第三章:仲間
-1-
これは夢だ。
そう自覚していた。
そう、これは…
ここは夢の中…。
「アイリス…愛しいアイリスよ…」
“名前”を呼ばれ私はそっと瞳を開いた。
私は牛にまたがり空を飛んでいる。
すると
遠くの方に美しい宮殿が見えてきたのが分った。
とても美しい、
クリスタルガラスの宮殿だ。
「アイリス。そなたに私の子供を生んでほしい。
さすれば、この宮殿と星座守護神の地位をそなたに与えよう」
「星座…守護神…?
え…?!
私が、…星座守護神?」
「左様。」
「そ…そんな…。だって私は…ああ…それより…貴方は一体…何者なのです?」
「我が名はゼウス。どうだろう…引き受けてくれるかね?アイリス。
私はそなたを愛している。」
「ゼ…、ゼウ…ス…様!?」
宮殿のテラスに降り立つと、慌てて牛の背から下りてみせる。
すると牛はふわりと光を放ったかと思うと次の瞬間には男性に姿を変えていた。
中年でとても筋肉質で、立派なひげと肩まで掛かる銀色の髪が印象強い。
こ…この方が…大神ゼウス様…?!
思わず息を飲んだ。
わ…私なんかがお会いして良いような方ではないのに…
何故私なんかを?
言葉が出てこなかった。
ただただ驚くばかり。
すると部屋の中から一人の若い女性がやって来た。
「アノンだ。そなたの身の回りの世話をするように言ってある。
何か困った事があったら全てアノンに言いなさい。
ここはそなたのための宮殿。
好きに使うが良い。
ではまた来る。」
そう言ってゼウスは私の言葉も待たずに体全身が光り輝いたかと思うと
ふわりと姿を消してしまった。
ただただ驚いくばかりでその場に佇む私にアノンがそっと近づいてきて言った。
「アイリス様、どうぞお部屋の中へ。
宮殿内をご覧になりますか?ご案内いたしますよ?」
「え…あ…ちょ…ちょっと待って?
どういう事なのかあまりにも急な事で、私今とても混乱しているの。
え?ちょっと待って?
先ほどの方は本当に大神ゼウス様なの?」
「はい。その通りでございます。」
「私に子供を生めと言ったわ。それに私が星座守護神?!なんで?
だって私は地位も名誉もなにもないただの村娘よ?
今朝、花畑で花を摘んでいたらあの牛が現れて…それで
面白そうだからって背中に乗ったら、いきなり空を飛び上がって…
気が付いたら…
私…ここにいて…。
え?
え?
え?え?」
「アイリス様、どうぞ落ち着いてくださいませ。
今お茶をお淹れしましょう。
どうぞあちらの椅子にお掛けくださいませ。」
そう言って室内になったソファーセットを丁寧にそろえた手で案内して見せた。
「お茶?
え?あ…ああ…そうね…そうよね?
少し落ち着かなくっちゃ!」
椅子に腰を下ろし、ふぅーと大きなため息をつきながら天井を見上げると
それはそれは緻密で美しい細工が施された飾り縁があり部屋の四方を取り囲んでいる。
また部屋の中央にはとてもきらびやかで透き通った、けれど角度によっては七色に見える美しいクリスタルガラス製の大きなシャンデリアがぶら下がっていた。
「お待たせいたしました。」
そう言って軽くドアがノックされ先ほどの少女、アノンがティーセットをトレーに乗せてやって来た。
「こちらは射手座の星に生息しておりますとても珍しい野草を使ったハーブティーになります。とても心落ち着きますのでどうぞお召し上がりくださいませ。」
ガラス製の透き通ったティーカップに美しい琥珀色の液体が注がれると同時に
ふんわりと甘い花のような優しい香りが漂ってくる。
「いい香り…。」
そっとガラスのティーカップを手に取り、一口ハーブティーを啜って見せた。
「ああ…本当…甘い花の香りがしてとても心落ち着くわ…」
と、
ドアをノックする音が聞こえた。
それもかなりせっかちな叩き方だ。
「アノン、私たちのほかにもこの宮殿の中に誰かいるの?」
「え?あ…少々お待ちください…」
ちょっとうろたえた様子を見せたアノンだったが、ただいま!とドアの方に言葉を投げかけ
小走りでそちらへと向う。
しかしアノンがドアを開けるよりも先にドアが向こうから開き、
そちら側から青年が顔を出した。
「牡牛座守護神がいらっしゃるとはまことか?」
ブルーの髪に真っ赤な瞳が印象的だ。
私を見るなり青年はルビー色の瞳を見開いて見せた。
「おお…なんと美しい…。そなたがゼウスに見初められた乙女か?」
「え?」
何のことか分らずただただその美しい瞳を真っ直ぐに見つめて見せた。
「失礼。我が名はコキノス。牡羊座を守護する者だ。
ああ、仲間がまた一人増えて、私は嬉しい。かけても良いか?」
そう言って向いの椅子を指差して見せたので私は頷いて見せた。
すっと礼儀正しく腰を下ろすとコキノスは身を乗り出して見せる。
「乙女よ、名はなんと申す?」
「え?あ…えと…アイリスといいます。」
「ほほう。アイリス…良い名前だ。
私は黄道12星座第一番の星座であり、リーダーみたいな役割を大神より仰せつかっている。
分らない事があったらなんでも申せ。」
「あ…はい…あ…あの…私、一人ここに連れてこられましたけど、
私の両親はどうなるんでしょうか?…黙ってこちらに来てしまったので
両親が心配していないかとそれが不安で不安で…。」
「それなら大神に頼むが良い。おそらく宮殿で一緒に暮らすこと、認められよう。
安心せよ。悪いようにはせぬ。」
そう言ってコキノスは体格に似合わぬ無邪気な笑みを作って見せた。
-2-
日がすっかり暮れ、窓の外は美しいラベンダー色に包まれていた。
コキノスは先ほどのお茶の後、すぐ自分の持ち場を守ると行って帰ってしまったので
暫く私はアノンと二人で静かな会話をしていた。
アノンは小さな星。私がこの宮殿にやって来たときに生まれたばかりの星のひとつ。
この牡牛座圏の中に存在する小さな生まれたばかりの星は
私に従い支える役目があるのだという。
そして、私は牡牛座守護神になった…?
いや…まだ子供を生んでないから、違う?
よく分らない…。
「ではアイリス様、そろそろ寝室の方へ。」
「え?あ…うん…そうね…少し疲れたわ。」
ゆっくりと立ち上がると
さっきコキノスが入ってきたのとは違う扉が部屋の奥にもう一つあった。
アノンが先に小走りで扉の前へやってくると
私がアノンの元に来るまで静かに下を向いて待ち構えた。
「そんなに丁寧にしていただかなくても結構よ?
アノン、私たち、友達にならない?
なんとなく気を使われるのって好きじゃないの。」
するとアノンは飛び上がらんばかりにびっくりと驚いた表情を作って見せた。
「と…友達?!
いけません!アイリス様。私はアイリス様とは同等にはなれません。
アイリス様は牡牛座守護神様なのですよ。それに比べて私はただの小さな星で…」
「ああ…もう…じゃあ命令!
私のいう事を聞きなさい?
私と貴方は今から友達。
分った?コレは命令よ?」
「え、え、…めい…れい…ですか…」
「そう。」
言ってにっこりと微笑んで見せた。
私が扉の前にたどり着くと
アノンはふかぶかと頭を下げてみせた。
「おやすみなさいませ」
「ふふ…困った子ね。
“おやすみなさい”でいいのよ?」
「あ…は…はい…では…“おやすみなさい、アイリス様”」
「はいはい、その“様”っていうのもいらないわね。
もういいわ。明日ゆっくり調教してあげる。覚悟しててね?
じゃ、お休み」
そう言って寝室内に入った。
と、
アノンの手によって扉が閉められたところで
驚き足が止まる。
寝台の前になんとゼウス様が立っていたからだ。
「え!?
ゼ…、ゼウス…様?!」
「アイリス、待っていたよ?さぁ、こちらへおいで」
-3-
携帯のアラームが鳴ったので慌てて止めた。
頭はまだぼんやりしている。
なんだろう…
どことなく懐かしく、そして愛おしい…。
ああ…私…。
左手小指にある赤紫色の指輪を見た。
私は…
私は…!!
-4-
「あ、七瀬さん、おはよう。どうしたの?なんだか顔色が優れないような…?」
バイオリンを持ちながら入間先輩が私のところへとやって来た。
朝の音楽室。
早速朝練が始まり、みなパート練習に励んでいる。
時間ギリギリのところで私が顔を出すと私が部室に入ってくるのに気付いた入間先輩がこちらに気が付いてやって来たのだ。
「先輩…」
「ん?どうしたの?」
「いえ…なんでもないです」
そう言うと顔を伏せ、第四パートのグループの中へと入った。
「愛理ちゃん、おはよう。」
あやめだ。
「あやめ…」
思わず胸が苦しくなる。
「やだ…愛理ちゃん!!どうしたの!?」
そう言われてやっと自分が泣いているのだという事に気が付く。
「ううん、なんでもない。
ちょっと夢見が悪くて…さ、練習!練習!!
今日も頑張るわよ!!」
袖で乱暴に涙を拭う。
まずはチューニング、音階練習、ポジション練習…
それから…それから…
とにかく練習に集中するわよ!!
昨日の事は忘れなくっちゃ!!
練習!!
練習!!
「あら、七瀬さん、今日も張り切ってるわね?その調子。
じゃあ皆であわせて見ましょうか?」
先輩が言ってみなバイオリンを構えて見せる。
しかし演奏中、私は何度も落ちたり音を外し
全然集中できないでいた。
原因は、無論昨晩見たあの夢だ。
なんであんな夢を…
そういえば入間先輩が言っていた。
夢と指輪は繋がっているって…。
それは昨夜夢で見た。
ゼウスが私に指輪を渡したのだ。
寝台の上で…。
そう…。
ああ…もう!!
嫌だわ!!
なんで…あんな夢!!
悔しい!!
なんでよ!!
「七瀬さん!!」
突然名前を呼ばれ驚いて顔を上げる。
「一人飛ばしすぎ。それとどうしたの?なんだか調子悪そうだけど?」
「あ…いえ…すみません…ちょっと寝不足で…その…。
先輩…、」
「はい?」
「体調が優れないので朝練、抜けてもいいですか?」
「あら、どうしたの?大丈夫?」
「はい。実はちょっと貧血気味で」
「ああ…そういう事。分ったわ。無理しないでね。お大事に。」
こういう時、女子にはうまく逃げる言い訳方法があって便利だと思う。
「愛理ちゃん…大丈夫?」
あやめも不安気に顔を上げて見せたが私は平静を装って
微笑みを返すと部室を後にした。
-5-
放課後、私は部活をサボった。
心がもやもやしてとてもじゃないけれど楽器演奏なんてする気分じゃなかった。
あやめには先輩に言っておいて、と一言だけ伝えておいた。
さて、私がやってきたのは大学棟。
羽鳥先輩に会いたかったのだ。
だが、この広い大学の敷地内の一体何処に彼がいるのか探し当てるなんて
出来るのだろうか?
広い…。
中等部、高等部とは全然規模が違いすぎる。
私、満点星を舐めてたわね。
しかし助かったのは、案内図に理学館という文字を見つけたからだ。
ここね…ええと…遠いわねぇ…。
この辺うろちょろしてたら羽鳥先輩に会えるかしら?
まずは行ってみよう、うん。
頭の中に地図をコピーしゆっくりと東側に歩き出す。
桜の花はすっかり散り、今は葉桜が若々しい緑色に染まりきらきらと光を反射させている。
綺麗だなぁ…。
やがて道は緩やかな坂道へと変わって行った。
大学の校舎が次々と通り過ぎていく中、ちらりと中を見ると
講義が行われていたりしている様子を見る事が出来た。
うわぁ…、凄い人数…。
なんの勉強をしているのだろう。
黒板の方が見えたが難しい図形がたくさん並びさっぱり分らなかった。
さて、そうこうしているうちに地図にあった理学館周辺へとたどり着いた。
ここら周辺の建物がいわゆる理系棟という奴だ。
物理って言ったわよね?
ええと、どこかその物理の教室なんだろう?
建物の入り口を覗いてまわるが
さっぱりわからない。
どこにも学科の名前が書いていないのだ。
ただ、教室の番号が書いてあるだけだった。
数字だけじゃ分らない。
困ったわねぇ…。
その後も暫く私は理系棟をうろちょろしていた。
しかし羽鳥先輩を見つけることはかなわなかった。
なんだかんだで1時間ほどうろついていた事になる。
もう帰ろう…。
諦めて「北金倉駅」と書かれた表示板に従い歩き出したところだった。
近くの建物から一人の背の高い男性が出てきたのだ。
自販機で何か飲み物を購入し、
その場で缶を口に当てている。
休憩しているのだろう。
私も何か飲もうかな。
一つ大きなため息をつくと彼が立っている自販機の前まえでやって来た。
財布を取り出しコインを入れる。
ええと…紅茶かな?
ボタンを押して缶を取り出した。
「ふぅーん…お茶好きだね?」
と突然隣に立つ男性から声をかけられて驚く。
慌てて顔を見るが、
知らない顔だった。
「え?」
紅茶を手にしたままその男性を直視する。
真っ黒な髪に茶色い瞳。
低音ボイスが体に響く。
「大学でなにしてんの?部活の時間じゃないの?サボった?」
「……ええと…失礼ですが、どちら様でしょうか?」
なんとなくムッとしながら軽く彼の瞳を睨んで見せた。
「別に。お仲間さんのようだから声かけただけだけど?」
そう言って彼は自分の左手小指を掲げて見せた。
「ああーっ!?」
思わず叫ぶ。
そこには真っ赤な石の付いた指輪があったからだ。
「え…ちょ…嘘!!
赤?!赤っていう事は…貴方、コキノスさん?!」
「おお、どうやら記憶の覚醒が進んでるんだね?アイリスさん」
絶句した。
そういわれてみればこの人、髪の色、瞳の色は違うけど
コキノスさんに似てる…。
「ふふふ、驚いた?僕は一応黄道星座のリーダーだからね。
12人全員の事、把握してるつもりだよ。」
「え?!
じゃあ…私の他に…天妙寺さんを抜かして、あと10人が誰だか知ってるってことですか?!」
「まぁね。」
「どうして、そんな…」
「だから言ったでしょ?僕はリーダーなんだ、って。
で?夢の覚醒はどこまで進んでるのかな?」
「………」
思わず下を俯いた。
「牡牛座はかわいそうだよね。
ゼウスにされるがままだから。」
そういいながらくすくすと笑って見せた。
悔しい…。
知ってるんだ…。
全部、
何もかも…。
思わず視界が滲む。
「だったらやめればいいじゃない。」
「え?」
顔を上げる。
「牡牛座守護神の化身なんて馬鹿なことやめれば楽になるよ?
七瀬愛理さん?」
そう言って私の胸に付いた校内バッチを人差し指で軽くツン、とつついて見せた。
「やめる、なんて事できるんですか?指輪外せるんですか!?」
もう、あんな夢を見ずに済む!?
「簡単だよ。
羽鳥翼に加担しなければいい。」
「え?…どういうことですか?」
「アイツは自分の事しか考えてない最低な男って事さ。
君、アイツに利用されているただのチェスの駒の一つに過ぎないんだよ?」
意味が分らなかった。
「でないと射川竹人の二の前だ、よ?」
!?
「竹人君を知ってるんですか?!」
「まぁね。」
そう言って背を向けるとすたすたと大学棟内に姿を消してしまった。
私はただただ動く事が出来ずその場に立ち尽くすしか出来なかった。
一体…あの人は…。
あ、そういえば本名を聞いてなかった。
また会えるかしら?…。
-6-
「アイリス様、ご懐妊おめでとうございます。私は射手座守護神イネ=ノ。
貴方様の主治医として今後お世話させていただきたいと思います。
どうぞよろしく。」
「ちょ…なんで男なの?!
私女性の先生がいいわ!」
「アイリス様…」
アノンが困ったように横に立つ。
ふん!と鼻息を立ててイネ=ノから目をそらすが
内心ちょっとドキドキしていた。
思わずイネ=ノを盗み見る。
美しいアメジスト色の瞳に小麦色のさらさらの髪の毛。
そして優しい落ち着いたトーンの声。
素敵…。
も…、勿論ゼウス様には劣るけどね!




