第五章 抗争! ヤクザと同心 3
「まさか、ご城代が動いた?」
いや、それこそ理由がないだろう。出てきた考えを首を振って否定する。
大島糖の抜け荷や、ご禁制の鉄砲の存在を知っているのは、奉行所の中でも、ごく一部にすぎない。
そもそも、直訴したとしても、城代が安易に動くとは思えないし、葵紋を揃えるなど、それこそ謀反制圧のような事態でもなければありえない。
ならば、何故? 根本的な疑問が頭を擡げるが、謎はすぐに解けた。
「其方ども、聞こえるか!」
聞き覚えのある、剃刀のような声が夜の帳に響き渡る。川面に展開していた舟の中に、稲垣が乗っていたのである。
「奉行が、葵紋の連中をを引き連れてきた?」
「おい、おい。嘘やろ?」
想像外の出来事に、迅三郎と十郎太はお互い見合わせる。
だが、頬を抓ったところで現実が変わるものではない。物語よりも奇な現実は、稲垣の放った、たった一言で、百はいようかという龍神組の連中が金縛りにでも遭ったかのように動きを止めたのでである。
「夜中に武具を持ち出し徘徊する行為、奉行として見過ごす訳にはいかん」
婉曲した言い回しは囲む先が自分たち龍神組の蔵で、まだ何も「事」を起こしていなからだろう。些細な言い方の変化だが、弱みや盲点を衝かせぬあたり、如才がない。
それでも子分連中が金縛りに遭う中、ただ一人、銀次郎だけは若頭の威厳を保つかのように言葉には屈せず、舟の上の稲垣相手に睨みを利かせてた。
「ならば、蔵破りは、どうなさるんです?」
その上で矛盾を突くように尋ねてくる。
正論で問えば、龍神組の面々は帯刀禁止を無視して武具を持ち出した違法こそあるが、単に集まっただけ。対する迅三郎と十郎太の両名は、蔵破りをした動かぬ証拠がある。
一方の罪を問えば、もう一方の罪も断じなければ片落ちは必至。銀次郎はその点を衝いてどうする?――と問いたのだ。
対して、稲垣は考える風でもなく「そのことか」と、あっさり受け流した。
「普通ならば蔵破りは重罪だが……」
一旦そこで言葉を切り、迅三郎と十郎太が持つ鉄砲に視線をくれると「だが」と、もう一度、力強く宣言する。
「薩摩の抜け荷の片棒を担ぎ、見返りに、ご禁制の鉄砲にまで手を染める。きゃつ等は、それを暴いたにすぎぬ。どちらが罪が深いのか、拙の口から聞きたいのか?」
銀次郎は稲垣の性格を読み違えていた。聞いたうえで眉一つ動かさず、一方的に断罪するように稲垣は銀次郎に言葉を返した。
そもそも稲垣は、銀次郎の話など聞く耳を持っておらず、鉄砲を見たという証拠だけを狙っていたのだ。
むしろ、口実を与えた銀次郎の失言に、これ幸いと乗りかかる。
「オマエがどうしてもと望むのであれば、蔵破りの罪人として、きゃつ等二人を白州の上げよう。だが、きゃつらを罪に問うのなら、オマエたちはその場で死罪にならねば、道理がいかぬぞ」
「それは……」
銀次郎の言葉が詰まる。だが、稲垣は絞る手を緩めようとはしなかった。
「不服なら我らに挑みかかってみるか? 言っておくが、きゃつ等に手をかけるは、この葵紋を敵に回すということぞ!」
その一言で勝負は決まった。龍神組の面々は、振り上げた拳を下ろさざる得なかった。
*
「助かったー」
さすがに命の危機を感じていたのだろう、稲垣の恫喝の下、龍神組が一掃したところで十郎太は大きく安堵の息を吐き、その場にへたり込んだ。迅三郎も持っていた鉄砲を下ろして、握り続けて固まっていた肩を、何度も鳴らす。
龍神組に囲まれて後、今の今まで極度の緊張から腕が硬直してしまい、下ろすに下ろせなかったのは、ここだけの話だ。
「二人とも、大儀であった」
銀次郎と対峙した時と同じ仏頂面のままながら、へたり込んだ二人に稲垣が労いの言葉を掛けてきた。
奉行自らという状況もさることながら、稲垣が人に対して礼を言うことなど終ぞ想像ができず、対応に困ったのは蛇足である。
「かようなご禁制の鉄砲が市中に出回ることなど、断固、あってはならぬからな、水際で防げたのは、二人の働きがあったればこそだ」
さすがに二度目の褒め言葉には「どうも」と素直に礼が言える。
むしろ落ち着いたからこそ、気になることが二つ三つ見えてきた。一番気になることといえば、
「危ないところを助けてもらとって言うのもなんですが、どうやって、この場所を見つけはったんで?」
「それは、拙に感謝せぇよ」
どこから湧いて出たのやら。稲垣が言うよりも早く、生方がひょこっと顔を出し、恩着せがましく言って聞かせた。
「本来なら、お目見さえ許さぬ河津の手下から話を聞き、奉行に事の次第を上告したんやぞ。特別な計らいを、三つも四つもしたのだ、いくら感謝しても足りないことはあらへんで」
目一杯、転倒しそうなほどにのけぞり、これでもかというくらい恩を売る。
「徹生の話をねぇ……」
にわかには信じられない。とはいえ、ここまで恩着せがましく言うのだから事実ではあるのだろう。
尤も、規則に厳格な生方が軽々しく徹生を引き入れるとは考えられないし、その程度の情報で稲垣が動くとは、これまた思えない。
「奉行は、どうやって、この場所を探し当てたんで?」
考えるよりも訊いたほうが早い。この際とばかり訊いてみると、「大したことではない」と稲垣は、あっさとり絡繰を口にした。
「手下を使って情報を得ているのは、何も貴様たちだけではない。拙にも、拙の伝手というものがある」
聞いて納得、というか、脱力した。
あまりにも出来過ぎていると思ったら、すべてお見通しだった、というわけだ。
「俺たちは踊らされてたんやな」
「良いように使われてた、ってことやね」
考えてみれば、薩摩の抜け荷も龍神組のきな臭い噂も、元はといえば稲垣の口から発せられたことだった。要は手下が持ってきた情報の証拠固めのために、良いように使われた上で、調べを代行させられたのだ。
勤めとして間違っているわけではないが、内緒で踊らされてたと知ると、どうにも釈然としない。
「お奉行様のほうが、アンタらよりも一枚も二枚も上手やね」
耳朶を噛むようにくっ付きながら月世が囁く。「煩い」と払い除けると「じゃあ、あたいは帰るわ」と言って何処となく消えていった。
消える間際に言った言葉が耳に引っ掛かり、迅三郎は「恐れながら」と稲垣に問うてみた。
「葵紋の方々を、どこから集めたので?」
そもそもおいそれと用意できる代物ではないのだが、稲垣の返事は単純明快であった。
「この紋処を、よく見るがいい」
言われて稲垣の手にしていた提灯をまじまじと見れば、葵紋には相違ないが、徳川本家とは紋章が微妙に違う。
「拙が助力を頼み出たのは、ご城代ではなく、鳥取藩池田様の蔵屋敷よ。先様は葵紋を下賜されているからな」
言われてみれば納得だが、鳥取藩のような大藩が、奉行直々の要請とはいえ、そんな、あっさりと応じるのだろうか?
「それは、な……」
言いかかったところで作ったような咳ばらいが一つ。
「お話の途中ですが。稲垣殿、よろしいですかな?」
割って入るように、葵紋の提灯を持った武士が稲垣に尋ねてきた。
他の連中と同じように襷がけをしていたので気付かなかったが、身なりといい言動といい、上士……いや、旗本ではないだろうか?
稲垣も相手の素性を知っているのか襟を正し「待たせてしまって申し訳ない」と深々と頭を下げた。
「手筈通り、ご随意に」
何やら許可を出すと、件の武士は「稲垣殿の許しが出たぞ!」と大声を上げて、周りの連中を掻き集める。
「おおっ!」という時の声に振り返れば、いつの間にか川面にいた舟はすべて岸に着き、蔵から川まで、蟻が集るように人の列が形成されていた。
列の出来に満足したのか「よし」と一言頷くと「では、失礼いたします」と礼を述べ、列の中に混じっていった。
いったい、何事?
訊くよりも早く、理由が分かった。
あろうことか連中は「よいしょ、よいしょ」と掛け声を出しながら、蔵の中から薩摩の荷を運び出しているのであった。
人夫よろしく一列に並んだ武士連中は、大島糖の入った俵を次へ次へと手渡しで送り出し、岸に着けた小舟に積んでいった。
ふと見れば、ご丁寧に隠しこんでいた鉄砲は綺麗に抜き取り、蔵の入口に無造作に積み上げていた。
恐ろしいほどの手際の良さで、百はあろうかという蔵の中の大島糖は、四半時もかからぬ間に、一俵残らず舟に積み込んでしまった。
「では、我らは、これにて」
律義に礼を述べると、来た時と同様、舟は何処ともなく消えていった。
「奉行、あれは?」
唖然と推移を見入っていた迅三郎が尋ね直したのは、舟が岸を離れてからであった。
「何、舟と人を借りるときに交わした約束だ」
しれっとした表情で稲垣が答える。
曰く、葵紋を灯した舟と人を借りる代わりに、蔵の中の大島糖の半分を差し出すという約束を取り交わしたというのだ。
「この間の一揆で、きゃつ等の蔵は空っぽだからな。奄美糖の半分をくれてやると言ったら、喜んで貸してくれたぞ」
「でも、あれは、薩摩の」
持ち物じゃないのですか――と言いかかったが、皆まで言うことはできなかった。「何を言う」と不機嫌に稲垣が唸り一言で斬り捨てたのだ。
「抜け荷を内密にしてやるのだ。公儀に知れ渡れば、厳罰は必至。お取り潰しとて、有り得ぬ話ではないぞ」
だから、荷物は諦めろというのだ。
それは龍神組についても同じこと。鉄砲の件は不問に付す代わり、大島糖の不始末は被れと脅したのである。
その上で、表面的には事件など何もなかったと装おうというのだ。
対応としては綺麗かも知れない。しかし……
「それって、強奪と言いません?」
半ば呆れて十郎太が尋ねると、稲垣は「何を申す」と真っ向から否定した。
「鳥取藩は蔵が助かり、薩摩藩は面子が助かり、龍神組は命が助かったのだぞ。全員に利がある三方丸得の裁定に、不満があろうはずもない」
さも名裁きのように自画自賛するが、これだと一つ計算が合わない。
「で、残りの半分は?」
訊いたが稲垣は「訊いてどうする?」と逆に理由を尋ねるだけで、迅三郎の問いを煙に巻く。
「助けてもろて言うのもなんですが、長生きしたいんやったら、あまりアコギなことはなさらないことでっせ」
精一杯の皮肉を投げたが、稲垣の面の皮を切ることはできただろうか?
答えは謎のまま、夜はゆっくりと明けようとしていた。




