第三章 隠し荷 5
「次のお方、どうぞ」
散々待たされた末に、やっと呼ばれて診療の間に入った迅三郎は、さっきまでの不機嫌も何処へやら。鍼灸師の姿を一目ちらっと見るなり、目尻をだらしなく下げて、思わず「ほほう」と感嘆の声を上げた。
「百聞は一見どころか千……いやいや、こりゃ、万聞やな」
噂に違わぬどころか噂以上。一足先に入った十郎太の評価も、なるほどと納得できる。正真正銘、紛うことなき美女が、眼前にいた。
もっとも、相手のほうは聞き慣れているのか、それとも、盲目で見た目の美醜に興味が一切ないのか、迅三郎の感嘆などなかったかのように、あっさり聞き流す。
「お侍さまが二人も見えるなんて……今日は、どうしたのでしょうね」
寧ろ、そちらのほうが気になるようで、右の掌を頬に置くと、小さく驚きの表情を見せた。
「なに、噂の見分や」
嘘偽りない理由なのだが、あまりにも単刀直入に過ぎたのだろう。迅三郎の露骨な助平根性と好奇心に女は吹き出し、口元を押さえて笑い転げた。
「さっきのお侍さまも、同じことを仰ってました。盲女など見ても、面白くもないでしょうに」
「いやいや、そんなことは全然あらへんで。ええ女は、おるだけで画になるからな」
真面目くさって答えると、相手が盲なのを良いことに、迅三郎は舐めるように品定めをする。
繁盛しているとはいえ、所詮は田舎の鍼灸院。相応に身なりは見窄らしいいものだが、秀でた美貌が全てを覆い隠し、補って余りある。
さすがに遠慮会釈なしに見過ぎたのだろう。気配を察した鍼灸師が、胸元を手で覆い、頬を桜色に染めながら身を捩る。
「あまりジロジロと見つめないでくださいまし。恥ずかしゅうございます」
恥じる仕草がひと際ぐんと優雅。動きに品すら感じられる。
襤褸な着物を脱いで、それなりの身なりに改めたならば、然るべきところの奉公人どころか、愛娘や奥方といっても通るかも知れない。
「これは、失敬」
盲相手に侍を振り翳して黙っているのも、バツが悪い。形だけ一応は詫びると、「好奇心は置いといて。昨今、肩の調子が些か」と適当な症状を口にして「診てくれへんか」と来訪の理由をでっち上げた。
「では、衣を脱いで、横になってくださいまし」
女鍼灸師が敷きっぱなしの蒲団を指差す。
「いきなり脱ぐのか?」
事務的すぎる素っ気なさに迅三郎は肩透かしを食らったような気がした。
だが、よくよく考えれば、ここは鍼灸院。廓でおこなう行為を想像するほうが、どうかしている。
「着物の上からでは、診れませぬゆえ」
至極もっともな答であるが、おいしい場面の直前でお預けを喰らったような気がするのは、迅三郎が人並み外れた助平である所以だろう。
それが証拠に、横になって触診を始めてもらった途端、不機嫌さもたちまち吹き飛び、目じりもだらしなく、やに下がっている。
しかも、予想以上に気持ちがいい。
もちろん相手は鍼灸師。女郎のような男を悦ばす愛撫ではないのだが、掌で筋肉の付き具合を確かめるように肩から腰にかけてゆっくりと撫で回されると、不思議と疲れがじんわりと癒されていく。
「アンタ、按摩も巧いんやな」
気持ちよさに乗せられて迅三郎が口にすると、「月世と呼んでくださいな」と名乗りを入れる。
「按摩も針も、ツボを押さえるところは同じですから」
言われてもピンと来ないが、そういうことなのだろう。どちらも盲がする仕事だけに、共通項があるということか。
「何かされるときは、常に右回りで動いてらっしゃるでしょう?」
しなやかな指で背骨を擦り、肩甲骨辺りの筋を二度三度と触れたところで、月世が何かを指摘するように口を開いた。
「ここの筋が、悲鳴を上げております。効き腕に頼り過ぎて左側を庇いまくるから、芯がずれて肩に疲れが溜まるのですよ」
軽くひと撫でしただけで、月世は迅三郎の不具合を言い当てた。これには、迅三郎も驚きを隠せない。
「そこまで分かるのか?」
一言も喋っていないのに、動きの欠点を見透かされていたとは。
肩の疲れは診てもらうための方便だが、左を庇う動き癖は迅三郎の刀捌きの欠点であった。
かつて師範から指摘もされ、自身でも悪癖としての自覚があるのだが、並みの相手ではまず分からないし、気付かれるような下手な動きもしていない。
「動きに癖があれば、体の筋や骨に証拠が現れますよ。鍼灸というのは、呪いの類ではなく、ちゃんとした根拠のある治療なんですよ」
種明かしをするように月世が言い、雑談はここまでと、鍼灸針を手に取る。
「動きのほうは染みついたものもありますから一朝一夕に治るものではありませんが、疲れを癒すことで、程度を和らげることはできますよ」
無駄のない流れるような手つき。あまりにも洗練され過ぎた動きにふと違和感を感じ、迅三郎は唐突に起き上がった。
意表を突くような迅三郎の動きに、鍼を打つべく背中に左手を載せていた月世は対処することができない。
「きゃっ」と小さな悲鳴を上げながら尻餅を搗くように、その場に倒れこんだ。
「いきなり何をするんです!」
文句を言いながらも鍼を手から離していないのは、さすがというべきだろう。
だが、ここでも妙な違和感が付きまとう。具体的に「何」というものはない、ただ本能的な第六感が訴えかけているのだ。「何かがおかしい」と。
「ああ、スマン」
半ば条件反射的に頭を下げて謝罪を述べた。だが、迅三郎の心ここにあらず。
それが証拠に、眼前に美女のあられもない姿があるにもかかわらず、邪な気持ちが微塵たりとも湧いていない。
月世の行動は一見する限り、おかしなところは何一つ見受けられない。物を探すときに手を翳す仕草も、気配のするほうに本能的に向く行為も、盲という条件を考えれば不自然でも何でもない。
のだが……
やはり、不自然な違和感がちらつく。思考を纏めるべく迅三郎は首を横に振ったが、診療行為を邪魔していると取ったのだろう、怒気を含んだ声で「いい加減にしてください」と噛みついてきた。
「いきなり起き上がったり動かれたりしたら、危なくて鍼が刺せないでしょう。人のツボってのは微妙で、ほんの少しずれただけでも効能が変わるし、時には逆に悪くすることだってあるんですよ」
駄々っ子に言い聞かせるか如く、噛んで含めるように月世が注意をする。
俺は、ガキか?
普段の迅三郎ならムキになって反論するところだが、今はそっちに払う注意力がなかった。
というより、眼中にないと言ったほうが正しいだろう。言っている言葉の内容よりも、月世の表情を追いかけるほうに意識が集中していたのだ。
欲情の枷が取れたことで、迅三郎は違和感の正体を垣間見た。
月代の視線に力があり過ぎるのだ。不自然なほどに。
普通に見ていたら、まず分からないだろう。仕草や動きだけを見れば、完全に盲目者の動作である。動きに一拍遅れが出るところ、記憶と手さぐりで物を探り当てるところも完璧である。
が、あまりにも洗練され過ぎている。それが違和感と感じ、迅三郎に警報を発していたのだが、視線の行く末を見て合点がいった。
「なあ、アンタ」
言うや否や、迅三郎は月世の肩を掴んだ。
突然のことに月世の肩は一瞬びくんと震えた。が、直後に「何ですか」と突っ慳貪に答えると、馴れ馴れしく掴んだ迅三郎の手を振い落した。
これで合点は確信に変わった。
「アンタ。目ぇ見えてるやろ」
決め付ける口調で迅三郎は月世に向かって問い質す。
あまりの問い掛けに一瞬ぽかんと口を開けた月代だった。が、すぐに真顔に戻ると、口を真一文字に噛みしめて、迅三郎を睨みつける。
「いきなり何を言うんです。目が見える女子が、鍼なんかすると思いますか?」
按摩や鍼灸は、盲にだけ許された職業である。ご法度を犯してまで健常者がすることなど、あり得ない。
「普通は、考えられへんわな」
たった今、自分が言ったことを否定するように迅三郎が答えると、右手の人差し指を伸ばして、蜻蛉でも捕まえるように月代の眼前で指をくるくると回す。
何をしているのか? 月世の表情はキョトンとしたままだったが、迅三郎は「けど」と断りを入れる。
「ホンマの盲やったら、俺が指回してても、気になるはずないわな」
指を回す間、月代は無表情を装っていたが、瞳孔だけは微かに指の向くほうに釣られていたのだ。それを迅三郎が見逃すはずもない。
「くっ」
言われて月世が爪を噛む。ほぼ完璧に盲目を装っていたのだが、簡単な罠に、ものの見事に引っかかり、最後の最後でぼろが出た。
バレたことで、もう猫を被る必要もないと判断したのだろう。月代は「ふん」と鼻で笑うと、ひと際大きく首を振る。たったそれだけの仕草の間に、蜻蛉のように儚げな存在だったのが一転、毒婦の如く、辺り一面に威圧を放ち始める。
「ああ、そうや!」
声も低く、まるで威嚇するかのような口調。つい今しがたまで漂わせていた没落した両家の子女という雰囲気は雲散し、美形だが、根っからのあばずれという女が姿を見せた。
吐き捨てるように月代は答えると、床にどっかと胡坐を掻く。
「あんたの言うように、あたいの両の目は、ちゃんと見えてるで。好色丸出しのおっさんから死に損ないの爺さんに至るまで、鼻の下ぁ伸ばして涎垂らしとるところは、全部お見通しや」
やっぱり。
予想が的中したことよりも、己のアホ面を見られたことに迅三郎の蟀谷が引き攣る。
美女を見て鼻の下が伸びてしまうのは男の性だが、何しろ相手が悪い。言ってみれば獄卒相手に弱みを見せたのと同じことになるのだ。
迅三郎は努めて冷静を装うと、無言のまま表情を引き締めた。
「で、あたいを、どうしたいねん?」
沈黙は力なりとは、言ったもの。黙って見つめるだけの迅三郎に根負けしたのか、何かを勝手に解釈したのか、仏頂面のまま月代は、己の身の処遇を尋ねる。
尤も、言われた迅三郎は、そんなことなどに興味の欠片もない。
「別に、どうにも」
執拗に粗を探して言い当てたのとは裏腹に、あっけないほど素っ気なく言い返す。
返事が意外だったのだろうか、月世は右手を耳に当て「今、何て?」と訊きかえした。
「言ったまんまや。どうにもせえへん」
「嘘やろ。あんた、役人とちゃうんか?」
侍の身分でない手下風情ならばともかく、正式な奉行所の役付きである同心が目溢をしするなど、正気の沙汰とは思えないのだが……
「あんた、ひょっとして……」
心当たりがあるのか、妄想が逞しいのか、上ずった声を発すると、月世は両手で胸元を抱くように押さえ、座ったままに、その場を後ずさる。
見れば何を思ったのかは、容易に予想はできる。それでも一応「何を考えてる?」と尋ねてみる。
と……。
「そんなん、決まってるやん」
月世は迅三郎の股間を指差して、「ここ以外に何があるっての?」と決め付ける。
「言っとくけど、あんたに魚心があっても、あたいに水心なんか、欠片もあらへんで。いくらあたいが美形で男心をそそっても、それとこれとは別。たかが同心風情に、その程度のことで、あたいは身を売るつもりはおまへんねんから」
笑ってしまうくらい予想通りの返事を、一気に捲し立ててきたのだ。しかも、同心風情という、侮蔑のおまけつきで。
これには少々カチンとくる。
「俺は、猿か」
当然の如く言い返すが、月世は聞く耳を持たない。
「違うって言うんのん?」
「当たり前や!」
自他共に認める助平ではあるが、迅三郎は見境なしにヤリまくったり手を出すような男ではない。
舐めるように観賞して、じっくり値踏みした上で口説く行為を楽しまなくて、その先のことなど金輪際あり得ないのだ。
その点を力説すると「ふーん、意外」と心底、意外そうな口調が返ってきた。
「何が、意外やねん?」
ムキになって訊き返すと、月代が「ホラ」と言って己が顔に指を突き立てる。
「見ての通り、あたいって、美形やん」
誰もが認める美形なのは確かだが、臆面もなく、そこまで言うか。呆れる迅三郎を尻目に月代は気にすることなく、得々と言葉を続ける。
「でもって、あんたは奉行所のお役人。それが、ご法度を破ったあたいを、一切のお咎めなしで見逃すっていうねんから、こりゃ弱みを握って迫ってくるとばっか思ってたのに」
拍子抜けてもうた、と付け加える。
自意識過剰も、ここまでくれば立派なものだ。とはいえ、言われたほうは、気分の良いものではない。
「誰が、そんなセコいことするねん」
好き放題を言われて少々ムッとしながら迅三郎が答えると、やり込めたと思ったのか、月世が余裕の表情を見せて、ニタリと笑う。
「ま、そういうことにしておきましょうか」
「このアマは……」
何が、そういうことや。
更に好き放題言われてしまい、迅三郎は苦々しげに歯切りした。
「駆け引きなんかする気は、毛頭ない。世間に実害がないんやったら、盲の真似してようが、どうしようが、俺はどうでもええねん」
詐称程度で縄を掛けるのは面倒くさいやないか。心の底からの本音を口にしたというのに、月世はまるで信じようとしない。
「本気で言うてるの?」
迅三郎の言葉を性質の悪い冗談と捉え、「本気や」と答えても「引き換えに何が欲しいん」と訊き返すことの繰り返し。月世に言わせれば、体か袖の下を求めない取引などあり得ない。
「そもそも、下心が一切ないってのが信じられへん。体を強請るか、金を強請る、さもなきゃ、しょっ引いて手柄を立てるってのが、この世界の常識や」
「えらい狭い世界やなぁ」
「常識を知らんヤツに言われたない」
お互いに譲らない険悪な空気の中、どうしようもない間で十郎太が戻ってくる。
「さあ、お楽しみの時間は、ここまでや」
両手を広げて高らかに宣言するが、およそ場違い。
「何を楽しんだって言うねん?」
醒めた口調で迅三郎が一言、答えただけであった。




