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また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅱ部《忘れられた人々》

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第十七話 境界

第十七話 境界


次の日、学院へ着くとすぐに昨日の届け物について調べた。


受付で聞いてみたが、俺の部屋へ何かを届けるよう頼んだ者はいないらしい。大家も、誰が来たのか、誰に届ける物だったのか覚えていない。結局、それ以上は分からなかった。


貸出記録にも出席記録にも俺の名前はある。話しかければ、誰もが俺をカイ・レイフォードだと分かる。何も消えていない。それなのに、二度とも向こうから物を戻したあとに妙なことが起きている。


偶然だと言い切るには、少し気味が悪かった。



その日の夕方、いつもの場所でルナの名前を呼んだ。何度目かで水の音がして、細い亀裂が開く。


「カイ」


ルナがいた。その隣には、もうセレスもいた。


「昨日、何かあった?」


ルナに聞かれ、学院から来たという人のことを話した。セレスは黙って聞いていた。


「どう思う?」

「分からないわ」

「またそれか」

「分からないものを分かったふりする方がいい?」

「いや」

「なら我慢して」


相変わらずだ。


「でも、二度とも何か起きた」


一度目は、大家が俺を忘れた。二度目は、学院から来たという人が届け先を思い出せなくなった。


「偶然じゃないなら、もうやめた方がいい」

「まだ決まったわけじゃない」

「だから、決まるまで続けるの?」

「確かめないと分からないだろ」

「カイ」


名前を呼ばれて、言葉が止まる。


「戻れなくてもいいって言ってるわけじゃない。カイが何か失うなら嫌なの」


すぐには返せなかった。


「……分かってる」

「分かってない」

「それ、昨日も言われた」

「今日も言う」


セレスが小さく笑った。


「仲がいいのね」

「今それ言う?」

「今だからよ」


ルナがセレスを見る。


「あなたは止めないの?」

「止めてほしい?」

「そうじゃなくて」

「私はカイに決めろと言っただけよ」


セレスは亀裂越しに俺を見る。


「それで、どうするの?」


昨日と同じ問いだった。


「もう物は戻さない」

「へえ」

「でも、やめるつもりもない」

「カイ」

「同じことを繰り返しても仕方ないだろ。物を戻せることは分かった。次は、どうして戻せたのかを知りたい」


セレスの目が少し細くなった。


「まともなことを言うのね」

「普段はまともじゃないみたいに言うな」


セレスは答えず、亀裂の前まで来た。


「なら、一つ試してみる?」

「何を?」

「境界よ」


セレスが白い亀裂を指す。


「あなたは物をこちらへ移した。でも、境界を越える瞬間に何が起きているのかは見ていないでしょう?」

「見てたぞ」

「物が動いたところはね」


セレスは足元にあった小石を拾った。


「昨日と同じように動かして、境界に触れる前に止める」

「そんなことできるのか?」

「知らないわ」

「またそれか」

「だから試すんでしょう?」


ルナが小石を見る。


「危なくない?」

「少なくとも、人を使うよりはね」


セレスが小石を亀裂の近くへ置いた。


「カイ。昨日と同じようにして」

「物は戻さないって言ったんだけど」

「戻さないわ。境界に触れる前に止めるの」

「俺が?」

「あなた以外に誰がいるの?」


簡単に言ってくれる。


俺は小石を見て、昨日と同じように意識する。


向こうから、こっちへ。


何も起きない。もう一度、同じように意識する。


向こうから、こっちへ。


ぽつん、と水の音がした。小石が白い地面を滑り、亀裂へ近づいていく。


「カイ、止めて」


こっちへ来るな。


そう思った瞬間、小石が止まった。亀裂に触れる寸前だった。


「……止まった?」


ルナがしゃがみ込み、小石を見る。


「動いてない」

「カイ、もう一度」


今度は少しだけ、こっちへ。


小石がわずかに動く。


止まれ。


その瞬間、また止まった。


「やっぱり」

「何が分かった?」

「あなたが動かしている」

「それは昨日も――」

「違うわ。引き寄せるだけじゃない。途中で止めることもできる」


俺は境界のすぐ手前で止まった小石を見る。物を途中で止められるなら、いつか人だって。


「駄目」

「まだ何も言ってない」

「顔で分かる」

「そんなに分かりやすいか?」

「カイは分かりやすい」


セレスが笑う。


「私も同意見ね」

「どっちにだよ」

「両方」


セレスはもう一度、小石へ視線を戻した。


「カイ。もう少しだけ動かせる?」

「境界に触れるぞ」

「触れたところで止めて。越えさせないで」

「簡単に言うなよ」

「だから、小石で試しているのよ」


ルナが不安そうに亀裂を見る。


「無理そうならやめて」

「分かってる」


俺は小石に意識を向ける。


ほんの少しだけ、こっちへ。


小石が動き、亀裂に触れた。


止まれ。


その瞬間、半分ほどが白い光の中へ沈んで見えなくなった。


「……え?」


小石はそこで止まっている。こちら側へ落ちてきたわけではない。半分は白い世界に残り、もう半分だけが亀裂の中から消えていた。


「これ……」


ルナが息を呑む。


俺も思い出していた。以前、ルナが裂け目を越えようとした時のことを。


『右手が、なくなった』


裂け目へ入れた指先から先が消え、戻ったあとには、自分に手があったことさえ一瞬分からなくなった。


「ルナの時と……同じなのか?」


セレスがルナを見る。


「どういうこと?」

「前に一度、ここから出ようとしたことがあるの。その時、裂け目に入れた右手が消えた」

「戻ったの?」

「うん。でも少しだけ、自分に手があったことを忘れた」


セレスの表情から完全に笑みが消えた。


「カイ。戻せる?」

「やってみる」


今度は逆だ。


向こうへ戻れ。


小石がわずかに揺れた。次の瞬間、白い世界側へ弾かれるように転がる。元の形のままだった。壊れてはいない。


「戻った……」


セレスは小石ではなく俺を見ていた。


「カイ。次は、絶対に人で試さないで」

「……何で?」

「物でできたからって、人でも同じとは限らないでしょう?」


ルナが自分の右手を見る。


「今日はここまでよ」


珍しく、セレスの声に迷いがなかった。


亀裂の向こうには、元に戻った小石が転がっている。


物をこちらへ動かすことはできる。途中で止めることもできる。でも、その境界で何が起きるのか。


俺たちはまだ、何も知らなかった。

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― 新着の感想 ―
カイとルナのピュアなやりとりで癒やされる一方で、「存在が消えてしまう恐怖」という切迫した展開に一気に引き込まれました。 どうすれば存在が消えずに無事戻れるのか、張り巡らされた謎の真相が気になり一気に読…
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