↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅰ部《消えた少女》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/23

第七話 追放者

「……ルナ以外にもいるのか?」


返事はない。当然だった。

目の前にあるのは、いつもの壁だ。レオンもルナも、あの白い場所ももう見えない。


それでも俺は、しばらく動けなかった。


『ここにいる奴らは、向こうじゃ死んだことになってるか――最初からいなかったことになってる』


机の上の紙を見る。

何度読んでも、書いてあることは変わらない。俺が忘れないうちに、自分で書いたものだ。


「奴ら……」


一人じゃない。

四十七年前の馬車事故も同じだとしたら、世界から消えた人間は他にもいることになる。


「……何人いるんだよ」


考えても答えは出ない。

俺は新しい紙を一枚出した。


ルナ・アステリア。

レオン。

四十七年前の馬車事故。

白い場所。


そこまで書いて、最後に一行付け足した。


『他にもいる?』


◇


次の日、朝になって最初にしたのはルナのことを確認することだった。


紙を見る。

ルナ・アステリア。

銀色の髪。淡い色の瞳。

甘い紅茶が好き。本を読み始めると周りが見えなくなる。

人混みでは俺の袖をつかみ、いつも半歩後ろを歩く。


「……よし」


まだ覚えている。


声は――。


『カイ』


言葉は浮かぶ。

でも、音がない。


「……くそ」


昨日、確かにルナを見たのに、声は思い出せないままだった。


俺は黒い髪飾りを持ち上げる。


「今日も行けるのか?」


もちろん返事はない。


昨日は寝ていたら水の音がした。その前は、名前を呼んだことで裂け目が開いた。

名前、髪飾り、場所、時間。それとも別の何か。


条件が分からないなら、試すしかない。


その日から、思いつくことを片っ端から試した。


◇


「ルナ」


何も起きない。


「ルナ・アステリア」


髪飾りを握ってみても変化はない。

夜になって同じことをしても駄目だった。


水の音が関係しているかもしれないと思い、机に水を張った器まで置いてみた。


「……何やってんだ、俺」


自分でも馬鹿みたいだと思う。

当然のように何も起きなかった。


次の日は西門へ行った。

最初に裂け目が開いた場所で名前を呼んだが、振り返ったのは通行人だけだった。


中央広場、ルナの家の近く、学院。

思いつく場所を回っても結果は同じだった。


「……なんなんだよ」


繋がる時と、繋がらない時の違いが分からない。

レオンに聞けば何か分かるかもしれないのに、そのレオンに会うためにまず繋がらないといけない。


「面倒くさすぎるだろ……」


ルナなら、『カイがね』くらい言いそうだ。

声は聞こえない。それでも返事だけは簡単に浮かんだ。


少し笑って、すぐに笑えなくなった。


◇


四日目の夜。

俺は机に突っ伏していた。


四十七年前の馬車事故以外にも、行方不明や事故死、失踪、身元不明の記録を調べた。

でも、どれも決め手がない。


人間なんて普通にいなくなる。事故にも遭うし、記録だって間違う。

その全部をルナと同じだと思い始めたら、何でも怪しく見えてしまう。


「……違う」


欲しいのは思い込みじゃない。

ルナだけじゃないと断言できる証拠だ。


疲れて目を閉じる。

ほんの少し休むつもりだった。


ぽちゃん。


目を開ける。


「……」


今、聞こえた。


ぽちゃん。


二度目。

机の上に水なんて置いていない。


「来た」


黒い髪飾りをつかむ。


――パキ。


壁の前に黒い線が浮かんだ。


「ルナ」


線が伸びる。


「ルナ・アステリア」


――パキ。


裂け目が開き、白い場所が現れた。


「ルナ!」


椅子を蹴るように立ち上がり、前に見た方向を探す。

いない。


「ルナ!」


返事はない。


「レオン!」


そっちも返ってこなかった。


白だけが広がっている。

ただ、前より裂け目が大きい。人一人くらいなら通れそうなほどに。


俺は足元を見る。

自分の部屋の床は境界で終わり、その先には白しかない。


『今のお前が何も分からずこっちへ来るのはやめろ』

『お前までいなくなったら、誰が探す』


「……分かってるよ」


行かない。

そのつもりだった。


白の奥で、何かが動くまでは。


「ルナ?」


違う。

小さな人影だ。子供だろうか。


「おい! 聞こえるか!」


反応はない。

そのまま歩いていく影を追って目を凝らすと、さらに奥に別の影が見えた。


「……え?」


今度は大人。

さらにもう一人。


心臓が速くなる。


白の中に、人がいる。


「レオン……」


あいつの言っていたことは本当だった。


もっとよく見ようと裂け目へ近づく。

縁に手を置いても、冷たくも熱くもない。何も触っていないような感触だった。


足を出せば、向こうへ行ける。


『飛び込むな』


分かってる。


でも、このまま見ているだけでルナを連れ戻せるのか。

次はいつ繋がる? 一週間後か、一か月後か。それとも、二度と繋がらなかったら?


片足を上げ――止める。


「馬鹿か、俺」


足を下ろした。

焦って俺まで消えたら終わりだ。


その時。


「お、珍しく言うこと聞いたな」

「うわっ!」


白の横から男が現れた。


「レオン!」

「そんな嬉しそうに呼ぶな。気持ち悪い」

「誰が嬉しそうだよ」

「顔」

「うるさい」


昨日より近い。

今度は姿がはっきり見えた。


俺よりずっと背が高く、鍛えられた身体をしている。赤みのある濃い茶髪は適当に切ったように乱れ、年齢は二十代後半くらいに見えた。


「本当に来たな」

「そっちが?」

「お前がだ」

「俺はまだ部屋にいる」

「細けえな」


レオンが俺の足元を見る。


「入ってこなかったのは正解だ」

「……入ったらどうなる?」

「知らん」

「またそれかよ」

「知らんもんは知らん」

「七年もいるんじゃないのか」


言ってから、レオンが止まった。


「……何で七年って知ってる?」

「え?」


俺も固まる。


言われていない。

なのに、どうして今そんな数字が出た?


「……知らない。今、何となく」

「何となくで俺の滞在年数当てる奴がいるか」

「じゃあ七年なのか?」

「……だいたいな」


気味が悪い。

また、知らないはずのことを知っていた。


「レオン」


今はそれより聞きたいことがある。


「さっき人がいた」

「ああ」

「三人」

「そうか」

「そうかって。本当にいるんだな」

「いるって言っただろ」


レオンが僅かに眉を動かす。


「俺は数に入ってなかったのか?」

「そういう意味じゃない」

「傷つくな」

「絶対傷ついてないだろ」

「よく分かったな」


こいつ、思っていたより面倒くさい。


「見たいか?」

「何を?」

「ここの奴ら」


即答しかけて、止まる。


「……見られるのか?」

「裂け目がそれだけ開いてりゃな」


レオンが歩き出す。


「待てよ。俺、入らないぞ」

「分かってる。そっちが来れないなら、こっちから連れてくりゃいい」

「連れてくる?」


レオンは返事をせず、そのまま白の奥へ歩いていく。


「おい!」

「待ってろ」

「どれくらい?」

「知らん」

「便利だな、その言葉!」


片手を上げたレオンが、白に溶けるように遠ざかっていった。


俺は裂け目の前に座って待った。

白しかないせいか、時間の感覚がおかしくなる。


「……遅い」


どれくらい経ったのか分からない。


「レオン!」


返事はない。


「帰るぞ!」


帰らないけど。


その時、白の奥に影が現れた。


「……来た」


レオンだ。

その後ろにも人影がある。


一人じゃない。

二人、三人――もっといる。


俺は立ち上がった。


最初に見えたのは、十歳くらいの男の子だった。

その後ろに老人、片腕のない男、若い女性。


知らない人間たちが、全員こちらを見ている。


いや。

俺ではなく、その後ろにある部屋を見ていた。


「……本当に」


声が出なかった。


レオンが戻ってくる。


「連れてきたぞ」

「この人たち……」

「こっちにいる奴らだ」


男の子が俺を見て、それから裂け目の向こうにある部屋を見る。


「そこ、外なの?」

「……外?」

「向こう側?」


答えられなかった。


老人が一歩前へ出る。


「今は、何年だ」

「え?」

「向こうは何年だ」


俺が年を答えると、老人の顔が固まった。


「……そんなに」


若い女性が口元を押さえる。

片腕の男は何も言わない。


男の子だけが、俺の部屋を見続けていた。


「母ちゃん」

「……?」

「母ちゃん、まだいるかな」


胸が詰まった。


「いつ、ここに来たんだ?」


男の子が年を答える。


俺が生まれるより、ずっと前だった。


何も言えずにいると、男の子は俺の顔を見て分かったらしい。


「そっか」


それだけ言った。

泣かなかった。


その方がきつかった。


老人が俺に聞く。


「君は、私たちを知っているか?」

「……いえ」

「そうか」

「すみません」

「謝ることではない」


老人は静かに笑った。


「むしろ、それが答えなのだろう」

「答え?」

「私は死んだことになっているらしい」


隣の女性が口を開く。


「私は違う」

「……何が?」

「死んだことにもなってない」


少し笑って続ける。


「最初から、生まれてないことになってるんだって」


何も返せなかった。


レオンが言っていた。

死んだことになっているか、最初からいなかったことになっている。


「どうして……そんなことになるんだ。何したんだよ」

「分からない」


老人が首を横に振る。


「何かあったはずだろ」

「そうかもしれない。だが、分からないのだ。ここへ来た理由も」

「戻る方法も」


女性が続ける。


「誰が決めたのかもな」


片腕の男が言った。


白い場所に沈黙が落ちる。


一人ずつ顔を見る。

みんな普通だった。


化け物でも罪人でも、英雄でもない。

俺やルナと同じ、ただ生きていた人間だ。


「……何人いる?」


レオンを見る。


「知らん」

「大体でいい」

「数えたことねえ」

「なんで」

「増えるからだ」

「……増える?」

「たまにな。気づいたら、知らない奴がいる」


レオンの顔から笑いが消えた。


「今も?」

「今も」

「じゃあ向こうで今も誰かが――」


言葉が止まる。


消されている。

そう言いかけた。


でも、俺たちはまだ何が起きているのか知らない。


ただ一つ分かった。


ルナだけじゃなかった。


「兄ちゃん」


男の子が俺を見る。


「向こうに戻れるの?」

「俺?」

「うん」

「……たぶん」

「いいな」


その言葉が刺さった。


帰る方法を探す。

助ける。

待ってろ。


何か言わなきゃいけない気がした。

でも、言えなかった。


俺はこの子のことを何も知らない。

ここが何なのかも、戻す方法も、自分がまたここへ来られるかすら分からない。


「……ごめん。俺、ルナを探してるんだ」

「ルナ?」

「銀色の髪の女の子」

「ああ」

「知ってるのか!?」


思わず身を乗り出す。


「見たことある」

「どこで?」

「向こう」


男の子が白の奥を指差す。


「一人で歩いてた」

「いつ?」

「分かんない」

「どっち行った?」


男の子が指差す。

その先には白しか見えない。


「レオン」

「駄目だ」

「まだ何も言ってない」

「顔に書いてある」

「追う」

「駄目だ」

「ルナがいたんだぞ!」


身を乗り出した俺を、レオンが裂け目の前で制した。


「お前はまだ向こう側にいる。今ここへ入って、帰れなくなったらどうする」

「でも」

「焦るな」

「焦るだろ!」


声が響き、男の子が驚いて俺を見る。


「(昨日ではないもっと前では…?)まで普通に一緒にいたんだぞ! それが急にいなくなって、みんな忘れて、俺まで忘れ始めてる!」


レオンは黙っている。


「声も思い出せないんだ」


言ってしまった。


「何年も一緒にいたのに、もうどんな声だったか分からない」


次は何だ。

顔か、名前か、それとも一緒にいた記憶か。


「だから急がないと。俺まで忘れたら、終わりなんだよ」


誰も何も言わなかった。


しばらくして、レオンが口を開く。


「分かった」

「じゃあ」

「勘違いすんな。お前があの娘を探すのは止めねえ」


レオンが周りを見た。

男の子、老人、女性、片腕の男。そして俺。


「ここに来ると、みんな同じ顔する」

「同じ顔?」

「自分以外にもこんな奴がいるって知るとな。全部どうにかしなきゃいけない気がしてくる」


図星だった。


ほんの一瞬、思った。

この人たちも帰りたいんじゃないか。俺に何かできるんじゃないか。


「ルナを探しに来たんだろ」

「ああ」

「なら探せ」

「でも、この人たちは」

「今のお前に何ができる」


言葉が出ない。


「戻し方も知らねえ。ここが何かも知らねえ。自分がどうやって繋いでるかすら分からねえ」

「……」

「そんな奴が全員助けるなんて言ったら、俺なら殴る」

「殴るのかよ」

「優しくな」

「絶対嘘だろ」


レオンが笑う。

それから、少し静かな声で続けた。


「今は、あの娘だけ見てろ」

「……いいのか? この人たちを見たのに」


レオンは少し考えてから言った。


「最初から世界全部背負う奴なんざ、ろくな死に方しねえ」


周りにいた何人かがレオンを見る。

老人が小さく笑った。


「お前が言うのか」

「うるせえ爺さん」

「何だよ」

「別に」


レオンは答えなかった。


でも、なぜかその言葉だけが残った。


「……分かった」


俺は白の奥を見る。

ルナがいる。どこかに。


「俺はルナを探す」

「ああ」

「でも、見なかったことにはしない」


一度だけ、目の前の人たちを見る。


「今は何もできないけど、いたことは覚えてる」


誰も答えなかった。

ただ、男の子が少しだけ笑った。


その時。


――パキ。


裂け目が揺れる。


「カイ。今日はここまでだ」


レオンの声を聞きながら、俺は男の子を見る。


「待って。名前、教えて」

「え?」

「覚えとくから」


男の子が目を丸くする。


「何で?」

「覚えときたいから」


そう答えた瞬間、頭の奥に何かが引っかかった。


水の音。

小さな手。

銀色の髪。


『じゃあ俺が覚えとく』


「……っ」

「カイ?」

「大丈夫」


男の子はしばらく俺を見た後、ゆっくりと名前を口にした。


俺は一度繰り返す。

忘れないように、もう一度。


裂け目が閉じ始めた。


最後に見えたのは、何人もの人間だった。

世界から消え、誰にも覚えられていない人たち。


その中に、ルナもいる。


白が消え、いつもの壁に戻る。


俺はすぐ机へ向かった。


ルナ・アステリア。

レオン。

その下に、今日会った男の子の名前を書く。


老人。

若い女性。

片腕の男。

名前を聞けなかった人たちの特徴も残しておく。


最後に、一番下へ書いた。


『ルナだけじゃない』


しばらくその文字を見つめてから、もう一行。


『でも、まずルナを見つける』


ペンを置いた。


白い場所への恐怖が消えたわけじゃない。

ただ、あそこが何もない場所ではないと分かった。


人がいる。

生きている。


そして、そのどこかにルナがいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
きゃーっ、記憶喪失ものよーっ(鼻血 サクラダリセットのようなテンプレを超えてて、ルナが「明日も私の名前を呼んで」と頼む場面が、後の展開を知るほど切なく感じました! 世界中から存在を忘れられていく中…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。