第二十話 繋ぐもの
境界の向こうへ行っても、こちら側との繋がりを切らない。
言葉にすれば簡単だった。問題は、どうやって繋ぐかだ。
探索印は使えない。紐で結んでも、欠片が境界へ入るにつれて反応は弱まり、半分ほどで消えた。
翌日、俺は学院の書庫で、離れたもの同士を繋ぐ術を調べた。
探索、伝達、契約。
その中で一つだけ使えそうだったのが、対になった二つの印を魔力で繋ぐ術式だ。片方へ魔力を流すと、もう片方が反応する。
探索印のように相手を探すのではなく、最初から二つを一組として繋いでおく。
これなら、境界を越えても切れないかもしれない。
◇
夕方、亀裂の向こうでセレスが二枚の金属片を眺めていた。
「今度は何を思いついたの?」
「その言い方やめろ。毎回ろくなことしないみたいだろ」
「違うの?」
「……否定しづらいな」
隣でルナが小さく笑った。
「今、笑っただろ」
「笑ってない」
「いや、見えてるからな」
「証拠は?」
「見えてるって言ってるだろ」
セレスが呆れたように息を吐く。
「仲がいいのは分かったから、続けて」
俺は二枚の金属片を見せた。同じ術式を刻んだ、対になる印だ。
「昨日は、境界に入るにつれて探索印の反応が消えた」
「今日は?」
「最初から二つを繋いでおく」
セレスが少し考える。
「境界に入る前から、関係を作っておくのね」
「ああ」
二枚の印へ魔力を流すと、同時に淡く光った。
「入れるぞ」
片方を亀裂へ差し込む。三分の一、半分と進めても反応は消えない。
「昨日と違う」
ルナが呟く。
「全部入れる」
金属片を押し込むと、完全に白い世界へ落ちた。ルナがそれを拾い上げる。
俺は手元の印へ魔力を流した。こちらが光り、一拍遅れてルナの手の中にある印も光る。
「……繋がってる」
境界を完全に越えても、切れていない。
「成功……したのか?」
「少なくとも、昨日とは違うわね」
セレスは慎重だった。
「物だから成功した可能性もある。人にも使えるとは限らないわ」
「分かってる」
それでも、一つ道ができた。
なら、逆はどうだ。向こうにいる人間にも、同じ繋がりを作れたら。
「カイ」
ルナの声で顔を上げる。
「人で試そうとしてる?」
「……考えてはいる」
「駄目」
即答だった。
「まだやるとは言ってないだろ」
「顔に書いてある」
「どんな顔だよ」
「ろくなこと考えてない顔」
ルナは笑わなかった。
「失敗したら、どうなるか分からない」
「分かってる」
成功する保証なんて、どこにもない。
「だから、すぐには――」
「俺で試せばいい」
振り向くと、白い世界の奥に一人の男が立っていた。最初にここへ来た時、レオンやトーマと一緒にいた片腕の男だ。
「話はレオンから聞いてる。外へ戻す方法を探してるんだろ」
「まだ物で成功しただけだ。人間でどうなるかは分からない」
「なら、次は人間だ」
あまりに簡単に言う。
「失敗したらどうなるか分からないんだぞ」
「知ってる」
男は亀裂の向こう、俺の背後にある夕暮れの町を見た。
「帰ったところで、俺の知ってる奴なんか誰も残ってないだろうしな」
「それでも帰りたいのか?」
「ああ」
迷いのない返事だった。
「ここじゃ、何も終われないからだ」
男は少しだけ笑う。
「朝になって、夜になって、腹が減って、眠る。そういうのが恋しい」
俺は何も言えなかった。
「帰って何があるかは分からない。でも、何もないかどうかくらい、自分で見たい」
「名前は?」
「ガルド」
「ガルド……」
「忘れるなよ」
冗談めかした声だったが、笑えなかった。
名前――境界に触れた人間が、一時的に失ったもの。
「忘れるなよ」という言葉が、妙に頭に残った。
「今日はやらない」
ガルドが眉を上げる。
「怖じ気づいたか?」
「違う。やるなら準備する」
人間に使える術式へ組み直し、できることは全部やってからだ。
ガルドはしばらく俺を見て、頷いた。
「分かった」
亀裂が細くなり始める。
「カイ」
「分かってる」
「まだ何も言ってない」
「無茶するな、だろ」
ルナは少し黙った。
「違う。一人で決めないで」
俺がルナを見ると、彼女は続けた。
「私も考える。セレスもいる。レオンもいる。それに、帰りたい人もいる」
ルナはガルドを見てから、もう一度俺を見る。
「だから、カイ一人で背負わないで」
俺はずっと、ルナを戻すことだけを考えていた。でも今は違う。帰りたい人がいて、そのために一緒に考える人もいる。
「……分かった」
ルナが頷くのを見て、俺はガルドへ向き直った。
「明日までに準備する。それでもやるって言うなら――」
「俺がやる」
ガルドは迷わなかった。
白い光が閉じる。
次に境界を越えるのは、物じゃない。
人間だ。




