7 怪しい家令と怪しい後見人に挟まれた不憫な侯爵代理
翌日のこと。
マーガレットと後見人ヒューバート、そして家令ジェフリーと執事フレディは、ギルベルト侯爵の執務室に集まっていた。
今日は、ヒューバートの指示により、ギルベルト侯爵家の予算に関して、確認をすることになっている。
家令ジェフリーが作った資料——二十枚程度が一綴りになっているものが配布され、マーガレットはげんなりする。
そうしてぺらぺらと紙をめくるマーガレットに、くすりと笑う声が聞こえた。
犯人は、黒髪枯れ木男ヒューバートである。
むくれる赤毛のマーガレットに、男はくつくつと笑っている。
いつもマーガレットの前では無表情なのに、珍しいことである。
「こういうの、苦手なんですよ」
「いい心がけだと思っただけです」
「その心は?」
「苦手であっても、投げ出そうとはしていない」
ふっと笑った後、無表情に戻って資料を読み始めるヒューバートに、マーガレットは思った。
(こ、これは……! ヒューバート様って、すごく女たらしなのでは……?)
ヒューバートはいつも黒いシャツに灰色のスラックスで、天然のウェーブのかかった黒髪に目に深いクマが刻まれた、癖が強い見た目をしている。
しかし、とにかく顔がいい。そして基本は、無表情。
要するに、ミステリアスないい男、というやつである。
そんな彼にこんなふうに褒められたら、世の女性達は割と簡単にときめいてしまうのではないか。
妊婦でありながら軽率にときめいてしまったマーガレットは、頬に集まった熱を逃がそうと、手のひらを顔に当てる。
ギレムといい、ヒューバートといい、彼女の後見人達はちょっと色男過ぎると思う。
(キャシーちゃんの言う『いいよ』って、別に『魅力的な男だよ』って意味じゃないわよね……?)
『いいよ』が、キャサリン(二歳)の好みの男達という意味だったらどうしよう。
ふと、『いいよ』群に入っていた執事フレディに目を向けると、三十代前半の彼は、ふわりとほほ笑んでくれた。
フレディは、安心感と清潔感を感じさせる、明るい茶色の髪が印象的なさわやかな男である。
イケてるおじ様なギレムや、ミステリアスなヒューバートとはまた趣が違った、実にいい男だ。
……。
(考えるのをやめよう……)
マーガレットが息を吐き、目の前の資料に集中しようとしたところで、ヒューバートが息を吐いた。
「ふむ。悪くはないが、可視性が低い。こちらの資料を追加します」
ぺらりと一枚、資料が追加される。
その整然とした一覧表、図で可視化されたその様に、マーガレット達は唖然とした。
特に、先に資料を配った家令ジェフリーは憮然としている。
「……このようなことをなさるのであれば、最初からヒューバート様が資料をお作りになった方がいいのでは?」
「私が作った資料は、既存の書類や国家補助額、税収から読み取った結果にすぎない。内容が予算担当者の言い分と合致するかどうかを見なければ」
「……」
「ざっと見た限り、おおよその数値に異常はなさそうだ。帳簿は正しくつけているようだな。悪くない」
要は、ヒューバートはギルベルト侯爵家の資金繰りに関して、怪しい動きがないか監査をしたということだ。
昨日まで、やることがあると言って姿をあまり見せなかったのは、きっとこの作業が忙しかったからなのだろう。
苦虫をかみつぶしたような家令ジェフリーと、無表情のヒューバートを横目に、マーガレットはあら?と首をかしげる。
「侯爵の予算が高いですね」
「ギルバート閣下は食と身だしなみに気をつけていらっしゃいました」
「こんなにお金がかかるものなの? ジェフリー」
「そうですね。あとは、隣の領地への魔法転送陣による往復料がかさんでいたようです」
……。
要するに、マーガレットとのウワキ代ではないか。
やたら上質な服を着て頻繁に会いにやってくると思っていたが、侯爵家にこんなに負担をかけて、あの男!!!
「……。侯爵夫人の予算が高いですね」
「侯爵夫人には美容費と服飾費がかかりますから」
亡き前侯爵夫人チェルシーの美容費。
死因となった、毒入りのおしろいにかけたお金だろうか……。
「……現侯爵閣下の予算は、あの、これだけ?」
「これだけです」
「ごはん代とオムツ代でほとんど消えちゃうわ」
マーガレットは唖然とした。
平民出身彼女ですら、これがとても貴族の子どもにかける金額ではないことは見て取れる。
ここで、驚いている彼女を見たヒューバートが、なぜかニヤリと笑った。
先ほどマーガレットに向けたものとは違う、女性がときめく隙のない、暗黒帝王のほほ笑みである。
深くクマが刻まれた青白い顔の黒髪男による唐突な笑顔(腹黒)に、マーガレットと家令ジェフリーとフレディは震えた。
「そのとおりです。流石はマーガレット侯爵代理。これがいかに異常で凄惨で悪辣で許しがたい金額か、おわかりでいらっしゃる」
「あの、ええと……?」
確かに、貴族の子どもとしてはあまりにも少ない。
とはいえ、平民の子どもと同等ぐらいの予算は割り振られているのだ。
異常で凄惨で悪辣で許しがたいとまで言わなくても……。
しかし、そんなことを言える雰囲気ではない。
「任せていただきたい」
ここで異論を挟んだら、一体マーガレットはどうなってしまうのだろう。
青ざめた彼女が(助けて!)とフレディを見ると、彼は(私になにかできると思いますか!?)という顔で首を横に振った。
家令のジェフリーですら、マーガレットの救助要請に、サッと目を逸らしている。
「ええと……、とりあえず、全体を見てからで」
「任せていただきたい」
「多分任せることになりますが、一旦全体を見ましょう」
「わかりました」
打ちひしがれた様子でしゅんとしおれた様子のヒューバートに、マーガレットは疑問符でいっぱいになる。
今のやり取りの中に、大の男がそんなにも悲しむようなことが、あっただろうか!?
しかし、まずは全体を見ることだ。
気を取り直して、資料に目を戻すことにする。
「ではその、他の予算の件についてですけれど……」
おそるおそる、マーガレットが口を開く。
すると、家令ジェフリーが口を挟んできた。
「侯爵代理であらせられるマーガレット様の予算は、前侯爵閣下のものをそのまま引き継ぐ形でよろしいでしょう」
「いえ、こんなにいらないわ」
「いえいえいえ、そのままで」
「不要です。まずお洋服代だけれども、今年は新しいものを仕立てる必要があることを加味した上で、この五分の一にしましょう」
「マーガレット様には、必要な予算がおわかりにならないでしょう!」
「ギレム様が相場感を教えてくださったのよ」
「……」
はがみをする家令ジェフリーに、マーガレットは息を吐く。
実は、先日ヒューバートに『侯爵家が五年でつぶれる』と言われたときから考えていたのだ。
後見人ヒューバート曰く、ギルベルト侯爵家はどうやら毎年、資金繰りが上手くいっていないとのこと。
しかし、マーガレットには知識がないので、なにが悪いのか、本当に赤字なのかすら、さっぱりわからない。
本来的には、後見人のヒューバートを信じて事を進めつつ、ゆっくり勉強していけばいいことなのだろう。
しかし、肝心のヒューバートがどうにも怪しい動きをしているので、人を見る目がないと自負するマーガレットは——ギルバートのおかげで自負に至った——、まずは自分で理解できるように、知識の底上げをしたいと思ったのだ。
(キャシーちゃんはヒューバート様推しで、ジェフリーは『だめ~』と言っていたけど、どう見ても怪しいのはヒューバート様なのよねぇ……)
家令のジェフリーは、なんだかんだ、屋敷内の使用人達からの信頼も厚いし。
別に、帳簿上も、今のところ、ごまかしは見つかっていないし……。
というわけで、それで彼女は事前にこっそり、ギレムとフレディに頼んで、特別授業を開いてもらい、予算書の読み方や相場観についてみっちり仕込んでもらった。
これが、ギレムにお願いしていたことの一つ目である。
資料を見ながら自分の頭で考えようと必死なマーガレットに、ヒューバートは目を丸くした後、柔らかい表情になった。
しかし、肝心のマーガレットはそれには気が付かなかった。
気が付いたのは執事のフレディで、なぜか彼が照れて頬を赤くしている。
ヒューバートが怪しすぎて、頑張って勉強をすることにしたマーガレット。
一方、頑張るマーガレットを見て、ヒューバートは彼女の評価をどんどん上げている。
まさか彼女が自分のせいで勉強しているとはつゆほども思っていない様子。






