↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅱ部《忘れられた人々》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/23

第十九話 失うもの

名前を忘れる。

自分の名前を、一時的に。


レオンから聞いた話が、次の日になっても頭に残っていた。


ルナは境界に触れたあと、自分に右手があったことを忘れた。

レオンが見た人間は、自分の名前を忘れた。


どちらも失ったわけではない。あとから元に戻っている。

消えたんじゃない。一時的に、自分で分からなくなった。


だとしたら――境界で失われるものは、本当に記憶なんだろうか。


学院の書庫を調べても、それらしい記録は見つからなかった。

代わりに思い出したのは、初等魔法で使う探索印だった。


印をつけた物の位置を、魔力で感じ取るための簡単な術だ。


記憶を調べることはできない。

でも、境界の向こうにある物を、こちら側から「見つけられるか」なら確かめられる。


◇


夕方、亀裂を開く。

向こうにはルナとセレスがいた。


「今日は人では試さないからな」

「その言い方、嫌」

「俺も今そう思った」


セレスが笑う。


俺は探索印について説明した。


「物を境界に入れて、こちら側から感知できるか調べる」

「越えさせるの?」

「いや。半分だけ」


ルナは不安そうだったが、それ以上は何も言わなかった。


その時だった。


「カイ!」


白い世界の奥からトーマが走ってくる。


「トーマ?」

「レオンが、また来てるって言ってたから」


俺はふと思い、尋ねた。


「トーマ。境界に触ったことあるか?」

「ないよ。レオンに止められた」

「やっぱりか」


昨日聞いた話を簡単に説明する。

境界に触れた人間が、一時的に自分の名前を忘れたこと。


トーマは少し黙ってから言った。


「じゃあ、外に出たら何か忘れちゃうの?」

「まだ分からない」

「ルナも?」

「私は、右手のことが分からなくなった」


トーマがルナを見る。


「怖かった?」

「怖かったよ」


ルナは短く答えた。


トーマは亀裂の向こうを見る。

俺の後ろには、夕暮れの町がある。石造りの建物と、人の行き交う道。


「でも俺、帰れるなら帰りたい」


思わずトーマを見る。


「何か忘れるかもしれなくても?」

「それは嫌だけど」


少しだけ俯く。


「ずっとここにいるのも嫌だよ」


その声は静かだった。


「母ちゃんには、もう会えないかもしれないんだよね」

「……ああ」

「それでも、一回くらい帰りたい」


トーマがいたのは、俺が生まれるよりずっと前だ。

帰ったところで、昔の生活は戻らない。


それでも帰りたい。


「ルナも?」


トーマが聞く。

ルナは一瞬だけ俺を見た。


「帰りたいよ」


胸の奥が少し痛んだ。


白い場所にいるのは、ルナだけじゃない。


知っていた。

レオンも、トーマも、他の人たちも見てきた。


それでも、境界を調べる理由の中心にいたのは、ずっとルナだった。


「……帰りたいのは、ルナだけじゃないんだな」


セレスが俺を見る。


「今さら?」

「分かってたよ」

「分かっているのと、実感するのは違うわ」


言い返せなかった。


「それで、どうするの?」


俺は持ってきた白い欠片を見る。


「失わずに越える方法を探す」


まずは、そのために境界を知る。


欠片には探索印を刻んである。

細い紐を結び、亀裂へ近づけた。


魔力を流す。反応はある。


「入れるぞ」


先端を白い光へ差し込む。変化はない。

さらに進めると、三分の一ほど入ったところで探索印の感覚が弱くなった。


「……何だ?」


もう少し進める。

欠片の半分が境界へ入った、その瞬間、反応が消えた。


「カイ?」


欠片は目の前にある。紐も繋がっているし、俺自身の目にも見えている。

なのに、探索印ではどこにもない。


「戻して」


ルナの声に、すぐ紐を引く。

欠片がこちら側へ戻った瞬間、反応も戻った。


誰も喋らなかった。


俺は手の中の欠片を見る。

壊れていない。探索印も残っている。


「見えてるのに……見つけられない」


ルナが呟く。

その言葉に引っかかった。


見えているのに、見つけられない。


俺はルナを見る。


世界から消えたルナも、本当はここにいる。

なのに、こちら側では誰も彼女を見つけられない。


「境界の向こうに行ったものは、消えるんじゃないのかもしれない」


セレスがすぐに言う。


「探索印だけが遮られた可能性もあるわ」

「分かってる」


まだ仮説だ。

でも、一つだけ確かなことがある。


「完全に越えなくても変化が起きる」


少なくとも探索印では、境界へ入った時点で見失い始める。


なら。


「……見失わなければ?」


ルナが俺を見る。


「境界を越えても、こちら側との繋がりを残せたら」


探索印では駄目だった。

でも、何か別の方法なら。


セレスが小さく笑う。


「次に調べることは決まったみたいね」


俺は頷いた。


境界の向こうへ行っても、繋がりを切らない方法。

それが見つかれば、人を戻す方法に、ようやく手が届くかもしれない。


トーマが俺を見る。


「俺も帰れる?」

「まだ分からない」


約束はできない。


「でも、調べる」


トーマは少しだけ笑った。


「うん」


亀裂が細くなっていく。


「カイ」


ルナが俺を呼ぶ。


「無茶しないで」

「ああ」


亀裂が閉じる直前、ルナが言った。


「また明日」


一瞬だけ、あの日の夕暮れが浮かぶ。


「また明日、ルナ」

「うん。また明日、カイ」


亀裂が閉じた。

手の中には、白い欠片が残っている。


失わずに越える。


そのために必要なのは、境界の向こうへ行っても――

こちら側との繋がりを、切らないことなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。