第三章 隠し荷 4
「仏の動きを調べろ。でっか?」
饂飩をズルズルと啜りながら、徹生は目を白黒させた。
「そや」
同じく饂飩鉢を手にしているからだろう。短く一言だけ発して迅三郎が答える。
稲垣から命を受けた直後、迅三郎と十郎太は町中をぶらついていた鍵鼻の徹生を捕まえると、半ば強制的に、酒も飲める馴染みの饂飩屋に引っ張り込んだのである。
「どんな些細なことでも構へん。足取りを掴みたいんや」
抜け荷の有無のことこそ、ぼやかした。Dが、迅三郎は手短にことの経緯を話して、徹生に協力を仰いだのだった。
「そりゃまた、難しいおまんな」
出鼻で釘を刺すように徹生が顔を顰める。
「親分や若頭みたいな大物やったら、目立ちますさかいに、足取りを掴むのなんか造作もおまへんけど、平吉でっしゃろ? いかんせん、相手がねぇ」
「小物過ぎるってのか?」
「へい」
口をへの字に曲げた迅三郎から代わって訊いた十郎太の問いに、頭を掻きながら徹生が素直に答える。
「他ならぬ河津の旦那の頼みやさかい、伝手は辿ってみますけど、何せ相手の顔が売れてませんがね」
恩着せがましく言っているが、遠回しに「無理だ」という言葉が見え隠れしている。
「まあ、三下やからな」
「でっしゃろ。この稼業、顔が売れてナンボやさかい」
「歌舞伎の千両役者か」
迅三郎の皮肉にも「似たようなもんでっさ」と動じない。
「舞台袖でうろちょろするような端役に興味を持つヤツなんて、殆どおらんのと同じですやん」
「言われてみりゃ、確かによう似とるよなぁー」
甚だしく乱暴ながらも妙に説得力のある例えに、十郎太は得心しつつ納得する。だが、言われた迅三郎は、つらつらと不満が蓄積されていく。
無茶な依頼であることは承知している。だからこそ、飯を奢り酒までも振舞ってやってるのである。それで開口一番、あっさり無理を仄めかされたとあっては、何より同心として立つ瀬がない。
「こうして酒まで振舞って、この俺が頭を下げているんやけど」
俺が、のところに殊更に力を入れて、一語一句はっきり区切るように言って聞かせる。恩着せとしては露骨なほどにあざといが、かつては侠客として幾多の修羅場を乗り越えてきた徹生のこと、少々凄んだからといって、脅えるようなタマではない。
「奢ってもろたんは有難う思いまっせ。けんど、無い袖は振れまへんで」
食い終わったら、次は酒だとばかりに、卓の上の徳利を手に取ると、杯に並々と注いで手酌で一気に飲み干す。
元々が酒好きのところにもってきて、今度こそ奢りのタダ酒だと思ってか、呷るよう飲んだ上に追加の酒を注文をするに至って、迅三郎の苛立ちも限界に達した。
「おぃ」
さすがに店の中。周りの目もあってか、怒鳴り散らしたり声を荒げるようなことはしなかった。それでも十分な怒気は孕んでいた。
「何だす?」
既に半分ほども出来上がっているのか、半ば赤ら顔。目がトロンと座り始め、返す言葉も酒臭い。
「こんだけ飲み食いしたんや、無い袖は振れんでは済まされへんで」
食いものはともかく、卓にあった酒の大半は徹生の胃の中に収まっている。これを完全なタダ酒にされたのでは、堪ったものではない。
もう一度はっきり立場を分からすために凄んでみせる。が、徹生にとっては糠に釘。効き目など、全くない。
「せやさかい、伝手は辿ってみますって、言うてますやんか」
言い訳がましい口調は、既に酔っぱらいのもの。それ以前にやる気があるのか、いまいち信用できない。
「ホンマにか?」
「信用してもらえんとは、悲しおますな」
「その言い草からして、ウソ臭いやないか」
再びの堂々巡り。卓を挟んで険悪な雰囲気がまた漂い始めようとしたとき、横に座っていた十郎太がすっと腕を伸ばして、まあまあとばかりに、迅三郎の機先を制する。
「不毛な言い合いは後にしてんか。それよか、徹生」
「へい」
感情を剥き出しな迅三郎と違って、口調こそ穏やかだが、有無を言わせぬ問いかけに徹生が、思わず、といった感じで頷く。
「平吉のことは、後回しでええわ。それより先に、もう一つ訊きたいというか、調べてもらいたいことがあるねん」
後回しでええって、どういうことや? 俺らはそれを訊くために町中をうろつく徹生を探して、こうしてタダ酒まで飲ましてるねんぞ。それを引っくり返されたら、立場ってもんがないやろが。
そこんとこを、弁えてくれや。
当初の目的を無視するような問いかけする十郎太の脇腹を、迅三郎は小突いた。
だが、十郎太は何食わぬ顔。掌で迅三郎の拳を押し戻しながら「こっち、耳ぃ貸せや」と徹生を手招きする。
へい。と身を乗り出した徹生の耳を引っ張ると「大事な用件や」と勿体ぶって、ひそひそ声で話を始める。
「大坂中の口入屋に探りを入れて欲しいんやけど。最近、急に忙しなったところとか、繁盛してるところで、どんな仕事を斡旋してるか、巧いこと訊き出してくれへんか?」
「それやったら、できまっけど」
十郎太のひそひそ声に触発されたのか、あるいは本当に秘密事項だと思ったのか、徹生までもが声を潜めて訊き直す。
「俺たちが掴みたい本当の秘密は、龍神組の動向なんや。とあるところから良からぬ噂を耳にしたさかいに、ホンマかどうか、裏を取りたいんや」
問われるままに十郎太が理由を説明すると、得心がいったのか、徹生が「なーる」と頷く。
「そういうことやったら、気張って調べてみまひょ」
さっきまでとは打って変わり、徹生は胸をドンと叩いて、あっさりと請け負った。
これは正直、かなり面白くない。
「ほーっ。俺が頼んだときは早々に無理やって言うたのに、十文字の頼みは、二つ返事で承諾かいな」
言葉使いも刺々しく、これ見よがしな嫌味を言うが、徹生は「物事には、出来るもんとできへんもんがありますやんか」の一言で片づける。
「ほな、何か。十文字の頼みは、出来るもんやって言うんか?」
返事はない。となると、肯定したのと同じことではないか。
迅三郎としても、自分の手下だなんだから勝手なことをするな、と咎めるほど度量は狭いつもりではない。
が、こうまで露骨だと些か気分も悪くなる。
それに、だ。断りもなしに稲垣の命令をすっ飛ばすというのは、さすがにちょっと具合が悪いだろう。
「おい、十文字」
今度は迅三郎が十郎太の耳を引っ張りながら呼びつける。
「痛たたたた。いきなり、何やねん!」
耳を引っ張られてご機嫌斜めな十郎太に、迅三郎は「何、勝手なことをしとるねん」と小声で怒鳴った。
「俺らが奉行から仰せつかったんは、溺れ死んだアホな三下の足取りを調べろやぞ。そないな余計なことを徹生に調べさせて、どないするねん」
言外に「人の手下を勝手に使うな」という抗議も含まれている。
もともと鍵鼻の徹生は迅三郎の手下であって、十郎太の下僕ではない。二人こうして一緒に行動することが多く、それゆえ十郎太も徹生もお互いに面識があるのだが、それとこれとは、話が違う。
目の前で勝手に話を進められたるのを見ていて、面白かろうはずがない。不満が奉行の命令に背くという錦の御旗を背負って出たのだが、言われた十郎太は、そんなことなど、どこ吹く風。
「そんなモン調べたかて、意味ないやん」
奉行の命令を真っ向否定するような言葉を吐く。
これには、さすがの迅三郎も面食らった。
迅三郎自身、自分が決して品行方正で職務に忠実な同心だ、などとは思っていない。それでも、下された命に対して多少の口応えや脱線はしても、最終的には言われた事柄を遂行し帳尻は合わせているつもりだ。
対して、今しがた十郎太が言った言葉は、多少の脱線どころか、奉行の命を根底から無視しているとしか思えない。
「もう一回、耳ぃ貸せや!」
言うや否や、迅三郎は十郎太の耳を改めて摘むと、有無を言わせず、顔を引き寄せた。
「奉行の考えは、溺れ死んだ三下が抜け荷に関わっていたかどうか、の裏取りやぞ。それを意味ないって言いきって放っておくんは、何ぼ俺でも、今のは納得できへんぞ」
本当なら怒鳴りつけてやるところだが、他人の目や耳のある店の中。加えて卓を挟んだ真正面で、徹生がぐい飲み片手に耳をほじりながら二人の様子を窺っている状況では、迂闊に大声を出すことはできない。
止むなく、ひそひそ声で注意するような形になったのだが、押しの不足か、それとも舐められてしまったのか、鼻で一笑された。
「せやから、迅は猪野郎って言われるんや。奉行が言うたことを、もう少し冷静に考えてみいや」
勿体ぶるように前置きをすると、「ええか、よう聞けよ」と今度は十郎太が、迅三郎の耳を摘んで手繰り寄せた。
「奉行は、抜け荷の噂と溺れ死んだ三下が、何らかの関わりがあるんちゃうか、と睨んだんやよな?」
「おう」
そこのところは十郎太の言った通りなので、茶々を入れずに素直に頷く。
「そない言うとったけど、よう考えてみ。何か変やと思わへんか?」
迅三郎がちゃんと話を聞いていることに満足したのだろうか。十郎太も一回、大きく頷くと、今度は説いて聞かせるように、質問を投げかけてくる。
「奉行が言うとった、薩摩藩の蔵屋敷と三下の溺れとった曲がり淵地蔵とは、一里は離れてるねんで。抜け荷と何ぞ関係があるとして、こんだけ離れたところで死んでるのは、何でや?」
「そんなモン知るか! 分からんから、調べるんやろが」
もって回った言い方に、ついイラっと来る。腐れ縁的に十郎太と付き合いの長い迅三郎だが、説明の際に時折ふっと見せる見下し口調は気に入らない。
本人に自覚があるかは否だが、自分のほうが格上で知恵も回ると思い込んでいるところが、露骨に見え隠れする。
奉行も十郎太と同じような言い回しをするが、向こうは完全なる上士で、誰もが認める知恵者である。片や十郎太は、迅三郎と同じ同心であり、奉行や与力の名の下、調べのために現場を這いずり回る役どころである。
そもそも、比べること自体が間違っている。迅三郎は……いや、世間の同心の全てが、割り当てられた役回りを理解しているが、十郎太はどうやら違うらしい。
「迅の言うとおり、理由なんか分からへん。でも、調べるのも無理や。何でか? 徹生の言うたやん、小物過ぎるって。これは、曲げようのない事実や」
反論したいが、言葉に詰まる。十郎太の言っていることは、まったくもって王道の正論である。
認めるのは癪だが、反論するのも大人げない。何より目の前には徹生がいる、不細工な真似は威厳の失墜に繋がりかねない。
迅三郎は荒い息を一回吐いて、込み上げる苛立ちを堪えると「そやな」と顎を引いた。
「で、奉行の命に戻るんやけど」
持って回った言い回しのまま、十郎太が話を続ける。
「迅が言っとったように、平吉を調べろっていう理由は、抜け荷の噂と関わりがあるかどうかやわな? ちゅうても調べるのは小物過ぎるから無理や、けど逆やったら、いけるんとちゃうか?」
質問の上に質問を重ねる。まどろっこしさに、いい加減うんざりする。それでも「それで?」と相槌を打って次を促した。
「抜け荷が何かは分からん。けど、荷が動くんやったら、人も動くやろう。ただ、物がモノやから堅気の人夫って訳にはいかんわな。となると流れの人夫を扱うような口入屋を介すんちゃうか? そっから攻めたら、龍神組の名前が出てくるかも知れへんやろ」
十郎太が親指を立てて拳を見せる。会心の発想を披露して気も晴れ晴れといった感じだが、聞いた迅三郎のほうは、今いち釈然としない。
「言わんとすることは、分からんでもない。けどな、龍神組は口入屋も営んでるねんで。何で自分とこを使わへん?」
発想の根本に関わる問いだが、十郎太は少しも動揺することはない。
「そんなこと」と笑って掌を揺らすと、快活かつ簡便に言ってのけた。
「儲けがあっても、危ない橋を渡るんや。自分とこの人間なんて、誰が出すかいな」
この一言で勝負がついた。いかなヤクザ組織とはいえ、龍神組くらいの規模になると動きが保守的になるのは世の常。十郎太の言い分に理が出てくる。
「そんな訳で、徹生の顔の広さを借りたいってこと。残念ながら俺の手下には、徹生ほど顔の広いヤツはいないからねぇ」
一気に捲し立てて喉が渇いたのか、十郎太がぐい飲みを口にする。向かいでは、おだてに乗せられた徹生が「いや~、それほどでも」と満更でもなさげに頭を掻く。ただ一人、迅三郎だけは込み上げるもやもやに憮然としていた。
言っている理屈も納得できるし、理にも叶っている。奉行に言われたままに動くよりも遥かに早く、正解に行きつくだろう。
だがイマイチ釈然と来ない。理屈じゃなく気持ちの問題だけに、どう折り合いをつけるかなんだが。
「な~に、堅苦しい話をしてるんですか?」
突然、横合いから掛けられた能天気な声に、迅三郎は我に返り、声のするほうへと顔を向けた。
見れば、盆に徳利を載せた、この店の看板娘である千香が、興味津々といった表情で三人の前に立っていた。徹生が追加注文した酒を配膳に来たら、十郎太が面白い話をしていたので聞き耳を立てていたのである。
「こらこら、お千香。盗み聞きは女子として、嗜みに欠けんで」
十郎太がやんわりと叱る。だが、好奇心いっぱいの千香には、効き目がなかった。
「ええやん、聞くくらい。ウチら毎日お酒やお膳を運んでるだけで、楽しみなんか何にもないんやさかい。お客さんの話ちょこっと盗み聞きするくらい、大目に見たってや」
懲りた様子もなく、徳利を卓に置いても、一向に戻ろうとする気配がない。それどころか、盆を胸の前で抱き、聞く気満々で待ち構えているありさま。
「聞いとったって、面白いい話なんか、せえへんで」
徹生も助け舟とばかりに加わる。
だが、何の役にも立ちはしない。むしろ勿体ぶっていると勘繰り、好奇心を焚きつけてしまうありさま。
「面白いかどうかは、ウチが決めることやん。お侍さんの小難しい話って、めっちゃ興味あるもん」
言葉どおりに大きな瞳をキラキラと輝かせながら、隣の卓の腰かけを引っ張り出した。十郎太の斜め向かいにでんと据え、仕事をほっぽり出して座り込む。
「つまらん好奇心は、猫も殺すで」
困った声でもう一度、十郎太が警告する。だが「ウチんとこは、猫は飼ってないから大丈夫」と意に介さない。
「それよか、朝倉様がさっき話とったんて、抜け荷でしょ? 何か危ない話で、ワクワクするやん」
「そんなことまで聞いてたんか?」
「こう見えても、ウチ耳は良いんよ」
呆気にとられて渋面する十郎太とは対照的に、言い当てた千香は胸を張って自慢気味。耳に指を当てながら、鼻高々に言ってのける。
「で、どんな抜け荷なの? 金? 銀? それとも、人買い? 人買いだったら、すごいわね。ウチなんて可愛いから、きっと攫われちゃうんだわ。きゃー」
誰も言っていないのに、盆を抱いたまま一人で勝手に話を作って盛り上がる。
無駄に豊かな想像力に十郎太と徹生は呆れ、勘弁してくれと言いたげな視線で、迅三郎に助けを求める。
迅三郎は何で俺が貧乏籤を? と理不尽さを感じつつも「おい」と千香に声を掛ける。が、
「まあ、人買いってのは、考え過ぎやんね、ウチが攫われてないんやから、あり得んわ。それよか、ちょっと聞いてーや、最近、行きつけの団子屋で、団子の値段が、上がったんよ。砂糖が値上げとか何か言うて。これ、勝手やと思わへん? ウチらに何の断りもなしやねんから」
端から眼中にないのか、迅三郎の呼びかけなど、聞いちゃいない。完全無視の千香の態度に、元が短気な迅三郎の堪忍袋は、あっさりと切れてしまった。
「油ばっか売ってないで、仕事はどないした?」
声に力を入れて遠回しに立ち去れと促すが、千香は迅三郎を相手にしていない。
「今は暇」
他に客がいるにも拘わらず堂々と言い切ると、再び迅三郎を無視して、底の抜けた桶のように勝手気ままにべらべらと喋り出す。
姦しいは普通は「女が三人寄れば」の話だが、千香は一人で三人分は優に喋る。これで苛々しない男はいない。
「女子やねんから、つまらんことにばっかに首ぃ突っ込むな」
ええ加減にせいとばかりに迅三郎は抱いた盆の腹を突くと、「せやから嫁の貰い手がないんや」と千香に向かって、止めとも思える一言を言い放つ。
年頃の娘。いわんや盛りも後半の女子には、言ってはならない禁句。当然のことながら二十歳の千香も例外ではない。見るみる間に肩がわなわなと震え、怒りで顔が真っ赤に染まっていく。
「余計なお世話や。出てけー!」
耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げ、千香が怒鳴る。目鼻立ちが整って愛くるしいのに千香が売れ残ったもう一つの理由が爆発したのだ。
千香が女将に羽交い絞めにされている間に三人は、そそくさと店を後にした。
「な。ちゃんとお千香を追っ払ったやろ」
店の外で「千香を遠ざけた」と胸を張って言いきる迅三郎に、十郎太が苦り切って言い返す。
「俺らも追っ払われたら、意味ないやろが」
「あっしは、まだ飲み足りないのに」
ちゃっかり、酒の残った徳利を失敬しておきながら、徹生がジト目で迅三郎を睨みつける。
「やかましわい。そんだけ飲んどって、まだ飲み足らんて、どんだけ蟒蛇やねん」
両の手で、頼んだ徳利の数を勘定する。三人いたとはいえ、たちまち折る指がなくなった。しかも、その半分以上は、徹生の胃に収まった勘定だ。
「結構、飲んだもんなあ」
十郎太が冷静に突っ込みを入れ、払った金額をぼそりと告げる。
安店でこの金額とは……聞くと背筋が寒くなる。徹生に仕事させるためとはいえ、これは、ちょっと使い過ぎだ。
「結構で済むか、飲み過ぎや。潮時、潮時」
これ以上はヤバいと、両手を叩いて迅三郎がお開きを宣言する。飲み足りないと言っただけに徹生はちょっと不満げだが、これ以上の出費は、こっちの懐にさし障る。
「飲んだ分は仕事してもらうからな。油なんか売らんとキリキリやれよ」
「そりゃ、やりますけど……旦那は人使いが荒いから」
「アホ。それでも足らんくらいや」
この後のことを考えると、ぞっとする。当分、遊ぶ金には不自由すること請け合いなのだ。
「こりゃ、当分タダ働きになるかね」
絶妙ともいえる間で、十郎太が間の手を入れる。本音は迅三郎の金欠の火の粉を被りたくないだけだが、徹生は違う受け取り方をしたらしい。
暫く「うー」と唸ったあと「しゃあないな」と諦めたように、良い女に関するとっておきの情報を披露すると、迅三郎に告げた。
これに迅三郎が、飛びつかないはずがない。
「女やと?」
さっきまでの金欠が一瞬にして吹き飛ぶ。
「それを先に言わへんかい!」
先に口を開いたのは十郎太だが、寸分も違わず迅三郎も声を重ねたのだから、どっちもどっちだ。
「ホンマは言う気なかったんでっせ、仕事やおまへんから」
女と聞いただけで目の色を変える二人に徹生は呆れた表情を見せる。
だが、盛りのついた雄犬に、理屈など通用するはずもない。勿体ぶった台詞など「そんなん、関係あらへん」の一言で斬って捨てる。
「言え、今すぐ言え。美女は至宝や。愛でな、あかんねん」
無茶苦茶な理屈をこねて迅三郎が徹生に詰め寄る。男に近付かれて楽しいはずもなく、徹生は詰め寄る迅三郎を押し戻そうとする。
が、それは無理な相談。女が懸かっているのだ、迅三郎に手加減などない。あっという間に徹生の首根っこを掴むと、自白させる態勢に持ち込んだ。
「さあ、言えよ」
「無茶苦茶や。あっしは、罪人でも何でもないのに」
地べたに膝を付かされて半泣きになりながら、徹生はとっておきの女の情報を吐かされた。
京街道を守口宿のほうに向かって歩くこと、一里余り。野江と称する郊外の村に、美貌の女鍼灸師がいるという。
「そら、もう。綺麗の格が違いまっせ」
とっておきの情報だと前置きしただけに、喋る徹生の口調や興奮も違う。入手先は秘密だとほざいたが、そこは、どうでも良いこと。問題なのは、美貌のほど、である。
「極上以外の言葉は、おまへんわな」
自信満々に徹生は答え、具体的には、の問いに「そうでんなぁ」と鼻の下を擦りながら具体例を掲げる。
「例えば、饂飩屋のお千香」
「えらい低い例えやなあ」
比較対象が身近すぎるのか、十郎太が苦笑交じりに突っ込みを入れる。だが、徹生は「お千香は別嬪でっせ」と、てんで気にする様子もない。
「そうかぁ?」
確かに看板娘と呼ばれているだけに、千香は顔立ちも整っており、愛嬌もある。観るだけだったら、別嬪と言えなくはない。
だが、いかんせん、あまりに性格ががさつ過ぎる。可愛いとはいえても、美人と呼ぶには程遠い。
にも拘らず千香を引き合いに出すのは、徹生の好みが多分に反映されているからだ。とはいえ、嵩じて「旦那方は女を見る目がない」と千香の擁護に入れ込むあたり、逸脱すること甚だしい。
「いいから、続きを話せ」
徹生の眉間に拳をめり込ませながら、迅三郎は「早くしろ」と続きを促す。
情報を出し惜しみして勿体ぶるのが徹生の性格だと分かっていても、このお預けは我慢ならない。
「河津の旦那が、そこまで言うんでしたら」
仕方おまへんなという言葉を口の中に仕舞い込んで、徹生が続きを喋る。
「噂に聞こえた夕霧太夫と比べたかって、絶対に見劣りしまへんで。盲でなかったら、何処ぞのお城の殿さんにお手付きになってても不思議やないくらいの器量でっさかいに」
「比較が極端やな」
饂飩屋の看板娘と伝説の花魁や大名の側室を同一で語るのだから、十郎太が呆れるのも無理はない。
迅三郎も、その点は全く同じだが、徹生に突っ込みを入れるよりも、もっと大事なことがある。
「ネタは、確かに承ったで」
柄にもなく尊大に迅三郎が頷く。
「これが貴重な情報であることも、よーく分かった」
阿吽の呼吸で追随するように十郎太も頷くと、二人は「せやけど」と声を揃えて徹生に向き直る。
「聞いただけやったら、情報の信頼性が幾ばくか。今のままでは、ちと解かりかねるわな」
顎の下に拳を当てると、いつにもなく重々しい口調で、迅三郎が疑問を呈する。
「河津の旦那。あっしの情報にいい加減なもんなんて、これっぽっちもおまへんで」
情報にケチをつけられて自尊心が傷ついたたのか、口を尖らせて徹生が反論する。
と、不満顔の徹生をとりなすように、十郎太が「まあ、まあ」と絶妙な間合いで割って入る。
「それは、迅やって、重々分かっとるわな」
角が立たないように注釈を入れる。が、その上で「せやけどな」と改めて断りを入れると、今度は十郎太が言葉を引き継いだ。
「人がどこぞにおった、おらんかったとかと違うて、女子の美醜みたいなもんは、人の主観が大きくモノを言うやろ?」
口はへの字に曲げたままだが、感覚による振れが大きいという十郎太の説明には納得せざる得ないのだろう。
表情に不満を残しつつも、徹生は「へい」と殊勝に頷く。
「せやさかい、実際に行って確かめなアカンねん。噂に違うかどうか、己の目ではっきりとな」
胸元で拳を固めて十郎太が力説する。相手が女となった途端、力の入れようが違うのだから、現金にも程がある。
「そういうことや。分かったか、徹生」
これで説明は終わりとばかりに指を突き付けて迅三郎は言い放つと、次の瞬間には両の手をわさわさと不気味に動かし、だらしなく開けた口元から涎を垂らして妄想の世界へと一人で旅立っていく。
「太夫のような妖艶さに、プリッと膨らんだ、たわわな乳房。ううっ、想像しただけで辛抱堪らんなぁ」
同心どころか武士としての威厳もまるでなし。好色に染まったエロ親父さながら、ケケケと不気味に笑い、迅三郎は一人で悦に浸る。
「旦那。ホンマに大丈夫でっか?」
情報を提供した徹生でさえ心配そうに尋ねるが、迅三郎はふしだらな妄想を止めようとはしない。
切れ長の瞳が艶やかな美女の姿を想像し、掛衿の下でこんもりと盛り上がる白い双丘に心馳せる。愛でて愉しむのは言うに及ばず、触って良し、揉んで良し、しゃぶるとまた格別な魅惑的な逸品。
丹念な愛撫で陶器のような白がほんのりと桜色に染まりいく様を思うだけで、丼鉢三杯はいけるのではないだろうかなどと、想像の赴くままに鼻の穴を広げていた。
「大丈夫やないわな」
ここまで間抜け面を晒している迅三郎に向かって、十郎太が答えないわけがない。右手を左右に大きく振って「こいつは、もうアカンで」と宣告する。
「かねがね、迅はアホやとは思ってたけど、ここまでアホやとは、知らんかったわ」
溜息をつくより早く、憐みの視線を投げかけると、十郎太は打つ手なしといった口調で徹生に言って聞かせる。
「女子の胸にうつつを抜かしとるなんて、正気やとは思えんやろ?」
「さいでんな」
もっともだ、という表情で徹生が顎を引く。
「お奉行様からお仕事、賜ったんでっしゃろ? それを差し置いて、女子の胸のことばっかっというのは……我が旦那ながら不甲斐のうて、不甲斐のうて」
情けないと言いたげに、ヨヨヨとわざとらしく、しなを作り、泣き崩れる真似をする。
と、誰が見ても分かる陳腐な猿芝居に「そうだろう、そうだろう」と言いながら十郎太が乗っかる。
「女子の胸ごときで、つまらん妄想に興じるなど、武士として、いや、男として、つくづく情けない」
胸をぐっと張り、ともすれば見下すように十郎太が言ってのける。男子たるもの、胸ごときを妄想で興奮してどうするんだ、という叱咤の言葉も、付け加えるのを忘れない。
「ホンマ。朝倉様の言うとおりや」
堂々と正論を述べる十郎太に、徹生は武士の清廉さを見たのか「ほう」と感服を寄せたが、その直後。
「女子の魅力と言うたら、うなじと脚に決まっとるやろ!」
躊躇も臆面もなく、堂々と言ってのけたのである。
徹生は目を白黒させ、しかる後に頭を項垂れる。目には「ああ、やっぱり」という諦めにも似た色が浮かんでいた。
もちろん、十郎太はお構いなし。
「少し垂れたおくれ毛から放たれる微香。襟際で見え隠れする盆の窪。歩くたびに見え隠れする足首の艶めかしさ。揉むや吸うなど言語道断! 仕草で魅せる色香を理解せんと、肉欲だけで女子の魅力を語るなど笑止千万、片腹痛いわ」
肩を怒らせ鼻息荒く、血走った眼をひん剥きながら、十郎太が勝手な理論を言ってのける。
が、十郎太に好き放題に言われて黙ってるなど、迅三郎にはできやしない。
「アホぬかせ!」
速攻で否定。
「うなじや足首を見てるくらいで大の男が満足するか?」
するわけないだろう。
十郎太の主張はどれもこれも辛気臭い。酸いも甘いも知り尽くしたような枯れた老人が言うのなら分からぬでもないが、俺はそこまで老け込んでなどいない。
「だから、十文字はムッツリ助平って言われるんや」
十郎太の意見を一刀両断する。だが、短気なことでは引けを取らない十郎太のこと、すぐさま反論の言葉が返る。
「俺は、ムッツリやのうて、知性派なんや。猿みたいに、のべつ欲情してる迅に、言われとうない」
後はムッツリと低能の罵りあい、当然のことながら意見がまとまるはずもない。そもそも話の論点からして‘良い女がいる’だったのが、いつの間にか‘良い女の定義’に移っていることにすら気付いてない有り様なのだ。
「おふたがたとも、お勤めする気、おますんか?」
最後は徹生にまで尋ねられる始末。
ところが根が助平なのが二人とも一致しているからか、それともお頭の出来が五十歩百歩だからなのか、論点がずれていたはずの口論が「盲の女を見に行こう」で一致するのだから、不思議と言えば不思議だ。
「あんだけ言い合って、結局、それでっか?」
徹生が脱力するのも無理はない。とっておきとは言いながら、盲女の話は抜け荷や溺死とはまるで関係なく、場を盛り上げる程度のネタだったはずである。
そもそも取っ組み合い寸前まで啀み合うのもおかしいのだが、あっさりと収まるのも訳が分からない。
「結局、百聞は一見に如かず。ってことやねんな」
迅三郎が口論の結果を一言で言ってのける。
「そりゃ、まぁ、結構なことで」
精一杯の嫌味を口に出すと、
「それよか、口入屋の動きは、どうしまんのや?」
本向きの用件でっしゃろと、続けざまに尋ねる。
徹生とすれば脱線に次ぐ脱線で不安に駆られての発言だろうが、迅三郎にしてみれば、当たり前すぎて、訊き直すまでもない。
「そんなモン、決まってるやろ」
徹生を指差すと二度三度と指を縦に振り、オマエの役目だと認識させる。
「情報を掻き集めるのは徹生の役分、俺たちの役回りは真偽のほどを確かめることや」
もっともらしく言うと、追随するように十郎太も頷いてみせる。啀み合うことが多いくせに、こういうときの連携は見事としか言いようがない。
明日の夕刻までに調べとけよと徹生に宿題を課すと、それまでの時間を有意義に過ごすと勝手な理由をつけて、朝っぱらから野江の村へと二人は赴いたのであった。
「これ、かな?」
いまいち自信が持てないのか、それと思しき建物を前に首を傾げながら、迅三郎が問いかける。
「多分、そやろな」
受ける十郎太も、似たり寄ったり。
そもそも都に向かう街道筋とはいえ、町外れの農村に鍼灸院があること自体が尋常でないのだ。しかも繁盛していると見え、朝っぱらだというのに既に患者が列を作っている。
「鍼灸院というより、廓やで。どない見ても」
「どいつもこいつも、助平そうな顔つきしてるしな」
二人の言質を裏付けるようにできた列の大半は、針治療など必要ないようないい年をした男ばかり。しかも全員が全員とも、目がヤニ下がっており、廓という表現は決して遠くない。
違いといえば、昼日中であることと、人の動きが早いことだろうか。実際、入り口前に十数人いた待ちの列が、四半時と経たぬ間に綺麗さっぱり消えてなくなっているのだから回転が、速いことは疑いようもない。
「次にお待ちのお方……」
鍼灸院の建屋の中、控えの間にまで入ると、姿は見えずとも声は聞こえてくる。衝立越しに聞こえてくるのは、小鳥の囀りのような済んだ声。少なくとも、声については看板に偽りなしのようである。
「さて、次は俺の番か」
ひとつ前の男が衝立の奥に消えると、平静さを装いつつも、湧き上がる興奮を隠せずにいた。背中を疼々させながら、十郎太はしっかり鼻の下を伸ばしていた。
「たかが、いんじゃんで勝ったくらいで」
負けた迅三郎が小馬鹿にした口調で言うが、どう聞いても負け惜しみ。虚勢を張りつつも悔しさは隠しきれない。「次の方」と呼ばれた十郎太を歯切りしながら見送っていた。
薄い壁を一枚隔てただけの桃源郷。壁越しに微かに聞こえる艶やかな女子の声。なまじ声しか聞こえないだけに、余計に無駄な想像が掻き立てられる。
「お召しの物を、お脱ぎになってくださいまし」
「そこに、横になってくださいまし」
「力を抜いて身を委ねて」
冷静に考えれば、盲の女が口にするのは針治療を行うための指示。それも極々真っ当なことを言っているに過ぎない。
だが、お預けを喰らい、悶々とした気持ちの中、邪な思いだけが膨らんでいる状態で冷静さなど保てるはずもない。
気がつけば迅三郎は、衝立に耳を当て、鼻息も荒く盗み聞きをするという、性欲を持て余す思春期のガキと同じような行為に走っていた。
衣擦れの音がし、否が応にも気分が盛り上がる。挙げ句聞こえてきたものは……
「うぅっ……」
おぞましくも野太い、十郎太の快感にも似た呻き声だった。無粋な声が聞こえた途端、今の今までいきり立っていた一物が一気に萎えたのは、言うまでもない。




