思ったよりすっと出た。
広場の空気が動く。
ロッドがうわあと言う。
ノアがにやりとする。
ダンは笑う。
ルノはなぜか感動した顔をしている。
早い。
感情移入が早い。
だが、悪くない。
「ただし」
私は続けた。
「窓口は増やします」
アーヴィンが頷く。
「増やせ」
「札も増やします」
セレナが頷く。
「準備します」
「規約も書きます」
「ええ」
「苦情票の箱は減らします」
ノアが笑う。
「それは助かる」
「待機所用の進行札も作ります」
ダンが言う。
「やっぱ好きだろ」
「便利なので」
「認めたな」
「はい」
もう隠しても仕方ない。
便利な札は好きだ。
順番が見える窓口はもっと好きだ。
かなり。
私は窓口統括の札を、中央机の端に立てかけた。
少しぐらつく。
ユアンが飛んできて、すぐに木片を差し込んだ。
「今です!」
「ありがとうございます」
「こういうの得意になってきました!」
「良いことです」
本当に良いことだ。
札は、きれいに立った。
新しい札。
新しい席。
新しい窓口の名だ。
私はその前に立つ。
広場の列を見る。
苦情の列。
相談の列。
依頼の列。
みんな、こっちを見ている。
今なら言える。
言わなければいけない。
「では」
広場が、少しだけ静かになった。
私は新しい札の前で、最初の一声をかける。
「並んでください」
その一言で、広場の列がすっと整った。
誰も怒鳴らない。
誰も割り込まない。
まだ完璧ではない。
でも、十分だ。
窓口統括の札は、まだ新しい。けれどその前にはもう、迷わず並ぶ列ができていた。




