↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅰ部《消えた少女》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/22

第四話 忘れた人

翌朝、目を覚まして最初に確認したのは、枕元に置いた紙だった。


ルナ・アステリア。

銀色の髪。淡い瞳。甘い紅茶。本が好き。

考え事をすると髪を触る。怒るほど声が小さくなる。

人混みでは袖をつかむ。いつも半歩後ろ。


「……よし」


全部分かる。少なくとも、書いてあることは。


それが本当に自分の記憶なのか、それとも紙を読んだから知っているだけなのか。

そんなことまで考えて、やめた。朝から気分が悪くなる。


昨夜、ルナについて覚えていることをできるだけ書き足した。

好きな食べ物。苦手だった授業。よく読んでいた本。歩く速さ。紅茶に入れる砂糖の数。くだらないことまで全部だ。


その中に、『パンは端から食べる』という一文がある。


「……何だよ、これ」


自分で書いたのに少し笑った。

でも、消す気にはならなかった。


昨日、俺はルナの声を思い出せなかった。

次に何が消えるのかなんて、考えたくもない。


紙を折り畳んで鞄へ入れる。黒い髪飾りもある。

昨夜、あの坂道で何度名前を呼んでも裂け目は開かなかった。だったら、同じことを繰り返していても仕方がない。


調べる。


ルナに何が起きたのか分からないなら、過去に同じようなことがなかったか探せばいい。

一人の人間が突然いなくなり、周囲の人間がその人を忘れ、記録まで変わる。そんな出来事が過去にもあったなら、何か残っているかもしれない。



学院の書庫には、朝からほとんど人がいなかった。

授業のために本を借りる生徒はいるが、古い記録を好き好んで読む奴は少ない。俺も昨日までなら、その一人だった。


受付にいた司書へ声をかける。


「すみません」

「何かな」

「昔、この辺で起きた事故とか失踪を調べたいんですけど」

「年代は?」

「分かりません」

「場所は?」

「それも」


司書が眼鏡の奥から俺を見る。


「ずいぶん曖昧だね」

「ですよね」


自分でもそう思う。


「では、何を探している?」


答えに困った。

『世界から人間が一人消えた事件です』なんて言ったところで、昨日のアベルと同じ顔をされるだけだ。


「……変な失踪です」

「変な?」

「急にいなくなったとか、周りの話が食い違ってるとか」

「事件記録を読みたいなら、地方史の棚だな。古い新聞類は保存状態が悪いから、扱いには気をつけてくれ」

「ありがとうございます」


教えられた棚へ向かった。

地方史、事故記録、古い町報、行方不明者の記録。思っていた以上に量がある。


「これ全部か……」


一冊目を開いた時点で、今日中に終わらないことだけは分かった。



最初の一時間は、ほとんど何も見つからなかった。

山道で遭難した商人、川に流された子供、旅に出たまま戻らなかった男、家出した娘。失踪と書かれていても、理由が分かっているものがほとんどだった。


ルナとは違う。


ルナは、いなくなったんじゃない。

いなかったことになった。


そこが決定的に違う。


二時間ほど経った頃には、目が痛くなってきた。


「……これ、探し方間違ってないか?」


そもそもルナと同じことが起きていたとして、その記録が残るのか。

ルナの記録は消えた。だったら過去の誰かも同じように消えていた場合、その人物について書かれた記録そのものが残っていないはずだ。


「じゃあ見つけようがないじゃん」


思わず本に向かって文句を言った。

近くにいた生徒がこっちを見る。俺は何事もなかったようにページをめくった。


探す対象を変える。

消えた人間そのものじゃない。その周りだ。


ルナが消えた後も、俺は残っている。

だったら過去にも、本人ではなく周囲に何か変なものが残っているかもしれない。


記録の間違い。証言の食い違い。理由の分からない文章。

そういうものを探す。


さらに何冊か読んだところで、一つの事件が目に留まった。


今から四十七年前。

北街道で起きた馬車の転落事故。


雨で崩れた道から乗合馬車が谷へ落ちたらしい。

死者四名。負傷者三名。事故そのものは珍しくなく、最初は読み飛ばしかけた。


でも、添えられていた証言に違和感があった。


御者の証言。

『乗客は六名だった』


生存した商人の証言。

『自分を含め、乗客は五名だった』


「……ん?」


もう一度読む。

御者は六名。商人は五名。


単なる数え間違いかもしれない。事故の直後だ。混乱していたとしてもおかしくない。


次の証言を見る。


近くを通りかかった農夫。

『救助された三名を確認した。谷底には四名いた』


三人と四人で七人。

御者を含めれば、乗客六名なら人数は合う。


「じゃあ六人でいいんじゃ……」


しかし、その下にある事故後の公式記録にはこう書かれていた。


御者一名。

乗客五名。

計六名。

死者四名。

負傷者二名。


「……合わない」


証言では負傷者三名。

公式記録では二名。


誰か一人多い。


俺は姿勢を正し、同じ事故について書かれた町報を探した。


『北街道にて馬車転落。六名が乗車。四名死亡、二名負傷』


こっちは公式記録と同じで六人。

でも、最初の救助記録では七人いる。


「書き間違いか?」


十分あり得る。四十七年前の事故だ。

それだけなら、何も不思議じゃない。


ただ、もう一つ証言が残っていた。


事故現場近くに住んでいた女性への聞き取り。


『あの子は助かったのですか』


その下に、聞き手の質問がある。


『あの子とは誰か』

『分からない』


「……は?」


俺は顔を近づけた。

読み間違いじゃない。


『事故の夜、あなたは「あの子を助けて」と繰り返していたと記録されている』

『そう言われても、私には覚えがない』


背中に嫌なものが走った。


『事故現場で子供を見たのか』

『分からない』

『自分が発言したこと自体を覚えていないのか』

『覚えていない』


そこで証言は終わっている。


「なんだよ、これ……」


事故の混乱や記憶違いで説明できなくはない。

でも、俺は別の証言を探した。


御者。

事故から三日後。


『乗客は六名だった』


事故から二週間後。


『乗客は五名だったと思う』


「……変わってる」


最初は六人と言っていたのに、後には五人。

救助記録でも人数が一人多く、事故の夜に『あの子を助けて』と叫んでいた女性は、その子が誰なのか分からない。


心臓が速くなっていく。


似ている。


同じだとは言えない。

ルナの時みたいに記録そのものが消えているわけでもない。


でも、誰か一人を中心に話が噛み合っていない。


俺はさらにページをめくった。


事故の翌月に作成された最終報告書。

乗客五名。御者一名。死者四名。生存者二名。


最初からそうだったように、綺麗に数字が揃っている。

その後の記録にも矛盾はない。


まるで時間が経つにつれて、食い違っていたものが一つの話にまとまっていったように見えた。


「…………」


考えすぎだ。

古い記録なんて間違いがある。証言だって変わる。人間の記憶なんて曖昧だ。


それでも、俺は知ってしまった。

昨日まで確かにいた人間を、誰も覚えていないということが本当に起こる。


だから、この記録をただの間違いとして閉じることができなかった。


「……誰を忘れたんだ?」


呟いた瞬間、自分の言葉にぞっとした。


忘れた。


俺は今、そう言った。

行方不明でも、記録ミスでもなく。


忘れた。


鞄から紙を取り出す。

一番上に書かれた名前。


ルナ・アステリア。


読める。知っている。まだ、俺の中にいる。

黒い髪飾りにも触れた。そこにある。


「まさか……」


視線を古い記録へ戻す。


四十七年前。

もし、あの事故に本当はもう一人いたとしたら。

そして、その人間をみんなが忘れたのだとしたら。


ルナだけじゃない。


その考えが浮かんだ瞬間、嬉しいのか怖いのか分からなくなった。


ルナだけに起きた異常じゃないなら、手掛かりがあるかもしれない。何か方法が見つかるかもしれない。

でも、四十七年前にも同じことが起きていたのなら、それは今まで誰にも知られないまま繰り返されてきたことになる。


「……ルナだけじゃない?」


口にした言葉は、静かな書庫に消えた。

俺は事故記録を見つめる。


その時、一枚の紙がページの間から床へ落ちた。


「……?」


拾い上げる。

事故当時の聞き取り記録らしい。端が破れ、文字もかなり薄くなっている。

内容のほとんどは、さっき読んだものと同じだった。


ただ、一番下に短い追記がある。


『証言者一名、翌日の再聴取を拒否』


その横に理由が書かれていた。


『該当事故について、これ以上話すことはない』


そして、その下。

別の筆跡で一行だけ。


『昨日まで、もう一人いたと言っていた』


俺は動けなかった。


昨日まで。


その言葉を、俺は知っている。

誰よりも。


紙を持つ手に、じわりと汗が滲んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ちょっとずつ核心に迫っていく感じがドキドキします……! ルナちゃんに会えるのかな?(´꒳`) カイ、応援したくなりますね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。