8 贈り物
「あとはそうね……浮いた予算の八割は使用せず、残りの二割を、使用人の福利厚生に当てます」
「え!?」
「わたしはこの家に来たばかりです。皆を尊重したい気持ちを示すために、最初の心付けが必要だわ」
「必要ありませんよ! それよりも、あなたのドレスを」
「遠慮しないで、ジェフリー。あなたの春のボーナスの底上げにも使います」
「……」
「ここは偏りがあるわね。この費用も、これも、ギルバートとチェルシー様の嗜好によるものだから、省きましょう」
「マ、マーガレット様!」
「よく勉強していますね、マーガレット様。他になにか思いつきますか?」
「ええと……とりあえずこれくらいです、ヒューバート様」
「例えば、邸宅の補修費。これは、修繕一件ごとの金額がどうにも高すぎるようです。相見積もりの上、業者を変えれば、何割か引き下げできます」
「あっ、なるほど」
「こちらの交通費も、予算を下げて大丈夫です。使用人達が駅馬車ではなく辻馬車を利用していたようなので、やめさせましょう」
「は、はい」
「食事の質も、週四日は下げて、残りの三日はとりあえず現行どおりで行きます。国内のどの貴族も、毎日このような夜会水準の食事は採っていません」
「そうなんですね」
「——急な改革は、亀裂を産みますぞ!」
家令ジェフリーの声に、ヒューバートは無表情で冷たい視線を送り、マーガレットは呆れた顔をした。
「亀裂もなにも、……………………毎年、大赤字じゃない」
マーガレットの言葉に、家令ジェフリーは顔を真っ赤にしている。
予算の勉強をして、ヒューバートの可視化した資料を見て、ようやくマーガレットにも実感がわいた。
確かにこのままでは、ギルベルト侯爵家は潰れてしまうことだろう。
そのぐらいに、毎年大赤字である。
このままでは、潰れないために税率を上げたり、国に補助を要求する事態になるのは、目に見えている。
ということはつまり、家令ジェフリーにも見えているはずなのだ。
なのにどうして、改善に反対するのだろう。
「とにかく、お金を貯めないと」
ギルベルト侯爵家は火の車なのだ。
ギレムの融資がなければ破綻してしまう。
ぎりりと歯噛みする家令ジェフリーを横目に、ヒューバートがマーガレットを褒める。
「いいことです、マーガレット様。今のギルベルト侯爵家に必要なのは、節約です」
「はい」
「まあ、これだけコストカットすれば、多少侯爵代理の自由に使えるお金が増えても問題はないかと」
「いえ、そういう配慮は不要です。これは、侯爵家の皆さんと、キャサリンのお金なので」
お小遣いに関して、パン屋で働いていた時の自分のお小遣いを基準に算定するマーガレットに、ヒューバートはくつくつ笑い、ジェフリーは黙っている。
ふと、マーガレットが引き出しから、箱を取り出した。
急なことに、ヒューバートとジェフリー、フレディは不思議そうに彼女を見る。
箱の中に入っているのは、ブルーサファイアのネックレスだ。
大粒の青に、フレディが感嘆の声を上げ、マーガレットがため息をつく。
「私個人の資産といえば……実は、ギレム様がこれをくださったんです。なんだかすごく価値が高そうで、怖くて触れないのですが……」
「マーガレット様、これはブルーサファイヤでは? これだけ大粒だと、平民なら数年は暮らしていけますよ」
「そ、そんなに!? うう、困るわ」
「なるほど、一歩先を行かれましたか」
「え?」
「私からはこちらを差し上げます」
胸元から箱を取り出すヒューバートに、マーガレットは目を丸くする。
そこにあるのは、同じくブルーサファイアの指輪だ。
おそらく、二人とも、マーガレットの目の色に合わせて宝石を選んでくれたのだろう。
粒の大きさはネックレスに劣るが、いくつものダイヤに囲まれており、意匠も素敵で、マーガレットが何年パン屋で働いても手に入らないものであることは見て取れる。
青ざめるマーガレットに、ヒューバートは相変わらず無表情である。
「ヒューバート様、これは」
「私もいくつか個人事業を営んでいますから、そこそこにお金はあるのですよ」
「そういうことではなく! こんな高価なものはいただけません」
「これもその首飾りも、あなたに必要なものです、マーガレット様。揺らがず、正しくことを成すために」
要するに、侯爵代理が目先の金に目がくらんで、侯爵家に不利益な判断をするのは困るということだ。
そう言われてしまうと、マーガレットはなにも言えなくなってしまう。
「では、侯爵代理である間、お預かりすることにします……」
「機会があれば、ぜひ使ってください」
「傷をつけるのが怖くて、箱を開くのもためらってしまうのですが」
「侯爵代理ですから、慣れてください」
お礼を言った上で、しぶしぶ箱を受け取るマーガレットに、ヒューバートは頷く。
落ち着かない気持ちでいっぱいのマーガレットは、指輪とネックレスを、一旦執務室の引き出しに入れた。
鍵つきの引き出しではあるが、鍵はかけなかった。
「ねえ、フレディ。こういう高いものって、どこにおいておけばいいのかしら」
「ギルバート様とチェルシー様は、私室に置かれていましたが」
「置いてるだけ? 金庫に入れるのではなく?」
「お二人の持ち物はすべて高価だったので。チェルシー様の宝飾品も、普通にこう、ジュエリーボックスなどに入っていましたね」
「……」
後で小さな金庫を買って置かせてもらおう。
それくらいは、必要経費として許してもらえるはずだ。
そう決意しながら、ふと、ヒューバートを見上げる。
「それで、ヒューバート様。侯爵閣下の予算なのですが」
「十倍で」
「えっ?」
「例年の十倍としましょう」
目が点になるマーガレットとフレディに、黙り込んでいた家令ジェフリーも息を吹き返したようだ。
目を丸くして、ヒューバートを見ている。
「ヒューバート様、節約は」
「これだけコストカットすれば、多少侯爵閣下の自由に使えるお金が増えても問題はないかと」
「先ほどと違った印象を受ける言葉ですね」
「十倍で」
「……三倍で」
「十倍」
「三倍に収めてくださるなら、ヒューバート様の希望どおり、侯爵閣下の予算の使い道をお任せします」
「お任せください」
感極まった顔で、心臓に手を当て、深々と頭を下げるヒューバート。
その目には気のせいでなければ、涙が浮かんでいた。
なぜだろうか。
とても間違った判断をしてしまったような気がする。
「では、本日の協議結果については後程、資料にまとめてお渡しします。領地経営の予算と突き合わせて妥当かどうか、ギレム様を含めて最終決定をしましょう」
自分の判断に動揺しているマーガレットを置いて、ヒューバートはあっという間に執務室を去ってしまった。
残されたのは、家令ジェフリーと、執事フレディである。
キャサリンの予算執行権をもぎ取り、ニヤついて去ってしまったヒューバート。
一体、なにに使うつもりなのだ。
幼い侯爵閣下の環境改善を建前に、悪辣非道な使い方を……?
「マーガレット様。あの方は、信用できるのでしょうか」
疑念を口にするジェフリーに、マーガレットは信用できるとはっきり言うことができなかった。
駅馬車:定時運行の馬車
辻馬車:タクシーの起源








