第二章:二つの指輪
-1-
「アイリス…、私はそなたを愛している」
「どういう事です?貴方は一体…」
不思議な夢。
おとぎ話に出てくるような一面の花畑の中、
私は牛にまたがり空を飛んでいた。
本当に、不思議な夢。
そう。
これは夢なんだ。
そう自覚していた。
そう…これは、夢。
-2-
「あら?愛理ちゃん、その指どうしたの?」
朝、教室に入り鞄を置くと私を見つけたあやめがやって来て傍に立った。
「うん…ちょっと料理してたら包丁で間違えて切っちゃって…」
そういって左手小指に少し大げさに巻きついた包帯付きの手を掲げて見せた。
「ええ!?大丈夫?じゃあ…バイオリンは?」
「ううん、そこまではひどくないから演奏には支障ないわ。
それよりあやめちゃんも今日から一緒に部活だね。楽器持ってきたんでしょ?
どこ製の楽器?」
「チェコよ。オールド」
「へぇ…部活が楽しみ。その音色聞いてみたいわ。」
「放課後ね。」
そう言ってあやめは控えめにクスリと微笑んで見せた。
-3-
「あれ、七瀬さん、その小指どうしたの?」
放課後、部室に入るや否や部員の皆に小指を注目される。
そのたびに今朝、あやめに話したのと同じエピソードを言わなければいけないのが
面倒くさかった。
「まだかしら…」
キョロキョロと音楽室内を見渡す。
「どうしたの?」
あやめが不思議そうに自分のバイオリンケースを抱きしめるように持ちながら首を傾げて見せた。
「あ、いやね。ほら、昨日会ったでしょ?入間先輩。
ちょっと用事があって…あ!!入間先輩!!」
そこへ丁度入間先輩が入ってきたので思わず駆け寄る。
「あ、やぁ、七瀬さん。あれ?どうしたの?その包帯…」
「どうもこうも!先輩のせいですよ!!ちょっといいですか?!」
そういいながら先輩の腕を引っ張ると二人して廊下に出た。
「七瀬さんって結構強引だなぁ…」
そういいながら入間先輩は笑って見せたが私は真剣な表情で真っ直ぐに入間先輩の瞳を軽く睨んで見せた。
「昨日の指輪!!お風呂入っても何しても全然抜けなくって困ってるんです!!
指輪つけたまま学校に来るのもまずいしと思って包帯巻いてるんですからね?!
早く取ってくださいよ!でないと本当困ります!!」
「ああ…いやいや…だからね?その指輪は他の人には見えないんだよ。
言ったでしょ?魔法の指輪だって?」
「んもう!!からかわないでください!!
いい加減にしないと先輩だからって許しませんからね?
先生に言いつけますよ?
ええと…東谷先生でしたっけ?」
「ん?僕がどうかしたかな?」
そこへのっそりとやってきたのは東谷先生その人だった。
「あ!!先生!!聞いてくださいよ、ひどいんですよ!!これ!!」
そう言って私は左手小指の包帯をするすると外して見せた。
「怪我でもしたの?大丈夫?」
にこにこ笑顔だった先生は少し顔をしかめて私の指を真っ直ぐに見つめた。
「入間先輩がマジックだとか言って私に外せない指輪をはめたんです!!
ほら!!見てくださいよ、これ!!」
そう言って赤紫色の石が輝く指輪を先生に見えるように掲げて見せた。
すると先生はまたにこりと微笑んで見せた。
「七瀬さん、冗談はともかく怪我は大丈夫なんですか?」
「え?冗談…いえ…本当、この指輪外せないんです!!」
すると先生はちょっと困った顔を作って見せた。
「指輪なんてしてないよね?少なくとも私には見えないよ?
ね?入間君も見えないよね?」
すると入間先輩はにこりと微笑んで見せた。
「ほら、七瀬さん、先生には指輪は見えてないんだよ。安心して。」
「さ、二人ともふざけてないで教室に入ろう。
今日から本格的に練習はじめるからね?」
そう言ってまるで白熊のようにのっそりとゆっくり教室に入っていく先生の後を
私と入間先輩は慌てて追った。
「ねぇねぇ、あやめちゃん!」
先生が教卓で合奏について話している最中、私は小声で隣に座るあやめに声をかけた。
「なに?」
正面を向いたままあやめは応える。
「私の左手小指をちょっと見てくれない?」
「え?」
そう言ってあやめはちらりとこちらに視線だけ動かす。
「ほら、これ」
左手小指を少し上に上げてあやめにみやすいようにしてみせる。
「ね?どう?」
「…どうって…ああ…傷跡ないわね。良かったわね、大したことなかったのね?」
「そこ!」
東谷先生の優しいトーンの声がこちらに飛んでくる。
「だめですよ、先生が話している間はちゃんと話しを聞きましょうね?」
「はい…」
返事をして少し俯く。
あやめは指輪の事については一切何も言っていなかった。
なんで?
私と入間先輩、それから羽鳥先輩にしか見えない魔法の指輪?
どういう事…?
やっとの事で先生の長い話が終わると
先生はあやめの方を見た。
「君、今日が初めてだったよね?みんなの前で自己紹介をしてくれるかな?」
するとあやめはびっくりした顔を作った後おどおどと首を左右に振り、
そして助けを求めるかのように私の顔を見た。
「立って?」
私が小声で言いながら軽くあやめの腕をつついた。
「あ…は…はい!!…」
そういいながらあやめは勢い良く立ったが声がガタガタに震えているのが分った。
クスクスと笑い声があちこちから飛んでくる。
「あ…あの…掛川、あやめと申します。
バイオリンは三歳の頃からやっていました。
よろしくお願い申し上げます!!」
ぷ!!
思わず吹き出す。
“申し上げます”なんて…あやめ、緊張しすぎ!
「ではパートごとに練習を開始しましょう。掛川さん、ちょっとこっちに来て
先生に演奏を聞かせてもらえませんか?それを聴いてパート分けしますから。」
あやめはバイオリンを手に取ると先生の方へと向った。
ああ…あやめも第四パートだったらうれしいのにな…。
そう思いながらも第四パートのグループの輪に入る。
と…
突然透き通った美しい音色が音楽室内に響き渡った。
全員が演奏する手を止めそちらに注目する。
あやめだ。
ベートーヴェンのバイオリンソナタ「春」第一楽章…。
まるで弓が弦に吸い付くように滑らかにすべり、
そして美しく透き通った音色を響かせた。
冒頭の部分と短い演奏だったけどとてもすばらしく
思わず部員たちは拍手をしてあやめの演奏を称えた。
「よし、じゃあ掛川さんは第四パート行ってもらおうかな?」
え?
あんなに上手なのに…第四?!
しかし他の部員たちは特に反論するものもおらず再び
自分たちのパート練習に集中している。
ぽかーんとしている私の元へあやめが小走りでやって来た。
「良かった!愛理ちゃんと同じパートで…
そういえば…さっき手がどうかしたって…。
大丈夫?やっぱり手、痛む?」
「え?あ…ううん…そうじゃなくって…」
ただただあやめの演奏に驚いていたので指輪どころでは無くなってしまっていた。
だがはっと我に返る。
「そうそう…その話なんだけど…」
「こらこら、新一年生!真面目に練習して?」
高等部の生徒に注意され慌ててすみませんでした、と頭を軽く下げた。
-4-
「ふぅ…やっと終わった!!」
バイオリンを持ったまま軽く伸びをしてみせる。
「映画音楽ってあまり弾いたことなかったけど楽しいね。」
そう言ってあやめはさらりと長い髪を揺らして優しく微笑んで見せた。
「これ早く全パートで通したいね!それにしてもあやめ~、
めっちゃバイオリン上手じゃん!!
それなのになんで第四パートになっちゃったんだろうね?」
「え?どういう事?」
「あ…いや…別に…」
「それよりも指の方は大丈夫?さっきもなんか気にしてたみたいだったけど。」
「あ…そうそう!!ねぇ、あやめちゃんにはこの小指にはまってる指輪が見える?」
「え?指輪?どこ?」
即答され愕然とする。
「本当に見えてないの?」
「え?…ええ…指輪なくしたとか?」
「あ…いや…そういうんじゃなくて…うーむ…困ったなぁ…
やっぱり入間先輩…いや!羽鳥先輩か!!」
「え?羽鳥…先輩?」
「あ、ううん。こっちの話。」
確か物理を専攻してたとかどうとか…
大学棟に行けば会えるかしら?
ああ…でもどこの教室にいるのか分らない…。
ここはやっぱり…
「あやめ、ごめんなさい。私ちょっと用事があるから先に帰るね?」
「あ、うん。じゃあまた明日。さようなら」
「さようなら!」
慌ててバイオリンケースにバイオリンをしまいこむと
今まさに帰らんとしている入間先輩を見つけ、駆け寄り腕をがしっとつかみこんだ。
驚いて入間先輩と隣にいた男子生徒が同時に私を見る。
「入間先輩!
一緒に帰ってもらえますよね?!」
「え?あ…でも…」
「ちゃんと私が納得できるように説明してくれるまで私、この腕話しませんからね?!」
「おいおい…入間ぁ~、何、何?!一年生に好かれちゃった?お前も色男だなぁ?」
そう言って隣に立っていた男子生徒が笑って見せたのだが
その男子をキッと強く睨んでみせる。
「すみません。入間先輩、お借りしますから!じゃあ行きましょ?!」
言って入間先輩の腕を引っ張り廊下へと出る。
「いてて…七瀬さん、本当強引だなぁ…分った、分ったから…ちゃんと話すよ。
だから腕、放して?」
「いいですけど、今日羽鳥先輩にも会えます?」
「え?いや…羽鳥先輩大学でしょ?今日会えるかどうかは分らないよ」
「じゃあ!だ・れ・が!この指輪を外してくれるんですか?!」
「ああ…参ったなぁ…ちょっと落ち着こうよ、七瀬さん。」
「落ち着け?!冗談じゃないわ!!
こんな事されてどうして落ち着いていろって言うんです!!」
私があまりに大声で怒鳴ったものだから
気が付くと部員たちが音楽室から出てきて私たちの少し離れたところから
見守るようにして立っていた。その中には心配そうな表情を作ったあやめの姿もあった。
「ああ…じゃあ…ちょっと場所変えようか?ゆっくり話してあげるから。」
「ええ!何処へでもついて行きますよ!!さ、いきましょ!!」
-5-
「ここなら誰も来ないよ」
特別教室棟の最上階にあるホールへとやって来た。
だだっ広いかくかくした部屋。隅っこにはグランドピアノが置いてあって
壁と天井はガラス張り。
夕暮れの光がめいっぱいに差込み、夕日のラインをキラキラと輝かせていた。
「なにここ。…ホールですか?」
「そう。満点星ホールって言うんだ。六角形の形をしてるんだよ。
さ、七瀬さんは椅子座って?あ、えと…ちょっと失礼?」
そう言って入間先輩は鞄から携帯を取り出してそれを耳に当てた。
私は促されるままにピアノ椅子に腰を下ろして見せた。
「まだいるといいんだけどなぁ…」
ぶつぶつと独り言を呟いている。
「あ!もしもし?入間だけど。突然ごめんね?今大丈夫?
うん…まだ学校かな?…あ、本当?!じゃあさぁ、悪いんだけど中等部の満点星ホールって分る?…そう…そうそう、そこの最上階。
そこで待ってるから。」
そう言って満足げに携帯を耳から話すと私の顔を見てニコリと微笑んで見せた。
「で?この指輪、一体どうやったら外れるんですか?」
「その話なんだけど…七瀬さんは昨晩、何か夢を見なかった?」
「は?夢?夢がどうしたって言うんです?そんなことより指輪を…!」
「いや…これはとても重要な話なんだよ。
ね?先生や他のクラスメイトには僕が言うとおり指輪が見えてなかったでしょ?
でも僕や羽鳥先輩には見えている。でね、それには七瀬さんが見た夢と深く関係してるんだ。
だからちょっとでいいから昨日見た夢の内容を教えてくれないかなぁ?」
「はいはい、夢ですか。
見ましたよ。変な夢ですけどね。
牛にまたがって空を飛ぶ夢でした。
これでご満足ですか?
ただの夢じゃないですか。」
むっとして先輩を軽く睨んで見せた。
「ああ…!素晴らしい答えだ!それで十分だよ。
そうそう、それでいい。
あ、今からねもう一人七瀬さんみたいに指輪をつけた子が来るからちょっと待っててくれる?」
「え?私のほかにも被害者が?!」
「いやぁ~、被害者かぁ…あはは…」
頭を掻きながら先輩は笑って見せた。
「何か弾ける?」
そう言ってピアノカバーをあけると鍵盤の上に乗っていたフェルトを捲る。
「え?あ…ええと…ピアノはちょっと苦手で…先輩は?何か弾けるのならどうぞ?」
「そう?じゃああの子が来るまでちょっとだけ…」
ピアノ椅子を交代して今度は入間先輩が腰を下ろす。
と!
ジャーン!!と
いきなりピアノが鳴ったかと思うと
アルペジオ。
そして伴奏が華やかなメロディを追いかける。
この曲は、ショパンの英雄ポロネーズだ。とても有名な曲。
最近よくお菓子のCMでも流れている誰もが知っている名曲だ。
凄い…こんな大曲弾けちゃうなんて…さすが…満点星生…。
と、
ホール中央の螺旋階段から女子生徒がひょっと顔を出して見せたのを見つける。
少し薄暗くなってきたホール。照明が付いていないため
その人物の顔が良く見えない。
入間先輩も彼女の存在に気付き華やかに鳴っていたピアノの演奏をぴたりと止めた。
一気に静寂がホールを冷たく包み込む。
「やぁ、突然呼び出しちゃってごめん!ごめん!」
そういいながら先輩は椅子から立ち上がると
こちらに来るように彼女に手招きして見せた。
ゆっくりと歩を進めてやって来た彼女を見て私は思わず驚いた。
「ゲ!!なんで!?」
言葉に出してしまってから思わず両手で口を塞ぐ。
「あれ?もしかして知り合い?紹介するよ。七瀬さんと同じ一年生の天妙寺秋桜さん。」
「知ってますよ…だって同じピアノ教室ですもの…。」
「良かった、仲良しなんだね?」
「ちが…」
とまた慌てて口を塞ぐ。
「七瀬さん、お久し振り」
そう言って静かに言葉を発したが秋桜は相変らず無表情のままだ。
やだ…私この人苦手…。
「あの…天妙寺さん?なんで満点星にいるの?東京に住んでるって聞いたけど…?」
「小学校卒業と同時に北金倉に引っ越したんです」
「え…あ…そう…」
気の抜けた返事をする。
「天妙寺さん、七瀬さんに例のもの、見せてあげてくれない?」
すると秋桜は自分の左手小指を私の方に見えるようにしてあげて見せた。
「ええ!?…ちょ…な…なんで?!」
そこにはブルーの石が付いた指輪があったのだ。
「私と同じ…色違いだけど…どういうこと?」
「天妙寺さんも七瀬さんと一緒なんだよ。じゃあ証拠に…、
天妙寺さん、七瀬さんの指輪の色、当ててみて?七瀬さん、天妙寺さんに指輪見せてあげてくれる?」
そういわれ私は疑い半分で左手小指を彼女に見えるように差し出して見せた。
「…赤紫」
小さく、呟くように、だがはっきりと彼女の口から石の色が当てられる。
「せ…正解…うそ…なんで?天妙寺さんにもこの指輪が見えてるってこと?」
「そういう事。だから天妙寺さんと七瀬さんは同じ仲間なんだよ。」
「ええ?…ちょ…ねぇ入間先輩、一体どういう事なんですか?
話がさっぱり分らないんですけど…。
仲間って一体何?
どうして指輪が見える人と見えない人がいるんですか?
何かのトリック?
ああ!そういえば羽鳥先輩でしたっけ?
あの人も指輪が見えるんですっけ?
…んもう!!
一体どういう事なんですか!!」
だんだんと声が大きくなってゆくのが自分でも分った。
「落ち着いて、七瀬さん。
天妙寺さんも昨日指輪が付いたばかりなんだよ。
七瀬さんと同じスタートライン。
だからお互いまだ事情が飲み込めていないのは仕方がないと思う。
けれどね、そこで重要になってくるのが“夢”なんだよ。
夢を見ることで記憶の覚醒が行われるはずなんだ。
だから指輪が付いたらその日から夢を特に注意深く意識してほしいんだ。」
「といわれましてもねぇ…牛に乗る夢と指輪が一体なんの関係があるのかさっぱり!」
「まだ指輪が付いて一日しか経ってないから仕方がないよ。
天妙寺さんだってそうだから…。
二人ともゆっくり記憶の覚醒をするといいよ。
僕は残念ながら二人のような指輪を持つ資格はないからあまり力にはなれないけれど…
でも、少しだけ僕にも特別な記憶があるんだ…。それは後々二人の記憶の覚醒が進んだらゆっくり話し合おうね。
とりあえず、仲間がいるってことで七瀬さんも天妙寺さんも少しは安心してくれたかな?」
「はい」
天妙寺秋桜は静かに即答して見せた。
が、
私は…、
「冗談じゃないわ!!んもう訳わかんない!!
私、帰ります!!」
失礼します!と先輩に軽く頭を下げると小走りで逃げるようにホールから出て行った。
本当…訳わっかんない!!




