表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/15

第15回 新しい窓口の名



窓口統括の札は、朝の光を受けてもまだ少しだけ新しかった。


当たり前だ。


昨日立てたばかりだし、昨日のうちに三回はぐらついた。


そのたびにユアンが木片を差し込み、私が位置を直し、セレナが「札も朝は機嫌が悪いですね」と真顔で言った。


意味はよくわからない。


でも少しだけ気持ちはわかった。


新しい窓口は、だいたい朝がいちばん不安定だ。


「増えてますね」


私は広場の列を見て言った。


「増えています」


セレナが静かに答える。


「苦情ではなく、相談の列が」


「それは良い増え方です」


「はい。かなり」


中央机。


第二机。


第三机。


札は昨日より増えた。


仮登録。


相談経由。


苦情経由。


停止案件。


待機所連絡。


通行情報。


文字だけ見ると、だいぶ落ち着きがない。


でも、落ち着いていない街を回すには、このくらい落ち着きのない机のほうが役に立つ。


たぶん。


「受付」


ダンが腕を組んだまま言う。


「もう受付じゃねえだろ」


「窓口統括ですね」


ロッドが言う。


「でも、受付って呼びたくなる」


「わかります」


ノアが箱を抱えて笑う。


「怖さの種類が変わってないからね」


「それは褒めていますか」


「かなり」


たぶん褒めている。


たぶん。


そこへ、広場の入口がざわついた。


見なくてもわかる。


嫌な気配の歩き方だ。


でも、昨日のボルドではない。


もっと疲れていて、もっときちんとしていて、もっとちゃんと困っている歩き方だ。


レムだった。


白狼の爪の事務補佐。


今日は一人だ。


それだけで、だいぶましに見える。


かなり。


「……おはようございます」


レムが言う。


少しだけ顔色が良くなっていた。


昨日よりは、だが。


白狼の爪基準での“まし”は、だいたいまだ悪い。


「おはようございます」


私は返す。


「戻る気はありません」


「そこからですか」


「確認です」


「朝から刺さるなあ……」


後ろで小さく笑いが起きる。


でも、広場の空気は悪くない。


昨日で線は引けた。


今日はその線の上に立つだけだ。


「規約を持ってきました」


レムが言った。


私は少しだけ目を上げた。


「規約」


「はい」


「窓口の並べ方」


「前金の切り方」


「苦情の一次分類」


「保留札の扱い」


そう言って、レムは紙束を差し出した。


昨日の“順番だけでも”から、一晩でここまで形にしてきたのか。


それは正直、少し驚いた。


かなり少しだけだが。


「早いですね」


「寝ていません」


「でしょうね」


「その返事、やっぱりきついです」


「確認なので」


「便利ですね、それ……」


レムは本当に疲れていた。


でも、紙は読める形になっている。


そこが良い。


かなり良い。


私は中央机にその紙を置いた。


読む。


前金と完了報酬を分ける。


苦情票は箱ではなく三分類。


危険度保留は窓口から外へ出さない。


薬品札の色を固定。


だいぶ良い。


かなり良い。


「直しましたね」


「はい」


「昨日の紙をほぼそのまま写しました」


「正直でよろしいです」


「隠せる段階じゃないので……」


それもそうだ。


広場の空気が、少しだけやわらぐ。


ノアが箱を抱えたまま言う。


「白狼の爪も、まだ完全に終わったわけじゃないんだね」


「終わりかけではあります」


私が言うと、レムがすぐに返した。


「かなり」


広場で笑いが起きた。


良い返しだ。


少しだけ、この人は好きかもしれない。


かなりよくない兆候だが。


「で」


ダンが言う。


「人は貸さねえんだろ」


「貸しません」


私は即答した。


「戻りもしません」


レムがうなずく。


「わかっています」


「そこはもう」


「かなり」


ロッドが吹いた。


「伝染してるな」


「便利ですから」


セレナが真顔で言う。


やめてほしい。


最近、この広場では便利な言葉が増殖する。


だが、嫌いではない。


「規約は受け取ります」


私は言った。


レムが顔を上げる。


「はい」


「ただし」


「はい」


「白狼の爪の中で、これを守れる人が必要です」


「それは……」


レムは少しだけ言葉を探した。


「何人かはいます」


「何人かでは足りません」


「そうでしょうね……」


「少なくとも、机を勝手に一つに戻す人は外してください」


広場のあちこちで笑いが漏れる。


レムは深くうなずいた。


「たぶん、そこが一番大事です」


「かなり」


「やっぱりそうですよね」


ルノが、少しだけ手を挙げた。


首から下げていた薬品札は、今日は机の横に立てかけてある。


えらい。


かなりえらい。


「俺、頑張ります」


「薬品棚ですか」


「窓口もです」


私は少しだけ見つめた。


昨日の“うわあ”が、今日はちゃんと人の顔になっている。


悪くない。


「札を首から下げなければ」


「はい!」


「まずはそこからです」


「そこからなんだ……」


広場がまた少し笑った。


良い。


緊張がほどける。


ほどけたあとで、きちんと締められる空気が、今のこの広場にはある。


たぶん、それがいちばん大きい。


「レムさん」


私は改めて紙を揃えた。


「順番は渡します」


「はい」


「規約も読みます」


「はい」


「でも、新設ギルドは白狼の爪の後始末係ではありません」


「はい」


「そこだけは、絶対に混ぜないでください」


レムは真顔で頷いた。


「混ぜません」


「本当に?」


「昨日の広場を見て、それを混ぜたら死ぬとわかりました」


「物騒ですね」


「あなたに言われたくないです」


たしかに。


それは少しだけそうだと思う。


かなり少しだけだが。


レムが去ったあと、広場は一度静かになった。


静かだ。


苦情がないわけではない。


相談が減ったわけでもない。


でも、静かなのは、みんなが“次に何が起きるか”を少し待っているからだ。


それは悪くない静けさだった。


「受付」


ダンが言う。


「はい」


「いや、もう統括か」


「どちらでも」


「じゃあ受付統括」


「雑ですね」


「今は勝てばいいので」


広場がどっと笑った。


セレナまで、少しだけ肩を揺らした。


よくない。


とてもよくない。


でも、このくらい崩れているほうが、肩の力は抜ける。


必要な崩れ方というものもある。


たぶん。


アーヴィンが一歩前へ出た。


低い声が、広場の机を越えて広がる。


「聞いてくれ」


広場が静かになる。


一瞬で、だ。


この人の声は、たぶんそういう声だ。


強くはない。


でも、余計な熱がないから、逆に止まる。


「新設ギルドは、今日から正式に窓口を分ける」


第二机。


第三机。


中央机。


それぞれを示す。


「相談経由」


「苦情経由」


「停止案件」


「待機所連絡」


「通行情報」


「これらは今後、窓口統括の下で一元管理する」


視線が、一斉にこちらへ向いた。


やめてほしい。


そういう一斉は照れる。


かなり。


「また、規約の整理と帳票管理も進める」


「新設ギルドは、話を聞くだけの場所ではない」


「順番を作り、見える形で流す窓口だ」


ノアが、ふっと笑った。


「いいね」


ダンもうなずく。


「かなりいい」


ヘイムは腕を組んだまま、低く言った。


「橋も助かる」


サナが紙を抱え直す。


「布屋もね」


次々に、そういう声が広がる。


大きな拍手ではない。


叫びでもない。


でも、ひとつひとつがちゃんと届く。


こういう承認は、変に大きい拍手より重い。


たぶん、ずっと。


「窓口統括」


ロッドが小さく言う。


「言われてみると、似合うな」


「そうですか」


「受付のままだと足りねえし」


「それはどうも」


「怖さもそのままだし」


「そこは余計です」


「でも大事だろ」


たしかに。


少しだけ。


いや、かなり大事かもしれない。


怖い窓口は、列を守る。


列が守られると、街が少しずつ回る。


そういう理屈だ。


たぶん。


私は新しい札を見た。


窓口統括。


昨日はただ“重い”と思った。


でも、今は少し違う。


重いのは変わらない。


でも、その重さに、ちゃんと机がある。


札がある。


周りに人もいる。


そう思うと、昨日ほどのざわつきはなかった。


「セレナさん」


「はい」


「札、まっすぐですか」


セレナは見た。


そして、少しだけ口元をゆるめる。


「珍しく」


「何ですか」


「今日は機嫌がいいようです」


「札がですか」


「ええ」


意味はよくわからない。


でも、少しだけわかった気もした。


今朝から、この札は一度もぐらついていない。


ユアンが、えへんと胸を張る。


「木片の角度を変えました!」


「素晴らしいです」


「そこ、かなり大事なんですね」


「かなり」


ユアンは本当に、今日は帰っていい顔をしている。


かなり。


広場の端で、新しい列ができ始めていた。


苦情の列ではない。


相談の列でも、怒りの列でもない。


順番を知って並ぶ列だ。


それは少しだけ、感動的だった。


でも、そういうことを顔に出すとノアあたりにからかわれそうなので、出さない。


「では」


私は中央机の前に立った。


新しい札の下。


新しい規約の横。


新しい一覧の前。


広場の列を見渡す。


苦情の箱はまだある。


停止案件もまだある。


白狼の爪も、まだ死にきってはいない。


街の面倒は、これからも増えるだろう。


でも、それを整理する机が、今ここにある。


それはだいぶ大きい。


「並んでください」


その一言で、広場の列がすっと整った。


誰も怒鳴らない。


誰も迷わない。


少なくとも、どこへ並べばいいかは全員が知っている。


それだけで、人はずいぶん穏やかになる。


本当に不思議だ。


私は少しだけ息を吐いた。


新しい窓口の名は、もう立っている。


そして、その前には、今日もちゃんと列ができている。


本当に怖い受付嬢は、並ばせるだけでなく、街を回してしまうのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ