↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅱ部《忘れられた人々》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/22

第二十二話 代わりに消えるもの

俺の名前があったはずの場所には、何もなかった。


「この本、いつ借りました?」

司書に聞かれ、すぐには答えられなかった。

「十日くらい前です。ここで手続きしました」

「私が?」

「たぶん」


司書は帳簿と俺の顔を交互に見る。

「すみません。覚えていなくて」

「……いえ」


俺のこと自体は覚えている。

名前も分かっているし、普通に話もできている。

ただ、記録だけが消えていた。


「他の記録も見てもらえますか?」

「他の?」

「出席記録です」


司書は不思議そうな顔をしたが、学院の記録を確認してくれた。

そこには、カイ・レイフォードの名前があった。


「ありますね」

「……はい」


消えたのは全部じゃない。

貸出記録だけだ。


俺は礼を言って書庫を出た。

外で待っていたガルドが、壁にもたれている。


「長かったな」

「悪い」

「何かあったのか?」


少し迷ってから、さっきのことを話した。

ガルドは黙って聞いていたが、貸出記録から俺の名前が消えていたと言うと眉を寄せた。


「俺が戻ったせいか?」

「分からない」


そう答えながら、頭に浮かんだのは以前のことだった。

白い世界から銀の留め具を戻した直後、大家が一瞬だけ俺を忘れた。

二度目の実験のあとには、学院から来た人間が誰に荷物を届けるはずだったのか思い出せなくなった。


そして今日、人間を一人戻したあとで、俺の記録が一つ消えた。

偶然だと言い切るには、重なりすぎている。


「おい」


ガルドの声で顔を上げる。


「そんな顔するくらいなら、戻さなきゃよかったか?」

「何言ってんだ」

「俺を戻したせいかもしれないんだろ」

「まだそう決まったわけじゃない」

「決まったら?」


答えられなかった。

ガルドはしばらく俺を見ていたが、それ以上は聞かなかった。


「腹減った」

「さっきも聞いたよ」

「こっちに戻ったら飯が出てくると思ってた」

「どんな世界だよ」


ガルドが笑い、俺も少しだけ笑った。


「行こう。宿探すぞ」

「ああ」


歩き出したガルドの背中を追いながら、もう一度だけ学院を振り返る。

一つだけだ。

まだ、一つしか消えていない。

そう考えた自分が嫌だった。



翌日、亀裂が開くとルナはすぐに俺の顔を見た。


「カイ」

「何だ?」

「何かあった?」

「何で分かるんだよ」

「顔」

「昨日もそれ言われたな」

「誰に?」

「ガルド」

「じゃあ、分かりやすいんだよ」


隣でセレスが笑う。


「カイは隠し事に向いてないのね」

「二人して何なんだよ」


誤魔化せそうになかった。

昨日、ガルドが戻ったあとで起きたことを話す。

貸出記録から、俺の名前だけが消えていたこと。


ルナの表情から笑みが消えた。


「それ、いつ分かったの?」

「昨日」

「何で昨日言わなかったの?」

「亀裂が閉じたあとだったんだよ」

「じゃあ、今日はもう何もしてない?」

「してない」


ルナは少しだけ息を吐いた。

セレスは黙ったまま考えている。


「他には?」

「出席記録は残ってた。司書も俺を覚えてたし、大家にも今朝会ったけど普通だった」

「名前は?」

「呼ばれた」


セレスが俺を見る。


「つまり、今のところ消えたのは記録一つだけ」

「ああ」


ルナは何も言わない。


「偶然って可能性もある」


俺が言うと、セレスは首を振った。


「あるわ。でも、それだけで済ませるには少し気になるわね」

「だよな」


銀の留め具を戻した時、大家が俺を一瞬だけ忘れたこと。

二度目の実験のあと、学院から来た人間が届け先を思い出せなかったこと。

それも話すと、セレスの表情が変わった。


「待って。二度目の話は初めて聞いた」

「俺もその時は関係あるか分からなかったんだよ」

「今は?」

「……分からない。でも、無関係とも思えない」


セレスは少し考えてから、亀裂の向こうにいる俺を見た。


「向こうからこちらへ何かを戻すたびに、あなたの存在に関わるものがおかしくなっている」


ルナが俺を見る。


「最初は大家さんが、カイを一瞬忘れた」

「ああ」

「次は、カイに届けるはずだったものの相手が分からなくなった」

「たぶんな」


そして、人間を戻した昨日。

俺の名前が、記録から消えた。


並べてみると、嫌なくらい分かりやすかった。


「でも、おかしくないか?」


俺はセレスを見る。


「戻したのはガルドだ。消えるなら、どうして俺なんだ?」


セレスはすぐには答えなかった。


「分からないわ」


その返事に少し驚く。


「珍しいな」

「何が?」

「セレスが分からないって言うの」

「私を何だと思ってるのよ」


セレスは少しだけ笑ってから続けた。


「分からないものを、分かったふりする方が危険よ。今あるのは三つの出来事と、それが全部カイの周りで起きたという事実だけ」


それ以上は、まだ何も言えない。


「じゃあ、もうやめよう」


ルナが言った。


「何を?」

「戻すの」

「ガルドが戻れた。方法は分かった。それで十分」

「十分じゃないだろ」

「十分だよ」


ルナの声が少し低くなる。


「カイが消えるかもしれないなら、十分」

「まだ俺が消えるって決まったわけじゃない」

「決まってからじゃ遅い」


言い返そうとして、やめた。

ルナは怒っている。

でも、それだけじゃない。怖がっている。


「俺は昨日、ガルドが戻ってきたのを見た」


ルナが黙る。


「風が吹いてるって、あいつ笑ったんだ」


白い世界には風がない。

朝も夜もない。腹が減ることも、眠ることもない。

そんな場所に、今も人がいる。


「だからって、カイが代わりに消えていい理由にはならない」


ルナの声は静かだった。


「私たちを戻すたびに、カイがこっちに近づいてくるなら?」


その言葉に、何も返せなかった。

ルナは自分の足元に広がる白い地面を見る。


「一人戻るたびに、カイが少しずつ消えるなら?」


考えたくなかった。

でも、俺も同じことを考えていた。


「今は人を戻すべきじゃないわ」


セレスの言葉に、ルナが顔を上げる。


「ただし、やめると決めるのも早い」

「セレス」

「原因を調べるの。カイの記録が消えたことと、ガルドが戻ったことが本当に繋がっているのか。もし繋がっているなら、何が起きているのか」


セレスは俺を見る。


「次に進むのは、それからよ」

「……分かった」


今度は素直に頷いた。

ルナが少し驚いた顔をする。


「何だよ」

「何でもない」

「今、絶対何か思っただろ」

「思ってない」

「嘘つけ」

「証拠は?」

「見えてるからな」


ルナが少しだけ笑った。

その顔を見て、胸の奥が痛む。


もし本当に。

誰かをこちらへ戻すたびに、俺が向こう側へ近づいているのだとしたら。

あと何人、戻せるんだろう。


そんなことを考えた瞬間、昨日見た帳簿の空白が浮かんだ。

俺の名前があった場所。

たった一つの空白。

なのに今は、それが昨日よりずっと大きく見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。