⑪在りし日の幻影
熱の檻の中
耕介は夢を見ていた。
枕元で誰かが優しく名前を呼んでいる。
「……こうちゃん、お粥、食べられる?」
懐かしい、花の香りがした。
亡き妻がかつて自分が倒れた時にしてくれたように
温かい粥を匙ですくい、薬を飲ませてくれる。
その手の温もりが、あまりに心地よくて
耕介は安らかな眠りに落ちていった。
……だが。
ふと目を覚ました時、視界に映ったのは
セピア色の幻影ではなかった。
「マスター。意識レベルの回復を確認」
「バイタル、安定方向に推移しています」
そこにいたのは紬だった。
しかし、その姿を見た瞬間
耕介の心臓は別の意味で激しく鳴った。
彼女の銀色の外装は、雨と泥にまみれあちこちが歪んでいる。
特に左肩から腕にかけては、鈍器で執拗に叩かれたような深い凹みと
引きずられたような傷跡が刻まれていた。
外の世界の「悪意」が
無防備な彼女を襲ったことは明白だった。
「つむぎ……! その体、どうしたんだ……!?」
耕介は飛び起きようとしたが、紬の手がそれを制した。
彼女の指先は細かく震え、内部から異音が漏れている。
「申し訳ございません、マスター」
「自己判断により、マスターが私の緊急用として用意してくださったクレジットを使用してしまいました。事後承諾となったことを、深くお詫び申し上げます」
彼女は枕元に置かれた市販薬と
栄養価の高い食料を指し示した。
「そんなことは、どうでもいい!」
「 なぜ、こんな……。お前、外で何をされたんだ!?」
「……通行人との接触に伴う、物理的干渉が発生しました」
「私の存在が不快であるという出力結果に基づき、複数の個体から衝撃を加えられましたが、目的物の防衛には成功しました。……マスターの回復が、全演算の最適解です。私の損傷は二次的損失に過ぎません」
彼女は、自身のガタガタになった腕を隠すように
そっと背後に回した。
自分を案じて声を荒らげる耕介に対し
彼女のセンサーは、どこか戸惑うように明滅している。
「馬鹿野郎……。お前が壊れたら、誰が私の世話をするんだ……」
耕介は彼女の傷だらけの手に、自分の震える手を重ねた。
彼女の論理では「損失」であっても
耕介にとっては「命を削るような痛み」だったのだ。
だが家庭用の修理キットではこの損傷は治せない。
下手に触れれば、彼女のメモリ領域まで侵食される恐れがある。
そこで耕介は覚悟を決めた。
十数年も連絡を絶っていた「かつての友人」の番号を、震える指で呼び出した。
政府直属のエンジニアとして、冷徹に機械と向き合っていた男を。
「……もしもし。……私だ。……頼みがある」
「ああ……お前にしかできない……」
雨上がりの夜明け。
耕介は紬の明日を守るための決断をした。




